もえもえ図鑑

2008/09/05

新星の武器庫(29)

←前へ

「今日は木曜だろ。木曜だよな?」
 ギリスは晩餐の食卓を見て、まるで空が割れて落ちてきたかのように驚いた。
 三つ子たちはシャムシールに絵をもらってから、本人たちが誓ったとおり、片時もその絵を離さず、まるで試験の前夜の学生のごとく、紙の上の守護生物(トゥラシェ)を睨んで過ごしていた。
 食事時にもそれでは、さすがに不敬と思ったのか、以来彼らは領主との会食を辞退してきていた。祝勝の豪勢な食卓に戻るまではと言って、勝ったらご馳走を食わせろと仄めかすのも忘れずに。
 それを言われて、スィグルは彼らが腹が減っているらしいことに、やっと気付いた。
 三つ子を食卓に招くにあたって、ギリスが、序列の低い彼らのために、領主の食習慣を変える必要はないというので、面倒だからそれを真に受けていた。
 だが、考えてみれば、彼らはほんの少し前まで、玉座の間(ダロワージ)の美食に親しんでいたのだし、グラナダ領主の粗餐に満足できるわけがなかった。
 そして、さらにスィグルは気付いた。これまで、金曜日のギリスの機嫌が良かったことに。
 ギリスはいつでも大抵、機嫌のいいやつだが、金曜日はとびきりだった。それにシャムシールの市場の絵のことが、頭の中でつながって、やっと理解できた。
 こいつも腹が減っているのだということに。
 そういえばギリスは、タンジールにいた頃、晩餐のときに王族の末席にいる自分の所にやってきて、族長の膳を別にすれば、その場で最上級の美味のはずのものを、客用の膳からたらふく食っていた。王族の席には、気に入りの者や、継承争いの支援者を侍らせるための客用の膳が常にあったが、スィグルの席のそれは、従来、いつも誰の腹に収まることもなく、無駄に乾いていくだけだった。
 ギリスがそれを食いたいというなら、食わせてやっても別段困ることはなかった。
 彼はそこに、野望の話をしにきているという建前だったが、単に、より豪勢な飯が食いたいだけではないかという気が、時々していた。ギリスは食い意地が張っているらしいのだ。
 ではグラナダでの暮らしは、ギリスには、さぞかし切なかっただろう。
 今までどうして文句を言わなかったのか、不思議だった。たぶん、こちらに付き合っていたのだろう。
 明日はいよいよ盗賊討伐なので、今夜は厭でも、体力のつきそうなものを腹に入れておくかと思い立ち、侍従に命じて、料理番にそう伝えようとした瞬間になって、スィグルはやっと一連の情報の関連性に目が開いたのだ。
 腹が減っている三つ子、金曜日には肉を食べよう、いつもより機嫌のいいギリス。
 そろえて考えてみると、自明のことだった。自分は勘のいいほうだと、スィグルはずっと信じていたが、実は猛烈に鈍いのではないかと、生まれて初めて思った。
「なんで木曜なのに肉なんだ。しかもご馳走だよ」
 食事のために支度された領主の居室で、普段の三倍はある、いくつもの膳に並んだ料理を前に、ギリスは夢見るような顔をして、うっとりと匂いを嗅いでいる。女官がすぐ目の前で肉を焼いているからだった。
 やっぱりそうだったかとスィグルは納得した。
「ギリス、お前、肉が好物か」
 訊く必要はなさそうな、垂涎の顔をしているギリスに、スィグルは一応訊ねた。
「そうだよ。知らなかったの」
「知るわけない。お前がそんな話をしたことがあったか」
「お前と食い物の話なんかするわけないだろ。興味ないんだから」
 そう答えながら、ギリスは焼けた肉を切り分けている女官の手元を、食い入るように見ている。飢えている英雄の膳に、薄く切った牛の炙り肉の皿を置いてやり、女官はギリスに好みの薬味を選ばせた。肉にどれを合わせると、どんなふうに美味か説明している彼女の、薄青い目を見上げるギリスの視線は、どう見ても崇拝の眼差しだった。ほとんど礼拝といっても良い。
「もう食っていい? 食べてもいいでしょうか、レイラス殿下」
 早く料理に口をつけろとギリスは促しているのだった。宮廷の儀礼によれば、目上の者より先に食事に取りかかってはならないからだ。
 忙しないなと思いながら、スィグルは答える代わりに、自分の膳に置かれている前菜を食べた。
 それを見るやいなや、ギリスはにっこりと微笑み、とにかく肉を食った。
 スィグルは金曜には確かに肉気のものを膳に置かせるが、それは儀式のようなものだった。妙な約束だが、礼拝のある金曜には、肉食するようにと、学院のころにシュレーに約束させられているからだ。
 当時は、生きて動き回るものの死骸を食うのが耐え難く思え、肉も魚も、見るのもいやだったが、近頃はそれほどでもない。肉屋組合の者には悪いが、実は領主は魚がお好みだった。
 シュレーの説のとおり、侍医たちも、体を維持するには肉か魚を摂った方がよいという意見だったので、スィグルはそれに従って、膳には魚料理を入れるように命じてあった。
 だから別に、そのうえ肉を食う必要はない気がしたが、金曜日の明け方、聖堂で天使像を見ると、偏食を理由に約束を破るのも、不甲斐ない気がした。それで儀式を続けていたわけだが、肉が主菜として食卓にあがることは無かった。見るのも不快なのは、未だに変わらないからだ。
「どうしたんだよ急に。肉嫌いが治ったのか」
 さっさと主菜から平らげた英雄のために、女官は新しい肉を切り分けてやっている。ギリスはそれを、至福の微笑で見つめていた。
「いや、そうじゃないが。言えばよかっただろう。肉が食いたいなら。水くさいやつだな、お前は……」
 女官が膳に皿を置くのが待てないのか、ギリスはにこにこしながら、皿を直に受け取っている。女官が苦笑なのか、かすかな笑みをもらした。皿には彼女の情けか、ずいぶん多めの肉が盛ってあった。
「一生のうちに、食事できる回数には限りがあるだろ。どうせなら、好きなものを食えばいいだろ。お前まで僕の偏食に付き合う必要はないんだから」
 にこやかに、ぺろりと薄切り肉を食らうギリスは、牛を一頭でも平らげそうな気配がした。スィグルはそれを、うんざりとして見つめながら話していた。肉を焼く匂いがいやだったからだ。しかしその悪臭も、どことなく懐かしかった。学院の食堂で食べていた頃は、いつも厨房から、こんなふうな匂いがしていた。
「まあ、でも、決戦の前には、ひとつの鍋から分け合うものさ。族長も、みんなと同じものを食ってるだろ。あれはそういう流れさ。俺たちにも、毎日が決戦みたいなもんだろ」
 要領を得ない、ギリスの話に、スィグルは目を瞬かせた。
「その話は知らない」
「そうだっけ。従軍してりゃ誰でも知ってるんだけど。お前の親父は決戦の前には、兵士といっしょに飯を食ってたんだぜ。一兵卒の食うもんを。それで先陣に立つわけだから、族長はほんとにやり手だよ。その夜には、将軍も魔法戦士も、族長といっしょに兵の飯を食うわけさ。まさか族長よりいいもんを食うわけにいかないもんなあ」
 嬉しそうに肉を食いながら、ギリスは話した。食うか喋るかどっちかにするほうが、儀礼に適うのではないかとスィグルは思ったが、話を聞きたいので、口を挟まないでおいた。
「死ぬ気で戦うときは、身分は関係ないと、お前の親父は言いたいわけさ。族長にそこまでやられたら、どこぞの田舎から徴兵されてきた新兵なんか、その場で昇天ものだったろうよ。喜んで死ぬさ」
 戦場でのリューズ・スィノニムの姿が、まったく想像がつかず、スィグルは悶々とした。見知っているのは軍記物の絵巻になっている様式化された場面だけだ。
 宮廷では、父は序列を無視はしなかった。皆に気さくだったが、玉座の間(ダロワージ)を支配している宮廷序列に、父も支配されていた。
 どんなに幼かった頃でも、スィグルは父と並んで食事をとったことはなかった。その権利はあったはずだが、広間より高い場所にある玉座のそばへ行くには、大理石の石段を上がらなければならず、その最初の一段に足をかけることさえ、スィグルには勇気の要ることだった。
 なぜなら兄弟たちの目が、それを見ていたからだ。たったそれだけのことが、継承争いの宣戦布告と受け取られるからだった。
 幼い頃には、気の弱かった母が、玉座の間(ダロワージ)で目立ってはならないと、いつも自分や弟を諫めていた。他より目立てば、排斥されるかもしれないからだ。
 息子たちのことも心配だったが、たぶん母は後宮でつらかったのだろう。広間(ダロワージ)で我が子が目立てば、女たちの世界で、そのしわ寄せがあったのだろう。
 父がそれを察していたかどうか、知るよしもないが、父は全ての息子たちを平等に扱った。見所があれば、呼び寄せて誉めもしたが、長い目で見れば、それは短い栄誉だった。父は順番に全員を誉めたからだ。一時の勝利感に酔っても、どうせすぐに他の競争相手が褒めそやされる姿に、歯ぎしりする羽目になった。
 それがスィグルの知る、宮廷でのリューズ・スィノニムの実情だった。
 その父が、戦地では、誰か一人か二人か、特定の兵士と並んで飯を食ったというのか。無限に横たわる序列を飛び越して。
 信じがたい。
「族長の絶妙なところは、それをわざとやってるようには見えないところさ。本当に、そうやりたくて、やってるように見えた。案外本気で喜んでたのかも。自分の兵と同席することに」
「父上は、部族への慈愛を示されたのだろう。士気を高める目的で。そうじゃないなら……」
 言いよどんで、スィグルは言葉をのみこんだ。
 そうじゃないなら、ありえないだろう。自分の血を分けた息子とも同じ膳を分かち合わない父が、王族である身分も顧みず、卑しい平民どもと同じ鍋から兵糧を食うなど。そんなのは、あまりにひどい話ではないか。
「お前も父上と、戦場で同じ鍋を囲んだ仲というわけか、ギリス」
「うん。初陣の時にな。先頭で突撃したいと言ったら、じゃあそうしろと言われた」
 けろっと教えられて、スィグルは顎が落ちそうになった。
 確かにギリスの初陣を語る英雄譚(ダージ)には、彼がたった十四歳の少年兵でありながら、歴戦の魔法戦士たちを率いて、激戦の敵陣へ突撃した話が物語られている。
 スィグルはそれも、悲惨な話だと思っていた。ギリスの魔法が強大なので、それを敵陣突破の頼みとして、やむなく父が命じたのだと思っていた。なんだか哀切な調子のからむ詩だったせいもある。
「では、お前が志願したから、父上はお前を先頭にもってきたのか」
「そうだよ。イェズラムがそうしろって言ったんだ。族長に先頭を志願してみろと。たぶん、そういうやつが族長の好みなんだろう。実はイェズと示し合わせていたのかもしれないけどさ。とにかく族長は俺の氷結術を気に入って、ヤンファール戦線では俺はかなり英雄譚(ダージ)を稼いだ。行くとき無名だったけど、タンジールに戻るときには、無痛のエル・ギリス様の凱旋さ。それなら長老会も文句はないよ。俺が射手だってことに。あたかもエル・イェズラムの再来、だからな」
 ギリスは言い終えながら、得意げに喉をそらして、微かにうっふっふと笑った。ギリスが声を上げて笑うのを、スィグルは初めて見たような気がした。でもそれは、陽気な笑い声ではなかった。たぶんギリスは、可笑しかったわけではなく、自分の話に快感があって笑ったのだ。
「信じがたい話だよ。エル・イェズラムはお前の親みたいなものだろ。どうしてお前を、そんな危険な目にあわせたんだ。ひどい話だと思わなかったのか。死んだかもしれないんだぞ」
 スィグルが思わず叱責する声で問いかけると、ギリスはきょとんとして、真顔になった。
 そのままギリスは、考え込んでいるようだった。ものを考えている時のギリスは、表情が乏しく、ぼんやりしているように見える。
 そうやって、しばらくぼんやりとしてから、ギリスは口を開いた。
「初陣で死ぬなら、俺の運もそれまでだった。イェズラムは俺を選んで、勝負に出たんだろう。ヤンファールで快進撃できれば、俺は族長に恩を売れると、そういう話だった」
「なぜそうなる」
 スィグルは眉を寄せた。分かるようで、分からない話だった。どんな戦でも、めざましい活躍をすれば、族長はそれを重く受け止めただろう。それなのに、ギリスはまるで、彼の初陣だったヤンファールの戦いだけが、特殊なような口ぶりだ。
 訊ねられて、ギリスは不思議そうな顔をした。
「なぜって。お前、賢いくせに、親父のこととなると、案外鈍いのな。族長はお前を助けたかったんだよ。その頃、敵にとっつかまって、敵地にいたろ。イェズラムは遠視者を総動員して、お前と弟を見つけさせた。それで生きているうちに奪回したくて、族長は内心、猛烈に焦っていたんだ」
 ギリスの話は、スィグルには初耳だった。
 考えてみたこともなかった。考えてはならないと思っていたのかもしれない。
 父は失地を回復するために数々の激戦を行った。ヤンファールの戦いは、そのうちの一つにすぎない。自分と弟は、たまたまそれで助かったが。それは、父が意図しての事ではない。たまたまだ。
「そんなことをする必要があったのか……僕やスフィルを助け出すために、激戦をする理由が」
「その当時はなかったさ、お前はまだ新星じゃなかった。でも結果的には、俺も張り切っといて良かったよな。お陰で今夜は肉が食えるんだし」
 ギリスの話は飛躍していた。その途中にある経過に、ギリスが興味のない証拠だった。
「ヤンファールの戦いは相当な激戦だったはずだ。死者も多かった。お前それが僕のせいだっていうのか」
「いやいや、お前と弟とで、半分こだろ?」
 さすがに肉に満足してきたのか、ギリスはやっと前菜に手を出した。
「スィグル、お前はさ、変なところでお堅いよ。王族らしく、自分に気持ちのいいように解釈したらいいんじゃないの。父上は僕のために必死になってくれたんだ、他は尊い犠牲だった、みたいにさ。そしてお前も親父のような、立派な族長になって、この星のために喜んで死ねると兵が身悶えるような、すごい戦なり治世なりをやれば? それで帳尻が合うだろ。お前が巨星として輝けば、ヤンファールで石になったやつらも報われるさ」
 ギリスはいつにない饒舌で、にこにこと機嫌がよかった。それが肉食のせいかどうか、もう怪しかった。

→次へ
←Web拍手です。グッジョブだったら押してネ♪
コメント送信

 
本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース