もえもえ図鑑

2008/09/17

新星の武器庫(46)

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 市民たちは、グラナダ宮殿が与えた討伐劇の結末を、喜んで受け入れた。
 領主が盗賊を捕らえたという話は、すでに当日のうちに皆の知るところだった。縄を打った盗賊たちが、ぐうぐう眠っているのを連れて、市街を通って帰ったのだから、それは一目瞭然だっただろう。
 宮殿への帰り道、勝った領主に歓呼する者もいた。
 出撃するのを送り出してくれた子供らや、大人の中にも、もちろん。
 しかしそれはおそらく、市民の半数程度だろうと、スィグルは思った。賭の結果がそれを物語っている。歓呼する者の中には、あからさまに賭の勝ち札を握っている者もいた。
 彼らは領主が好きだからではなく、儲けさせてくれたから、スィグル・レイラスの名を讃えているだけだ。領民の愛というのは、しょせん、そういうものだという気もした。
 食わせてやるから、微笑むだけで、飢えればとたんに、ファサルに賭けるだろう。
 そういう陰気な考えは、戦闘で魔力と気力を使い果たした肉体には重く感じられ、宮殿の扉をくぐって安堵するなり、もう一歩も歩けないような気がした。
 そこに、にこにこ上機嫌のギリスが突っ立っていたのを見て、単純なやつめという得体の知れない激怒が湧いて、許せない気がした。腹心だというお前ですら、僕の気持ちが分からないのかと悔しかったが、実際に口に出して叱責したのは、まったく別のことだった。
 それでもギリスが反撃もせず、子供のように、ごめんと言ったので、怒りはすぐに引っ込んだ。怒鳴ってすっきりしたのもあったろうが、ギリスを撲(う)ったのが恥ずかしかった。たまたま目の前にいたからだと、内心言い訳しているが、とにかく誰かに当たりたくなり、殴っても平気なやつを無意識に選んだに違いないのだ。
 領主であり王族である自分が、皆の面前で、英雄であるギリスをぶん殴って怒鳴ったのだ。本来なら大事だった。しかしギリスは大して痛くもないような顔をして、そんなに怒んないでよと、あっさりとした文句を言っただけだった。
 それは、いかにもとぼけたような暢気な言い様で、これは、いつものことであって、大した出来事ではないというような寝ぼけた雰囲気を、辺りにばらまいた。皆、ぽかんとしていたが、ギリスがけろっとしているのを見て、なんだいつものことかという顔をした。
 それは不思議なことだった。
 かつての別れ際、故郷に戻るシェル・マイオスが、ここから別の道を行くと言い、恥ずかしげもなくわんわん泣き出した。ぽかんとしているこちらを、いつもの癖で抱擁し、シェルは心配だと言った。
 僕がいなくなったら、殿下は誰を殴ればいいんでしょうか、と。
 確かに学院では、気が立つにまかせてシェルを張り倒していたし、蹴り倒されるとシェルは毎度、ひどいですと言っていた。
 そんな僕とおさらばできて、清々するだろうとスィグルが毒づくと、シェルは寂しいと言った。殴られるのはいやだけど、でも殿下が僕を殴るのは、友達だからじゃないですか。誰か殿下のところにも、おとなしく殴られてくれる人がいればいいけど。
 そんな変なやつが、必要なわけあるかと、スィグルは思ったが、実際には必要だった。ギリスがいると、気が楽だった。甘えるような相手ではないはずが、癇癪のまま八つ当たりしても、こちらが弱っていると、心配だと言ってくれる。
 あいつは僕を支えるのが仕事だというんだから、せいぜい支えてもらおうか。もう、そうやって居直るしかない。そんな義理などないはずのシェル・マイオスでさえ、友達だからという理由で、こちらの我が儘に耐えたのだから、新星に命を捧げられるというギリスが、ちょっと殴られるくらい許せなくてどうする。
 そう居直るしか。
 スィグルは納得しきれない気分で、そう結論し、目の前に立つ氷の蛇を見た。
 それはギリスではない。文字通り、氷でできた蛇だった。
 見上げるような高さがあり、大広間の高い丸天井の下でも、鎌首を垂れてやっと座っていられるというような、大物だった。
 ギリスも隣に立ち、心底感激したふうに、ぽかんと嬉しげな顔で、それを見上げていた。
「すげえ。でっかいなあ。本物の氷の蛇か」
 にこやかに、本物の氷の蛇がそう言った。周囲でそれを聞いていた宮殿の者たちは、冗談だと思ったのか、喜ぶ英雄の感想に、さざめくように笑った。
 それはギリスの二十歳の誕生祝いの贈り物だった。
 宮殿の者たちが氷室で作った氷を運んで組み上げ、一晩かけて彫ったのだという。彫刻家を雇ったのかと思っていたら、なんと自分たちで彫ったというのだから、小器用というか、物好きというか、官僚のくせに汗を流す手間を惜しまない連中だった。
 この場は日頃なら官僚たちをはじめとする、宮殿に仕える者たちが食事をとるための大広間で、そこで一夜をかけて敢行されたこの大事業を、ギリスは知らなかった。自分とともに食事をとっているギリスには、足を踏み入れる必要のない場所だったからだろう。
 蛇を象った氷の中には、何やら細々としたものが、たくさん閉じこめられていた。花だったり、指輪だったりだ。何なのかと思ったが、実はそれこそが贈り物らしかった。彫刻には参加できない女官たちが、ギリスのために持ち寄ったものらしい。
 お前、もてるらしいなと、スィグルは喜んでいるギリスの横顔を見やった。
 中身をどうやって取ればいいのかと、ギリスは傍にいた者に聞き、それは、溶けるまで待てと言われていた。するとギリスは氷を溶かそうというのか、試しにぺろりと舐めてみて、それから蛇に抱きついてみていた。
 それで氷が溶けるわけはなかった。冷たいと言いながら蛇に頬ずりしているギリスは、とても二十歳とは思えず、まるで子供のようだった。
 こいつは永遠に子供なのではないかと、スィグルは思った。成長はしているのだろうが、年老いるということがない。きっとその死の瞬間まで、子供のようなままなのだ。
 ギリスは臣に加わったファサルが嫌いなようで、与えた私邸に彼を送ってやる途中も、馬上でずっとむかむかしていたようだった。そんな乗り手の心が分かるのか、ギリスの愛馬ファーグリーズは、鼻息も荒く、地を掻いて興奮しながら、並足を命じられて苦しんでいた。
 そんなファーグリーズのことを、ファサルが評して、駄馬ですなあと言うので、ギリスは激怒していた。
 それでも市街で子供らが寄ってきて、盗賊を処刑するのかとギリスに訊くと、彼は激怒したままの顔で、こいつはもう仲間だから、仲良くしろと言った。けんかするなよと。
 そう言う自分がいちばんファサルと喧嘩をしたそうな顔をしていたが、ギリスは宮殿を出るときに、スィグルが命じたことを覚えていて、自分が臣の筆頭として盗賊と和解した有様を示さねばならないと、従順に思っているらしかった。
 気の毒なやつだとスィグルは思った。そうやって、人に仕えるように躾けられてきたのだろう。
 人に。つまり新星に。
 今のところ、それはスィグルのことだった。ギリスが自分に従うのは、自分が新星であると、彼が信じているからだった。
 宮殿の英雄と連れだって馬を進める、遠方の牛の目を二連射で射抜けるという、もうひとりの英雄に、市民は心から歓呼していた。それを殺さず味方につけた領主のことを、皆は手放しで讃えた。賭で儲けた者も、損をした者も。老人も子供も女も子供も、悪党を引き連れて歩く領主に、心底喜んでいるようだった。
 その時はじめて、彼らが自分を受け入れた気がして、スィグルはふと、浮遊感を感じた。今まで自分を暗い水底に押しとどめていた重い何かから、ふと解放されて、明るい水面に浮かび上がり、やっと息がつけたような。
 その感覚は一瞬のことだったが、それでも鮮烈な印象があった。
 あたかもこの都市と、自分が、一心同体のような気がした。
 曇天に翳る都市が、それでもひどく美しく思えて、スィグルは人に湧く市街をうっとりと眺めた。
 父はよく、王都のことを、我が麗しのタンジールと、愛おしげに呼んでいた。それは王宮のある壮大な地下都市のことであり、そして、それを都とする部族領全体のことでもあった。その中心である玉座に座り、父はいつも何より、部族を愛していた。妻が死んでも、息子が人質となっても、父はいつも一番に、部族を愛してきたのだ。
 いつも自分はその姿に、嫉妬を覚えた。父が正体のないものを愛していると思えて。
 しかし曇天のグラナダを愛おしく見回したその瞬間、父が愛していたものの正体が見えた。
 それが何かを言葉にして語ることはできないが、我が麗しのグラナダよ、そこに住む者たちよと、歓呼する顔のひとつひとつに語りかけたいような気がした。
 いつか自分にも、我が麗しのタンジールよと、呟ける日があるだろうか。父のように。名君の顔をして。
 それを夢想しかけたとき、雨が降り始めた。
 天の底を抜いたような、どっと地を打つ豪雨だった。
 唐突な雨季の始まりに、人はみな逃げまどった。
 あっと言う間に、雨宿りしてもしょうがないようなびしょ濡れになり、スィグルは呆然としたが、ギリスがもうやけくそだと言い、ファサルがこのまま行こうと言うので、行列は大雨のなかを予定通り進んだ。
 盗賊に与えた私邸に着く頃、雨は嘘のように止み、からりとした晴天が、久々で拡がった。その時に振り返って見た都市は、雨に洗われて白く輝き、途方もなく美しかった。
 この都市が自分のものだというのが、ただ嬉しく、誇らしかった。
 がめつい阿呆ばかりが住む、猥雑で、不埒な、美しい僕のグラナダよ。そんな街は、まるで性悪な女のようだったが、それでも温かな腕で抱いてくれる、愛しく、麗しい、初めての女だった。
 そんな女が、現実にいたらいいのになと、スィグルは皮肉に思った。もしいたら、今すぐ結婚してやるのに。
 しかし都市でよかった。グラナダは永遠に、僕を裏切らない。身も心も捧げて、必死で尽くす限り。タンジールが父を、決して裏切らないように。
「彫像を食べないでください、エル・ギリス。私の部下たちが苦労して作ったんですから」
 なんとか蛇をやっつけようとしているギリスに、ラダックが文句を言いに来た。

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