もえもえ図鑑

2008/10/13

名君双六(5)-1

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 エル・ジェレフは猛烈に緊張していた。
 族長の居室の前に突っ立っている礼服の中の体は、石でできている。そういう雰囲気のする立ち姿だ。
 それを脇に従え、イェズラムは控えの間に引っ込んだ侍従が、族長に取り次いで戻ってくるのを、内心ぼんやりして待っていた。
 ここには二度と来ないと思ったが、ふと気が変わった。
 ジェレフの問題を思い出したからだった。
 出陣する前に、この際まとめて色々やっつけておこうかと思ったのだ。
 エル・ジェレフは明らかにシャロームを敵視していた。同じ派閥内に内輪もめがあるのは、別に珍しいことではなかったが、大枠として団結していなければ、いざという時に困る。
 それに、年長者という点を別にしても、自分より現実に功のある相手のことを、自分のほうが優れていると見くびるような、性根の腐った若いのを、それがいくら優秀な治癒者だからといって、派閥の一員として抱えておく気にはなれないのだ。
 長(デン)としての信条に反する。
 年功序列を鵜呑みにしろとか、喧嘩ひとつなく仲良くやれとは言わないが、人に対する敬意は必要だ。それが自分の派閥の部屋(サロン)に座する者が、骨身にしみて理解しておくべき、必要最低限の掟だと、イェズラムは考えていた。
 シャロームが日頃、派閥の部屋(サロン)に顔を出しもせず、一体なにをやっているか、ジェレフに直に見させるのがよかろうと思った。
 やつらが相変わらず馬鹿なことをやっていて、見たまま馬鹿だと思うなら、それはそれで仕方ない。運がなかったのだと思おう。
 それにジェレフの、リューズとの相性も見たかった。近侍として差し向けるなら、多少なりと面白みを感じる相手でなければ、リューズは傍に寄せ付けないだろう。
 侍従がひょいと姿を現し、族長が謁見をお許しになりましたと伝えた。
 それでジェレフがさらに硬質に緊迫した。こいつは一体、どこまで固くなれるのかと、イェズラムは思った。さっきまでが大理石としたら、今は金剛石(ダイヤモンド)くらいか。まさかこの上はないだろうから。
「控えの間を抜けて族長の居室に入ったら、まず戸口で三跪九拝だ。それから声をかけられるか、もっと近寄るように促されたら、中に進んで、そこでもう一度叩頭しろ」
 念のため教えてやると、ジェレフはどことなく縋り付くような目でこちらを見返し、ただ黙って頷いた。
 他の者がいれば、長(デン)に返事をしろと怒鳴られるところだろうが、今は言っても無理だった。目には見えない緊張の指が、ジェレフの喉を締め上げていて、たぶんぐうの音も出ない。
 族長に謁見するというのは、そこまで緊張するものだったろうか。イェズラムにはもう、分からなかった。リューズに会うのに、いろんな意味で身構えるのはしょっちゅうだったが、緊張したことはない。
 今さらするわけがなかった。リューズが襁褓(むつき)をつけて部屋を這い回っていた頃から知っており、面倒を見てきた間柄だ。見ていてはらはらすることはあっても、ジェレフのように、高貴な血筋に気圧されるということは稀だった。
 だからきっと、いくら敬うような姿勢を取って見せても、見ている者たちには、茶番だと思われるのだろう。結局不遜な内心が、透けて見えていて。
 ジェレフを急かして、イェズラムは扉をくぐった。
 やってきた族長の乳兄弟を、侍従たちはお辞儀して迎えた。今はもう、以前のような、もうもうたる煙の匂いはしていなかった。
 部屋に入ると、リューズは例の三人を従えていた。
 居間の上座には、普段着姿でリューズが座し、それの両脇と向かいの席に、三人の魔法戦士たちが侍っていた。
 戸口に自分たちより序列の高いイェズラムが現れたのを見て、彼らは座したままこちらに体を向け、床に手をつき頭を垂れて、答礼の姿勢をとった。
 薄い笑みでこちらを見る族長リューズの視線に触れ、ジェレフはさらに硬度を上げた。まだ先があったのかと、イェズラムは感心したが、それで跪くことができるのか、危ういところだった。
 儀礼を思い出させるため、イェズラムが先に膝をつくと、ジェレフは弾かれたようにびくりと震えて、自分も慌てて跪いた。そこから先は、宮廷で育った者であれば、子供のころから仕込まれた自然な流れだ。
 アンフィバロウの継承者である族長に対し、叩頭礼を行うのは、宮廷での儀礼の基本中の基本だった。王宮で育てられた者は、寝ぼけていても、三跪九拝できる。ましてジェレフは、族長になんの含みもなく、そうすることに一切の疑問がないだろう。
 自分もかつて、元服を終え、玉座の間(ダロワージ)の末席に侍ることを許されて、遠目に玉座を拝んだ時には、そこに座る族長冠をかぶった顔に、三跪九拝することに、なんの疑問も覚えなかった。
 しかし、やがてその顔が、暗君の顔だと気づいた時の落胆は、ずいぶん激しかった。星だと思って振り仰いでいたものが、実はがらくただったとは。一度そう思えば、跪くのもつらく、朝儀での度々の号令で三跪九拝させられるのは、なにかの拷問かと感じられた。
 だが今にして思えば、そうしろと命じていた側も、実はつらかっただろう。その有様を玉座から見下ろし、嫌々叩頭する者たちの無数の顔を、ただじっと眺めるほかはなかった立場の者の心も、もしかすると、苦しかったかもしれない。
 先日リューズは、もしも必勝の策を思いつかなかったらと言って震え、もうもうたる麻薬(アスラ)の煙の中にいた。あの時の姿は、かつて暗い玉座に見た先代の顔と、どことなく似てはいなかっただろうか。
 あの姿を、決して当代の玉座に晒してはならない。広間(ダロワージ)の一同が、望んで跪き、玉座に座るリューズに叩頭する己を、誇りに思うような治世でなければ、折角良くなったようなこの時代も、おそらくは簡単にまたあの頃の、暗く狂ったような煙の立ちこめる、暗君の時代に逆戻りするだろう。
 それを阻むために、自分には一体何ができるのか。星を見守る射手として。
 あるいは、弟を守る兄として。
 そう考えて見やった上座のリューズは、今日は先日とは打って変わり、静かな微笑をたたえ、こちらの叩頭礼をおとなしく受けていた。
 その姿は、族長の居室の壁の暗い赤を背景にして、まるで墓所の玄室にある太祖の絵のようだった。リューズは顔立ちもその血筋をよく現していたし、肌の色も人並みより白く、壁画の太祖が一人だけ白く描かれるのに似て、人と群れていても、彼一人だけが異質に見えた。
 それが玉座に座っていると、その姿形は、まさしくアンフィバロウの再臨と見えた。
 そんな有様を、そのまま素直に、有り難いと覚える者も、王宮にはいるようだ。
 ジェレフもそういう手合いかもしれなかった。
 三跪九拝し終えて、ぼけっと上座を見る少年の目は、どことなく、目映いものを見る目つきだった。イェズラムはそれに、安堵を覚えた。いつかは皆がこのような目で、玉座を振り仰ぐ日が、来るように思えた。きっといつか、そう遠からず。できれば自分が、まだ生きていて、この目が見えているうちに。
「足繁く三跪九拝しに来たな、エル・イェズラム。珍しいことだ、お前が俺の命令を、大人しく聞くとは。今日はいったい何の用だ」
 心持ちに落ち着きのあるらしい、ゆったり響く声で、リューズが微かにからかうように、言葉をかけてきた。

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