もえもえ図鑑

2008/11/16

族長と伊勢エビを食う(6)

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 調理台では、料理人がすでに肉を焼く支度をはじめていた。黄金の油の中で、薄く切った大蒜(にんにく)を丁寧に炒める香りが、ぷうんと美味そうに漂ってきていた。
「ああ、なんだかボケッとしてたよ」
 煙に悪酔いしたのかなと苦笑して言い、リューズは自分も好物に箸をつけた。伊勢エビは美味だった。しかし昔、湾岸で食ったやつのほうが美味い気がする。あれを越える美味は、おそらく死ぬまで口にすることはないだろう。若い体の飢えがないと、味わえないものはある。
「お前、食い足りないのだろう。もっと焼かせるか」
 リューズが訊ねると、エル・ギリスはうっとりと恍惚の顔をした。
「いいんですか」
「いいけど、お前、普段餌をもらってない犬みたいだな。スィグルに言っておけ、臣をちゃんと食わせるように。それも上に立つ者の勤めだからな」
「力一杯伝えます」
 即答で請け合って、エル・ギリスは嬉しそうに酒をぐびぐび飲んだ。その横顔がはちきれそうに嬉しげなのを見て、リューズはふと、嫌な予感がした。まさかこいつ、上に立つ者というのが族長のことだと思ってないよな。領主って意味なのだぞ。指名したのではないからな。分かっているのだろうな。
 しかしそれを敢えて言うのも怪しく思えた。エル・ギリスは食い物が増えることを喜んでいるだけかもしれない。人柄をよく知らず、傍目に見るだけでは、判断がつかなかった。
 それに、がつんと乱暴に酒杯を置いた若造が、明らかに酔ったような嘆息をするのを聞いて、そちらに気をとられたのだ。
「今夜は無礼講ですよね、族長。いつも玉座の間(ダロワージ)の晩餐では、基本が無礼講なんですもんね」
 鉄板に乗せられ、じゅうじゅう焼けていく肉を凝視して、エル・ギリスは話していた。生でもいいから食らいつきたいみたいな、飢えた目つきだった。
 ずいぶん荒っぽい射手だと、リューズは思った。どうしてこんな強引なのを、イェズラムは選んだのだろう。自分にはなかった思い切りを、後継者に求めたのだろうか。
「それを決めるのは俺であって、お前ではないだろう」
 リューズが静かに諌めると、エル・ギリスは焼ける肉を見つめたまま、ゆっくり頷いた。
「でも俺はずっと、玉座の間(ダロワージ)の晩餐の頃、高座にいる族長を見て、言いたいことがあったんです。族長は廷臣の話はなんでも、聞いてくれるんですよね」
 何の話をするつもりかと、芯のところで警戒しつつ、リューズは頷いてやった。時にはこんな酔眼で、とんでもない話をしに来る者もいる。それを笑って受け流すのも、玉座の勤めだが、まさかこんなところでまで仕事すんのか俺は。勘弁してくれと嫌気がさしたが、それでももう、逃げ場もなかった。
「どうしてイェズラムを、止めてくれなかったんですか」
 空になった酒杯を、若造はこちらを見もせず、片手でぐいっと突きつけてきた。どうもそれは、酌をしてくれということらしかった。一瞬、なんという不遜と思えたが、リューズはそれには何も言わず、黒漆の酒器から酒を注いでやった。
「止めるとは、何のことでだ」
「最後に出て行く時にです」
「止めたよ。でも俺の言うことなんか聞くような奴ではなかったのさ」
「行けばイェズラムが死ぬとは、思ってなかったんですか」
 悔しそうに酒杯を睨み、エル・ギリスは訊ねていた。
「そんなような予感はしたが、仕方ないだろ。あいつの選んだ死に場所だ。王宮で衰弱死するより、戦って死にたいというのだから、それは英雄としてもっともな考えだ。そのお陰で死後もあいつは、大英雄だろう」
 いちいち頷いて、エル・ギリスは聞いていたが、酒杯を見下ろす視線は、どことなく哀れっぽかった。主にうち捨てられた犬みたいに。
「でも俺は、生きてて欲しかったんです。別に大英雄じゃなくてもいいんで、普通の英雄として、一日でも長く生きててほしかったんです」
 切々とそう言う若造が哀れに思えて、リューズは同意するというより、慰めるつもりで小さく頷いてやった。それは誰しも本音であろう。しかしお前はそれでいいかもしれないが、こっちはそうもいかない。なにしろ大英雄になれと頼んだのは、子供のころの自分自身で、イェズラムはそれを律儀に守っただけなのだ。今さら、やっぱり無しの方向でというのも、格好がつかない。
 それに後からいろいろ考えてみても、炎の蛇の散り際として、王宮で人知れず衰えて死ぬというより、内外に聞こえるような奇抜な英雄譚(ダージ)を残して、ど派手に死ぬほうが、格好がいいというか。それに尽きる。あの兄は、要所要所で惚れ惚れするほど、格好が良かった。それを最期のときまで、一徹に貫いたというだけのことだろう。
「まあ、仕方がないよ、エル・ギリス。あいつにも男としての誇りがあるからな。幼少のころから他人の世話ばかりしてきたような奴なのだ。死ぬ時くらいは、本人の我が儘を通させてやらないと」
「我が儘ではないです」
 がおっと吼えるように反論して、エル・ギリスはこちらを睨んだ。
「イェズラムは、族長のために死んだんです。だってそうだろ、スィグルを助けようと思ってイェズラムは出て行ったんです。それはそれで仕方なかった。スィグルは新星なんだし、その必要があれば命を賭して守らないといけないです。だけどイェズラムは、スィグルが族長の息子だから助けたんだと思います。俺はそれが、とにかく悔しい」
 胡座した膝の上で、拳を握って、エル・ギリスは蕩々と言った。言葉のとおり、悔しいという顔だった。素直な子なのだなあと、リューズは感心した。腹の中はどうなっているかと、読む気も起きない。
「そうか。じゃあ何故それを、すぐに言いに来なかった」
「だって……言えなかったんだもん。ていうか、たぶん言いました。玉座の間(ダロワージ)に絵を飾ったりして」
「回りくどいんだよ、お前みたいな薄ら馬鹿が、なぜそんな回りくどいことをするんだ」
「だって……」
 エル・ギリスは言い訳めいたつぶやきのあと、しばらく押し黙っていた。リューズは根気強く、話の続きを待った。
「だって、言わなくても気付いててほしかったんです。それで、感謝してほしかったんです、イェズラムに」
「感謝してるよ」
 宥める口調でリューズが言うと、エル・ギリスはぐっと詰まったような複雑な顔をした。
「そんなあっさり言うな」
 酔ったような木訥さで、エル・ギリスは無遠慮な不満の声で言った。リューズはそれに参った。お前はいくらなんでも、無礼ではないのか。知った者が誰も聞いてないから、別にいいけど。
「あっさり言っても、どっしり言っても同じだよ。何が不満なんだ。絵も許したし、祝日まで作ってやったんだぞ。その上、俺に何をしろと言うんだ。こっちにも立場があるんだよ。それにお前のパパじゃねえんだからさ」
 思わずそうぼやくと、エル・ギリスはさらに、くっと、呻くような声を漏らした。
「族長は、俺の兄(デン)じゃん。だって、同じイェズラムの弟分(ジョット)で、俺よか歳は上なんだもん」
 本気で言ってるらしかった。悔やむようでいるエル・ギリスを、リューズは心底驚いて見つめた。
「えっ。なんだそりゃ。そんな義兄弟システムに俺も該当してんのか」
「該当してないんですか! してるはずだと思いますけど。なんなら、この『真ん中』Tシャツに着替えていただいてもいいです。ルサールは裸でも生きていけるやつですから! お土産無しでも文句無しです」
 床にあった三つ子セットの中から、『真ん中』と書いてある一着を掴んで、エル・ギリスはぐいぐいとそれを押しつけてきた。どう見ても酔っているような顔だった。
 そんなに飲んだっけと、リューズは蒼白になって思い返そうとした。がぶがぶ飲んではいたが、イェズラムのコピーだから平気なんだと勝手に思っていた。あいつは蟒蛇(うわばみ)だったし、酔ってても顔色がほとんど変わらなかった。そのコピーがまさか酒乱だなんて、そんなことがあっていいのか。
 しかし明らかにそうだった。エル・ギリスは、着替えましょう族長と言って、リューズが着ている『罠』Tの裾をつかみ、ぐいぐい引っ張っていた。冗談でもそんなことをするやつは、いまだかつていない。少なくとも即位してからは絶対にいなかった。いや、なんというか、サフナールには時々脱がされてるけど、それはほら、お医者さんだからさ。
 何となく呆然として、リューズはエル・ギリスの手を押し返しつつ言った。
「いや、ちょっと待て。俺はまだ本編時空では脱いだことないから。一回もないんだぞ。だからそんな、なし崩しにお着替えシーンとか止めてくれ。本当にもう、俺も三十路なんだからさ、恥ずかしいったらないよ」
「大丈夫です、まだまだ行けます。エステ通いの成果でしょうか! それとも、毎日美味いもん食ってるせいでしょうか! 実年齢を言わなきゃばれません!」
 酔眼で断言し、エル・ギリスは諦めなかった。なぜそこまでして『真ん中』を着なきゃならんのか。『罠』でいい、『罠』でいいです。
「そういう問題じゃないんだよ……」
 あまりの馬鹿馬鹿しさに頭がくらっとしてきて、リューズは虚脱して言った。

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