族長と伊勢エビを食う(3)
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変な餓鬼だと思っていたが、ここまで変だとは知らなかった。
大丈夫なのか、こいつが射手で。スィグルは本当にこれと、調子が合っているのか。真面目そのもので、顔を合わせるといつもガチガチに緊張していて、気の弱い、冗談も通じないふうだが。そんな子が、こんな変な若造と組まされて、呑まれずにやっていけるのか、父上、本当に心配なんだが。無理せずにタンジールに帰ってきたらどうかなあ。
「戦時に向かないのは、そうかもしれませんが、大丈夫です。めちゃめちゃ戦時向きの俺が、必死で補佐しますから。それに他にも役に立ちそうなのが、何人もいますから。それで足りなきゃ、どこかでまた天才を発掘してきたらいいんですから」
「天才なぁ……」
力説しているエル・ギリスに、リューズは苦笑で応じた。それに相手は、むっと拗ねた顔になった。
「読んでないんですか、族長は。『新星の武器庫』を」
「読んでないです。だって親が読むようなもんか、怪しいんだよ」
さらに苦笑して、リューズは言った。だって心停止するようなもんをうっかり読んじゃったらどうすんだよ。
「怪しいもんじゃないです。スィグルがグラナダでなにをやってるか、もうちょっと興味持って見てくれてもいいんじゃないですか。頑張ってるんだし。……っと、そういえば、族長はグラナダ宛てに無記名の鷹通信(タヒル)を送りましたよね」
「送ったよ。今後の内政について、スィグルから質問状が来たからさ」
ずいぶん突っ込んだ話で、返信すべきか迷ったが、無視するのもどうかと思えて、一筆書き送った。
「それが届くあたりのですね、経過については、読み飛ばしたほうがいいです」
エル・ギリスが真剣にそう忠告してきた。
「……なぜだ」
「族長だって、息子が変態かもとは思いたくないですよね」
エル・ギリスは至って真面目に言っている。
「……変なのか、あいつ」
心配になってきて、リューズは顔をしかめた。元々、なにかと傷手のある子なので、今もまだどこかおかしいのかと、心配になってくる。
「変です。というかですね、族長は、手紙を出すのは、なるべくやめたほうがいいかもしれないです。なんかけっこうヤバいです、各方面。スィグルも変だけど、ラダックもファサル様も手紙爆弾にやられてたみたいだし、それに、サウザス王宮にも絨毯爆撃してるでしょう」
「ヘンリック?」
ぽかんとして、リューズは確かめた。エル・ギリスは頷いた。
「大したことは書いてないよ。今度海老食いに行くからとか。元気でやってるかとか、そういうような世間話だけだよ。それにスィグルに送ったのも、二、三行だっただろう。それも当たり障りのないような事しか、書いてなかったよ」
「族長の書くもんはなぜか、王族光線の放射能漏れみたいなのが出てるんですよ。行間から何か漏れてるんです。愛してちょうだい、みたいなのが。あれ、天然なんですか。そんなの最低だ」
早口に断言されて、リューズはますますぽかんとした。
手紙に何を書いたかなんて、いちいち憶えていない。長文を書くのが面倒くさいので、ちょろっと一、二行書くのが精々で、それも、自分の手で書かないと無礼かなと思うような時にしか書かない。
「例えば、あれは? ”嘆息堪えがたき快美ゆえ、また参れ”は?」
リューズは、眉間に皺を寄せて意気込んで訊ねてくるエル・ギリスに、若干気圧されてのけぞった。
「お……覚えがない」
「やった。やっぱり憶えてないよ」
小さくガッツポーズで独り言を言う若造を、リューズはあぜんと見つめた。
それからふと、自分の煙管が目にとまり、はっと思い出した。
「ああ待て、思い出した。煙屋だろう。昔、夢薬を納めていた」
そう確かめると、エル・ギリスは図星だったのか、ぐっと悔しそうな顔をした。
「憶えてたんですか」
舌打ちするような口調で、エル・ギリスは呻いた。
「禁令の件だろ。あの時は、すまないことをした。俺も考えが浅かったんだよ。いきなり全廃令を発して、その煽りで煙屋が迫害されるとは、思い当たってなかったんだ」
「そうですか。でも仕方ないですよ。もう終わったことだし。忘れましょう」
どことなく急かして、エル・ギリスは話の打ち切りを求めていた。
「お前がなぜ、その件を調べたんだ。そんな手紙の内容なんて、どこかに記録があるわけじゃないだろう。本人に会ったのか」
「会っていません。会ってないです。番外編に出てきたのを読んだだけです」
ぶんぶん首を横に振ってみせ、エル・ギリスは必死の形相だった。
「手紙爆弾にやられたラダックやファサル様というのは?」
「ああ……その無駄な記憶力……血筋なんですか」
顔を覆って呻いている若者を、リューズはあんぐりとして見た。
「あのな……エル・ギリス。当時の被害者がもし存命なら、俺は会って詫びたいのだが。見つけたのだったら、取り次いでもらえないか。今さらだが、慰謝になるような物を下賜してもよいし、恨んでいるというなら、跪いて詫びもしよう。別に面罵されてもいいんだが」
「そんなことしないほうがいいですって。してもいいけど他の煙屋にしてください」
「なんで」
きょとんとして、リューズは訊いた。
「なんででも」
頑として、エル・ギリスはきっぱりと言った。煙を吐いて、リューズは呆れた。
「ケチだなあ、お前。それでイェズラムと馬があったのか。ケチケチつながりか。あいつもケチだったよ、なんにも教えてくれないんだもんな」
「玉座は知らないほうがいいこともあるんです」
もっともらしく説教してくる薄ら馬鹿に、何となくにやりとしてきて、リューズはふうんと相づちを打った。
なあんだこいつ、もしかして、イェズラムとそっくりなんじゃないか。あいつは自分のコピーを作って遺していっただけなんじゃないのか。風貌も、立ち居振る舞いも、知能指数も、全く似ても似つかない感じだが、性格そっくり。そういえば戦場での戦いっぷりも、どこか似たような感じだったが、あれはイェズラムが後ろで糸を引いてたんじゃないのか。
「それなら玉座が知っておくべき話でも聞こうか」
甘い煙に飽きて、リューズは煙管から燃えさしの葉を銀盆に打ち落とした。そして、きょとんとしているエル・ギリスを横目に見ながら、グラスの水を飲んだ。
「グラナダ宮殿の話だよ」
わかっていない風でいた若造は、ああ、そうかと意気込むような顔をした。
「聞いていただけるんですか」
「オフレコだろ、どうせ。ここだけの話だよ」
手持ち無沙汰を慰めようと、リューズは黒い布張りのメニューを手にとって眺めた。それも達筆の墨書で書かれていた。
松阪牛フィレ・時価。伊勢エビ・時価と。
時価って、なに、と、リューズは思った。そういえば、ものの値段なんか知らないのだった。自分で金を払ったことがないし、そもそも現金を持ち歩いたこともない。いつも誰かが面倒みてくれてたんで。
でもまあ、いいやと、リューズは思った。今日だって別に一人ではない。このエル・ギリスだって一応は我が英雄だ。こいつが何とかするだろう。
「ところでお前は、肉と伊勢エビと、どっちがいい」
リューズが訊ねると、エル・ギリスは真剣そのものの顔で、しばし苦悩していた。
「肉」
それを答えるのがもの凄くつらいというように、エル・ギリスはやむにやまれず答えてきた。リューズは目を瞬いて、それを見た。
「じゃあお前は肉な。俺はエビにしようっと」
エビが大好きなのだった。
かつて自ら援軍を求めに行った湾岸で食った魚介類の味が忘れられません。特にエビ。むちゃくちゃ美味い。
今でもお取り寄せして晩餐に出して貰うが、一番美味いのはやはり何と言っても、湾岸まで行って食うことだ。イェズラムが健在だった頃には、ふいっと玉座を留守にして旅に出ても、不在の間の宮廷が難なく切り回されていて、今にして思えば気楽なものだったが、もう、そういう訳にもいかない。
ヘンリックも、最近あいつは来ないなあと、清々していることだろう。あの友は、行くといつも内心では嬉しいくせに、煙たいような顔で嫌々付き合いやがって、もう二度と顔を出してやるまいと、リューズは思った。
だってなにしろ、たぶんもう二度と会えまい。玉座を留守にはできなくなったのだから。
いつものごとく、さらっと別れて、それが今生の最後かもしれないとは、情けない限りだ。
「族長も、切ないんですか」
真面目な顔で鉄板を睨み、淡く眉間に皺を寄せた顔つきで、エル・ギリスが訊いてきた。ぽかんとして即答できず、リューズは若造の横顔を見た。
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変な餓鬼だと思っていたが、ここまで変だとは知らなかった。
大丈夫なのか、こいつが射手で。スィグルは本当にこれと、調子が合っているのか。真面目そのもので、顔を合わせるといつもガチガチに緊張していて、気の弱い、冗談も通じないふうだが。そんな子が、こんな変な若造と組まされて、呑まれずにやっていけるのか、父上、本当に心配なんだが。無理せずにタンジールに帰ってきたらどうかなあ。
「戦時に向かないのは、そうかもしれませんが、大丈夫です。めちゃめちゃ戦時向きの俺が、必死で補佐しますから。それに他にも役に立ちそうなのが、何人もいますから。それで足りなきゃ、どこかでまた天才を発掘してきたらいいんですから」
「天才なぁ……」
力説しているエル・ギリスに、リューズは苦笑で応じた。それに相手は、むっと拗ねた顔になった。
「読んでないんですか、族長は。『新星の武器庫』を」
「読んでないです。だって親が読むようなもんか、怪しいんだよ」
さらに苦笑して、リューズは言った。だって心停止するようなもんをうっかり読んじゃったらどうすんだよ。
「怪しいもんじゃないです。スィグルがグラナダでなにをやってるか、もうちょっと興味持って見てくれてもいいんじゃないですか。頑張ってるんだし。……っと、そういえば、族長はグラナダ宛てに無記名の鷹通信(タヒル)を送りましたよね」
「送ったよ。今後の内政について、スィグルから質問状が来たからさ」
ずいぶん突っ込んだ話で、返信すべきか迷ったが、無視するのもどうかと思えて、一筆書き送った。
「それが届くあたりのですね、経過については、読み飛ばしたほうがいいです」
エル・ギリスが真剣にそう忠告してきた。
「……なぜだ」
「族長だって、息子が変態かもとは思いたくないですよね」
エル・ギリスは至って真面目に言っている。
「……変なのか、あいつ」
心配になってきて、リューズは顔をしかめた。元々、なにかと傷手のある子なので、今もまだどこかおかしいのかと、心配になってくる。
「変です。というかですね、族長は、手紙を出すのは、なるべくやめたほうがいいかもしれないです。なんかけっこうヤバいです、各方面。スィグルも変だけど、ラダックもファサル様も手紙爆弾にやられてたみたいだし、それに、サウザス王宮にも絨毯爆撃してるでしょう」
「ヘンリック?」
ぽかんとして、リューズは確かめた。エル・ギリスは頷いた。
「大したことは書いてないよ。今度海老食いに行くからとか。元気でやってるかとか、そういうような世間話だけだよ。それにスィグルに送ったのも、二、三行だっただろう。それも当たり障りのないような事しか、書いてなかったよ」
「族長の書くもんはなぜか、王族光線の放射能漏れみたいなのが出てるんですよ。行間から何か漏れてるんです。愛してちょうだい、みたいなのが。あれ、天然なんですか。そんなの最低だ」
早口に断言されて、リューズはますますぽかんとした。
手紙に何を書いたかなんて、いちいち憶えていない。長文を書くのが面倒くさいので、ちょろっと一、二行書くのが精々で、それも、自分の手で書かないと無礼かなと思うような時にしか書かない。
「例えば、あれは? ”嘆息堪えがたき快美ゆえ、また参れ”は?」
リューズは、眉間に皺を寄せて意気込んで訊ねてくるエル・ギリスに、若干気圧されてのけぞった。
「お……覚えがない」
「やった。やっぱり憶えてないよ」
小さくガッツポーズで独り言を言う若造を、リューズはあぜんと見つめた。
それからふと、自分の煙管が目にとまり、はっと思い出した。
「ああ待て、思い出した。煙屋だろう。昔、夢薬を納めていた」
そう確かめると、エル・ギリスは図星だったのか、ぐっと悔しそうな顔をした。
「憶えてたんですか」
舌打ちするような口調で、エル・ギリスは呻いた。
「禁令の件だろ。あの時は、すまないことをした。俺も考えが浅かったんだよ。いきなり全廃令を発して、その煽りで煙屋が迫害されるとは、思い当たってなかったんだ」
「そうですか。でも仕方ないですよ。もう終わったことだし。忘れましょう」
どことなく急かして、エル・ギリスは話の打ち切りを求めていた。
「お前がなぜ、その件を調べたんだ。そんな手紙の内容なんて、どこかに記録があるわけじゃないだろう。本人に会ったのか」
「会っていません。会ってないです。番外編に出てきたのを読んだだけです」
ぶんぶん首を横に振ってみせ、エル・ギリスは必死の形相だった。
「手紙爆弾にやられたラダックやファサル様というのは?」
「ああ……その無駄な記憶力……血筋なんですか」
顔を覆って呻いている若者を、リューズはあんぐりとして見た。
「あのな……エル・ギリス。当時の被害者がもし存命なら、俺は会って詫びたいのだが。見つけたのだったら、取り次いでもらえないか。今さらだが、慰謝になるような物を下賜してもよいし、恨んでいるというなら、跪いて詫びもしよう。別に面罵されてもいいんだが」
「そんなことしないほうがいいですって。してもいいけど他の煙屋にしてください」
「なんで」
きょとんとして、リューズは訊いた。
「なんででも」
頑として、エル・ギリスはきっぱりと言った。煙を吐いて、リューズは呆れた。
「ケチだなあ、お前。それでイェズラムと馬があったのか。ケチケチつながりか。あいつもケチだったよ、なんにも教えてくれないんだもんな」
「玉座は知らないほうがいいこともあるんです」
もっともらしく説教してくる薄ら馬鹿に、何となくにやりとしてきて、リューズはふうんと相づちを打った。
なあんだこいつ、もしかして、イェズラムとそっくりなんじゃないか。あいつは自分のコピーを作って遺していっただけなんじゃないのか。風貌も、立ち居振る舞いも、知能指数も、全く似ても似つかない感じだが、性格そっくり。そういえば戦場での戦いっぷりも、どこか似たような感じだったが、あれはイェズラムが後ろで糸を引いてたんじゃないのか。
「それなら玉座が知っておくべき話でも聞こうか」
甘い煙に飽きて、リューズは煙管から燃えさしの葉を銀盆に打ち落とした。そして、きょとんとしているエル・ギリスを横目に見ながら、グラスの水を飲んだ。
「グラナダ宮殿の話だよ」
わかっていない風でいた若造は、ああ、そうかと意気込むような顔をした。
「聞いていただけるんですか」
「オフレコだろ、どうせ。ここだけの話だよ」
手持ち無沙汰を慰めようと、リューズは黒い布張りのメニューを手にとって眺めた。それも達筆の墨書で書かれていた。
松阪牛フィレ・時価。伊勢エビ・時価と。
時価って、なに、と、リューズは思った。そういえば、ものの値段なんか知らないのだった。自分で金を払ったことがないし、そもそも現金を持ち歩いたこともない。いつも誰かが面倒みてくれてたんで。
でもまあ、いいやと、リューズは思った。今日だって別に一人ではない。このエル・ギリスだって一応は我が英雄だ。こいつが何とかするだろう。
「ところでお前は、肉と伊勢エビと、どっちがいい」
リューズが訊ねると、エル・ギリスは真剣そのものの顔で、しばし苦悩していた。
「肉」
それを答えるのがもの凄くつらいというように、エル・ギリスはやむにやまれず答えてきた。リューズは目を瞬いて、それを見た。
「じゃあお前は肉な。俺はエビにしようっと」
エビが大好きなのだった。
かつて自ら援軍を求めに行った湾岸で食った魚介類の味が忘れられません。特にエビ。むちゃくちゃ美味い。
今でもお取り寄せして晩餐に出して貰うが、一番美味いのはやはり何と言っても、湾岸まで行って食うことだ。イェズラムが健在だった頃には、ふいっと玉座を留守にして旅に出ても、不在の間の宮廷が難なく切り回されていて、今にして思えば気楽なものだったが、もう、そういう訳にもいかない。
ヘンリックも、最近あいつは来ないなあと、清々していることだろう。あの友は、行くといつも内心では嬉しいくせに、煙たいような顔で嫌々付き合いやがって、もう二度と顔を出してやるまいと、リューズは思った。
だってなにしろ、たぶんもう二度と会えまい。玉座を留守にはできなくなったのだから。
いつものごとく、さらっと別れて、それが今生の最後かもしれないとは、情けない限りだ。
「族長も、切ないんですか」
真面目な顔で鉄板を睨み、淡く眉間に皺を寄せた顔つきで、エル・ギリスが訊いてきた。ぽかんとして即答できず、リューズは若造の横顔を見た。
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