もえもえ図鑑

2008/11/16

族長と伊勢エビを食う(4)

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「切なくないよ」
 なんとなく、うっすら冷や汗の滲む思いで答えると、エル・ギリスはさらに険しい顔をした。
「大人なんですね」
「そりゃそうだろ。俺は何歳だ。嫌でも大人になっちゃうよ」
「俺もいつか、そういうふうになれるんでしょうか……」
 自信がないという意味か、エル・ギリスはぽつりと小さく訊いていた。そして渋面で、若造は言葉を続けた。
「肉かエビか、どっちか片方を選んでも、平気でいられるような大人顔に」
 訊かれた話に、リューズは一拍してから、思わずげほっと噎せた。エビの話か。エビの話だった。
「食いたいのか、エビも」
 リューズが訊ねると、エル・ギリスは切なそうに頷いた。
「食いたいです。エビも肉も。どっちも美味そうです」
「じゃあ両方食っとけ。我が英雄よ。心残りのないようにな」
 呆れた苦笑で、リューズは許した。それだけでエル・ギリスは、苦悩から解放されて楽園に到達したかのような、満面の笑みになった。
 その笑みを見て、思いたくないが、可愛いところもあるやつだと、リューズは思った。
 おーいと店の者を呼んで、料理を注文すると、すぐに白衣の調理係がやってきて、慇懃に腰を折って挨拶し、火の入った銀板の上に黄金の油を垂らした。運ばれてきた生肉の塊と、まだ何となく蠢いている二匹の伊勢エビの赤い背を見て、エル・ギリスは思わずというふうに小さく感嘆し、うっとりした顔をした。
 テーブルにはにこやかな給仕によって、お茶やらサラダやら、焼いたものを付けるタレやらが、次々溢れんばかりに運ばれてきて、その解説を聞く若造の色の薄い目は、話のたびにきらきら輝いた。リューズはそれを彼の横で、にやにやと面白く眺めた。
 いっぱい食うやつは見ていて気持ちがいいもので、宮廷での晩餐のときにも、馴染みのある英雄たちが、顔を繋いでやろうというのか、誰だか分からないような若いのを連れて高座にやって来たりすると、ものも言わずに食っているようなのが、リューズは好きだった。恐縮して一口も喉を通らないというような賢しいのも、いないと困るが、そういうのばかりでは息がつまる。
 イェズラムはこいつを育てている頃には、もう晩餐に顔を出すことも稀だったものだから、目の前で飯を食っているのを見たことはないが、たぶん飢えたような食いっぷりだろう。それはもう、我慢できませんみたいなノリで、出されたサラダを食いたいらしいのを見れば分かる。
 しかし一応我慢しているらしかった。薄ら馬鹿なりに、族長より先に食ってはならないと思っているのだろう。それではちゃんと、躾は行き届いているわけだ。
「食っていいよ」
 リューズが許すと、エル・ギリスははっと我に返った顔になった。
「でもまだ族長が食ってないもん」
「いいよ別に。俺はだらだら食うから。腹が減ってるんなら遠慮せずに食え。どうせ誰も見てないんだ。飲めるなら酒も飲んでいいぞ」
 そういう自分が微笑んでいるような気がリューズはした。
 エル・ギリスはそれに感激したふうに、気合いの入ったような顔をして、それから素直に箸をとった。ぴしりと音を立てて割り箸を割り、若造はいただきますと呟いて、突き出しの野菜をがつがつ食った。まさに野獣の食いっぷりと、リューズは可笑しくなって、小さく声をたてて笑った。
 酒も飲みたそうだったので、店の者が勧める伏見の地酒を注文してやった。エル・ギリスはそれも全く遠慮なしにぐいぐい飲んだ。いける口らしかった。
 確かこいつは二十歳くらいで、息子よりちょっと年上だ。それでもまだ腹の減っているお年頃らしい。タンジールでスィグル・レイラスに擦り寄っていた頃は、こいつが玉座の間(ダロワージ)の王族の席につめかけて、晩餐の料理をスィグル本人より沢山食っているように見え、遠目にそれを眺め、食の細いらしい息子が可哀想になってきて、わざわざ本人に面と向かって、あいつをのさばらせておくなと説教めいたことまで言ったが、案外余計なお世話だったか。
 横でこういうのが食ってると、それだけで自分も食欲が湧くような気がした。
 年々、リューズは飽食して、なにを食ってもつまらなくなってきた。最初に玉座について御膳にありついた頃には、そこで三食飯が食えるというだけで楽園のごとく思えたものだったが、やがてそれは族長としての義務となり、食う暇もなく人が来て、なんだかんだと物申していくのに、快く相づちを打ってやるための席になった。だから何をどれだけ食ったかも良く分からないうちに、なんとなく腹が膨れるような次第だ。
 イェズラムが横で見ていた頃は、あの兄は見ていないようで案外よく見ていて、もっと食えとか、好きなものばかり食うなと、人の切れる合間に小言を言ったものだった。それに、涼しい顔をしている割にイェズラムは健啖で、ぱかぱか食っていたので、こちらも何となく食が進んだものだったが、今はその代わりを勤める者もいない。
 それでも近頃は、侍医のエル・サフナールが高座に侍り、あれを食えこれを食えと、やんわり指図してくる。砂糖衣にくるんだような、あの女の言葉が、なんとなく往年の兄を彷彿とさせ、指図されるまま食うのが面白いような気もする。しかしそれが、面白くないという者も多いようだから、程々にしないと、そのうち痛い目を見そうだ。
 じゅう、と音高く油が鳴って、調理人が鉄板の上でエビを焼き始めた。溶けたバターにまみれて踊っているエビの肉から、えもいわれぬ美味そうな香りが立って、エル・ギリスは隣でそれに衝撃を受けた顔をした。くるりと食らいつくようにこちらを見てきて、若造は断言する口調で言った。
「美味そうすぎます。族長はいつも、こんなもんを食っているんですか」
「そうだが……」
 毎日ここに来てるという意味ではないが、玉座の間(ダロワージ)の晩餐で、族長の膳を埋める料理は根本的にご馳走だよと、リューズは教えてやった。そこに侍る者も、同じ献立にありつける。それは高座で寵愛される者の特権なのだ。
「俺も族長の射手だったらよかった。そしたら毎日、ご馳走が食えたのに!」
 本気としか思えない口調で、エル・ギリスは不忠義なことを言った。伊勢エビ一匹でお前は息子を裏切るというのかと、リューズは情けなくなって苦笑した。
「スィグルは一体お前になにを食わせているんだ」
「あいつは、あっさりしたもんが好きなんです。肉も嫌いだから、あんまり付き合わせられないし。それに食費がかさむと、それは無駄ですとか言って、ラダックが喧嘩を売ってくるので、おちおち食い道楽もやってられません!」
 真剣にがなっているエル・ギリスと向き合って、リューズも形ばかりサラダをついばんだ。けっこう美味い。
「ラダックとは、誰だ」
「スィグルに仕えている経理官僚です。ただの計算屋ですが、手並みが鮮やかです。一種の天才だと思います」
 頷きながら、エル・ギリスはそれが事実というように言った。
「天才か、それは凄いな。そんなやつが何故、グラナダの一官僚として埋もれていたんだ」
「それは本人に訊かないと分かりませんけど、『銀貨三枚の矜恃』を読む限りでは、たぶん族長のせいです」
 からっぽになったサラダの皿から、指先で残っていたドレッシングをとって舐め、エル・ギリスは未練がましく言った。そこまで食わなくてもと、リューズはたじろいだ。エビが焼ける間すら、お前は待てないのか。
「なんで俺のせいだ」
「喫煙者の粛正に関わったので、族長に首を刎ねられると思ったんでしょう」
「なぜだ。粛正は俺の命令でやったことだろう。褒美をやってもいいくらいだぞ」
 訳が分からず、リューズは眉間に皺を寄せた。
 禁令の当時、玉座からの一命を受けて、嫌な仕事を引き受けた連中が、部族領全土にいたはずだ。身内の首を斬らねばならない場合もあり、民からも首切り役人として恐れられた。それを権威として心地よく利用した者たちもいたが、皆が皆、いい目を見たわけではない。心苦しかった者もいただろう。首切り仕事をして帰った自宅で、煙に巻かれた家族を見つけて、泣く泣く悪面(レベト)の刑吏に差し出したような、不遇の忠臣もいたわけだから。
 命令を発した立場から、そこまですることはないと、言ってやれるはずもない。皆それぞれ、それが部族のためであると信じて、艱難辛苦に耐えるわけだから、煌びやかな高座の奥からは、まさしく忠孝の極み、大儀であったと褒めてやるほかに言えることはない。
 だけど、ちょっと皆、やりすぎなんじゃないのと思うのが、リューズには正直なところだった。俺のどこが、そんなに有り難いのか、いつも理解に苦しむよ。イェズラムに、好きな女も抱けるし、アイスも食い放題みたいな話で説得されて、そんな邪な出来心で族長位を襲ったような馬鹿野郎なのになあ。現実っていうのはいつも、残酷なんだよ。
「ラダックはたぶん、真面目すぎなんです。粛正に乗じて、政敵を撲ったのじゃないかと、行きすぎを反省したんだと思います」
「良吏だな」
「そうです。人が良すぎなんです。もののついでに政敵をやっつけるくらいのことは、抗争の基本なのに」
 真顔でそう言うエル・ギリスは、それが当たり前と思っているらしく、まさに宮廷の派閥抗争の申し子みたいな面構えだった。それがリューズには可笑しく、微笑んでエル・ギリスの顔と向き合った。
「族長が、煙屋の迫害を行った者たちを、殺人者として処刑したのを見て、ラダックはびびったようですよ」
 空になっていた切り子の酒杯に、リューズが酌をしてやると、エル・ギリスは形ばかりは行儀よく、両手でそれを受けた。
「しかし下命を受けて重度の中毒者の処罰をした役人と、その場のノリで罪もない商人の家族を焼き殺すようなのとは、全然話の次元が違うよ」
「ラダックはアホなので区別がついていません」
 けろりとして答え、エル・ギリスは酒杯を上げた。リューズは心配になった。

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