もえもえ図鑑

2008/09/28

悪党の取り分(1)

前知識:「新星の武器庫」の後日譚です。

・ ・ ・ ・ ・ ・

 三つ子の英雄(エル)たちが久々で戻ったタンジールの王宮は、以前と何ら変わらず、絢爛な鈍い赤に包まれ、微かに紫煙蝶(ダッカ・モルフェス)の残り香のある、懐かしい空気を漂わせていた。
 行き交う女官たちまで、匂うがごとく優雅な美人ぞろいで、なよやかに白いその手足の予感をふりまいており、グラナダ宮殿でがっつり肉を焼いてくれていた、どことなく実用を経た象牙のごとく日に焼けている女官たちとは、別枠の存在に思える。
「だめだもう、たった一月程度あっちにいただけで、なんだか玉座の間(ダロワージ)の礼装がきつい……」
 アミールが心持ち青ざめて言った。朝儀で族長に謁見したあとなので、三人とも正装していた。形式上とはいえ、竜の涙が王都を出る時は、族長の命により派遣される形をとるので、戻った時には族長に謁見して、帰着を知らせる挨拶をするのが慣例なのだ。
 出立のときと同じ、型どおりの挨拶を受けた族長はにこやかで、ご苦労だった我が英雄よみたいな事を、うっとりするような美声で言ってくれたが、向こうがこっちを本当に憶えているかどうか怪しいなと、エル・ルサールには思えた。
 あの時の三つ子だと、思い出しはしたんだろうけど、そのうちの誰がアミールで、誰がカラールかは、絶対に見分けがつかないだろう。だって族長は俺らのそっくり同じ顔を、面白そうに見比べていた。
「エル・サフナールは相変わらずぶいぶい言わせてたみたいだねえ」
 感心したふうに、カラールが呟いて、遠目に望める玉座を見やって呟いた。
 族長の侍医である女英雄は、なんと玉座のある高段に侍っていた。いざという時に身を挺して族長を守る役目の近侍たちのごとく、玉座のすぐ脇に立っている。にこにこと可愛らしい、罪のない笑みで。
 それにルサールはびっくりした。そんなこと今まで見たうちで誰もやってなかった。ジェレフが侍医として仕えた期間にも、そんなことはしてなかったし、長老会の重鎮(デン)たちでも、玉座には広間から叩頭するだけだ。
 族長に優るとも劣らないと言われていた権力を誇ったエル・イェズラムでさえ、高座にあがる石段には足もかけなかった。というか、あの人は玉座の間(ダロワージ)に来ることさえなかったけど。
 そしてギリスの兄貴(デン)だって、新星の玉座には、普段は石段の途中までしか近寄らない。
 だからサフナールはものすごい。族長はなんでそんなことを、彼女に許しているのか。
「調べてくるって兄貴(デン)と約束したものの、あの人の髪の匂いを、どうやって嗅げる?」
 げっそりと青ざめたまま、アミールが訊いてきた。訊いたのか、独り言なのか、よく分からないような口調だった。
「突撃するしかないよ、アミール」
 ルサールは励ました。まさか自分が行くわけじゃないと思って。アミールが行くだろう。
「そうだな……よし、お前が行け、カラール」
 予想してなかった名前で呼ばれて、カラールはえっ、と呻いた。ルサールは唖然とした。
「もうすぐ朝儀が終わるだろ。そしたら族長は退出なさる。以前のとおりなら、エル・サフナールは居室にはついていかないから、後から降りてくるはずだ。そこを捕まえて、彼女に抱きつけ」
「そんなことしたら、俺、ぶっ殺されちゃうよ、アミール」
 顔面蒼白で、カラールは真剣に答えていた。そして怯えた横目で、玉座の間(ダロワージ)の一角にいる、年若い女英雄たちの群れをちらりと盗み見た。
 ルサールもなんとなく青ざめて、それを見た。怖い連中なのだった。
 基本、エル・エレンディラ派の面子らしいけど、必ずしもそうではないようだ。自分たちと同じくらいの年頃の、十代中頃から後半の者が中心で、十数人寄り集まって、うっとりと高座を見上げている。たぶん、族長を、それから、その脇に侍るエル・サフナールを。いや、もっと厳密には、族長といっしょにいるエル・サフナールを。まるで崇めるみたいな目で。
 超怖い。
 ルサールは戦う前から敗北した気持ちになり、思わず唇を噛んだ。
 もしもカラールがのこのこ出て行って、サフナールに突撃して抱きついたりしようもんなら、戻ってくる時の弟は、あの女どもやっつけられ、寸刻みになった死体かもしれない。
 あいつらサフナの信者なんだから。
「無理だよ、アミール、こいつには」
 ルサールは弟が可哀想になって、アミールを止めた。
「でもこいつが一番可愛いだろ、ひょっとしたら気に入られるかも……」
 しかしアミールは本気らしい顔で思い詰めて答えてきた。
「誰が行っても同じだって。俺らは周りからは同じにしか見られてないんだから」
 自分たちでも時々、一緒に鏡に映ると、どれが自分かって本気で思うじゃん。それくらい似ている。たぶん無意識にお互いに似るようにして生きてる気もする。今日の礼服だって、全く同じのを着てきた。だから他人に見分けがつくはずない。
「じゃあ、お前が行ってくれ、ルサール」
 頼む、という目でアミールは言った。ぎゃっと叫ぶ自分の声が腹の底で聞こえた。
「いやだよ、俺はエル・サフナールみたいなのは好みじゃないもん」
「そういう問題じゃないだろ。兄貴(デン)と約束しただろ。仕事しないと、永遠にグラナダに戻れないぞ。手ぶらで戻ったら、どんな目に遭わされるか、お前は想像つかないのか」
 必死で説得してくるアミールに、ルサールは呆然とした。
 ある意味、想像つかなかった。きっと想像もつかないような、ひどい目に遭わされるんじゃないかという予感がした。
 兄貴(デン)は昔から、なんだか妙な人だった。優しいんだと思ってすり寄ると、時々すごく冷酷なことがあるし、賢いのかと思えば、ものすごく馬鹿みたいに見える時もある。親しく付き合ってると、気分的には綱渡りだった。だけど必死で甘えれば、甘えさせてはくれる。
 しかし今回はどうだろう。仕事を命じた時の兄貴(デン)は、洒落ではすまない顔をしていた。
 あれがアミールの言う、氷の蛇のときの兄貴(デン)の顔か。それと付き合うなら、死ぬまで粉骨砕身して仕える覚悟がいるという、関わり合ってはいけない、例のあれ。
 その区別がルサールには分かるようで分からず、まず最初に兄貴(デン)に声をかけるのは、いつもアミールの仕事だった。気のいいカラールがエル・ギリスの姿を見かけて、不用意に声をかけようとすると、アミールが止めることがあった。その基準が自分にはよく分からないが、きっとその時には兄貴(デン)は、冷たい顔をしていたんだろう。
「じゃんけんで決めよう」
 ルサールは提案した。ふたりが、ぽかーんとした。
「だって俺も行きたくないもん。平等に、じゃんけんして、負けたやつが行こう」
 お互いに目配せしたが、お互いに、お前が行けという目だった。そしてそれが、これじゃあ埒があかないから、じゃんけんでもするしかないかという目になり、それは決定の意味だった。
「狡(ずる)はするなよ……」
 アミールが宣告してきた。いったいどんな狡(ずる)がじゃんけんにあるんだ。後出しか。十五にもなって、こんな重要事項を決める勝負のじゃんけんで後出しか。正々堂々とやるよ。
「こんな怖いじゃんけんするの、俺、はじめてだ……」
 拳を握って目を伏せ、カラールはなにか念を送るような仕草をした。お前、魔法を使う時でも、そこまで必死になってたことあるか。
 朝儀はもう終わりそうだった。
 先を急くアミールが、小声でかけ声をかけ、三人いっせいに手を出した。
 全員同じ手だった。再戦。
 どっと冷や汗をかいている顔で、アミールがすかさずまたかけ声をかけた。
 また同じ手だった。
 うっ、とルサールは思った。また再戦。
 アミールは必死で何度もかけ声をかけたが、何度やっても同じ手だった。
 そ、そうだった、とルサールは思い出した。俺らは昔から、じゃんけんしても、なんでか勝負がつかねえんだった。
 もう無理、と思った刹那、ふとアミールとカラールが目配せしあうのが見えた。
 それにルサールは、あっ、と思ったが、それはもう手遅れだった。気がつくのが遅すぎた。そして何度目かの手を出し、ルサールはあんぐりとした。自分だけが負けていたからだ。
 呆然と自分の手を見下ろしているルサールを尻目に、兄弟たちは、ふたりでがっしりと抱き合って、勝ち抜けたことを喜びあっている。
「……ずるいよ、アミール」
「ずるくない、何もしてない。お前がたまたま負けたんだ」
 アミールは弟とひしっと抱き合ったまま、何かを振り切るように、ルサールにそう答えてきた。
「頑張って、ルサール。遺体は拾いに行くから……」
 カラールは兄に抱きついたまま、何も見ないというように、必死で目を閉じていた。たぶん、俺がサフナの信者どもに、ぎったんぎったんにされるのを見たくないのだろう。そんなの俺だって見たくない。やめて。お願いだから。お前らのどっちかが行って。
 しかしルサールは自分の手を見た。
 負けたんだから、もうどうしようもない。なんか汚い罠があった気がしたけど、じゃんけんで決めようって言ったのは自分だし、ふたりには示し合わせる時間はなかった。
 なかったけど、超ずるい。アミールは絶対なにか、カラールに命じたはずだ。たぶん、自分と同じ手を出せって。もしかしてアミールは、何を出せば俺に勝てるか、わかってたんじゃないの。いつも知ってて、勝ちも負けもしないように、合わせてたんじゃない。カラールはそれを読んで、おんなじ手を出してたんだ。だから勝負がつかなかったんだ。
 きっとそうだ。
「もし俺がこの戦いで死んだら、ルサールは英雄だったと、兄貴(デン)に知らせてくれ」
 半分本気で、ルサールは顔を覆い、めそめそした。ほんとに死んだらどうしよう。
「大丈夫だよルサール。上手くいく可能性もあるよ。だって女を口説くのはルサールがいちばん上手いじゃん」
「そうだよ、お前が一番なんだよ」
 そう言って励ます兄弟たちが、あんまりだとルサールは思った。悪気無く褒めてるカラールは可愛げがあるが、分かったふうに、お前が一番だというアミールはずるい。
 そう思ったとき、朝儀の終わりと族長の退出を告げる侍従長の声が朗々と響いた。
 あの人、見た目はすごく静かそうなのに、どうやってあんなでかい声を出してるんだろうかと、ルサールはぼんやり思った。人それぞれ特技があるってことなのか。それを活かして生きていくしかないのか。
 人垣の向こうに、退出していく族長と、近侍たちの群れが見えた。時折、行き会う者たちに声をかけてやりながら、族長リューズはにこやかに広間(ダロワージ)を去っていく。
 ああ、格好いいなあと、ルサールは思った。
 颯爽と歩く大人たちは、ルサールには格好良く見えた。特に広間(ダロワージ)を行くときの族長の足取りには、覇気があって迷いがない。
 あの人がもし、俺があとの二人ではなく、ルサールだと見分けてくれたら、ジェレフのように、当代に仕えて死んでも、不満はなかっただろうになあ。
 さすがは我が大英雄よ、かあ。
 回想に内心独りごちて、ルサールは広間の壁にひっそりとかかっている、亡き長老会の総帥(デン)の姿絵を眺めた。エル・イェズラムの死の顛末を、族長は玉座から聞き、そう言って讃えた。
 ギリスの兄貴(デン)は、そういう族長が憎かったらしい。だけど俺は、もし自分が死んだあと、仕えた族長にそう言ってもらえたら、本望だけどな。
 しかし、この戦いでは無理だ。サフナ信者にぼこぼこにされて死んでも、新星の大英雄には出世できない。がんばれ俺、気合いを入れろ。
 そう思ってふりかえると、高座から降りてきたエル・サフナールを、女子どもがきゃあきゃあ言いながら出迎えているのが目に入った。
 お疲れ様ですサフナ様ぁ、とか黄色い声を出しているのを遠くから盗み見て、ルサールは気絶しそうになった。
 あいつら無敵っぽいけど、あれに単騎突撃で、なんか勝ち目あんの。
 そう訊きたくて見つめた兄弟たちは、もう口をきくなと首を横に振ってみせ、玉座へ近づける道へと、容赦なくルサールを押し出してきた。
 お前ら鬼だと、ルサールは思った。
 鬼だ、鬼!
 畜生、見てろ。俺がお前らに男の死に様を見せてやる!
 ルサールは半泣きでエル・サフナールに突撃を開始した。

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