もえもえ図鑑

2008/11/16

族長と伊勢エビを食う(7)

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「俺はな、世話するより、世話されるタイプなんだよ。兄貴(デン)って柄じゃないんだ。そんなの、見ればわかるだろ」
 まだ服の裾を握ったまま、エル・ギリスは嫌だというふうに首を横に振った。
「じゃあ、イェズラム亡き後の俺の面倒は誰が見るんでしょうか」
「そんなの知らないよ。大体、お前は何歳だ。もう兄貴(デン)に世話してもらう歳じゃないだろ。派閥の長(デン)に従えばいいよ。それか、身近な年長者に取り憑くかさ……」
「だからそれが族長かなと思って」
「俺のどこが身近な年長者なんだよ!!」
 心底意外で、リューズは思わず叫んでいた。畏れ多いとは言われ慣れてるが、身近だと言われたことはない。まあでも叫んでみてから考えると、こいつは乳兄弟の息子みたいなもんで、しかも次代の射手なんだから、けっこうご縁が深いというか、少なくとも赤の他人ではない。最悪でも廷臣の一人なのだし、長老会の重鎮たちも含め、誰一人こいつの面倒を見てくれる兄貴分(デン)がいないというなら、そのさらに上の、いちばん上にいるのは、確かに族長である自分と言えなくもなかった。総責任者なんだから、最悪の場合、そういうことになる。
「誰かいなかったのか、イェズラムの死後、お前の世話をしてやろうってやつが」
「いませんでした……」
 がっくりと畳に手をついて、エル・ギリスは落胆していた。それでも『真ん中』は諦めてくれたようだった。
「いそうで、いないんです。ジェレフいいかもと『パスハの南』の時は思ったんですけど、帰郷したら一瞬で逃げられましたし。サフナールはいいやつなのに敵だし、ラダックは案外ひ弱すぎです。俺より優位に立てるやつなんて、族長ぐらいしかいないんじゃないかと」
「俺、今、ものすごく劣位に立ってるような気がするんだが」
 皺くちゃになったTシャツで、なんとなく傾いて座しているリューズを、エル・ギリスは改めて眺めようという視線で、じっと上から下まで眺めた。そして、くっ、と呻いて顔をしかめた。
「ほんとだ」
 ぽつりと、エル・ギリスは認めた。そして、またがっくりと項垂れた。
「どう見ても、世話してもらうっていうより、世話してやるタイプだ」
「しょうがないんだ、そういう血筋だから。そもそも太祖からして弟(ジョット)なんだ」
 リューズは諭した。それにエル・ギリスは、つらそうに頷いた。
「そういえばそうだ……」
「お前も射手(ディノトリス)なんだからさ、宿命的に兄タイプなんだよ。たとえそれが本性と幾分違っててもさ、もうどうしようもないよ。まあでも、幸いというか、なんというか、スィグルとはいいコンビなんじゃないか。あの子はああ見えて、双子の兄のほうだから」
 その話を聞いて、エル・ギリスははっとしたように顔を上げ、リューズと目を合わせた。
「そういえばそうだ。あいつは普段、ふにゃふにゃで、ぐずぐず我が儘なくせに、時々、変に頼りがいがあります」
「そうだろ……」
 父として、すぐに同意していいか悩んだが、リューズは一応頷いておいた。これも話の流れだ、仕方ない。許してくれ、スィグル・レイラス。
「幼い頃はな、あれの弟が気弱で、なにかといえば兄上兄上だったらしくてな、スィグルは自分も甘ったれなくせに、けっこう弟に遠慮していたんだよ。後宮の部屋にいくとな、父上抱っこしてーって二人同時に突撃してきても、喧嘩めいたことはするにはするが、結局いつもスィグルが譲るんだよ。そういう子なんだ」
「抱っこしてたんですか」
 わなわなしながら、エル・ギリスが訊いてきた。
「してたよ」
「想像つかないんですけど」
「しなくていいよ、想像なんか。要点はそこじゃない。だからな、スィグルはあれでけっこう、兄貴分(デン)なのだから、お前とはいい組み合わせかもしれないという話だよ」
「……ああ、そうかも」
 やっと納得したのか、エル・ギリスはどことも知れないところに視線をそらせたまま、ぼんやりと同意をした。
「だから安心して今すぐグラナダに帰れ」
 小部屋の出口を指さして、リューズは命じた。しかしエル・ギリスは、ぼんやりと首を振って拒否した。
「まだ肉を食っていません」
 そうだったなと、リューズはなんとなく泣き言めいて答え、エル・ギリスが見ているほうを見つめた。すでに焼き上がった肉が、皿に盛られており、料理人が、いつ声をかけていいやらという表情で、じっと立って待っていた。
 こちらが気付いたことに気付くと、料理人はこれで給仕が済んだことを告げ、深々と一礼して出ていった。
 それでまた、部屋にはまた、この薄ら馬鹿とふたりきりに。
「分かった。では、もの凄い勢いで食ってから、安心してグラナダに帰れ」
 命令を訂正すると、エル・ギリスは今度は、素直にこくりと頷いた。
 席に戻って食べ始めた若造を、リューズはやれやれと思って、こころもち離れて眺めた。とんでもない奴が来たものだ。もう飲むなと思うのに、エル・ギリスは気にせず酒を食らっていた。酔ってから潰れるまでが長いのか、すでに泥酔しているようなのに、本人は全く平気なようだった。
「この肉、すごく美味いです。族長」
 しみじみと感想を述べてくるエル・ギリスに、リューズはそうかと答えた。そして、もう何ともどうしようもなく喫煙したい気持ちになって、それを堪えがたく、諦めて二服目の夢薬に手を出した。いっぺん禁を破ると、もうだめみたいな性格だった。
 エル・ギリスはもぐもぐと肉を食らいながら、煙管に葉を詰めているこちらを、じいっと横目に見ていた。正直言って、かなり居心地が悪かったが、リューズは気にしていないふりをして、葉を詰めた煙管に火口から火を入れた。そして最初の一息を吹かす姿を、エル・ギリスはさらに食い入るような視線で眺め、ごくりと傍目にも分かるような仕草で、噛んでいたものを溜飲した。ちゃんと噛んだのか、それ。
「族長って、イェズラムにそっくりじゃん。その、煙の吸い方が」
「うるさいうるさい。黙って肉を食らって去ってくれ」
「なんで真似したの」
「してない。偶然似たんだ。俺はけっこう無意識に人の仕草をコピーしちゃうんだよ」
「なんでそんなことするんですか」
「知るか。癖なんだよ」
 適当にそう答えたものの、エル・ギリスはまだ話に続きあると思っているような待つ顔をして、箸を止めていた。それに苛々してきて、リューズは二、三度煙を吹かしたが、相手が諦めないので、結局自分が折れた。
「俺はたぶん、自分に自信がないんだよ。他人のほうが偉く見えるんだ。特にお前の養父(デン)みたいな、自信満々なタイプだとな」
 イェズラムは常に、完璧なように見えた。それでも実際にはあいつにも、十二歳の頃もあれば、二十歳の頃もあったわけで、常に完璧だったはずはない。それでも幼かった自分の目から見て、イェズラムはいつでも、はるかに年長で、何事もそつなくこなす、部族の英雄だったのだ。頭も良かったし、見かけも悪くなく、上背もあれば、女にも密かにもてた。どちらかというと軟弱だった弟の目から見て、硬派な兄は格好が良かったのだ。
 もしも自分も魔法戦士であれば、そういう憧憬は普通のことだった。年少者たちには皆、目標として憧れるような年長の英雄がいて、それと直に友誼があるにしろ、ないにしろ、そこを自分の到達点として見習い、日々精進するものだ。しかし、成長する過程でふと気付くと、自分の頭に石はなく、リューズは魔法戦士ではなかった。ただの王族だったのだ。
 その見ればわかる当たり前の事実に気がついたのは、実はけっこう時を経てからだったかもしれない。幼い頃には、考えたことがなかったのだ。もしかして自分とイェズラムは、住む世界が違うのではないかと。たまたま同じ乳母の乳を飲んだが、ただそれだけで、何の義理も、深い縁もない間柄ではないかと、気がつかなかった。
 気がつくと怖かったので、気付かぬようにしていたのかもしれない。ちょうどこの若造が困っているように、イェズラムがいなくなったら、一体誰が俺の世話をするのかと心配で。
 しかし最後の最後まで、それに気付かぬふりをしておいたら、イェズラムは馬鹿正直に、俺に付き合ってくれた。兄貴(デン)のような顔をして、弟の面倒を見た。
 人の縁とは謎めいたもので、今でも改めて時折不思議だ。墓所の暗がりにイェズラムの石を見に行って、それが確かにそこにあり、静かに死んでいるのを目の当たりにすると、これはいったい何者だったのだろうと思う。乳兄弟の兄(デン)であり、射手(ディノトリス)であり、戦場では忠臣であり英雄である炎の蛇で、最後には宮廷の支配を争う好敵手のようだった。それでもいざとなれば惜しまず挺身し、誰よりも頼りがいがあったが、そういう相手を世間ではなんと呼ぶのか。
 親のようでもあり、兄のようでもあった。大恩ある相手だと思うが、いつでも平伏し、叩頭してきた。そのくせ命令には滅多に従わなかった。
 あいつは果たして、何者だったのか。
 仮にそう問う者がいても、イェズラムは、イェズラムだとしか、答えようがない。
 あのような男になるべしとして、目指した時期もあっただろうが、所詮はあまりに性分が違った。まるきり正反対と言ってもいいほど似ておらず、猿真似するにもたかが知れている。
 だから、あいつは大英雄として死に、俺は名君として死ぬというので、なんとか並び立てるのではないかというのが、今のところの結論ではあるが。しかしもう、俺が真に名君かどうか、判定できる者はいなくなった。常に、お前はまだまだだと言っていた兄が、もう死んだのだから。
「族長は、皆が認める名君なのに、なんで自信がないんですか」
 また酒杯を飲み干した、ふはあという息とともに、エル・ギリスが訊いてきた。リューズも食卓に煙管を持った手の肘をついて、ふはあと煙を吐いた。
「さあなあ。褒めてくれないからだよ。イェズラムが。あいつは厳しくてな、俺がどんなに上手くやってても、まだまだだと言うんだ。それしか言わないんだ。それがな、むかつくんだ」
「変だなあ。イェズラムは俺のことは、いっぱい褒めてくれましたけど」
 嫌みでなく、本当に不思議らしい口調で、酔眼のエル・ギリスはとろんと話していた。それにリューズはむっとして、またため息をついた。
「なぜお前のような薄ら馬鹿を褒めて、俺のことはシバキ回していたんだ、あいつは。どんだけ努力させりゃあ満足なんだ。切り果てがないよ」
「変だなあ。名君だと思うんですけど」
 ぼやくリューズに、エル・ギリスは首を傾げていた。
「褒めてたでしょう。イェズラムは褒め癖があるから、誰でも褒めてましたよ」
「そりゃあまあ、お世辞みたいなことは言ってたさ」
 もくもくと煙を吹かして、リューズは不愉快に答えた。なかなか頑張っているとかさ。なかなか部分が余計なんだよ。含みがあるんだ。もうちょっと頑張れなかったのかみたいな印象を受けるんだ。優でも完璧ではない、みたいなさ。完璧でなくても仕方がないんだよ、元々そんな器じゃないような奴が、無理して名君やってるんだから。ボロが出てないだけでも、大満足してもらいたいところなんだよ。
 それに今さらむかついても、虚しいだけだと悔やみ、深く煙を吸い込むと、不意に熱いような回想が始まった。夢薬の仕業と思えたが、すでに一度は耽溺を乗り越えた昔の酩酊だ。だから今さら何でもない。
 そう意地を張って、リューズは白日夢のような、麻薬(アスラ)のもたらす回想を、自分の脳裏に見るともなく眺めた。

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