もえもえ図鑑

2008/10/08

名君双六(4)-3

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「俺が死にそうって、リューズに言わないでくださいよ」
「言ってない。言いたければ自分で言うがいい」
 頷いて笑い、シャロームはやっと身を起こした。億劫そうに座り直して、今さらこちらに頭をさげたシャロームに、イェズラムは目で答礼してやった。
 こころなしか背を丸めて座るシャロームには、いつものような覇気がなかった。
「すみませんでした。族長に一礼もせず」
 なぜかその件を、シャロームはイェズラムに謝った。
「別にいい。他に誰もいなかった。それに、何かと我慢ならなかったんだろ」
 心中は察するがと仄めかすと、シャロームは返事をしたのかどうか、曖昧な音で答え、深いため息をついた。疲れているようだった。それは疲れもするだろう。あれに付き合わされたら。
「無理をするなシャローム。必要なら、戦場にはあと一人二人、役に立ちそうなのをお前の下につけてやることもできる。魔法を出し惜しめば、そのぶん命も延びるんだぞ」
 イェズラムが諭すと、シャロームは床を見たまま、わかっているふうに小さく頷いていた。
「そうですね、長(デン)。俺もそろそろ、遅ればせながら、後釜を育てるべき時です」
「そういうことは気にするな。俺がやる。お前は自分の延命を考えればいいんだ」
 シャロームはその話に、どことなく上の空で頷いていた。なにかを回想するような表情を、シャロームはその灰色の目に浮かべていた。その物思いは、ずいぶん長いようだった。ちらちら揺れる瞳が、今ここにはない何か激しいものを、見つめているようだ。
 やがてシャロームはぽつりと、独り言のように口を開いた。
「怖いと思ったことがないんです。族長と突撃するときは、いつも」
 なんの話かと、イェズラムはシャロームの横顔を見つめた。
「普段、ひとりで考える時には、このままだと長くないと思って、死ぬのが怖い時もあるんですが、なぜか、族長と先陣を切ると、俺は自分が、無限に魔法を使えるような気でいるんです。族長が行く、進路を塞ぐ敵を、手当たり次第に倒すと、すごく気分がいい。このままずっと、戦い続けていられたら、きっと……」
 シャロームは自分がしている話が、まともかどうか、不審がるような顔をして、いっとき言葉を呑んでいたが、結局、その続きを話した。
「きっと俺は、本物の英雄になれると思えて、まあ、それもいいかと。それはそれで、本望かと、思っているような気がします。いつも、その時には」
 だから何だと、イェズラムは答えかけ、それを堪えた。
 それはたぶん、シャローム、お前が何かに酔っぱらって見た、妄想だ。そうやって戦い続けたら、お前はもうすぐ死ぬ。なんでもないそこらの戦場で、突然死ぬのかもしれないのだぞ。
 英雄的にという保証はない。誰も気がつかないうちに、お前に最後の時がきて、皆は戦場に、乗り手を失ったお前の馬だけが駆け抜けるのを見つけ、お前は冷たい血泥のなかで、ひとり悶死するような、そんな落ちかもしれないのだ。
 それでも本望と言えるのか。
 いくら馬鹿で、直情的なお前でも、仮にも英雄だというなら、もっとましな死に方をしろ。
「俺もせめて、もうちょっと若けりゃよかったな、長(デン)。あの癒し系のやつみたいに。そしたら名君の物語の、完結までとはいかなくても、あと二、三巻先の、話の盛り上がったところまで、付き合えたかもしれないのにな」
「それだと序盤の巻にお前はいないことになるぞ。話の筋も決まり切った頃合いに現れて、山ほどいる名君の英雄たちと押し合いへしあいするうちに、ころっと死んで退場するような、ほんのちょい役が関の山だよ」
 リューズが本物の名君として名実ともに認められればそうだ。全宮廷が、あいつに跪く。その時は魔法戦士たちも、星を見上げるたくさんの顔のうちの一つにすぎなくなる。
 星はその顔のひとつひとつの名を呼んで、友よと微笑みはしない。族長とはそんな、気安いものではない。玉座の高みから冷たく見下ろして、英雄たちが死んでも、それには気づきもしない。そういう薄情で、手の届かない存在だ。
 リューズもいずれは、そうならざるを得ないだろう。いつまでもシャロームたち三人と遊び戯れ、俺のことを兄(デン)と思って生きていくわけにはいかないだろうから。
 そう思うと、寂しかったが、そんなことは問題にならないと、イェズラムは思った。感情など。竜の涙にとって、そんなものは、踏みにじられるためにあるようなものだ。
「そうか、じゃあ、序盤で良かったのかなあ」
 シャロームは真面目に思案する顔だった。難しそうに眉間に皺を寄せて、こちらを見ている弟分(ジョット)を、イェズラムは微かに苦笑して見つめ返した。見ればまだ若かった。それが死ぬと思うと哀れで、どうにかならんものかと思えたが、どうにもならない。運が尽きればそれまでで、死に行く竜の涙を引き留める、そんな魔法は、どこにもないのだ。
「シャローム、先陣を切る族長の右を、いつも同じやつに走らせるつもりは、俺にはないんだ。それをやるのは、後にも先にも、お前たち三人だけだ」
「どうしてですか」
 しかめた顔で、シャロームは不可解そうに訪ねた。
「リューズの性格だ。あいつはお前らが死んだ後、代わりの魔法戦士で後を埋めはしない。突撃するのは止めないだろうが、自分を名前で呼ばせるようなのを、新しく選びはしないさ」
「どうしてですか」
 同じ言葉で再び問うてくるシャロームは、さらに不可解そうな顔だった。イェズラムは困って、シャロームに笑いかけた。
「お前が死ぬと、あいつは悲しいからさ。リューズはお前らのことを、友達だと思っているんだ。お前は誰か自分の友が死んだとして、誰か他のやつがその代わりをやれると思うのか」
 目を瞬いて、シャロームはしばらく考え、そして言った。
「長(デン)、分かんないです。俺には。でも俺は、そういう族長のときに、英雄やっててよかったな。そこには運がありましたよ」
「そうだな。お前みたいな馬鹿でも、力業だけで活躍できる時代だよ」
 イェズラムは思わず、考えたそのままのことを言ってやった。
 シャロームはそれに、参ったという顔をして、にやりと笑った。その顔には古い傷の跡があった。
 そういう傷跡は、シャロームには沢山あるはずだった。治癒者の施術を嫌って、それを拒むので、傷が自然に治癒したあとにも、傷跡が残るからだった。
 なぜ治癒術を拒むのか、かつてイェズラムはシャロームを叱ったことがあったが、シャロームは治癒者が嫌いだというのだった。彼らに生殺与奪を握られて、足元を見られているようで、不本意だったのだろう。
 もしも負傷して死ぬなら、それが自分の運命で、自分は死を恐れないからと、若い頃にはそう言っていた。運が尽きれば死ぬのが定めと、潔く割り切って戦うのが、男の戦いだと。
 ずいぶん青臭い見栄だと思えるが、それがシャロームの、リューズと気の合うところだった。
 リューズは突撃するとき、治癒者を連れて行くのを拒んだ。突撃して死ぬなら、それが運命で、そんな弱い運の者には、部族を率いることはできないと、リューズは随分確信めいて言っていた。
 敵をこの目で見ずに戦って、勝つことはできないし、自分自身が先陣に立たずに、魔法戦士たちに突撃を命じることはできない。どこにいるんだか分からないような後ろのほうから、死ぬ気で行けと命じるやつがいて、誰がその命令に喜んで従えるだろうかと、リューズはごねて、結局イェズラムの静止を聞くことはなく、毎度毎度とっとと突撃し、けろりとして生きて戻ってきた。
 なんとか隠れ治癒者のビスカリスを紛れ込ませたので御の字と、諦めるほかはなかった。
 しかしビスカリスが族長の警護において、治癒者として働いたことはない。リューズは、彼は詩人だから連れて行くのだ。ビスカリスには詩作の才能があるらしく、やつが念話で出先から送ってくる族長の様子を語る口調は、いつも従軍詩人たちの株を奪った。
 元々は、敵陣を駆けめぐるリューズとともに動き回る大本営と、全軍との連絡をとり、あるいはこちらが族長の安否を常に知るために張り付かせたのだったが、今ではどちらかというと、ビスカリスは景気のいい即興の英雄譚(ダージ)を、全軍に向かって念話で怒鳴るためにいるようなものだった。
 その叙事詩の中で、族長リューズは勇猛果敢に敵を恐れず、エル・ヤーナーンは派手に火炎を撒き散らし、進路を切り拓くエル・シャロームの風刃術は冴えに冴えていた。我らに続け兄弟たちよと誘う念話の声を、兵たちは族長の言葉だと思って聞き、それによって志気はいつも激しく高揚した。
 誰がどんな才能によって優秀か、やってみるまで分からないものだ。おそらく魔法戦士は誰しも皆、大なり小なり英雄になれるのだろう。名君に仕えて、命がけで働くかぎり。
「長(デン)」
 真面目な面(つら)をして、シャロームが改まって言った。
「なんだ」
「名君双六の件だけど、俺はリューズの出目を、実はほとんど弄ってなかった。あいつは本当に全然死ななかったし、本当にやたらと『イェズラムに怒られる』で止まるんだ」
 それが不思議だというように、シャロームは感心して話しているが、イェズラムはどう思っていいか分からず、とっさに難しい顔をした。
 シャローム、お前はそれでは、実は賽子(さいころ)任せで、リューズに典医や女官の服を剥がせたり、夜光虫を食わせたりしていたのか。どんな忠臣だ。お前は本当に、俺の頼んだ仕事をやっていたのか。
「人には運てものがあるでしょう、長(デン)。俺は運のないほうだから、余計に分かるけど、リューズにはきっと、ものすごい強運がありますよ。あいつはきっと、何か凄いものになる。それが名君かどうか、俺にはわからないけど、とにかく何か、もの凄いものに」
「もの凄い馬鹿な暴君かもしれないぞ」
 先行きを悔やんで、イェズラムがぼやくと、シャロームは面白そうに、声をあげて笑った。
「それはないよ、兄貴(デン)が手綱を取ってる限り。俺も一応、ちゃんと英雄になったじゃないですか。怖くてできないんだって、大した悪さは。また兄貴(デン)に怒鳴られると思うと」
 よく言うよと、イェズラムは項垂れた。
 お前もリューズも他の連中も、何かといえば世話かけやがって。危なっかしいわ腹が立つわで、正視に耐えないんだよ。時には哀れで、可愛くもあり、なんとか守ってやりたいが、結局なにもしてやれないし、それぞれ一人で歩いていくのを、はらはら心配して見ているほかには、うるさく説教するぐらいしか、できることもないのに。
 まさかお前が、俺より先に死せる英雄になるとは。シャローム。
「すまなかったな、シャローム。お前に変な役目を押しつけて。リューズは我が儘だから、お前もいろいろ困っただろう」
「そんなことないですよ。兄貴(デン)が族長の警護役に、俺を選んでくれて、感謝してますよ。まさか夜光虫まで食うはめになるとは、思ってなかったけど」
「お前も当たったのか、『夜光虫を食う』に……」
「いや、食わされたんですよ、リューズに。忠臣なら主君と苦楽をともにしろっつって。あれは不味いです、今まで食ったものの中でも最低です」
 忠告めいた口調で真剣にそう言って、それからシャロームは笑った。
「でも、あいつといるのは楽しいな。本当に最高です。最後の瞬間まで、げらげら笑って一緒に走り抜けますよ。英雄と出るか、馬鹿と出るかは、この際、名君双六の賽子(さいころ)任せです」
 冗談めかせて笑って話し、シャロームは立ち上がった。その姿には、もういつもの生気が漲っていた。もうじき死なねばならないというのが、何かの間違いではないかと、イェズラムは思った。しかしそれは、願望だったろうか。
「お先に失礼します、長(デン)。この足で施療院に行って、それから氷菓と族長の部屋へ行って、俺は機嫌を直します」
「もう変なもんを食わせるな、シャローム。双六もやめてくれ」
 イェズラムは、シャロームに言った。それは命令のつもりだった。
 しかしシャロームは、にやりとして、頷きながら答えた。
「保証しません、長(デン)。リューズは誰かが止めるのを、聞くような玉じゃないから。知ってるんですよね、それは。骨身にしみて。いいかげん、そろそろ、覚悟決めたらどうですか。なんせ長(デン)は、何もかも知ったうえで戴冠させた張本人なんですから」
 にやにやして言うシャロームと真顔で見つめ合い、イェズラムはどことなく、呆然とした。
 深々と一礼して、シャロームは部屋を出て行った。
 その知った風な口調が生意気に思え、イェズラムは渋面のまま鼻で笑ったが、シャロームの言うとおりだった。リューズは制止を聞くような玉ではない。まして三人もいる目付役が、すっかり酔わされて、誰も制止しないのなら、なおさら増長するだけだ。
 まったく毎日頭が痛い。
 イェズラムは内心にそう愚痴ったが、しばらく頭に食らいついていた頭痛は、すっかり晴れていた。あたかも、名君の戦勝を予感する静かな高揚が、頭の芯からゆっくりと、石に冒された脳の苦痛を、深い酔いに痺れさせているかのようだった。
 再びの王都出陣まで、あと半月ばかり。
 文字通りの突貫工事に向けて、王都や近隣の都市から、工人を根こそぎ集めさせていた。
 そんな作戦に本当に勝機はあるのかと、王宮でごねる軟弱な連中も、あの手この手で根こそぎ蹴散らしてやった。
 玉座に対し奉り、勝てるかどうかと訊く者は、不忠者だ。勝利は待つものでなく、戦って掴みとるものだ。
 かくなる上は、着慣れた甲冑に身を包み、稀代の名君と見込んで掲げた星を担いで、忠節を尽くすひと戦を、勝つまで戦い抜くだけだ。
 穴掘り(ディガー)の長(デン)の花道か。
 あいつは本当に、面白いことを考えるやつだと、イェズラムは改めて胸中に、得意げなリューズの笑みを反芻した。
 あいつが次の巻ではどう出るか、それがあまりに気がかりで、死ぬに死ねない。その物語(ダージ)が『名君の死』であがるまで、我が目で見守りたいというのは、石を持ったこの身の上には、途方もない野望だが、それでもまだ、どちらか片方だけでも、目玉の残っているうちは、あいつに付き合って、俺もいっしょに走り抜けようか。
 シャロームのように、げらげら笑ってというわけには、いきそうもないが。
 疲れた渋面で、イェズラムはそう思い、自分も立ち上がった。奥から出てくるらしい上機嫌のリューズが、妙な内容の鼻歌を歌っている声が聞こえたからだった。
 そんな高貴なる血筋の族長らしからぬ振る舞いに、この口がうるさく小言を言い始める前に、さっさと退散するのがよかろう。
 たまには、あいつにも気晴らしを。
 渋々ながらも、そう意を決して、イェズラムは足早に、湯殿から立ち去った。

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