もえもえ図鑑

2008/09/10

新星の武器庫(38)

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 盗賊たちが射てきた矢が、馬車を幌の内側から鎧った矢避けの盾に、音高く突き刺さった。
 身を潜めている限り、それには何の危険もない。
 そう思えてギリスは平気でいたが、馬車の中には明らかな動揺が走った。
 反射的に迎撃の構えになる弩兵(どへい)たちを、ギリスは驚いて手を挙げ、押しとどめた。
 連弩の射程は、まだ盗賊たちの鼻先に届いたばかりだ。伝統的な弓を用いている敵の矢が、先にこちらへ届き始めるのは当然で、しばらくはそれを堪えるしかない。それは前もって教えてあったのに、弓の射程に慣れている兵たちは、この待ち時間に動揺するらしかった。
 盾の合間を突いた矢が一矢、馬車の中に飛び込んできた。それに射られかけた三つ子が、ぎゃっと喚いた。
「やばいよ、兄貴(デン)!」
「びびるな、流れ矢だ。仕事しろ!」
 ギリスは三つ子を叱りつけた。攻撃開始の号令を出す好機を見極める時だった。流れ矢でも、当たれば痛いだろうが、当たらなかったんだから気にするなと、ギリスは思った。
 こちらに気合いがあれば、攻撃は当たらない。案外避けられるし、当たっていても気づかない。それが戦場の不思議だ。びびって立ちすくんだ瞬間にだけ、その罪深い臆病に報いるため、死の天使は舞い降りてくる。
 だから恐れず突撃だ。味方を率いて駆け抜けろ。お前のその勇敢さに励まされ、魔法戦士たちは皆激しく戦い、兵は戦意を鼓舞される。たとえ武運尽き果て敵に屠られても、お前には英雄としての名が残る。英雄譚(ダージ)が永遠にそれを詠うだろう、エル・ギリス。お前は部族の誉(ほま)れだ。
 初陣に向かう自分に、養父(デン)はそう教え、持てる限りの魔力を使えと命じた。イェズラムは魔法戦士の長で、いつも命を惜しむなと皆に教えていた。部族のために戦って死に、そして本物の英雄になれと。
 その養父(デン)が、従軍して王都を旅立つ別れ際、ギリスにだけ聞こえる小声で、生きて戻れと言った。
 たぶんそれが、日頃は言わないイェズラムの本音で、養父(デン)は出撃する誰にでも、内心ではそう呼びかけていたのだろう。自分の時だけ、それを口に出したのは、それが願望ではなく命令だったからだ。生きて戻って、ギリスは新星の射手にならねばならなかった。
 それでも、その一言に嘘はなく、ギリスは自分を激戦に投入したイェズラムを、恨んだことはない。死ぬかもしれないのに、ひどいと思わなかったのかとスィグルは訊ねていた。そういえば、ひどいのかもしれなかった。スィグルに言われるまで、そのことに、ギリスは気づいていなかった。
 たとえそれが、ひどくても、仕方がない。ひどいのはイェズラムではなく、戦って英雄になるしか道のない、竜の涙の運命のほうだ。死線をくぐったその先にしか、自分たちには栄光がない。養父(デン)はギリスに、その運命の中で得られる、最高の栄光を与えようとしただけだ。
 それは紛れもない愛であって、何もひどくはない。新星はそれを、まだ知らない。一体どうやって、教えてやればいいのか。
「攻撃準備」
 ギリスは弩兵に命じた。やっと許されたその時に、連弩をかまえた兵たちは食らいついてきた。
 ギリスは馬車を覆っていた幌を、補給の兵に外させた。白い覆いが風に飛ばされてはためき、風の荒れる曇天がのしかかってきた。
 現れた弩兵に、迫り来ていた盗賊たちが、ぎょっとするのが見えた。
 それでも彼らは突撃をやめはしなかった。
「斉射はじめ」
 号令すると、兵たちは引き金を引いた。七連射が低く唸るような、その機構に独特の音を立てはじめた。
 ある者は矢を受け、ある者はそれを避けて、盗賊たちは怯まず迎撃してきた。
 よく躾けられた戦士たちだと、ギリスは思った。ファサルの号令ひとつで、死を恐れない。
 これは案外、良い敵だ。
 ファサルはどこにいるのかと、ギリスは連弩の照準器ごしに、谷間を目で探した。
 射落とそうと狙いつつ見つめた先に、ファサルは騎獣を彷徨わせていた。ギリスはその姿がこちらを無視しているのを知り、驚いた。
 二連射の男の狙う先は、輸送馬車ではなかった。弓弦を引き絞る盗賊が見上げていたのは、崖の上だった。あいつが部下を追って駆けたのは、一緒に突撃するためではなく、己の射程内に崖上のスィグルを飲み込むためだったのだ。
 間断なく、二本の矢を放ったファサルに、ギリスは思わず連弩を取り落としかけた。息を呑んで見送った矢は、崖から見下ろしているスィグルに引き寄せられるように、まっしぐらに飛んだ。
 今度もスィグルは、避けようという素振りもしなかった。ただ飛んでくる矢を睨み、スィグルは念動術を使った。見えない手で振り払われたように、明らかにスィグルの目を狙っていた二本の矢は、はらりと左右に振るい落とされていった。
 それにギリスが安堵しかけた時、新たな二連射が放たれた。
 ギリスは自分が呻くのを聞いた。
 魔法にも、再装填の間は必要だった。使い手ごとに異なる、呼吸のようなものだ。息を吐きながら、同時に吸うのが無理なように、魔法を振るい終えた瞬間をとらえられれば、とっさに次の手を打つことはできない。
 ファサルは魔法の使い手で、自身もそれを知っているのか。攻撃に継ぐ攻撃で、スィグルの念動術の隙を突こうとしていることは、間違いなかった。
 矢を打ち払いながら、スィグルは崖上の兵に、攻撃を命じたようだった。二十連射の連弩が三台、それぞれが時をずらして、十矢ずつ放ってくる。それを補う弓兵が、引き絞った弓でファサルを狙ったが、スィグルは射させなかった。たぶん弓兵の使う矢が、例の軟弱な薬矢ではないからだ。
 ファサルは騎獣を走らせて二十連射の斉射を避け、走りながら巧みに矢を射かけている。盗賊はまるで、蜂に追われて逃げ回るようであったが、それでも恐れる様子はなかった。手持ちの弓や連弩ほどには小回りの利かない二十連射の射手を翻弄し、右へ左へと、騎獣を操って、必殺の一撃を放つ機会を狙っては、二連射の矢を放つ。
 最後の二矢を避けて、スィグルはよろめいた。そして連弩に何か命じた。
 命令を受けて、二十連射がファサルから、狙いを他の盗賊たちへ移したのに、ギリスは気づいた。ファサルを射ても埒があかないと、新星は思ったらしかった。
 長い射程を活かして、二十連射は次々と、遠方から狙われているのに気づかない盗賊たちに、胡蜂(すずめばち)の群れを浴びせはじめた。それは効果を上げた。盗賊たちは細身の矢を受け、やがて昏倒し、ばらばらと騎獣から落ちた。
 しかしそれではファサルの攻撃は止まない。また新たな二連射が、スィグルの目を狙ってきた。スィグルは辛うじてそれを避けた。しかしもう、平然とという風にはいかない。
 どうすんの。お前、このまま自分の念動術だけで、ファサルとサシで勝負するつもりか。
 愕然としたギリスは崖上のスィグルを見上げた。
 ほんの一瞬、向こうがこちらを探すように、馬車を見つめてきた。
 ギリスは思わず立ち上がった。乱れて矢は飛んでくるが、スィグルが自分を探しているのだと思った。
 向こうがこちらを見つけたのが、ギリスには分かった。新星はこちらを睨み、放たれてきた二連射を念動で避けてから、顎で崖下のファサルを示した。
 あれが煩いから、なんとかしろと、新星が命じているような気がした。
 そうだったと、ギリスは思いついた。
 ぼけっと眺めて身悶えている必要はない。俺がとんでいってファサルを、ぶっ殺してやればいいだけだ。
「アミール、カラール、ルサール」
 ギリスは三つ子に怒鳴った。しかし彼らは汗をかき、じっと肩を寄せ合って手を握っているだけで、幻視術が発動する気配もなかった。
「集中できない……」
 しっかりしろと叱るギリスに、三つ子はうめくように答えた。
 弩兵は次々に矢を放ち、盗賊たちは射返してきた。矢に当たって倒れる兵もいた。戦い慣れていない三つ子は、その場に臆して、魔法を振るえないでいるらしかった。
「目をつぶれ。伏せてりゃ矢は当たらない。俺はファサルを仕留めに行く。お前らがここの指揮をとれ。撃ちまくらせて、ほっといていい」
 ギリスは飛び交う矢の少ない崖側のほうへ行き、補給係から交換用の矢筒をひとつ取った。
「行くって兄貴(デン)」
「そんな、待ってよ」
「放っていかれて、俺らどうなるの」
 後ろ姿を見せられて、三つ子が明らかに焦った。
「助けないと、新星が落ちる」
 ギリスが指さすと、三つ子はファサルに気づいて、悲鳴のような声をあげた。
「やばいよ、レイラス殿下」
「やられる」
「なんで隠れないんだ」
 三つ子の言うとおりだった。
「あいつにも、王族としての面子があるんだ」
 ファサルが新たな矢を放ってきたのを目の当たりにし、新星が狙い打ちされている事実に初めて気づいたらしい三つ子は、盛大な悲鳴をあげた。ぎゃあっと叫ぶ彼らの声に送られた矢は、まっしぐらに飛び、スィグルはまたそれを念動で避けた。
「なんとかしなきゃ、なんとかなんとか」
 そう言って三つ子は慌てたふうに、お互いの手をおたおた探して握り合った。
 ほっといて行くしかないと思い、ギリスは馬車から飛び降りた。
 幻視術は結局、発動しないのかもしれなかった。やつらはどうにも度胸がなく、どう頑張ったところで、ただの落ちこぼれにすぎないのかもしれない。
 期待してたのに。
 そう思うと悔しく、ギリスはやけくそで走った。途中で目にした、空の鞍をもてあましている砂牛を捕まえ、その鞍に飛び乗った。
 慣れない主に、騎獣はしばし抗った。首を叩いてそれを宥め、ギリスは従順な性質の砂漠の生き物に頼んだ。走ってくれと。
 騎獣が決心をつける間、ギリスは手綱を握って、焦れながら待った。
 走ったほうが良かったか。
 目を上げると、ファサルが新しい矢をつがえていた。ギリスは自分も三つ子のように、ぎゃあぎゃあ叫びたい気分だった。
 堪えきれずに騎獣の腹を蹴ると、砂牛は走り出した。
 速力を上げながら、ギリスは獣に感謝したが、それでも馬ほどの速さはなく、遠目に見えるファサルが矢をつがえるのが、はるかに手の届かない先のできごとに見えた。
 待ってくれ、あとちょっとだから。
 ギリスは心の中で、何にともなくそう懇願した。
 スィグルはもう避けられないのではないか、次こそ矢に当たるのではと、そういう気がして、ギリスはつらかった。もしもそうなったら、何もかも終わりだ。
「ファサル」
 弓弦を引き絞った男に、ギリスは思わず叫んだ。
 新星を狙う盗賊は、それを意に介さなかった。男は鏃(やじり)の先を、まっすぐに崖上の、スィグルの両目に向けていた。
 その指が弓弦を放とうとした時、男は突然、驚いた様子をした。
 盗賊が驚愕して、弓をおろすのを、ギリスも驚いて眺めた。そしてその視線をたどり、崖上を見て、ギリスは自分が快哉(かいさい)する声を聞いた。
 崖上の、渦巻く雲を割って、巨大な守護生物(トゥラシェ)が現れていた。

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