もえもえ図鑑

2008/09/18

新星の武器庫(47)

←前へ

「どうしてだよ、俺にくれたんだろ。これを取りたいんだよ、あとちょっとで取れそうだろ?」
 ギリスは氷の蛇の表層近くに埋まっている、小さな人形のようなものを、なんとか取ろうとしているらしかった。それが欲しくてやっているというより、もう少しで手が届きそうで、こだわっているらしかった。
 こいつの性格なら、中にあるものを全部取り出すまで、一晩でも二晩でも、この蛇と抱き合っていられるだろう。冷たくても苦痛じゃないのだから。
「ギリス……せっかくめかし込んだ服が、濡れるけど、いいのか」
 スィグルが教えてやると、ギリスははっとしたようだった。
 氷の蛇に抱きつけば、溶けた水で服が濡れるのは当たり前のことだった。
 しかしギリスがそれに気付いていないのも、長く付き合っていれば、当たり前のことだった。
 自分の誕生祝いの宴会だからだろうか。ギリスは随分気合いを入れて、服装を整えていた。
 彼を信奉する女官たちが、特に頼まれて選んでやったらしく、武装と同じ白っぽい出で立ちは、いかにも英雄然として見え、ギリスは凛々しかった。
「お前がそんな格好をしていると、まるで英雄のようだなあ」
 感心したような、呆れたような気持ちで、スィグルは褒めた。するとギリスは、闘志のみなぎったような顔をした。
「ファサル様さ。ファサル様がうるさいんだよ!」
 誰はばからぬ声で、ギリスは断言した。
 ファサルは月例といわず、時折ふらっと、グラナダ宮殿に現れた。用事があるようでもあったし、ただ見物に来ているだけのようでもあったが、ファサルの麗質は女官たちにうけるようで、毎度歓迎され、陰ではファサル様と呼ばれているらしい。ギリスはそれを耳ざとく知っていて、自分でも憎々しげにファサル様と呼んでいた。
「ファサル様ですが、何かご用かな」
 言ってるそばから現れたファサルを見て、ギリスはぎょっとしていた。
「本当に来た! 招かれてもいない俺の誕生祝いに!」
「招かれています。祝勝会に」
 身構えているギリスを見て笑い、ファサルは教えてやっていた。
 今夜の宴会は、確かにギリスの誕生祝いだったが、盗賊討伐の成功を祝う祝勝会でもあった。
 スィグルが皆の苦労を労うめたの宴席を張るよう命じると、ラダックが、どうせエル・ギリスの誕生祝いをするので、その時にまとめましょうと決定した。そのほうが経費を節約できますので、と。
 話題に出た時点で、それは決定事項だった。
 だからこれは、ファサルを討伐した記念の会であり、ギリスの二十歳を祝う席でもあった。
「てめえが倒された祝いの会に来るとは、誇りのないやつだ!」
 ギリスはファサルを睨んで言っている。対抗しているのだろうが、でも、ファサルに相手にされているように見えなかった。ファサルはいつもながら趣味のよい都びた出で立ちで、ゆったりと後ろ手に手を組み、氷の蛇を見上げている。
「でも一応、招待状まで届きましたので。欠席するのも無礼かと」
「祝勝会ではありません。殿下が新たな忠臣を得られた祝いの会です。それからついでにエル・ギリスの誕生日もです」
 ラダックが真顔で説明してきた。
「ついで!」
 よほど悔しいのか、ギリスは氷の蛇にすがりついて悶絶している。
「今日はずいぶん、見栄えよく装ったもんですな、エル・ギリス。どうせ誰かに選んでもらったな」
 物言わぬ彫像でも遠方から批評するような口調で、ファサルは衒(てら)いなく言った。
 絵師シャムシールが下絵を与えたという氷の蛇の彫像は、巨大だが、どことなく暢気で、それに縋り付いているギリスは、市場前の壁画の、石鹸にすがっている絵をスィグルに連想させた。
 そういえばファサルは、まずあの絵でギリスを知っていたのかもしれず、得たいの知れぬ阿呆だと思われていても不思議ではなかった。
「見栄えはよくても、ちょっと派手ではないですか」
 ラダックが眉をひそめている。その服にいくらかけたんだという顔だった。
「誰だろう。殿下かな。いやあ、違うな。女の好むような格好だ。女官に選ばせたに違いない」
 にこやかなファサルに図星をさされて、ギリスは呻いていた。
 スィグルはギリスがどんな衣装が好みなのか知らなかったが、確かに自分で選んだら絶対着ないような格好を、ギリスはしていた。王都では長らく鈍色が流行しており、見渡す限り真っ黒けだった。それでギリスも、だいたいいつも黒っぽい格好をしていた気がする。
「お前はいったい、どういう格好でいたいんだ」
 なんとなく見かねて、スィグルは哀れっぽいギリスに訊ねた。
 ファサルは他の者の身なりをとやかく言わない。ギリスにだけだ。
 ギリスがいちいち気にするので、面白がって、からかわれているのだ。本人がそれに気付いていないだけで。
「わかんない。何でもいいけど。強いて言えばイェズラムみたいな……」
 がっくりしたまま、ギリスは敗北感もたっぷりに、氷の彫像に頬を押しつけていた。凍傷になるのではないかと、スィグルはうっすら心配だった。
「またイェズラムか。お前はそればっかりだな」
 呆れて、スィグルはぼやいた。ギリスは亡き養父(デン)を心底崇拝しているようで、何かといえば、イェズラム、イェズラムだ。
 大英雄が亡くなる前の時期、彼を模した服装が流行していたことがあったらしい。玉座の間(ダロワージ)の流行は気まぐれで、エル・イェズラム亡きあと、何年もたった今では、それはすでに遠い過去の流行だ。英雄譚(ダージ)は永遠に変わらず英雄を讃えるが、絹と糸とは薄情で、敬意に欠けるものらしい。
「そういう格好は、ちょっと古いんだよ、ギリス」
 そう教えるのも可哀想な気がして、スィグルはなるべく優しく言ったつもりだった。それでもギリスはかちんと来たらしかった。答える声が尖っていた。
「いいんだよ、そんなの。俺には関係ないもん」
「流行りましたね、数年前」
 ファサルが知っているような顔で、にこやかにギリスを眺めて言った。
「でもまだ似合わないでしょうな、若いから。二十歳やそこらの若造ではね」
「うるっさい、おっさん」
 ギリスは素直に牙を剥いている。恥ずかしいと思わないのか、お前。スィグルは恥ずかしかった。
「そういうのが似合う年頃になってからにしたらいいですよ。なんせ、あんたは英雄で、流行を作れる立場なんだからね」
 教えるファサルに、ギリスはぽかんとした顔をした。
「そうなの?」
 訊ねてくるギリスに頷いてやりながら、知らなかったのかとスィグルはびっくりした。玉座の間(ダロワージ)の流行を作っているのは主に英雄たちだ。自分もその一人なのだから、ギリスにも可能性はある。ものすごく僅かな可能性かもしれないが。今は無理でも、もしも彼が戴冠させた族長の腹心として、玉座の間(ダロワージ)に立つ時が来れば、あるいは。
「炎の蛇か。懐かしいですな。ところでこの若造と、どういう関係が?」
 ファサルは顎に手をやって、知らないように言った。
「エル・イェズラムはギリスの養父(デン)だ」
 スィグルが答えてやると、ファサルはさも驚いたような顔になった。
「なんと。それは、恐ろしいほど似ていない親子だ。炎の蛇の子が、氷の蛇? しかも……」
 むすっとしているギリスを見やって、ファサルは爆笑した。そこまで笑わなくてもいいのではないかと、スィグルはギリスが気の毒になってきた。しかも、その先が何なのか、言わないでやってくれた事に感謝したいぐらいだ。
「いやいや、でも、氷の蛇もなかなかのもんですよ。英雄譚(ダージ)の中ではね。あんな凛々しい少年兵が、まさかこんな血走った若造になってるとは、誰も想像しえないでしょうがね」
 たぶんギリスは元々、血走った少年兵だったのだろう。スィグルはそう思ったが、英雄譚(ダージ)を信じているらしいファサルに、あえて訂正しなかった。それと似ても似つかぬとファサルが言う、炎の蛇のほうだって、王宮ではいつも険しい顔でいて、時折、族長と声を荒げて言い争っていたこともある。彼の英雄譚(ダージ)にあるような、寡黙で、従順な、忠臣らしい姿とは違って見えた。
 しかし年の頃からして、ファサルはエル・イェズラムと同世代だろう。部族の者たちはだいたい、同年代の英雄に憧れて育つ。自分と同じ年格好で、それでも破格の魔力を持つ英雄として、華々しく戦う彼らは、まさに時代の夢だろう。それと矛盾する事実を突きつけて、無粋にも夢をぶっ壊すようでは、英雄譚(ダージ)を与える立場の者として、本末転倒だ。
「炎の蛇が、すでに死せる英雄とはね……時の流れは早いもんです」
 予想したとおりの、懐かしむ目で、ファサルは微笑み、しゅんとしながら怒っているらしいギリスの顔を見た。
「あんたの養父(デン)は、まさに英雄の中の英雄でしたよ。私のような年頃の者にとってはね。そんな人に育てられて、幸せでしたね」
「そんなの、てめえに言われるまでもないよ」
 むっとしてファサルに答えるギリスは、涼しげな英雄らしい装いに似合わず、確かに血走っており、今にも乱闘しそうな気配がした。
 やれやれと、スィグルは苦笑した。
「三つ子はどこにいったんだ、ギリス」
 スィグルが話題を変えてやると、ギリスはすぐに気分が切り替わらないのか、ただ恨めしげに呻くだけで、なにも答えなかった。
「仮面劇をやるそうですよ」
 代わって答えてきたラダックの顔を、スィグルは見つめた。本当かと思って。
「仮面劇?」
「はい。隠し芸なんだそうです。宴会を盛り上げるための演目にと」
「隠し芸……」
 英雄が余興をやるのかと思って、スィグルはかすかに、呆然とした。
 王宮にいる魔法戦士のなかには、多趣味な者もいて、歌が上手いとか、舞が上手いとか、芸能に長けている者もいた。父はそういう者を好み、晩餐の広間(ダロワージ)で専門の芸人の代わりに、彼らに趣味を披露させることもあった。英雄を戯れさせて遊ぶ父の姿に、なんだか不思議な気分になったものだが、まさかこの小宮廷で、自分も同じことをやる羽目になるとは。
 席に座って見ろと言われて、簡単に絨毯を敷いただけの舞台の周りに、皆で座した。スィグルの席はちょうど舞台の正面にあたる場所に、王族にふさわしい絹張りの席が用意されていた。背景代わりに、誰かが衝立(ついたて)を運んできていた。
 舞踊のための衣装を着た三つ子が、にこにこして現れて、その衝立の向こう側に消えた。それぞれ違う衣装を着ている。この、同じ版から刷られたように、三人そっくりな兄弟が、異なる仮面を着けて、違う役柄を演じるというのも、面白い趣向だと、スィグルは思った。
 仮面劇は、部族のくだけた伝統芸能だった。舞踊と台詞の掛け合いで構成される、短い物語のある内容で、楽器による伴奏がついている。語られる内容は、部族の伝承や英雄譚(ダージ)の一節であることもあるが、日常的な庶民の物語であることもある。人気を博して有名になる劇もあるが、本来は即興的に、その場限りに演じられるものだったらしい。
 芸術と、芸能の、ちょうど合間にあるようなものだ。
 俳優は、仮面をつけて舞う。その面によって、王族であったり、死霊であったり、男だったり女だったりする。
 父リューズはこの仮面劇が得意だったらしい。人質として旅する道すがら、敵地への長旅に付き添ってくれたエル・イェズラムが、語って聞かせてくれた。スィグルの知らない時代の、父の物語だった。
 あいつは、役になりきるのが上手く、族長の面をつければ族長のように舞い、物乞いの面をつければ、それらしく舞った。見ている者に、仮面の下にも顔があるのだということを、忘れさせるような、迫真さだった。王族に生まれていなければ、今ごろ本当に、役者だったのかもしれないと、父を玉座につけた先代の射手は薄笑いしていた。
 スィグルは族長リューズが仮面劇をするところなど、見たことがなかった。それで、父上はもう、即位されてからは、仮面の舞いなど嗜まれないのだなと訊ねると、英雄はそんなことはないと答えた。
 あいつは今でも、名君の仮面をつけて、玉座の間(ダロワージ)で舞っている。
 戻ったら、殿下も族長から仮面劇の奥義を習えばいいと、エル・イェズラムは話し、その物語はそれきりだった。
 戻った時とは、自分の死後の話だと、スィグルは恐ろしかった。人質の身で、生きて戻れるとは思っていなかったせいだ。でも実際には生きて戻った。あの時のエル・イェズラムは、もしかすると、生きて戻った場合のことを、話していたのではないか。ギリスによれば、彼はあの時すでに、自分を新星として父に推挙していたらしいのだから。
 皮肉な話だった。あの時どんな言葉より、気休めの嘘でもいい、生きて戻れと誰かに言ってもらいたかったのに。目の前で望みの言葉を言われていながら、そのことに気付かなかった。気休めではなく、本当に、生きて戻ることを望んでもらっていたのに。
 不意に調弦の音が掻き鳴らされた。
 琴を抱いている者たちは、官僚の服を着ていた。なかなかに上手いようではあったが、まさかラダックが演奏者を雇うのをけちったのかと、スィグルは笑いそうになった。
 舞台にもふらりと、官僚であることを現す衣装を着けた三つ子の一人が、姿を現した。それがアミールかルサールか、カラールか、スィグルには見当もつかなかった。顔も石も、官僚の面で覆われていたせいだ。
 今は昔、高貴なる太祖の血をひく、とある名君の御代。
 戯曲にお定まりの、はじまりの句を、官僚の面の者が詠った。
 その詠唱があまりに上手かったので、スィグルはびっくりした。玄人裸足とはこのことだ。
 誰にでも才能はあるものだろうが、優雅に舞い始めた官僚面を眺めて、スィグルは驚きで微かに開いた口が、なかなか塞がらなかった。
 面の者は華麗な動作で舞い、持っていた小道具の筆で、衝立を指し示した。
 今宵お目にかける物語の題は、と官僚面が詠い、衝立の向こう側から、純白の布地で裏張りされた大書した文字が、ひらりと現れた。それには筆をとった者の銘が添えられており、エル・カラールとあった。書いた者が、あれとは、文字からは見当も付かないような、流麗かつ大胆な筆跡だった。
 その部族の文字は、演目の題をこう告げた。
 復讐劇。
 祝いの席で、復讐劇。スィグルはぽかんとした。

→次へ
←Web拍手です。グッジョブだったら押してネ♪
コメント送信

 
本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース