もえもえ図鑑

2008/09/04

新星の武器庫(27)

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 金曜を目前にして、軍議は大詰めだった。
 シャムシールは、にこにこと楽しげに、画帳に書き散らした絵を、三つ子の魔法戦士たちに振りまいてやっている。
 宮廷絵師に対しての感想としては、侮辱とも取られかねないが、シャムシールは絵の上手い男だった。それを何と誉めてやったものか、スィグルは困った。器用というか、なんというか。
 三つ子が幻視術を操るにあたって、当初、それが実際に見たものでなければならないのか、という話になった。彼らは初め、記憶を頼りに、過去に実際に目にしたものだけを、幻影として現していた。
 しかし記憶の中の影と、そうではないものの差とは、いったい何なのだろう。
 幻視術を使う時、生み出すべき幻の姿を、脳裏にありありと思い描ける必要があると、三つ子たちは口をそろえて言った。そして、それは主に、視覚による記憶であると。
 それなら絵でもいいのではないかと、スィグルは思いつき、シャムシールに彼らに何か、課題になる絵を与えるようにと命じた。
 果たしてその読みは、正解だった。
 三つ子たちは、大道芸よろしく、シャムシールが描いてみせた絵を、次から次へと、幻影にして見せたという。
 ただしそれには、ひとつの条件がある。同じ物体や人物を、できるだけ様々な角度から描いた正確な絵が、必要だということだった。幻を本物らしく見せる鍵は、見本から得られる情報の量にあるらしい。
 スィグルは、彼らの幻視術のために、シェルの守護生物(トゥラシェ)の絵を何枚も描いてやる訳にはいかなかった。
 初めは、描いてやろうとしたのだが、巨大な守護生物(トゥラシェ)の実在が、ギリスにはよっぽど気になるのか、ただの興味ではない目で、手元をじっと見られると、スィグルにはすぐ嫌気がさしてきた。
 乗り手はどこに乗っているのかと、ギリスが考えていることは確実だからだ。
 あくまで彼は魔法戦士で、そして守護生物(トゥラシェ)殺しの英雄だった。
 そんな自分の氷結魔法が、まるごと凍らせては仕留められない規模の大物が、この世に実在するのであれば、一撃必殺の急所を知りたい。そう思うのは、ギリスの習性のようなものらしかった。
 そういう男の目の前で、四方から余さず描いて見せるには、スィグルの絵は嘘をつくのが下手すぎた。自分でも、どういう訳か分からないが、見たものをそのまま描くことしか、スィグルにはできなかったからだ。
 ギリスは守護生物(トゥラシェ)というものを、実戦で見てよく知っている。正直に描かれた絵を見れば、どこが乗り手を格納した嚢(のう)なのか、一目瞭然だろうと思った。
 だから、もしそれを描けば、紙に現れるのはただの落書きではすまず、シェル・マイオスにとっての軍事機密だった。
 この先、ギリスがシェルと絶対に出会わないということは、断言できない。むしろ、そういう機会があればいいという気もする。
 もしも、幸いにして将来そういう時がやってきたとして、あのにこやかな森の友が、こちらの友に気さくに挨拶をし、それに答える氷の蛇が、相手をどうやって屠ろうかと、内心に想像するようでは、スィグルは何ともいえず不快だった。
 それでスィグルは、見たこともないものを、お前は描くことができるかと、絵師シャムシールに訊ねた。描けると絵師は言った。
 その端的な返答より始まって、シャムシールは描いていた。
 今までの生涯で、たったの一度も戦場に立ったことがなく、本物の守護生物(トゥラシェ)を見たこともない男の筆が、次から次へとシェル・マイオスの守護生物(トゥラシェ)を描き出していく。
 そこに描かれているものを見れば、スィグルには、その絵が細部ではでたらめであることが、すぐに見て取れた。それゆえ、その絵は気楽なものだった。
 絵師は適当に描き、好きなように色を塗った。それでも、その絵はいかにも、現実らしく見えた。
 お前は一体、見たこともないものを、どうやって描いているのだと、スィグルはそれがあまりに不思議で、絵師に訊ねてみた。
 するとシャムシールは言った。
 想像して描いているのです。
 僕は自分が想像できるものは、なんでも描くことができます。
 白い紙と絵筆さえあれば、あたかも創生神話の天使たちのごとく、あらゆるものを生み出せるのです。
 そういうふうに考えるのは、たぶん、ちょっと異端的ですけどね。
 秘密めかせて、そう笑う絵師は、たくさん描き続けて、くたびれているようだったが、やはりいつもと同じように、絵筆を握ってさえいられれば、楽園の中に座っているかのように見えた。
「あいつは、俺の弟分(ジョット)どもが気に入ったようだよ」
 絵師の工房の机に腰かけて、ギリスはやや離れた位置から眺める三つ子の幻視術士たちと、彼らに絵を与えるシャムシールを見つめている。そのようだと思って、スィグルは小さく頷いて答えた。
「壁に三つ子の兎が増えている。お互いのケツを枕に眠ってる三つ巴の毛玉みたいなやつが」
 そう教えられて、スィグルはその絵を探したが、見つからなかった。絵師の工房はあまりに雑然として画布やら何やらが壁を覆っており、空いている壁は兎だらけだった。
「ここへ油を売りに来て、やつらはシャムシールに、兎の群れを出して見せたらしい。この部屋を走り回るやつを」
「お前の弟分(ジョット)たちは、僕の命令を全く意に介さないらしいな。そんな遊びで、幻視術を使うとは」
 むっとして言いながら、スィグルは自分の掌に、小さく作られた王族の人形を乗せて眺めた。
 それは軍略を練る際に用いる、模型の上に並べるための、将兵を現した駒だった。
 シャムシールは手先が器用らしく、自分の工房に、輸送馬車を見下ろす断崖の模型を白い砂と漆喰で作ってくれた。輸送馬車やら盗賊は、軍議用の駒にはもちろん用意がなかったので、工房のそこらへんにあった材料で、三つ子たちが面白がって制作にいそしんだ。
 彼らの力作の、牛の目のファサルには、当然のごとく、殿下の忠実なる盗賊と記された紙の短冊が、旗印のように背に差してある。盗賊ファサルと書くところが順当だが、スィグルは今さら三つ子の浮かれた悪ふざけに小言を言う気にはなれなかった。
 絵師が想像力を使う間、こちらはこれでギリスとお人形さんごっこだ。
「堅いこと言うなよ。あいつらは、今までの一生ではじめて、自分に自信を持ったんだから。魔法を自慢したいんだよ。お前はやつらの治癒術がどれだけチンケか知らないんだろ」
 やんわりと言うギリスは、三つ子をかばってるような口ぶりだが、本音では自分も彼らのことが、自慢に思えるようだった。
「それでも彼らは今も、治癒者として、長老会の名簿に載っているのだろ」
 微かに不機嫌になり、スィグルはそのことをまた気に病んだ。
「そうだよ。どうも幻視術が発露したことは、誰にも秘密にしてたらしいから」
 答えるギリスは、自分の手に、金色の文字で象眼された名札を背負った、魔法戦士の駒を握っていた。金の文字が描く名は、もちろんエル・ギリスだった。
「その治癒者に、未登録の幻視術を使わせることに、問題はないんだろうな、お前たちの仲間内では」
「俺たちの仲間内には、掟はあって無いようなものだよ。やったもん勝ちみたいなものさ。それに俺の下でやるんだ、長老会も文句はないよ」
「しかし父上の魔法戦士だからな……。万が一にも、幻視術のせいで、あいつらに何かあるってことは、ないんだろうか」
 気が進まないなと、スィグルはいまだに渋って、三つ並んでいる魔法戦士の駒を眺めた。それにはまだ、黄金で象眼された名札はなく、彼らがそれぞれ紙に手書きした文字で、エル・カラール、エル・アミール、エル・ルサールと記されていた。
「遠慮すんな。あいつらはお前の魔法戦士だ。そのつもりでグラナダへ来たらしいから」
「そんなこと本人たちの一存で決められるのか」
 スィグルは少し、驚いて訊ねた。竜の涙たちは、長老会の独裁のもと、統率されているのだと思っていた。エル・イェズラムが生前、長老会の長だった頃には、そのように見えたからだ。
「決められる。あいつらはまだ若い。お前が治める新時代のほうに賭けたんだ」
 えい、と小声で言って、ギリスは自分の駒で三つ子の駒を蹴散らした。三体の小さな人形は、あっけなく卓上を転がった。それが、ひどいひどいと言っている様子が、スィグルには容易に想像できた。
「これからは、そういうのも増えるだろう。初めはああいう、ひよっ子ばかりだろうけどな。いずれは、俺を長とした新しい派閥ができるさ。お前を即位させるための」
「アホばっかりか」
 うんざりとして、スィグルは毒づいた。ギリスは微笑していた。
「アホでも、竜の涙は一人に一票、新族長を選ぶための投票権を持ってるんだよ。派閥内に頭数がそろえば、力業にも持ち込める」
「それは族長がいっさい継承者を指名せずに不慮の死を遂げた場合だ」
 ギリスがまた継承の話を持ち込んできたので、模型を見るふりをして、スィグルは彼から、顔を背けた。彼とともに、族長位を狙う約束ではあるが、ギリスの確信に満ちた牽引力が、スィグルには時々、気が重かった。
「お前の親父は本当にまだ誰も指名してない。イェズラムは内々にお前を推したが、族長は返答しなかったらしい。まんざらでもなかったようだが、でも、それだけだ」
 これから戦う戦場の、にわか作りの模型に、お互いの身をかがめ、新星の射手は、スィグルと見つめ合った。ギリスの氷のような色合いの、灰色の蛇眼が、絵師の工房のふんだんな陽の光を浴びて、針のように瞳を細らせていた。そうなるとギリスの顔はひどく、酷薄そうに見えた。
 その顔で微笑み、ギリスは囁いてきた。
「グラナダの話は、玉座にも聞こえている。精々ぶちかまして、族長を口説きおとせ、スィグル。お前の親父は、本音ではお前を選びたいんだ」
 その話は、スィグルの胸の内奥を甘くくすぐるようだった。
 長年、そうであればいいと願ってきた事実だ。
 たくさんいる継承者候補の中から、父が自分を選ぶ。いつも遠い玉座に座し、憎いほど平等でいた父が、いつものあの美声で、俺は十七人の息子を持ったが、お前をいちばん気に入ったと言って、自分だけに、その隣に侍ることを許す。敗れた兄弟たちの見つめる、あの広間(ダロワージ)で。この、自分だけに。新星としてふさわしい頭角を現した、この、自分だけにだ。
「やめろ、そんな話は。肩に余計な力が入るから」
 スィグルはギリスの話題を押し返し、転がっていた三つ子の駒を、輸送馬車に乗せた。
「こいつらは、本当にこっちでいいのか。崖の上でもいいんだろ、射程の点では」
 脳裏に押し寄せてきた、都合のいい妄想を振り払う早口で、スィグルは話した。
 現実に立ち返ると、甘い酔いの残滓で、スィグルはなんだか頭がくらりとした。
 それをギリスは、細めた目で、微笑して眺めていた。
 やつらが玉座の間(ダロワージ)で吸っている、麻薬(アスラ)というのは、もしやこんな味なのかとスィグルは思った。

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