もえもえ図鑑

2008/09/08

新星の武器庫(32)

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 本日主役の連弩(れんど)たちは、職人イマームと、彼の支援にかけつけていた武器職人組合の熟練工たちの手による、夜を徹した整備を受けて、櫃(ひつ)に並び、秘密を守るための覆いをかけられて、軍用の荷馬車に積み込まれ、領主の出撃を待っていた。
 愛馬アイレントランの鞍の上から、スィグルはそれを愛しく眺めた。
 盗賊討伐に燃えるギリスの要請で、矢はこれでもかという本数を積ませてある。
 薬を塗った華奢な矢に、彼はまた不満げな顔をしたものの、特に文句を言わずにいてくれた。
 薬矢は、従来の守備隊に与えた矢と同じく、小さな矢羽根を黄色と黒に染めてあり、その小柄な造りから、まるで本物の胡蜂(すずめばち)の群れのように見えた。これが崖から二百射飛べば、盗賊たちはまさに、蜂の群れに追われる姿に見えるだろう。
 うまいこと、そんな筋書き通り行けばよいがと、スィグルは曇天を見上げた。
 風は時折強く吹き荒れ、矢を射かけるのに、最良の天候とは到底言えなかった。
 整備が心配でならないといって、イマームは自分もついてくる気のようだった。娘を嫁に出す父親のように、職人は気遣わしげに、荷馬車の周りをうろうろしている。
 その武装した姿を見遣り、今日はまるで誰も彼も甲冑を着て過ごす日のようだと、スィグルは思った。
 イマームも絵師と同様、従軍したことはないらしい。彼は腕の良い職人だったし、兵として働くよりも、弓矢を作っていたほうが、部族に貢献できると、徴兵の官僚たちに判断されたとのことだった。
 戦い方は人それぞれだ。
 玉座のために、矢を作る男がいて、絵を描く男がいて、命を賭する英雄がいる。
 イマームは徹夜明けの高揚した目をしていた。その目は男の性格を写して物静かだったが、紛れもなく、戦う目だった。
「市街を抜けていく途中で、広場に寄っていこう、スィグル。お前はまだシャムシールの絵を見たことがないんだろ」
 並んだ馬上から、ギリスが声をかけてきた。
 ギリスの跨るファーグリーズは、スィグルが彼に与えた馬で、ギリスはそれを、全速力で猪突するように調教させていた。彼の英雄譚(ダージ)にあるように、ギリスは敵陣に先頭を切って一番着することに、意地があるらしかった。
 ファーグリーズは乗り手の戦意を受けてか、うろうろと足下が落ち着かないでいる。そんな気性の荒い馬を、足が速いというので、ギリスは気に入っているらしかった。
 しかし今日ばかりはこの馬も、輸送馬車に乗り移る不実なあるじに、鉱山までで置いて行かれる運命だった。可哀想にとスィグルは思った。いつかこいつに乗って、敵陣に突撃するギリスを見る日もあるかもしれないが、それが今日では困る。ファーグリーズには泣いてもらうしかなかった。
「しかしラダックの話によれば、市民は僕より盗賊を応援しているらしいじゃないか。そんなところに現れて、無粋じゃなきゃいいんだが」
 苦笑いして、スィグルはギリスに答えた。英雄は頷いて、難しそうな顔をした。
「どっちが優勢か、今はまだ難しいとろこだ。人をやって見に行かせたら、賭の動向は、領主と盗賊でほとんど五分五分らしいよ」
「そりゃあ随分と、ファサルも人気のあることだよ」
 まさか市街の五割が敵とはなと、スィグルは面白くなって、思わず声をあげて笑った。
「そういうふうには考えないことです、殿下」
 手綱を握るこちらを見上げて、この場で唯一、武装していない男が言った。スィグルは官僚のお仕着せを着て立っているラダックを見下ろした。
「以前、この街で領主と盗賊が争えば、九割以上は盗賊の味方をしていました。どちらが勝つか、賭けようというものは、おりませんでした。五割が殿下を支持しているということを、重視すべきです」
 予算の話をするときと大差ない、無感動な口調で、ラダックはそう分析して教えてきた。
 なるほどなとスィグルは感心した。
 みんなが自分の味方をすべきだというのは、僕の自惚れで、半数が味方についたことが、今は僥倖らしい。まあ確かにそうだ。今まで周りは敵だらけなのが当たり前のことだった。いつも味方はわずかしかおらず、その中に震えて立っていたものだったが、今はこうして、無数の矢と、多くの味方たちで、完全武装していられるのだから。
「お前の着眼点は相変わらず冴えているな、ラダック。与えた褒美は気に入ったか」
 笑って訊ねると、ラダックは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
 ラダックが自分から礼を述べはしなかったので、これまで敢えて訊かずにきたが、スィグルはこの機に確かめておくことにした。
「ラダック、いつのまに褒美をもらったの」
 ギリスが驚いた顔をしている。ふたりは親しいらしいが、ラダックはそのことを隠していたらしい。
「一昨日です」
 答えるラダックの顔は険しかった。
「何をもらったんだ。馬か、こいつのことだから」
 ギリスが言うと、ラダックはますます険しい顔で、首を横に振った。
「馬ならよかったです。転売すれば済みますから」
「違うのか。じゃあ一体なんだったの」
 追求するギリスに、ラダックはため息をつき、観念したふうに話し始めた。
「一昨日、いつものように勤務が明けて、帰ったところ、自宅がありませんでした。部屋はありましたが、中身がなかったんです……」
 それがものすごい悲劇というように、ラダックは話していた。ギリスはぽかんとして、それを聞いている。
「からっぽの部屋に、殿下からの辞令書だけがあり、読んでみたら、褒美として、宮殿に居室を与えると書いてありました」
 心なしか、斜めに首をうなだれて、ラダックは話していた。
 ギリスはそれを聞き、いっとき、ぽかんとしたままスィグルのほうを見た。そして、やがて、彼はゆっくりと、満面の笑みを浮かべた。
「いいねえ。それじゃ、こいつも正式に、俺たちの小宮廷の仲間というわけだ。定時になっても、帰らなくてすむようになったな、ラダック」
 どんよりしている官僚の、藍色のお仕着せを着た姿に、ギリスは機嫌良く話しかけた。
「これで祝勝会の晩餐には、お前も参加するんだろうな。俺たちと同じ飯を食えよ」
 自分のそばを、うろうろと落ち着かず歩き回るファーグリーズを、ラダックは恨めしげに見つめている。
「勝ってもいないうちから、そんな調子のいいことを言わないでください。とっとと行ったらどうですか、エル・ギリス」
「そうしよう。お前の心の英雄を、俺がぎったんぎったんにしてくるよ」
 にやりとして、ギリスはとうとう待ちきれなくなったのか、駆けたがるファーグリーズに、それを許した。隊列の先へ行き、ギリスは三つ子をいたぶりに行った。いや、本人は激励しているつもりだろうが。
「殿下、ご武運を」
 ラダックは浅い略礼をして、仕方なしにという風情で、そう言ってきた。
「褒美が不満だったか、ラダック」
「いいえ。そんなことはないです。ただ、前もって知らせていただきたかったです」
 スィグルは人に命じて、ラダックの持ち物を、本人が働いていて不在の間に、全て宮殿に運ばせておいた。それは単なる悪戯心だったが、もしも事前に、宮殿に住むかと訊ねたら、ラダックは結構ですと言うような気がしたからだ。
 ラダックは骨の髄までグラナダ市民かもしれなかった。宮殿とは一線を画していたいのかもしれなかった。それでもスィグルは、いずれタンジールに戻る時には、この金庫番を連れて行くつもりだった。だが、もしそれに、本人が乗り気でないなら、無理強いもできまい。
「嫌なら別の褒美にしようか。馬がいいなら馬にするけど」
 スィグルが問うと、ラダックはぎょっとした顔をした。
「今から新しいのを買おうというのですか、殿下。冗談でしょ。馬が一頭いくらするかご存じなんですか。必要ないです。私は満足していますから」
「そうか」
 スィグルは微笑した。それじゃあお前はタンジールにもついてくるのだろうな。そういうつもりで見つめると、ラダックは、しょうがないでしょうと言わんばかりのケチくさい顔で、小さく頷き返してきた。
「とにかくですね、殿下。無駄遣いはやめてください」
「なにを言うんだ、ラダック。今日の無駄遣いをするのはお前だろ。今日ぐらいは僕に説教するのはやめろよ」
「私がいつ無駄遣いしたっていうんですか」
「お前のために、牛の目のファサルを買ってやるんだろう。僕に感謝しろよ」
 乗馬用の鞭で肩を突っついてやると、ラダックはさらにうなだれて、こくこくと頷いた。
「ありがとうございます」
「まだ礼は早いよ。僕が勝って戻ったら、そのときに跪いて言え」
 出撃の時だった。スィグルは上機嫌でラダックに命じ、そして隊列に出撃を命じた。
 連弩を積み込んだ守備隊の馬車が、ゆっくりと動き始めた。
 スィグルは見送るラダックを一瞥してから、アイレントランを走らせて、隊列の先頭にいるエル・ギリスを追った。
 振り向くと官僚は深々と一礼していた。
 あの無敵だった金庫番を倒したのだから、と、スィグルは思った。今日の僕には、盗賊など、ひとひねりだろう。首を洗って待ってろよ、牛の目のファサル。お前の首にも縄をかけて、宮殿の頸木(くびき)につないでやるから。
 それはおそらく、一筋縄にはいかないだろうが、少なくともスィグルにとって、広場で首を吊らせるよりは、ずっと簡単なことだった。

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