もえもえ図鑑

2008/09/10

新星の武器庫(39)

←前へ

 昆虫のような、魚のような、奇妙な姿をしたそれは、鮮やかな色合いをしており、ゆっくりと舞い降りてきて、甲殻に包まれた無数の足を以て、新星レイラスを包むように、崖上に鎮座した。
 それが幻影と知らずに眺めれば、ギリスはたぶん気絶しただろう。突然現れた巨獣が、スィグルを食おうとしていると思って。
 しかしもちろん、あれは幻影で、スィグルを守るために現れた怪物だった。スィグルはまるで幻視が見えないのか、見えていても、気にならないというふうに、やはり微動だにせずに気位高く突っ立っており、あれを狙えというように、崖下のファサルを指さした。
 三つ子にもそれが、見えているのだろうか。幻影の怪物は、ふわりと浮きあがり、崖下にいる盗賊をめがけて、巨大な尾ひれを打ち振り、泳ぐように飛んだ。
 ファサルが動揺して、弓をしまう間もなく、手綱をとるのが見えた。
 逃げようというのか。
 ギリスは満面に広がる笑みを感じた。
 そりゃそうだよな、あんなもん見たら。逃げずにいられないだろ。
 守護生物(トゥラシェ)は敵の操る怪物で、丸呑みに人を食らう悪鬼だ。戦場に現れたそれを、恐れない者はいない。皆、とっさの時には、恥も外聞もなく、泣き叫んで逃げたものだ。
 あれを恐れずに立ち向かっていけるのは、一握りの英雄だけだ。仲間の兵が目の前で食われても、臆せず突撃していける。そうやって戦った道の向こうにこそ、栄光が待っていると信じ、まだ幼い日から、それだけを唯一の希望として、生きてきたからだ。
 三つ子が作る幻影の守護生物(トゥラシェ)が、ギリスは恐ろしくなかった。元々恐怖を感じない質だ。それに自分は昔、戦場で本物の守護生物(トゥラシェ)を見ても、少しも怖いと感じなかった。
 やっと俺は、栄光を掴める。こいつを殺して、本物の英雄になって、生きて戻れば、その先には幸福が待っている。それへ続く道のりの、最初の門が、やっと目の前に現れてくれた。そんなような気持ちがして、ヤンファールの激戦の中、ギリスはひたすら幸せだった。
 そして今、また目の前に現れた、守護生物(トゥラシェ)の姿に、ギリスはそれが幻影と知りつつ、思わず微笑みを浮かべた。
 懐かしい敵よ。お前とまた会えて、俺は嬉しいよ。
 それが今は、共に新星を守る仲間だとは、人の生涯というのは、分からないものだ。
 守護生物(トゥラシェ)に追われて、滅茶苦茶に逃げる盗賊を追って、ギリスも猛烈な勢いで騎獣を走らせた。ファサルは砂丘を越えようというのか、街道のある谷間を横切り、砂漠へ登っていく道筋へと、騎獣を走らせていた。
 盗賊と、怪物と、英雄の、奇妙な追いかけっこだった。
 ギリスは走る騎獣の鞍から、連弩を構えた。
 盗賊ファサルの背を狙って、ギリスは引き金を引いた。
 連弩は従順に唸り、最初の矢を放った。それは彗星レイラスの蜂の矢羽根を帯びて、見事に美しく飛び、そして悪党の背を射抜いた。
 守護生物(トゥラシェ)が突っついたとでも思ったのか、盗賊は痛みに背をそらせ、必死の形相で振り返った。ギリスはそれを見て、思わずにやりと笑った。
 そしてもう一矢。
 再装填して放った矢は、今度もまっすぐに飛んだ。
 こちらに気づいたらしい盗賊は、鞍の上で体を倒して、巧みにそれを避けた。
 やるな。
 ギリスはむっとしながら、それでも嬉しいような気がした。
 神業の二連射で迎撃しようとした盗賊は、果敢にも弓をとったが、背に受けた蜂の毒矢が、もう効き目を示し始めている。指が痺れているらしく、男はなかなか、矢筒の矢を引き抜けないでいた。
 巨大な守護生物(トゥラシェ)が空に昇り、砂丘の稜線を超えていく盗賊に、ゆったりと舞い降りてきた。その銀の瞳と見つめ合い、盗賊はとうとう、弓を落とした。それが恐怖のためか、それとも薬のせいか、ギリスには分からなかった。
 恐怖のせいだといい。
 弟(ジョット)どもはよくやった。守護生物(トゥラシェ)はどう見ても本物だった。
 最後の最後で、よく頑張ったぞお前ら。
 内心にそう独りごち、ギリスは連弩を再装填した。かちりと心地よい手応えがして、新しい胡蜂(すずめばち)が、弓弦を引いて現れる。
 照準器ごしに、天を仰ぐ盗賊を見つめ、ギリスは笑いながら呟いた。
「お前も食らえファサル、毒舌スィグルのチクチク攻撃」
 なにしろ、二発食らえば足もふらふら、五発食らえば昏倒もんなんだぜ。
 そうして放った矢は、ファサルの肩に命中した。攻撃の的中に我に返ったファサルは、こちらを見た。
 その顔を見つめ、ギリスは気づいた。
 こいつはイェズラムには全然似ていない。もしも養父(デン)なら、守護生物(トゥラシェ)を恐れたりしない。イェズは守護生物(トゥラシェ)殺しの英雄で、誰よりも強かったんだから。どうして似ていると思ったんだろう。
 もはや朦朧としてきたらしい盗賊に向けて、ギリスは残る四本の矢を、次々に放ってやった。ファサルはもう、それを避けることはできず、胡蜂(すずめばち)に胸を打たれて、くらりと意識を失ったようだった。
 最後に天を仰ぎ、男は幻影の守護生物(トゥラシェ)を見つめた。
 すでに砂丘を越えており、三つ子たちからはこちらが見えないらしい。幻の怪物はただ、宙からこちらを向くだけで、盗賊を食らいにはこなかった。
 ファサルが力なくもがき、鞍から落ちるのを、ギリスは騎獣を休ませながら眺めた。
 ギリスを運ぶ砂牛は、ゆっくりと歩き、やがて歩みを止めて、急に駆けさせられた疲れを、深いため息によって示した。
 鞍から降りて、ギリスは暑さで黒い舌を出している騎獣に礼を言った。
 ファサルは砂の上に側臥するようにして倒れていた。
 近くによって、まじまじと見下ろすと、盗賊はなかなか、趣味の良い格好をしていた。まとった胴鎧も、黒かと思えば、うっすら青みがかった絹糸で綴られていたし、かすかに金糸も混じり、地味なようでいて、なかなか豪勢だった。
 矢を浴びて倒れている姿は、あたかも死んでいるようだったが、ゆっくりと息をしている胸を見れば、ただ眠っているだけだというのが見て取れる。
 年格好は、たぶん、死んだ頃のイェズラムと同じくらいだろう。
 無念だなと、ギリスは思った。卑しい盗賊ですら、こうして生きているのに。石さえなければ、養父(デン)もきっと、年老いて死ぬまで、生きていただろうに。
 しかしそれでは、部族の英雄ではない。
 英雄でない養父(デン)を、ギリスは想像できなかった。戦って死ぬのは、結局、宿命だったのだ。養父(デン)にとっても。そして、それが可能であれば、自分にとっても。
 そうであればいい、玉座を守る英雄として生きられれば、それが何よりの幸福だ。イェズラムはたぶん、満足して死んだ。
「手間かけさせやがって」
 ギリスは盗賊の意識がないことを、つま先でつついて確かめた。
 砂丘を下る砂が、さらさらと白く細かかった。
 ここから崖は見えず、死角になっており、いくら目のいいスィグルでも、こちらが見えていないはずだ。誰も見ていない。盗賊たちも、弩兵たちも、三つ子も、シャムシールも、崖上にとんずらしたへぼ詩人もだ。ここには俺と、眠ってる盗賊しかいない。
 だからいいだろと思って、ギリスはファサルの尻を思い切り蹴っ飛ばしてやった。
 目覚めていたら、痛いはずだった。でも関係ない。たっぷり眠り薬をぶちこんでやったから。
 スィグルは禍根を残すことはするなと厳命していたが、ファサルが覚えてなけりゃ平気だろ。そう思えたので、ギリスは念のため、もう一発蹴飛ばしておいた。こういう機会がもう無かった時に、あの時もう一発ぐらい蹴っておけばよかったと、後悔しないための用心だった。
「まったく、盗賊の分際で、英雄である俺をびびらせやがって。一生呪ってやるからな」
 ギリスはファサルを指差し、そう宣言してから、深いため息をついた。
 急に安堵に襲われたからだった。勝った。とにかく勝った。
 砂丘を上がって、谷間を見下ろすと、連弩たちは盗賊をあらかた眠らせたようだった。ギリスはそれに満足して頷き、後ろを振り返った。
 早く陣に戻りたかったが、このままファサルを放っていくわけにもいかない。
 生け捕りにしてこいと命じられていたし、持って返らないと、スィグルに怒られる。
 仕方がないので、ギリスは盗賊を背負うことにした。
 具足までつけた、自分よりも大柄な相手を背に抱えると、ものすごく重かった。しかも何だか、趣味のいい香の匂いまでした。
「うえっ、なにこれ、いい匂い」
 そう呻いてから、ギリスはこのキザ野郎と、悪態をついた。お前は王宮の貴人かよ。
 こっちはお前に厭な汗をたっぷりかかされて、汗くさいぐらいだっていうのに。俺をなめてんのか。
 せめてもう一回、蹴りを入れてやろうかとギリスは思ったが、諦めるしかなかった。すでに盗賊を抱えて砂丘を越えてしまい、敵を仕留めた英雄のその姿を認めた弩兵(どへい)たちが、連弩を振り上げて歓呼していた。
 残念だったなと、ギリスは思い、そして微笑んだ。
 崖の上では、新星がまだ、いかにも元気そうに突っ立っていた。
 歓呼する兵に囲まれている、スィグルのその姿を遠目に見つめて、ギリスはとても幸せだった。数知れない勝利が、この先も、あいつを輝かせるといい。皆が何の疑いもなく、新星にひれ伏すように。
 まずはその手始めに、牛の目のファサルなのだろう。
 頼むぜ、おっさんと呼びかけて、ギリスは盗賊を背負い直し、のんびりと砂丘を下った。

→次へ
←Web拍手です。グッジョブだったら押してネ♪
コメント送信

 
本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース