もえもえ図鑑

2008/11/16

族長と伊勢エビを食う(5)

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「大丈夫か、そんなやつが金庫番をやってて」
「大丈夫です。やつは敏腕ですから。でも、もしラダックが謁見に来るような機会があったら、禁令の折には大儀であったと褒めてやってください」
 にっこりと笑い、エル・ギリスは強請った。それに、まだ苦笑の残る顔で笑い返し、リューズは浅く頷いた。なんだか良く分からんが、そうしてやるかと思った。
 こいつも馬鹿のようでいて、面倒見が良いらしい。あいつにこう言え、こいつにこうしてやれと、謎めいた指図をしてくるところも、さすがは代々の射手というべきか、イェズラムの芸風とそっくりだ。あいつもジェレフを高座に呼んで褒めてやれとか、そんなことばっかり言ってた。
 エル・ギリスはそんなリューズの回想をよそに、脇にあった黒い紙袋から、がさごそと何を取りだしてきた。これですと言って拡げて見せたのは、自分たちが着せられているような黒地のTシャツで、その胸にも達筆の文字が白抜きされていた。
「銭が好きで何が悪いねん」
 そこに書かれた文字を、エル・ギリスは嬉しげに読んだ。リューズはそれに、意味なく頷いた。確かにそう書いてあると思って。しかしこれを着せられる奴が、微妙に気の毒だった。
「これね、ラダックにお土産です。全員分あるから。わざわざ作ってもらったんですよ」
 それはそれは、俺の分までわざわざ作らせやがって、ありがとうございます。そういう目で見てやったが、若造は全く気付かぬようだった。
「これはシャムシールの。絵師です」
 そう言ってエル・ギリスが見せた服には、『絵が命』と書いてあった。
「それからこれは三つ子にやるやつです。魔法戦士です」
 畳敷きの床に、エル・ギリスは黒いTシャツをどんどん遠慮なく拡げてみせた。
 三着おそろいらしい黒地の半袖には、墨跡も鮮やかなような達筆で、『兄』『真ん中』『弟』と書いてあった。俺の服が『弟』じゃなくて良かったと、リューズは思った。それを着せられたら、さすがに情けない。
「これ、奮発してバックプリントもしましたよ」
 『真ん中』と書かれたのをエル・ギリスが裏返すと、背中には『悪党』と染めぬかれてあった。リューズには、ぜんぜん意味が分からなかった。分からないなりに、なぜかこれも、着る者が気の毒のような気がした。
「それからこれはイマームとケシュク先生の。グラナダの天才武器職人の親子なんです」
 また天才かよと、リューズは苦笑した。エル・ギリスが拡げたTシャツの片方は、まだ小さい子供が着るようなサイズで、それが大人用のと並ぶのに、なにか胸苦しいような微笑ましさがあった。俺の息子たちも、ちょっと前までは、これくらいの服が入る大きさだったんだけどなあと、リューズはお揃いの服を羨ましく見つめた。
 しかしその胸には、『職人』と大書されていた。そして子供用のほうには『発明王』と。俺は職人じゃないからなあ、これは着られないんだよな。それに息子たちも発明王じゃないしなあ。
「あと一応、ファサル様にも。ひとりだけ仲間はずれにすると、怒られるんで」
 渋々という風にエル・ギリスはまた別の黒服を取りだしてきた。その胸には『ただの盗賊』と書いてあった。
 それを笑って眺め、それでは、手紙爆弾を食らったファサル様というのは、ただの盗賊らしいと、リューズは思った。盗賊に手紙を出したことなど過去に一度もない。そしてラダックなる者は喫煙者粛正を行った経理官僚らしい。だからそいつが煙屋の息子のはずがない。従って、こっちがそうなのだ。ファサル様のほうが、迫害を生きのびた煙屋だ。
 盗賊になったのかと、リューズはぼんやり思った。それは済まないことだった。盗賊なんて、ただの悪党ではないか。元は大店の御曹司だったのだから、盗賊暮らしでは、さぞかし苦労しただろう。
 それでも命があっただけ良かったであろう、昔のことゆえ許せと言うのでは、名君リューズ・スィノニムの役柄に合わぬという気がするのだが、果たして今さら何をしてやれるもんかな。
「ファサル様はどんな男なのだ」
 興味が湧いて、リューズが訊ねると、エル・ギリスはぎくっとした顔をした。
「どうってことない、面白くもなんともない、嫌みな中年のオヤジです」
「嫌いなのか、お前……」
 たじろいで、リューズは一応訊いた。訊くまでもなく分かるが。
「嫌いです。でもスィグルが仲間にすると言うので、仕方ないです。スィグルはそういう、敵でも悪党でも味方にしちゃうみたいな所があるんです。ここポイントですから、族長。よく憶えておいてくださいよ」
「そうか、そうか」
 必死の顔でアピールしているエル・ギリスを、リューズは苦笑して見た。息子を褒められて悪い気はしない。たぶん褒めてんだろう。
「それ、裏には『煙屋』って書いてあんのか?」
 リューズが訊ねると、エル・ギリスはまた、びくりとした。
「いいえ。違います。そんなこと一切書いてません!」
 怒鳴るように答え、エル・ギリスが盗賊Tシャツをひっくり返して裏を見せた。そこには何かが書いてあることは、書いてあった。読むと、『私は喫煙者です(斬首)』とあった。リューズはそれを読み、可笑しくなって、声を上げて笑った。たぶん間違いない。そのファサル様が、かつて、王宮に夢薬を納入していた煙屋だ。そして、迫害を生き延びてグラナダの盗賊となり、今は息子に仕えているという。
 大丈夫かな、それでと、リューズは微かに心配したが、たぶん平気なのだろうと思った。射手が渋々ながら近侍を許したのなら。
 それに夢薬は結局、いい葉っぱだったじゃないか。確かに、いくら快美があるとはいえ、吸い過ぎは体に毒だったかもしれないが、あの頃の迷妄っぷりは、煙のせいではなく、自分の心の問題だったかもしれない。
 兄上の、亡霊が見えた。それが恨みの形相で王宮を彷徨い歩き、自分を探しているような妄想に駆られ、恐ろしくてたまらなくなったのだ。兄上のほうがずっと、玉座にふさわしい。名君の器だったのにと、恐ろしくなって、自分がそこに座していることに、罪悪感を憶えた。何を命じても、いちいち、兄上ならもっと違うふうに治めたのでは、自分は部族を滅亡の道へと導いてはいないかと、恐ろしくてたまらず、にこやかに戻った居室でひとりになると、身の震えが止まらないような日々だったのだ。
 だから、ほっと一息つけるそのひとときでも、気楽な夢が見られたらと、甘い煙に逃れたのだが、それが悪かったのか。
 だが結局、それがあったお陰で、何とか持ちこたえたようなところが、自分にはあったのではないか。イェズラムはとにかく厳格だったし、甘えを許さなかった。他の者たちも、太祖の末裔を仰ぎ見る視線だった。あるいは、お前など疑わしいという目で睨む、油断のできない連中ばかりで。その数知れぬ凝視する視線に、次もまた、起死回生の大勝利をと求める目つきで見られ、休んでもいいと言ってくれる者は誰もいなかった。あの、結局は顔も知らぬままだった、煙屋の他には。
 それを店ごと焼き殺そうというのだから、俺もつくづく因業なんだよ。わざとやってる訳ではないが、結果としてそうなる、そういうことが多すぎる。シャロームも最後の一片まで使い尽くして殺したし、煙屋も死んだのだと、そう思っていたが。もはやそんなことが多すぎて、忘れていた。イェズラムが、忘れろというので。そしてその、当のイェズラムも、すでに使い果たしてしまったし、次は一体誰だろうかなと、リューズは自嘲して考えた。たぶんサフナールだろうな。あいつも何をやっているのやら、近頃、ずいぶん石を肥やしているようだから。
 さっさと死なないと、あと何人殺ってしまうか、自分でも見当がつかない。
 エビが焼けましたと、調理人が言って、食卓に置かれた皿に、一口大に切り分けた美味そうなエビの身を供した。エル・ギリスはそれに感嘆し、手に持っていた盗賊用Tシャツを、ぽいっとどこかに放り投げた。
「めちゃめちゃ美味そうです。食っていいですか族長!」
「食っていいです」
 笑って許し、リューズはすでにもう皿に飛びついている若い英雄の姿を横目に眺めた。
 エル・ギリスは健康そのものだった。痛みを感じないという話だったから、こいつは石の重みをあまり感じていないのだろう。
 イェズラムは二十歳のころすでに、今にも死にそうな顔をしていたものだったが、あれは何だったのか。その割に結果として、竜の涙の中ではまあまあ長生きしてくれたほうだ。人生、生きてみなけりゃ分からないということか。
 それとも時に本物の鬼のようだったあいつも、当時は年齢に見合った若造で、石ではなく、射手としての責務に押しつぶされていたのか。兄上はいつもご機嫌がよいようでいて、その実気むずかしいお方だったので、世辞の言えない性分のイェズラムは、反りが合わずに苦労していた。適当に、調子の良いことを言ってやり過ごせば良いのに、意地を張って、兄上に意見したりするからだ。次代の星であった兄上に勝てる者が、いるわけがなかったのに。
 まあ、それこそ昔の話と、リューズは考えを押しやろうとした。しかし何とはなしに冷たく、重い石を呑まされたような気分だった。兄上は今、どちらにおいでか。冥界で俺を、待っているのか。よく来たな、リューズ、まさかただで済むとは思うまいと、毒死の苦痛にやつれた美貌で、兄が壮絶な笑みを浮かべて待っているのが脳裏に想像できて、リューズは心底ぞっとした。そこへは、できれば、行きたくない。しかし、すでに死せる英雄となった懐かしい者たちは、どっちへ行っただろう。冥界にある兄上の玉座の間(ダロワージ)か。俺を待っていてくれる者なんか、一人でもいるのか。
「召し上がらないんですか族長」
 あらかた食い終わった伊勢エビをもぐもぐやりながら、エル・ギリスが訊ねてきた。その声で、リューズはぼんやりしていたのから、我に返った。

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