もえもえ図鑑

2008/09/04

新星の武器庫(28)

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 ギリスは金塊の輸送馬車に、幻視術士を潜伏させると言っていた。
 盗賊たちは金塊を運ぶ馬車を襲ってくる。それが走る街道は、崖と砂丘にはさまれた開けた谷にあり、連弩の射程内からの奇襲を行うには、馬車そのものに弩兵を潜ませるのが確実だとギリスは言った。それなら厭がおうにも、盗賊たちは射程内に自ら近づいてくる。
 その案を容れて、部隊は馬車に潜伏する七連射の先鋒と、それを崖上から援護射撃する、二十連射の後衛とに分けることになっていた。崖上が本営で、スィグルはそこで後衛を指揮する。その話に、崖の、なるべく後ろのほうでと、ギリスは付け加えていた。
「幻視術の射程はそうだろうが、敵の鼻をつまめる距離まで肉薄してこそ、英雄の戦闘だ」
 ギリスはなんとなく、うっとりと微笑んで、そう断言した。
「それはお前の趣味だろう」
「そうだけど、とにかくあいつらには糞度胸を教えた方が、のちのち便利そうだから。第一、本人たちが先鋒に参加したがるさ」
 そう言いながら、ギリスは自分の駒を馬車に乗せた。
「俺がここにいれば」
「それもな……お前が行く必要はあるのか」
 スィグルは顔を顰めた。ギリスが矢の一件で、こちらの弱腰を嘆いていたのが記憶に新しかったからだ。
「あるよ。ファサルの両目に至近距離から七連射をぶちこむ」
 案の定、ギリスは好戦的なことを言った。その口調のとおりの顔をして。
「生け捕れといったろ」
 かっとして、スィグルは相手に命じる声で、強く囁いた。
「その命令はちゃんと覚えてる。でも、そのときファサルの目が見えたほうがいいとは聞いてなかった」
「ラダック方式か」
 スィグルが指摘すると、ギリスは満面の笑みで頷いた。
「最低限の損傷で生け捕れ。盗賊たちは、後でまだ使うから。禍根を残すような事は、一切するな」
 ギリスは時として、思わぬことをする。わざとなのか、それとも彼に独特の石による障害なのか、他のものなら言わなくても理解しているようなことを、平気でやって、こちらを驚かせる。
 禍根を残すような事とは具体的になんなのか、もっと説明すべきではないかと、スィグルは逡巡した。しかしそんなことは無限にあった。本人がその場で、判断してくれないのでは無理だ。
 頼むよギリスと、そういう目で見つめると、魔法戦士は素直に頷いた。
「じゃあそうする。約束するから、俺に先鋒での戦闘許可と指揮権をくれ」
「いいだろう。でも、魔法戦の許可はしないからな」
「三つ子はいいのに、なんで俺はだめなんだよ」
 ギリスは試しにごねてみているらしい。許可が下りないことは、彼は経験上よく知っているはずだ。
「お前は三つ子と違って、殺す魔法しか使えないだろ。だからだよ。本当にお前は英雄譚(ダージ)が詠うような、非情な氷の蛇か、無痛のエル・ギリス。時々、僕はお前が厭になるよ」
 いろいろ疲労してきて、スィグルはとうとう愚痴っぽい口調になった。
 ギリスがもうちょっと、まともだったら、自分はもっと楽だったと、時々思う。それが本音だ。
「そう言われても、俺も困るよ。たくさん殺せるのが、英雄の甲斐性だった。お前が俺たちから戦を取り上げる前は。いきなり干されて、どうすりゃいいんだ」
 ギリスは淡々と微笑んで言い、責める口調ではなかったが、スィグルは断罪されている気がした。
 停戦により、自分は彼ら竜の涙たちから活躍の場を奪い、栄誉ある生涯をも奪ったような気がする時がある。それは時々感じるようなものではなく、ギリスの顔を見れば、毎度腹の底でじわりと滲む毒のようなものとして感じられた。その鈍痛のため、ギリスを前にすると微妙にいつも苛立っている自分を感じる。
 気心の知れた友で、野望を分かち合う共闘者だが、心底から腹打ち割って頼り切れる相手ではない。ギリスの、その行き届かないところが、時折どうしようもなく辛い。
 彼がもっと、頭が切れて、頼りがいのある兄のような男だったらよかった。こちらは何も考えず、ぼけっと待っていればいいような。スィグルはそれが自分の本音で、だがもしそんな相手が本当に射手としてやってきたら、きっと一歩たりと独力では走れないだろう自分を感じ、長老会の人選の妙を思い知って、ますます惨めに疲れた。
 ギリスは自分にはふさわしい相手だった。世話が焼けて、それでも頼りにもなる。
「先鋒の指揮権をやる。それで我慢しろ。ただし死ぬな、負傷も避けろ。自軍の安全を優先しろ。盗賊は最悪の場合、逃がしてもかまわない。敗北しても、部族領が侵略されるわけじゃないからな。三つ子たちにも、無茶をさせるんじゃないぞ」
 苛立った気分のまま、スィグルは頭ごなしの口調で、思いつくまま滔々と命じてやった。
「了解了解」
 素直に承諾するギリスは、とりあえずそれで満足できるという顔だった。
 子供っぽい割に、ギリスは大抵、妥協することを知っている。それはどうも彼の処世術だった。
「できましたよ、兄貴(デン)。そっちも決着がついたみたいで」
 こちらの話が終わるのを待っていたような気配で、三つ子たちがやってきた。彼らはシャムシールが描いた絵を、たくさん抱えていた。
「今夜からこれを部屋に貼って、寝るときも抱いて寝ますから」
「風呂にはいるときも、飯を食うときも、ひたすら眺めますから」
「生きて動いているこいつが、夢に出てくるようになるまでね」
 笑いながら話す三つ子たちは、あながち冗談でもない口調だった。
「兄貴(デン)がびびって、禁じ手の氷結術を使うぐらい本物らしいのを、出してみせますよ」
「お前らの幻影だって知ってて、びびるわけないよ」
 愛想もなくそう答えるギリスは、悪気のない真面目さだ。
「それを知った上でも腰の抜けるようなのをですね! 作り出すのが! おそらく幻視術の醍醐味かと!」
「声、でかすぎだから」
 熱弁をふるう弟分(ジョット)たちに、ギリスはとりつく島もなかった。
「俺らの配置は、結局どっちになったんですか」
 ギリスに訊ねる三つ子たちは、甘いものをねだる子供の口調だった。
「俺と馬車だよ」
「げっ。なんで俺らが矢面に! 幻視術なんて後衛でしょ」
 口々に慌てて、じたばたしている三つ子たちは、厭なのか、嬉しいのか分からない態度だ。
「いいぞ、矢面は」
 もっともらしく頷いて教え、ギリスは本気らしい口調で言った。三つ子は青い顔をしている。どうやら本気で厭なのではないかと、スィグルはまた、決定したはずの軍略が不安になってきた。
「怖いって、兄貴(デン)」
「俺ら初陣なんだから」
「まさか死んだりしませんよね」
 訊ねる三つ子は、ギリスが大丈夫だと言うのを待つ顔をしていた。
「死んだらアホだろ。お前らまだ英雄譚(ダージ)もないのに。死んでどうすんの」
 ギリスはあっけらかんとして、そう答えた。
「どうすんのって、どうするもこうするも、矢がざくーっと来たら死にますよ、こことか、こことかに!」
 慌てたように大声で言い、三つ子たちは、心臓やら首やら、一撃で死ねる場所をギリスに示してやっている。そんなことはさすがに、ギリスも知っているのではないかと思えたが、彼らは熱心だった。
「詩人を連れて行ってやるから」
 関係ないと思えることを、ギリスは暴れている三つ子たちに教えた。すると彼らは、なぜか大人しくなった。
「ほんとに?」
「盗賊討伐なんか詩人に詠ませるんですか?」
「そんなもんが英雄譚(ダージ)になるもんですか?」
 口々に訊ねる彼らに、ギリスはいちいち頷いてやっている。三つ子はそんな兄貴分(デン)の顔を、じっと頼るような真剣な目で見つめている。
「それはお前らの魔法しだいだから。頑張れ。いいのが詠めたら、タンジールに送っといてやるよ。誰かに玉座の間(ダロワージ)で詠唱させよう」
 ギリスはにっこりと満面の笑みで、彼らに請け合った。すると三つ子たちも、その笑みにつられたのか、なんとなく気恥ずかしそうにお互いを見交わして、微笑を浮かべた。
 彼らはなにも言わなかったが、初陣の魔法戦士たちが、どうやら覚悟を決めたらしいことが、スィグルには分かった。
 なぜこいつらは、たかが詩に詠んでもらえる程度のことで、納得できるのだろう。スィグルにはそれが、納得がいかない。長年続けられた、当たり前の習わしだろうが、英雄譚(ダージ)のために死ねる者たちの気持ちは、理解できない。
 シャムシールが遅れて、少々疲れた顔をしてやってきた。
 絵師は巻物にした、大きな紙を携えていた。
「ついでですから、こっちの下絵も見ていってください。とりあえず仕上げてみました」
 絵師が巻紙を拡げると、大きな紙に描かれていたのは、ギリスの肖像画の下絵だった。
 普段の彼がそうしているように、平服に身を包み、グラナダ宮殿の謁見の間の、玉座にあがる石段の途中に、絵の中のギリスは腰掛けていた。
 朝儀を聞いている時の、ギリスの顔だった。ぼけっとしたような真顔で、ギリスは自分の膝に頬杖をつき、お世辞にも行儀がいいとは言えない姿で描かれている。
「なんだこの、やる気のなさそうな絵は……」
 スィグルは思わず、率直な感想を口にしていた。絵師は苦笑した。
「はぁ、エル・ギリスの二十歳の肖像画です。この下絵でよければ、彩色して仕上げます」
「これを部族の英雄の肖像として、永久に残そうというのか、シャムシール。お前も冒険家だな、絵師として。せめて、嘘でも正装させたらどうだ。背景もここじゃなく、玉座の間(ダロワージ)にしたら……って、それはまずいか。こんなところに座っているんじゃ不敬だからな」
 スィグルの言うことに、シャムシールはいちいち頷いていた。
 どういうつもりで、シャムシールがこれを描いたのか、スィグルには見当もつかなかった。
「当初は、軍装をおすすめするかと思っていたんですけど、相談の結果、エル・ギリスが普段のありのままの姿にすると決めたので。謁見中の絵にすることにしたのは、僕が勝手に選んだんですけど。気に入りませんか?」
 シャムシールはスィグルでなく、ギリスに感想を求めた。
 彼の肖像なのだから、本人の意見を聞くのは、もっともな話だった。
 ギリスは特に不満もないようで、にこにこして、自分の絵を眺めている。
「いいんじゃないの、これで。いかにもグラナダ宮殿の平凡な一日の俺。案外これが、生涯の縮図かもしれないじゃん」
 どこか妥協したような響きのするギリスの声を聞き、スィグルは自分を即位させるという、射手(ディノトリス)の顔を改めて見つめた。
 よく知っている顔だった。毎日いやでも顔を合わせるのだから、見飽きても当然だ。
 スィグルは、ふと気付かされた事実に、なんとなく衝撃を感じて、ギリスに訊ねた。
「お前、もう二十歳なのか」
 タンジールの王宮で、最初に自分の前に現れたとき、この男はまだ十六歳だと言っていた。
 あれから、あっという間だった。
「そうだよ。もうすぐ俺の誕生日らしいよ」
 ギリスはなにやら、他人事のように言った。
 英雄たちがなぜ、二十歳のころに肖像画を描くのかについて、宮廷で育ったスィグルにとって、それは常識の範囲だった。
 運による。個人差があるがと、英雄たちは必ず前置きをする。
 しかし二十歳を過ぎれば、そこから先は、竜の涙の晩年だ。
 蒔(ま)いた麦を、刈り取るべき時がやってきたと、詩人たちは好んでそのような慣用句を用いる。残る巻の少なくなった英雄譚(ダージ)に、決まってそれは現れる。
 千里眼のディノトリスは、二十歳で死んだ。
 古の世なら、ギリスはそういう歳だった。
 スィグルはシャムシールの下絵を眺めた。そこに描かれたギリスは、うんざりするほど見慣れた姿をしていた。
 この絵をいずれ、遠い過去に一瞬にして過ぎ去った時代として、見つめるかもしれない自分のことに、スィグルは思い至った。
 それはとても、いやな想像だった。

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