もえもえ図鑑

2008/10/05

名君双六(1)

 朝から頭痛がした。
 不意に強い痛みの脈を感じて、イェズラムは顔をしかめた。
 右目の少し上あたりから、頭の奥の方まで、何かが長く鋭い牙で食らいついているような、呪いめいた静かな頭痛が、ゆっくり脈打つように続いていた。
 イェズラムには近頃、よくあることだった。
 放っておけば治るだろうと思ったものの、すでにもう昼を回り、治まる気配はしない。このまましばらく、居座るつもりのようだった。
 やむを得ないから、麻薬(アスラ)を使うかと、イェズラムは考えた。
 無闇と薬に頼っていては、無駄に寿命を縮めるだけと、常用するのを避けていたが、このまま痛みを堪えて、険しい顔をしていては、周りに機嫌を伺われるばかりで、今ひとつ仕事にならない。
 戦地から久々で、王都タンジールに帰還し、半年ばかりの留守の間に、うんざりするほど山積していた物事に、日々追い立てられていた。
 戦線の敵は、夜になれば退いていったが、王宮の敵は、夜も眠らない。昼は玉座の間(ダロワージ)において、至高の玉座に座る若き族長リューズの、高貴なる白い面(つら)にも心底からはひれ伏さず、舌鋒するどく怒鳴りこんでくる不忠者たちを迎撃し、夜は夜で、これこそ治世の一大事ともったい付けて、居室の戸を叩く者どもに、眠たい顔を見せる訳にはいかなかった。
 それだけでも頭が痛いところに、この頭痛ときては、さすがのイェズラムも疲弊した。
 今は王宮にいて、魔法も使わないのに、なぜ石が痛むのか。その理由は以前、診察をした典医から聞かされていた。
 石が痛むのではなく、目が痛んでいるらしい。確かに頭痛がするときは、目を開けているのもつらいような気がした。
 透視をする者が視たところ、初陣よりの連戦で、やむなく濫用した大魔法のために、着実に育ってきた石が、今では右目の傍まで迫ってきており、それがいずれは目玉を含めた反面を奪っていくだろうというのが、医師の見立てだった。
 隻眼になるのに不都合があれば、魔法の使用を控えるしかないが、というのが、無駄口を聞く宮廷の医師の言い分であったが、職務上、他に言えることもなかったのだろう。いかにも不機嫌なひと睨みで、許してやるほかは仕方がなかった。
 どいつもこいつも、救いようもなく愚かに思えた。
 部族の英雄として戦う魔法戦士に対して、魔法を控えろとはいかなる意味か。英雄をやめろということか。やめていいなら、いつでもやめるが、それでどうやって戦に勝つのか。いったい誰がお前らのために血を流しているのか、王宮の者たちはいつも、そのことに疎すぎる。
 一時は王都を陥落せしめるかという勢いで迫っていた敵も、族長リューズの奮闘に圧され、今ではかなりの撤退を強いられていた。長年の敗色を急激に塗り替える快進撃の波に乗って、全軍の志気はにわかに沸騰していた。
 今この時をおいて、奪われた版図を回復できる時はない。起死回生の好機を逃すことなく、命を惜しまずに、名誉の戦(いくさ)を戦うべき時だった。
 そんな時局にあって、たかが己の片目が惜しくて、炎の蛇は戦をやめたというのでは、兵たちは呆れ、英雄たちの面子は丸つぶれだろう。
 それよりはまだ、石に顔をつぶされるほうが、幾らかましというものだった。その頃には今よりずっと、魔法戦士の重鎮(デン)にふさわしい面構えになっていることだろう。その挺身の権化のような面(つら)で、長老会に君臨するというのも、まあ悪くない絵だ。
 それも、もちろん、そんな時期までイェズラムが生きていられればの話だった。
 戦場での華々しさも重要だが、宮廷にもまだ仕事はうずたかく残されている。族長リューズはまだほんの二十歳で、一人で治世を担わせるには心許なさがあった。戦場での奮闘はめざましいが、玉座ではまだまだ奥手だ。イェズラムがべったり横にはりついて、睨みを効かせていなければ、いつも朝儀は雑然と混乱した。
 景気のいい英雄譚(ダージ)に調子づいて、うっかりくたばっている場合ではない。自重しなければ、もともと限られた命だ。
 確かに医師の言うように、そろそろ多少は、魔法を手控えなければならないか。
 名か実か。そのさじ加減が、難しいところだ。何もかもをつかみ取れるほど、運命は竜の涙に優しくはない。
 そう思いながら、ますます難しい顔になり、イェズラムは愛用の長煙管に葉を詰めた。
 最奥の上座から見渡した派閥の部屋(サロン)には、様々な年頃の魔法戦士たちが集まっていた。皆、イェズラムのことを長(デン)と呼ぶ立場の者たちだった。
 元服を済ませた者たちは、初陣の声がかかる十五、六の年頃までに、自分が属する派閥を決める。大抵は縁のあった年長者のいるところへ、選ぶともなく入るものだが、強い魔法を持っているとか、抗争のための頭数をそろえるためなど、何らかの理由によって、半ば強引に連れてこられる者もいる。
 どんな理由で来たにせよ、いったん属してしまえば、よそへ移るのは難しかった。あいつはあの部屋の者だと、周りが思えばそれまでで、たとえばこの部屋(サロン)に一度でも居着いたことがある者は、広い王宮のどこへ行こうが、あれはエル・イェズラムの息のかかった者だと見なされ、イェズラムの敵からは、その者も敵と見なされる。
 その逆のことも当然あるだろうが、イェズラムが知る限り、宮廷というところでは、属する派閥のことは、各個人に有利に働くよりも、厄介に働くことのほうが多かった。
 だから誰しも皆、外を歩くときには、保身のための徒党を組んだし、用がなければ派閥の部屋(サロン)に引っ込んでいることが多かった。そのせいでこの部屋は、いつ何時でも有象無象のたむろする、うるさい場所だった。
 頭痛のせいか、今日はとりわけ人の話し声が耳につく。
 暇を持て余した年長者に乗せられて、若いのが熱弁を振るっていた。
 煙管に火を入れようとしながら、イェズラムは意気も高く話している、十五かそこらの小僧を見やった。
 まだまだ青臭い石をしており、確か名前はジェレフと言った。治癒の才が並はずれているというので、誰かが引っ張ってきた一人だった。普通新入りは、扉のそばの末席にいるものだったが、ジェレフはうっかり外に漏れないようにだろう、部屋(サロン)の奥も奥の、年長者の群れる中に取り込まれていた。
 治癒者は派閥には欠かせない存在だ。彼らは戦地ではもちろん、宮廷においても有用な魔法を振るい、それによって時には貴人に取り入れるというので、少なくとも一人二人は抱えておきたい術者だった。
 しかし、そもそもの頭数は限られており、一人でも多くと欲張る派閥間で奪い合われて、だいたいは幼少期から目をかけられ、甘やかされて、いい気になっているような連中だった。
 中には戦地で、日頃気の食わない政争の敵が倒れるのを、見て見ぬふりをするような、性根の腐ったのもいた。王宮での争いごとを、戦地に持ち込まないのは、英雄たちの不文律だが、治癒者の中には我こそが掟と、奢っている者もいる。
 エル・ジェレフも、この部屋にやってきた当初は、誰からもにこにこと愛想良くされていた。なんでも引く手あまただったとかで、居心地が良くなければ、なんせまだ初陣も知らない子供のことだ、不意に臍を曲げて、よそへ行くと言い出すかもしれなかった。
 治癒者に対する常で、イェズラムもジェレフに機嫌の悪い顔をした覚えはない。それどころか、奇跡的に、にっこりと新入りに笑いかけてやる長(デン)を見て、他の者は震え上がり、ジェレフは馬鹿正直に感激したようだった。それが決め手か定かでないが、ジェレフはとにかくここを選んだ。
 そして一度でもイェズラムの後を付いて回廊を歩けば、ジェレフに他に行き場はない。それで死ぬまでこの部屋(サロン)の治癒者だ。しそしその妙なからくりを、ジェレフはまだ知らないらしかった。
 イェズラムはジェレフについて、高い治癒の才があるなら将来は、族長の側仕えとして働かせてもいいと思っていた。頭も悪くなく、行儀のいい子供のようだったからだ。
 しかし少々堅物だった。真面目に過ぎるというか、善良過ぎるというか。悪く言うならくそ真面目で、融通を効かせるだけの狡さがない。それが族長の気に入るか、怪しいところだ。極めて怪しい。今のままでは恐らく、九割方は振られるだろう。
 今もなにやら、からかうような深い同意の相づちを打つ年長者(デン)を相手に、ジェレフは治癒術についての一家言をぶちまけていた。
 治癒術の根本は愛ではないかと、エル・ジェレフは語っていた。
 なにを惚(とぼ)けたことを言ってやがるのかと、イェズラムは呆れた。しかしもちろん、それを口に出しはしなかった。
 己が魔法の真髄について、考えるのは勝手だが、いまだ英雄譚(ダージ)も持たない若輩の身で、それをべらべら話すのは、生意気というものだった。
 治癒術は別に稀ではない。実際同じ派閥の部屋に、他にも治癒術を心得る者はいた。それによって歴戦に臨み、石を肥やした者もいる。そういう先輩(デン)を差し措いて、偉そうな口をきくと、後々どういう目にあうか、今時の新入りは思いもつかないのか。
 お前の周りにいる、その年長者たちが優しいのは、初めのうちだけだ。お前がここから逃げられないと、それが決まった瞬間に、やつらは本来の顔をする。派閥の掟は年功序列だ。どっちのほうが年上か、見ればすぐ分かるようなその事実を、手を変え品を変え、じっくり教えてもらえるぞ。
 派閥の真相が陰険なことは、イェズラムは身をもって知っていた。生まれつき長(デン)だったわけではない。この上座に辿り着くまでには、自分も新入りの火炎術士として、派閥の戸口に座ったことはあるのだ。そして年長者(デン)たちの煙管の火がないのや、部屋の灯火がやたらと吹き消されるのを、屈辱をこらえて点火するところから始まった。
 イェズラムはどこか唖然として、暢気に喋っている新入りの背を見つめ、銜えかけていた煙管の吸い口を、口の中で宙に浮かせた。
 話すのを止めさせようかと、うっすら思った。あのちびっこいのに、何か用事でも言いつけてやって。
 喉が渇いたから、水でも汲んでこいとか、そういう些細な用でいいから。
 しかし、どうにもしつこい鈍い頭痛のせいで、全てが億劫だった。
 そのまま険しい顔で睨んでいると、部屋(サロン)の戸が開くのが見えた。骨董の域に達した古いが華麗な木の扉を押し開けて、なぜか髪も結わない格好のまま、それでも宮廷服を着た魔法戦士がひとり、腰まで届く長髪をなびかせ、ぶらりと部屋に入ってきた。
 灰緑色の石をした、鋭い灰色の目の男だった。左のこめかみから首に至るまでの、深い古傷のある顔に、人を食ったようなふざけた薄笑いの表情を浮かべ、男は錦の巻物を持って、我が物顔に踏み込んできた。
 エル・シャロームだった。
 風を操る魔法で、真空を生み、その刃で敵を切り刻む、風刃術の使い手だ。
 その魔法の切れ味は、なかなかのものと英雄譚(ダージ)は語るが、シャロームはその舌の生む言葉の切れ味と、それに始まる争い事での喧嘩技の切れ味が、仲間に対してさえ容赦がないことで、宮廷において恐れられていた。
 控え目に言っても、札付きの悪だった。品もなければ、容赦もない。
 入ってきた男に、部屋の誰もが一目置いて、気づいた者から順に、どこか敬遠するような目礼を送っていた。それをいちいち見つめ、シャロームは、誰か自分を舐めたような者はいないか、観察するようにゆっくりと歩いてくる。
 ジェレフは話に没入しているのか、背後から迫っているその剣呑な兄(デン)に、気づいていないふうだった。
「治癒術ほど有用な魔法はないと思うのです」
 やっぱりそうだろうと同意を求める口調で話す新入りに、話をさせていた相手は、シャロームがやってくるのに気もそぞろになり、曖昧に頷いてやっている。しかしそれにもジェレフは気づかないらしかった。
「仲間も癒せるし、人の役にも立つわけですから。治癒術に恵まれた者は、他の技は捨てて、それ一本に打ち込むべきじゃないでしょうか。それが道義というものです」
 ああ、そうだろうかなあ、と、相手の者は、どうとでもとれる生返事をした。シャロームが睨む目で、ジェレフの背後に立っていたからだった。
「よく喋る小僧だなあ、お前は。挨拶はどうした」
 言うなりシャロームはジェレフの束髪にした頭を掴んだ。それに心底ぎょっとしたらしく、ジェレフは座ったまま仰け反ってシャロームを見上げた。
「エル・シャローム」
「よう、新入り。ちょっと見ない間にすっかり居着いたな。挨拶そっちのけで女みてえにべらべら喋りやがって、うるせえんだよ、この癒し系が。扉が開いたら、頭をさげろ。お前が挨拶しなくていい相手は、この部屋(サロン)にいるわけないんだからな」
「すみません……」
 真顔で悪態ともつかぬ悪態をつかれ、ジェレフは呆然としていた。
「まったく、初陣もまだの童貞君は、すみっこで黙って鼠の糞でも食ってろ。偉そうにご高説ぶちやがって、反吐が出らあ。てめえら癒し系の面(つら)を見てるとな、俺様の戦意がみるみる萎えるんだよ。俺から見えないところへ行け」
 一気にそう早口で言い、シャロームはジェレフの頭を遠慮無く揺さぶってから、一発おまけに強か叩いた。
 いかにも痛そうな音がして、ジェレフが悲鳴をあげるのに、イェズラムは自分も頭痛を覚えて、思わず共感するしかめっ面になった。
 治癒者相手にそこまでやれる者は稀だった。
 誰しも自分の命を救うかもしれない者を相手に、不興を買いたくはないものだ。
 呆然としている者たちを後に残して、シャロームはこれでよしという涼しい顔になり、ふらりとイェズラムのほうへやってきた。
 自分の前に座して、深々と頭をさげるシャロームを、イェズラムは呆れた顔のまま見下ろした。行儀は悪いが、礼儀にうるさい男だった。
 一礼を終えて、身を起こしたシャロームの背後で、話し相手に連れ出されていくエル・ジェレフが、納得がいかないという不満の顔をしていた。たぶん、なぜシャロームに殴られたか、来てまだ日の浅いジェレフは事情に疎く、理解できなかったのだろう。
 ジェレフはこちらを見て、その不道徳な乱暴者を、派閥の長(デン)の立場から叱って、非道を正してくれという目をした。イェズラムはそれに、何も答えない目で見返すしかなかった。
 あのエル・ジェレフは、一から十まで言われないと理解できないような、ちんけな頭しかないのか。それともまだ若いからか。優れた治癒者と持て囃されてきて、自分のことしか頭にないのか。
 年長者への敬礼は絶対で、相手がどういう態度だろうが、頭を下げるのがしきたりだった。皆その序列に従って生きている。そういう秩序が失われれば、強大な魔力を持った者どうしが、折り合いを付ける方法はない。他の者なら子供部屋のころに叩き込まれて、骨身にしみているはずだが、治癒者はどこでも難物だった。
「長(デン)、定期報告です」
 声をかけてきたシャロームに頷き、イェズラムは目の前の男に目を向けた。
「できれば別室のほうが」
 よそへ移れと、シャロームが促していた。イェズラムはそれにも頷いてやった。
 シャロームの話は族長のことだ。それも、聞く者が少ない方がいい話だった。
 エル・シャロームは族長の近侍で、気に入られた他の者とともに、いつもリューズと行動をともにしていて、派閥の部屋(サロン)には滅多に顔を出しはしない。
 たまに現れるのは、こうして、経過報告をしにくる用で、イェズラムを訪ねてきた時ぐらいのものだ。
 だから他の者には馴染みの薄い、得体の知れない先輩株(デン)の一人だろうが、派閥の隆盛を支えている一人であることには間違いがない。
 ジェレフも馬鹿でなければ、いずれ理解するだろう。誰のお陰で偉そうな口がきけて、誰のお陰で無傷で回廊を歩けるか。そうすれば自然とシャロームに頭が下がるようになる。
「隣へ」
 空いている会談用の部屋を顎で示すと、なぜかシャロームはにやりとした。
 そして頷き、傷のある男はイェズラムに従って、その場に立ち上がった。

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