もえもえ図鑑

2008/08/20

海猫の歌(6)

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(※この章には残酷描写があります。R15くらい)

 切っ先の届く間合いで、ヘンリックは立ち止まり、目を眇(すが)めて、敵の顔色をうかがっているようだった。彼のその目は、問いかけるようだった。お前はもう、これで終わりかと。
 うなずくように、男は項垂れ、両手で剣を握りなおした。
 彼は最後の一撃に、渾身の力をこめた。そのように見えた。
 怪我をした者の振るう一打とは思えないような強撃を、男はわずかの跳躍とともに、ヘンリックに浴びせた。
 まともに受ければ、それは深手を与える一撃と思えた。
 しかしヘンリックは、かすかに身を捩るようにして、それを避けた。振り下ろされる切っ先は、ヘンリックの短衣(チュニック)を、軽く引っ掻いたようだった。
 それさえ予定のうちという風に、身をかわしたヘンリックは男を見つめ、薄笑いしてみせた。どことなく、優しさのこもる笑みだった。
 それで力の尽きたらしい男は、頽(くずお)れようとしていた。
 ヘンリックが剣を構えた。
 それが留(とど)めの一撃であることを、見守る誰もが理解していた。
 ヘンリックは剣を振るった。風音を立てて刃が空を裂き、ただの一刀であっけなく男の首が飛んだ。
 声にならない高揚が、広間から湧き上がった。
 飛ばされた生首が、自分に向かって飛んでくるのを、レスリンは恍惚と恐怖して見守った。それは殴りつけるような衝撃とともに、もがくレスリンの夜会服の膝へと、まっしぐらに弧を描いて飛び込んできた。
 思わぬ絶叫が自分の喉からほとばしり、レスリンはその恐ろしいものから逃れようと、長椅子の上でもがいた。男の首は、腰を抜かしたレスリンの脚の間に落ち込み、華麗だった夜会服を、見る間に血の色に染め変えていった。
 じたばたと足掻くうちに、いつのまにかレスリンのすぐ目の前に、血まみれの剣を提げたヘンリックが立っていた。
 彼は近づき、腕をのばして、恐慌するレスリンの裳裾から、男の首を取り上げた。その髪を掴んで首を提げたまま、ヘンリックはじっと間近にレスリンの目をのぞきこんだ。
 震えながら見目返して、レスリンは彼が小声でなにか囁くのを、朦朧とする頭で聞いた。
 後で、と、淡く笑ったような彼の唇は言った。
 後で、外へ、と。
 それきり身を起こし、ヘンリックはまるで塵(ごみ)でも投げ捨てるように、白い
中央広間(コランドル)の床に、生首を放った。もとの持ち主であった死骸のそばに、首は転がっていき、そこを懐かしむように見える仕草で、もう死んでいる肉体の肩口に、青ざめた頬をすり寄せた。
 ヘンリックは残る一人の元へ、足早に戻っていった。
 胸を斬られて倒れた男は、そのままの場所でうつぶせになって、まだ死にきれずに苦しんでいた。ヘンリックはその傍に佇んだ。男は顔を上げて、ヘンリックを見つめた。彼は男の死の天使だった。
「旦那様」
 ヘンリックがそこで口を利くのが、唐突とも思えた。
 呼びかけられたバドネイル卿は、元の長椅子に横たわっていたが、呆然としているように見えた。
「獲物がまだ生きています」
 なにかを促す口調で、ヘンリックは言った。それを聞くバドネイル卿も、広間のほかの者も、言葉を失ったままで、何も答えはしなかった。
「俺に歓声を」
 バドネイルに話しかけるヘンリックの声は、静かに諭すようだった。
「なんと……」
 掠れた小声で、バドネイルが尋ねた。
「殺せ(ヴェスタ)、と」
 ヘンリックは淡々と答えを与えた。
 それは客が剣闘士を囃すための、伝統的で、ありきたりのかけ声だった。闘技場ではその声が、嵐のような渦となってあたりを満たし、戦いを盛り立てる。いつかレスリンが、闘技場で遠目に眺めた首切り男も、あの時、押し寄せるようなその声の渦に包まれていた。
 教えられて、バドネイル卿はうなずいた。
「殺せ(ヴェスタ)」
 まだどこか掠れた声で、大貴族は命じた。
「それじゃ足りません。もっと大きな声で、ほかの皆様も、俺のアルマが熱く燃えるように」
 眺め渡し、歓声を乞われて、広間の客たちは一時、息を押し殺したように静まりかえったが、やがて誰からともなくその歓声は起きた。
 殺せ(ヴェスタ)と。
 しだいに高まる声の波を背に受けて、ヘンリックは時を待つように、倒れた男に目を戻した。両手で抱くように剣の柄を握って、ヘンリックは死にゆく獲物の目と、静かに見つめ合っていた。
 彼らはなにも言葉を交わさなかったが、声ならぬ声で、語り合うように見えた。
 そろそろいくかと、ヘンリックは尋ねたらしかった。
 俺に敗北するか。
 その目を見上げ、静かな断末魔にいる男は、恐れもせず待っていた。その瞬間がやってくるのを。ヘンリックが剣を振るい、自分の首が断ち落とされ、命が終わる時を。
 誰かが殺せ(ヴェスタ)と叫んだ。
 ヘンリックは長剣を振るった。それが床を打つけたたましい音が聞こえた。
 獲物は首を落とされ、その場で屠られた。
 歓声はあたかも、あふれる血を呑み育つ怪物のように、高揚して荒れ狂った。すでに死んでいる獲物を前に、なおも殺せ(ヴェスタ)と観衆は叫んでいた。

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