もえもえ図鑑

2008/09/08

新星の武器庫(33)

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 金曜日には肉を食べようは、案外まともな絵だった。
 それと対になっているという、ギリスが石鹸と抱き合っている絵は、見る者を混乱させるような謎めいた怪作だったが、領主の食事風景は、ごく普通のものだった。
 ただ、それを描いたシャムシールが、描く時点では一度も実際の食事風景を見たことがなかったせいだろう。絵の中のスィグルは、なんとなく幸せそうな淡い微笑を浮かべて、膳に乗った肉を食っていた。
 真正面から描かれているその姿は、シャムシールの画風のせいで、どことなく牧歌的で、のんびりとして見えた。気心の知れた者たちと食卓を囲んでいるように、絵の中の領主はくつろいでいた。
 ただしその両目には、未だに、ファサルの矢が射抜いたらしい傷が、そのまま残されている。首を傾げて、スィグルは実際の自分よりも大きい姿をしている、目を失ったスィグル・レイラスを壁面に見上げた。
「申し訳ございません、殿下。このようなことになりまして……」
 側近くにやってきた市民会の者たちが、いかにも済まなそうに平伏してきた。
 彼らが何を詫びているのか、辻褄の合わない話だった。
「お前たちのうちの誰かがファサルなのか」
 スィグルが訊ねると、市民会の者たちは、一瞬あっけにとられ、それから青い顔をして首を横に振った。
「滅相もございません。私どもは善良な商人や職人ばかりです。盗賊などではございません」
「では謝罪する必要はないだろう。この絵を射たのはファサルなんだから」
 絵を眺め、スィグルがそう言うと、市民会の者たちは、頷いたものかどうか、戸惑う気配だった。
「商売は順調か。なにか問題はないか」
 ついでなので、スィグルは商人たちに訊ねた。
 それには彼らは、戸惑いもせず頷いて答えた。朝儀での報告によれば、グラナダの景気は良いとのことだった。商人たちの顔の、隠しきれない笑みを見れば、彼らの金庫が腹を満たしていることは、言われるまでもなく推察できた。
「殿下がご着任なさってからというもの、大変景気が良く、皆喜んでおります」
 市民会の長はうやうやしく答えた。スィグルはその答えに満足した。
「それはよかった。調子に乗って、品物の値をつり上げるなよ。使用人には俸給を与え、その金で買えるような値段でものを売れ。自分が雇っている者たちが、食い詰めるようではだめだぞ」
「なんという慈愛に満ちたお言葉。殿下のお優しいお心に、みな感じ入っております」
 感じ入っているらしい顔で、市民会の者たちはまた平伏した。
 別にそれでもいいがと、スィグルは思った。そこで黙っておくのも、王族としての甲斐性かもしれなかった。
 しかし、盗賊討伐にあたり、市民のご機嫌を取りに来たと思われるのは、癪だった。
「僕はお優しいわけではない。経済学だ。みんなもっと稼いで、グラナダを富ませろ。それで宮殿の金庫は潤うし、お前たちの金庫も潤う」
 一体どんな顔をするかと、スィグルは市民会の者たちの顔を見つめた。
 彼らはさすが商人だった。
 にやりと笑う顔は、どことなく強欲そうだった。
 それを笑って、スィグルは馬首を巡らせた。彼らはグラナダの好景気を牽引する馬車馬のようなものだ。その食欲が旺盛な限り、鼻先の餌を求めて、彼らは走り続ける。
「あのう、殿下、壁画のほうは、どうなりますでしょうか。ご尊顔の修復を急ぎませんと」
 気遣わしげな顔をして、肉屋組合の長が言った。さすが肉屋の言うことだった。
「そうだな。後日、絵師を遣わすが、今日は無理だ。絵師は従軍するらしい。あいつが戦いに目覚めなければいいが。この絵はなかなか、よく描けている」
 スィグルは広場を振り返り、シャムシールが描いた壮大で、どこか不思議な壁画を見渡した。そこにはグラナダの平和で牧歌的な絵ばかりが描かれていた。絵の中の者たちは、気楽そうに歌い踊り、実った果物をもいだり、泉で沐浴を愉しんだり、市場で新しい服を買ったりしていた。組合の暗躍のため、どことなく金貨が臭うのは否めないが、それでもそこに描かれているのは、かつてスィグルがこの街に望んだような、日がな一日歌って暮らすような、陽気な幻想そのものだった。
 眺めると、目を失った壁画の領主に、その傷を慰めるためか、花と傷薬が捧げられていた。
 絵の傷が痛むわけではなかろうにと、スィグルは微笑した。
 しかし、それは嬉しかった。
 これまで世の中のおおよその者は、自分の痛みを顧みてくれなかった。だがこの都市の者は、傷を負えば薬を塗ってくれるものらしい。
「今日は、盗賊討伐に行ってくる。どちらが勝つか、お前たちは賭けをしているそうだな」
 ふと思い出し、スィグルがそれを訊ねると、市民会の者たちは、また青ざめた。ずいぶん忙しい百面相の連中だとスィグルは思った。
「まだ締め切られていないようなら、悪いことは言わない。僕に賭けろ。儲けさせてやる」
 微笑んで勧め、スィグルは商人たちに別れを告げた。
 見送る彼らは、平伏してから、お互いに顔を見合わせていた。まさかどちらに賭けているか、腹を探り合っているわけではあるまいが、まるでそんなような顔つきだ。
 広場を出るため、スィグルが馬を進めていくと、ギリスが馬上にいるまま、子供らと戯れていた。いつもと違って、いかにも英雄然としたギリスの今日の出で立ちを、子供たちは物珍しがっているようだった。
「行こうか、ギリス。絵は見た。ずいぶん、ぐっさりやられたもんだよ」
「あれを見て腹が立たないお前は変だ」
 非難めかせてギリスは言ったが、スィグルはただ苦笑しただけだった。
 腹が立たないわけではないが、そのために人を殺そうというお前は変だ。たとえ領主がそうしても、誰も不思議には思わないだろうけど。王族としての気位があるなら、むしろそうすべきかもしれないが。
「お前の石鹸の絵のほうが、ずっと変だよ」
「えっ、そうか。俺は案外好きだったけど。シャムシールも気に入ってるらしいよ」
 驚いたふうにギリスは言い、真顔で弁護してきた。その足下に、子供が一人やってきて、鐙(あぶみ)に乗っているギリスの足を、どこか乱暴に突っついた。
「エル・ギリス。ケシュクの子分になったって本当か」
「そうだよ。独楽で負けたんだ」
 真剣に訊ねている子供に、ギリスも真面目に答えていた。
「それなのに今日は領主様の子分なのか」
「ああ、そうだよ。しょうがないだろ。領主が盗賊にやっつけられちゃったら困るから、俺も働かないとな」
「大丈夫だよ、エル・ギリス」
 後ろで待っていた子供たちの中から、誰かがそう励ました。
「王族には矢は当たらないんだよ。だからファサルが勝てるわけないよ」
 そうだと言って頷きあう子供らの顔を見て、スィグルは大変な話だと思った。
 なんとしてもファサルの矢を避けないといけない。どうやらそれがアンフィバロウ家の面目に関わるらしいから。
「念動が使えて本当によかったよ、ギリス」
 スィグルは英雄に耳打ちをした。ギリスは深く納得したように頷いた。
「精々頑張れ。俺も気が気じゃない。あとはお前の守護天使に祈るしか」
 馬上から天を振り仰いで、ギリスはまさに祈るように切実にそう言った。
 曇天には風が渦巻いている。
「祈るんだったら、祈ってもいいけど、僕の守護天使は方角的にはあっちにいる」
 街の北を指さして、スィグルはギリスに教えた。
 人にはそれぞれ、生まれた日ごとに守護する天使がいると、民間では信じられている。
 それは迷信だった。昔はスィグルもその迷信を信じていたが、今では到底そんな気にはなれなかった。
 スィグルが生まれた日を守護している天使の名はブラン・アムリネスと言い、これまで苦難に直面したとき、何度となくその名に祈ったが、助けてくれたことは一度もなかった。
 もし今ここで、ブラン・アムリネスに祈ったとして、彼がなんと答えるか、想像するまでもなく分かる。
 盗賊ぐらい、自分でなんとかしろ、レイラス。
 どうせ、そんなところだろう。当てにするだけ、馬鹿を見る。
「行こう。僕は天使に頼らず、自分の力でなんとかするよ」
 そう言うスィグルに、ギリスが首を横に振ってみせた。
「みんなの力だろ、スィグル。お前ひとりじゃ戦いにならないよ。お前と俺と、みんなで戦えばいいんだよ」
 ギリスが案外真剣なようだったので、スィグルは彼に微笑んでやった。
「そうか。じゃあ、僕は天使に頼らず、お前と、自分と、みんなの力でなんとかするよ」
 みんなと言うのが、自分たちのことかと、餓鬼どもは勘違いしたらしかった。
 威勢良く叫ぶ、子供たちの鬨の声に送られ、領主と英雄はグラナダ市を出撃した。

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