新星の武器庫(37)
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連射をするため、二矢目の矢をとっておくのは、別に珍しいことではない。しかし遠目に見る盗賊の、どこかしら儀式めいた優雅な手つきに、不吉に血の騒ぐものがあった。
男はゆったりと一矢を弓につがえ、それを支える指に、次のもう一矢をぶらりと提げていた。そして弓弦に指をかけてから、顔をあげ、崖を見上げた。
その視線の先には、まだ煙管を吸っているスィグルが突っ立っていた。
向こうが気づいていることは、ギリスには分かっていた。スィグルは相当に目がいい。こちらが見えていないわけはない。矢をつがえた男が、自分を見上げていることに、気づかないわけもない。
よけてくれと、ギリスは焦れた。この場から打てる手はない。
ギリスは砂丘の男に目を戻した。
あの位置から、矢が届くわけがない。
たとえ盗賊側に追い風が吹いても、そこから崖上を狙うことには無理があった。このまえ崖上から射下ろしても、砂丘を超えて逃げる盗賊たちに、矢は届かなかったのだ。
それを知らないのか、それとも気にならないのか、弓を引いた男は、すぐには射る気配も見せず、その姿のままで、崖上にいるスィグルに、鞍の上で一礼をした。
野卑な盗人とは思えない、優雅な略礼だった。
ギリスはそれに、目を見張った。なんとなく、その堂々とした涼しげな有様が、亡き養父(デン)を連想させた。
それを見下ろす崖上から、スィグルが答礼をするのが見えた。
なにやってんのお前。ギリスは思わず小声でそれを口に出した。
王族が答礼で頭を下げるのは、族長か、その血を汲んだ王族か、高位の諸侯、あるいは英雄たちに対してだけだ。盗賊なんかに答礼してやる義理はない。
馬鹿か、馬鹿、なにやってんだよと、ギリスは内心悶絶して、その光景を見つめた。
盗賊はおもむろに弓弦を引き絞った。
追い風を突いて矢が放たれ、戻る弓弦をつかまえて、それに続く二の矢を、男は目にも止まらぬ速さで放った。
鋭い弧を描く二連射を、ギリスは息を呑んで見つめた。それが崖上の新星を射落とす妄想に駆られて。
助けてくれと祈って、ギリスは天使の名を呼んだ。
静謐なる調停者、ブラン・アムリネス。あいつの守護天使。
しかしその名を持ち出す必要もなく、盗賊の二本の矢は、崖をかすることもなく、風にまかれて力尽きた。失速して落ちる矢を見下ろすスィグルは、煙管をくわえたまま、微動だにしなかった。
矢を射た盗賊は、それを背をそらして大仰に驚いて眺め、笑ったようだった。
その男が確かに笑ったように、ギリスには見えた。
そして弓を下ろし、男はまた鞍の上でお辞儀をしてみせた。深々と、高貴な血筋を敬うように。それに答えて、スィグルはまた答礼をしてやっている。
ギリスは歯ぎしりしたい気分でそれを見上げた。
弓を引っ込めた盗賊が、砂丘の向こうを振り返り、軽く手を挙げた。
それを合図に、砂の稜線を超えて、いつか目にしたのと同じ、軍装も整わない出で立ちの盗賊たちが、それぞれの弓を背負って、姿を現してきた。
彼らの隊列に秩序はなく、ただひとつの規範として、二連射の男を先頭にしていた。
あれがファサルだ。
今更のごとく、ギリスは唐突に認識した。
先頭に立つ具足の男が、牛の目のファサルに違いなかった。いったい他の誰が、この果たし合いの場で、わざわざあの二連射を放ってみせるというのか。
あいつは挨拶したのだ。攻撃したのではなく。崖から見下ろしているスィグルに頭を下げて、神業の二矢を射てみせ、俺こそファサルだと名乗った。そしてそれに答えてもらって、あいつはにやりとしたのだ。
なめた真似しやがって。
ギリスは頭がくらりとした。
そうして見つめる視界の中で、牛の目のファサルは手を挙げ、手下の盗賊どもに攻撃を命じた。
優雅にふりおろされたファサルの指は、輸送馬車を指し示しており、それに従う盗賊たちは、いっせいに騎獣の腹を蹴った。砂丘を雪崩落ちてくる遊撃隊の弓矢が、こちらを狙っていた。
ギリスは馬車の中で、腕に抱いた七連射に口付けた。
そして兵たちを並ばせ、射程に迫る盗賊たちを見つめた。
戦いだ。
風のように駆けて、俺の射程にやって来い、悪党ども。
「兄貴(デン)、やろうか、そろそろ」
案外落ち着いた声で、背後から三つ子が問いかけてきた。
ギリスはそれに頷いた。
「戦え、弟(ジョット)ども。俺の新星にお前らの力を見せろ」
その声を聞く初陣の者たちが、手を握り合うのが、視界のすみに見えた。
もしも今こうして、魔力を振るうのが自分であればと、心のすみでギリスは思った。しかしそれは、またいずれ。どこか別の戦場で。
そう自分を宥め、ギリスは愛しい七連射を構えた。
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連射をするため、二矢目の矢をとっておくのは、別に珍しいことではない。しかし遠目に見る盗賊の、どこかしら儀式めいた優雅な手つきに、不吉に血の騒ぐものがあった。
男はゆったりと一矢を弓につがえ、それを支える指に、次のもう一矢をぶらりと提げていた。そして弓弦に指をかけてから、顔をあげ、崖を見上げた。
その視線の先には、まだ煙管を吸っているスィグルが突っ立っていた。
向こうが気づいていることは、ギリスには分かっていた。スィグルは相当に目がいい。こちらが見えていないわけはない。矢をつがえた男が、自分を見上げていることに、気づかないわけもない。
よけてくれと、ギリスは焦れた。この場から打てる手はない。
ギリスは砂丘の男に目を戻した。
あの位置から、矢が届くわけがない。
たとえ盗賊側に追い風が吹いても、そこから崖上を狙うことには無理があった。このまえ崖上から射下ろしても、砂丘を超えて逃げる盗賊たちに、矢は届かなかったのだ。
それを知らないのか、それとも気にならないのか、弓を引いた男は、すぐには射る気配も見せず、その姿のままで、崖上にいるスィグルに、鞍の上で一礼をした。
野卑な盗人とは思えない、優雅な略礼だった。
ギリスはそれに、目を見張った。なんとなく、その堂々とした涼しげな有様が、亡き養父(デン)を連想させた。
それを見下ろす崖上から、スィグルが答礼をするのが見えた。
なにやってんのお前。ギリスは思わず小声でそれを口に出した。
王族が答礼で頭を下げるのは、族長か、その血を汲んだ王族か、高位の諸侯、あるいは英雄たちに対してだけだ。盗賊なんかに答礼してやる義理はない。
馬鹿か、馬鹿、なにやってんだよと、ギリスは内心悶絶して、その光景を見つめた。
盗賊はおもむろに弓弦を引き絞った。
追い風を突いて矢が放たれ、戻る弓弦をつかまえて、それに続く二の矢を、男は目にも止まらぬ速さで放った。
鋭い弧を描く二連射を、ギリスは息を呑んで見つめた。それが崖上の新星を射落とす妄想に駆られて。
助けてくれと祈って、ギリスは天使の名を呼んだ。
静謐なる調停者、ブラン・アムリネス。あいつの守護天使。
しかしその名を持ち出す必要もなく、盗賊の二本の矢は、崖をかすることもなく、風にまかれて力尽きた。失速して落ちる矢を見下ろすスィグルは、煙管をくわえたまま、微動だにしなかった。
矢を射た盗賊は、それを背をそらして大仰に驚いて眺め、笑ったようだった。
その男が確かに笑ったように、ギリスには見えた。
そして弓を下ろし、男はまた鞍の上でお辞儀をしてみせた。深々と、高貴な血筋を敬うように。それに答えて、スィグルはまた答礼をしてやっている。
ギリスは歯ぎしりしたい気分でそれを見上げた。
弓を引っ込めた盗賊が、砂丘の向こうを振り返り、軽く手を挙げた。
それを合図に、砂の稜線を超えて、いつか目にしたのと同じ、軍装も整わない出で立ちの盗賊たちが、それぞれの弓を背負って、姿を現してきた。
彼らの隊列に秩序はなく、ただひとつの規範として、二連射の男を先頭にしていた。
あれがファサルだ。
今更のごとく、ギリスは唐突に認識した。
先頭に立つ具足の男が、牛の目のファサルに違いなかった。いったい他の誰が、この果たし合いの場で、わざわざあの二連射を放ってみせるというのか。
あいつは挨拶したのだ。攻撃したのではなく。崖から見下ろしているスィグルに頭を下げて、神業の二矢を射てみせ、俺こそファサルだと名乗った。そしてそれに答えてもらって、あいつはにやりとしたのだ。
なめた真似しやがって。
ギリスは頭がくらりとした。
そうして見つめる視界の中で、牛の目のファサルは手を挙げ、手下の盗賊どもに攻撃を命じた。
優雅にふりおろされたファサルの指は、輸送馬車を指し示しており、それに従う盗賊たちは、いっせいに騎獣の腹を蹴った。砂丘を雪崩落ちてくる遊撃隊の弓矢が、こちらを狙っていた。
ギリスは馬車の中で、腕に抱いた七連射に口付けた。
そして兵たちを並ばせ、射程に迫る盗賊たちを見つめた。
戦いだ。
風のように駆けて、俺の射程にやって来い、悪党ども。
「兄貴(デン)、やろうか、そろそろ」
案外落ち着いた声で、背後から三つ子が問いかけてきた。
ギリスはそれに頷いた。
「戦え、弟(ジョット)ども。俺の新星にお前らの力を見せろ」
その声を聞く初陣の者たちが、手を握り合うのが、視界のすみに見えた。
もしも今こうして、魔力を振るうのが自分であればと、心のすみでギリスは思った。しかしそれは、またいずれ。どこか別の戦場で。
そう自分を宥め、ギリスは愛しい七連射を構えた。
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