海猫の歌(7)
←前へ
(※この章には性描写と残酷描写があります。R15くらい)
ヘンリックはしばらく、歓声を浴びて死体を眺めていたが、ややあってから喝采する広間に向き直り、剣を背に隠して、剣闘士が客に見せるような、胸に手を添え深々と腰を折る華麗な一礼をしてみせた。
「見事だ、ヘンリック」
長椅子から立ち上がって、手を打って喝采しながら、バドネイル卿は褒めた。感極まったような声色だった。広間がそれに倣い、拍手を始めた。
レスリンはその横の席にいるセレスタが、長椅子にあおむけに倒れ、失神しているのに気づいた。ヘンリックの鞘を抱いたまま、薄青い夜会服の裳裾を波打たせて、令嬢は気を失っている。
「ありがとうございます」
息も乱れぬ平静さで、ヘンリックは判で捺したような型どおりの答礼を口にした。
傍目にも異様なほど興奮しているバドネイル卿と向き合って口をきくには、ヘンリックはなにか不思議なほど平静だった。まるで、たったいま死闘をしたのはバドネイル卿で、ヘンリックはただそれを傍観していただけのようだ。
「お前こそ部族の真の戦士だ。最強にして華麗だ」
言葉を極めて褒めるバドネイルの赤い顔に、ヘンリックはただ薄く笑ってみせた。それはどう見ても作り笑いだった。死にゆく獲物に笑いかけた時の、ほんの半分だって優しくはなかった。
「皆、聞くがいい」
拳をふりあげ、バドネイル卿は憑かれたような熱い演説を始めた。
「我々はあまりにも異民族の血に冒されすぎた。今こそ古(いにしえ)の狂乱の血を取り戻すべき時だ。私は皆にも奨励する。古い部族の血を、血筋に取り込み、一族を栄誉ある家名にふさわしい本来の姿に立ち返らせるのだ」
熱弁をふるうバドネイル卿の横を、ヘンリックは静かに歩き過ぎていった。自分の弁舌に酔っている大貴族は、まるでそれに気づかないらしかった。
ヘンリックは気を失っているセレスタのそばへ行って、うっとりと仰け反っている彼女の顔を、不思議そうに覗き込んだ。
セレスタは絵の中の裸婦のように、絹の長手袋につつまれた手を、のけぞった自分の額に乗せ、身をよじる姿勢でいた。まるでたった今、誰かに抱かれて、それが良すぎて気絶したみたい、と、レスリンは呆れて友を見た。
案外そうなのかもしれなかった。膝の震えるような高揚が、今でもまだ、レスリンの体にも残されている。やり場のない高揚を、ヘンリックはその剣によって、広間にいる全員に与えていった。
広間がバドネイル卿の熱弁に酔う中、ヘンリックが血脂にまみれた自分の剣を、人知れずセレスタの夜会服の長い裾で拭うのを、レスリンだけが見ていた。それはなにか、ひどく酷薄な仕打ちだった。
女の手から、預けた鞘をとりあげ、ヘンリックは剣をそこに納めようとしていた。
本当ならセレスタが、ちゃんと目覚めて待っていて、彼に鞘を差し出すべきだった。そのためにヘンリックはセレスタに大切な鞘を預けていったのだから。
なんて情けない女なの。
レスリンは内心でそう、幼なじみを罵った。
私なら。ちゃんと彼に鞘を返すわ。そうして戦いを終えた男を労う。それが部族の女として、当然の務めじゃないの。
貴女は彼に、ふさわしくない女よ。
弱くて、わがままで、無邪気すぎるのよ。
私なら、と、レスリンは願った。
私なら彼の鞘を預かれる。彼を待つ女(ウエラ)として。
「私は我がひとり娘セレスタに、この最強の血を持った子を産む名誉を与えることにしたのだ。私の孫は、いずれ、狂乱の戦士の血を持って、皆の前に現れるだろう。そういう者こそ、部族の次代を担うにふさわしい。真の戦士なのだ」
そうだ、と客たちはバドネイルの熱狂を囃した。
みんな、自分たちが何を言っているか、分かっているのかしらと、レスリンは醒めた目で、広間の男たちを眺めた。
馬鹿みたい。なにが狂乱の戦士よ。薬を使わないと、アルマに酔えもしない、虚勢馬みたいな連中のくせに。
崇める目で、レスリンは広間を出て行こうとしている、血まみれのヘンリックを見つめた。すると彼も、じっと見送るように、レスリンを見つめ返していた。
小さく首を傾げるようにして、ヘンリックはレスリンを促した。外へ、と。
ああそうだったわと、レスリンは狂喜した。私は彼と、約束があったんだった。
果てしなく熱弁の続く広間を、レスリンは血に酔って気分を悪くしたふりをして、よろめきながら退出した。そんな演技をしなくても、レスリンの脚は本当によろめいた。血に染まった夜会服の裳裾は重く、べったりとレスリンの脚にからみついたからだ。
扉をくぐると、ヘンリックはそこで待っていた。
彼に跪きたい気持ちを抑え、レスリンはその傍に、控えめに向き合って立った。
「どうでしたか、俺は」
答えをもう知っている顔で、ヘンリックが尋ねてきた。
「素晴らしかったわ」
そう答える自分の息が熱いのに、レスリンは恥じらった。
「セレスタ様が眠ってしまったので」
血の滑る指で、ヘンリックはレスリンの手をとった。自分が夜会用の長手袋をしているのが、ひどい間違いだったとレスリンは後悔した。こんなものを着けていなければ、彼の指が私の肌に触れるのを、感じられたはずなのに。
「貴女が俺の相手をしてくれませんか。女の肌を感じて、血を鎮めたいので」
誘うヘンリックに、レスリンは考える間もおかず頷いていた。
「なぜ訊くの。私はあなたの女(ウエラ)なんでしょう」
「そうでしたね」
やっと笑った顔になって、ヘンリックは言った。レスリンはそれに、込み上げた嬉しさを隠せず、満面の笑みで応えた。
レスリンの手を引いて、女の身にはほとんど走るような早足で、ヘンリックは貴族の屋敷の廊下を行った。
夜会の間から、やや離れたところで角を曲がり、そこにあった花を飾るための壁の窪みに、ヘンリックはレスリンの体を押し込んだ。
彼が躊躇いもなく夜会服の裾をめくり、自分の脚を露わにするのを恥じて、レスリンは仰け反って目を閉じた。
こんなところでするの、とレスリンは尋ねた。誰かが来たら、どうするの。
夜会の間に響く、熱狂した男たちの声が、まだかすかに耳につくような近さなのに。
「もし誰か来たら、悲鳴をあげてください」
笑いながらそう言って、ヘンリックはレスリンを抱いた。
彼が自分の脚を抱え、腿を割ってくるのを、レスリンは内心の悲鳴とともに受け入れた。それは悲鳴ではなかったかもしれない。男に抱かれるのは初めてではないし、それに倦み始めてさえいたはずが、ヘンリックに押し開かれるレスリンの内奥は、かつてないほど熱く濡れていた。
まだ何もされてない、ただ戦いを見ただけなのに。
ああ、私、恥ずかしいわ。
そう訴えて、思わず首にすがると、剣闘士は笑っていた。さざめくように笑いながら、ヘンリックは気遣いのない激しさで、レスリンを貪った。
それでも、ただ突かれるだけで、レスリンには快感があった。
すぐに感極まってきて、レスリンは喘ぎ、声を押し殺した。
夜会の間から、誰かが出てくる気配がしたからだった。
やめないで、とレスリンはヘンリックの耳に囁いた。
やめないで、私、見られても平気だから。あなたが私のものだって、皆に教えてやりたいくらいよ。
通路をやってきた一団を、待ちかまえるように、レスリンは行為の熱にうかされた目で見つめた。
失神したセレスタを、部屋で介抱するため、運んでいく侍女たちの群れだった。
曲がり角の向こう側を、あわてふためいて通り過ぎていく女たちは、ほんのわずかも、こちらを見なかった。
見ればいいのにと、レスリンは思った。
ぐったりと運ばれていくセレスタの姿を見ると、レスリンはもう我慢ができなかった。
声を上げかけるレスリンの口を、ヘンリックが手で塞いだ。その指からは鼻をつく鉄くさい血の臭いがした。
そのままヘンリックはレスリンに留めを与え、さしたる間も置かずに彼も後を追ってきた。その瞬間だけ、ヘンリックは無防備に見えた。激しく自分にすがる男の、どこか苦悶したような顔を、レスリンは両腕で抱きしめた。
そうすると男は、自分のもののように思えた。
私たち、これ以上はないくらい、お似合いなんじゃない。
そう感じられて、レスリンは嬉しかった。
やがてため息をつき、ヘンリックはじっと、抱え上げたレスリンの顔を見つめてきた。その表情からは、先ほど広間で戦っていた、狂乱するアルマの男は消えていた。
「俺は風呂にいきますけど、貴女は戻ったほうがいいですよ」
男の言葉は、ひどくあっさりとしていた。
レスリンは目を瞬いて、まだ抱き合っている相手の顔を見た。
「私を置いていくの」
「夜会はまだ続いていますから。貴女は貴族で、旦那様の客でしょう。話を聞かなくて、無礼と思わないんですか」
彼の言うことは、至極もっともだったが、それだけに、受け入れがたい狡さがあった。
「そうね……」
上ずった声で、レスリンは応えた。
ヘンリックは執着のない引き際で、レスリンの中から出ていった。
彼は自分の着衣は直したが、乱したレスリンの裳裾のことには、少しも頓着しなかった。
やむなくそれを自分で整え、それからレスリンは息を整えようとした。長い夜会服に隠された内腿で、べったりと冷えた血が滑り、体の芯はまだ、熱いままだった。
「セレスタと、私と、どっちが良かったかしら」
顔を見ていられなくなって、レスリンはうつむき、男の爪先に問いかけた。
ヘンリックの足は、立ち去ろうとしていた。
「貴女です」
いかにもそれが当然というように、あっさり彼は答えた。
その言葉には希望があった。
顔を上げて、レスリンは自分に向けられているはずの、ヘンリックの視線を探した。
しかし男は曲がり角の向こうにある通路の、ガラス窓の外を見ていた。
バルハイの聖堂が打つ、鐘の音が聞こえてきていた。それは時報で、まだまだ夜は序の口だと人々に教えていた。
だがレスリンの耳には、それは別のことを言っている。
今夜の、私の時間はもう終わり。
「あなたはセレスタと、本当に結婚する気なの」
「旦那様はどうも本気のようです」
他人事のように、ヘンリックは答えた。
「それで平気なの。ほかに……ほかに女(ウエラ)がいるのに」
レスリンが問いかけると、ヘンリックは確かに、それは困ったことだという顔をして、血飛沫の乾き始めた顔を拭う仕草をした。
「俺に選ぶ権利があるでしょうか、レスリン様。旦那様は俺の主で、金を払った正当な所有者(パトローネ)です」
「あなたを種馬にしようというのよ」
そう教え、レスリンは自分の言葉に耐えきれず顔を覆った。
ヘンリックにも耐え難いだろうと思った。たとえそれが事実でも、彼にひどいことを言った。
しかし、それに答えるヘンリックの声は、淡々としていた。
「剣闘士よりましですよ。どうせ似たようなもんです。中に出していいか、いちいち訊かなくていいだけましでしょう」
極めて、あっさりと言うヘンリックの口調には、悪びれたところも、悔やむふうもなかった。彼にはそれは、日常茶飯事のようだった。
やっとレスリンに向き直り、ヘンリックは言った。
「お嬢様、俺はもう行きます、さようなら。どうか楽しい夜を、お過ごしください」
かすかに一礼してみせて、それきり振り返りもせずに、剣闘士は去った。
レスリンは、誰もいない廊下に、ゆっくりと座り込んだ。
→次へ
(※この章には性描写と残酷描写があります。R15くらい)
ヘンリックはしばらく、歓声を浴びて死体を眺めていたが、ややあってから喝采する広間に向き直り、剣を背に隠して、剣闘士が客に見せるような、胸に手を添え深々と腰を折る華麗な一礼をしてみせた。
「見事だ、ヘンリック」
長椅子から立ち上がって、手を打って喝采しながら、バドネイル卿は褒めた。感極まったような声色だった。広間がそれに倣い、拍手を始めた。
レスリンはその横の席にいるセレスタが、長椅子にあおむけに倒れ、失神しているのに気づいた。ヘンリックの鞘を抱いたまま、薄青い夜会服の裳裾を波打たせて、令嬢は気を失っている。
「ありがとうございます」
息も乱れぬ平静さで、ヘンリックは判で捺したような型どおりの答礼を口にした。
傍目にも異様なほど興奮しているバドネイル卿と向き合って口をきくには、ヘンリックはなにか不思議なほど平静だった。まるで、たったいま死闘をしたのはバドネイル卿で、ヘンリックはただそれを傍観していただけのようだ。
「お前こそ部族の真の戦士だ。最強にして華麗だ」
言葉を極めて褒めるバドネイルの赤い顔に、ヘンリックはただ薄く笑ってみせた。それはどう見ても作り笑いだった。死にゆく獲物に笑いかけた時の、ほんの半分だって優しくはなかった。
「皆、聞くがいい」
拳をふりあげ、バドネイル卿は憑かれたような熱い演説を始めた。
「我々はあまりにも異民族の血に冒されすぎた。今こそ古(いにしえ)の狂乱の血を取り戻すべき時だ。私は皆にも奨励する。古い部族の血を、血筋に取り込み、一族を栄誉ある家名にふさわしい本来の姿に立ち返らせるのだ」
熱弁をふるうバドネイル卿の横を、ヘンリックは静かに歩き過ぎていった。自分の弁舌に酔っている大貴族は、まるでそれに気づかないらしかった。
ヘンリックは気を失っているセレスタのそばへ行って、うっとりと仰け反っている彼女の顔を、不思議そうに覗き込んだ。
セレスタは絵の中の裸婦のように、絹の長手袋につつまれた手を、のけぞった自分の額に乗せ、身をよじる姿勢でいた。まるでたった今、誰かに抱かれて、それが良すぎて気絶したみたい、と、レスリンは呆れて友を見た。
案外そうなのかもしれなかった。膝の震えるような高揚が、今でもまだ、レスリンの体にも残されている。やり場のない高揚を、ヘンリックはその剣によって、広間にいる全員に与えていった。
広間がバドネイル卿の熱弁に酔う中、ヘンリックが血脂にまみれた自分の剣を、人知れずセレスタの夜会服の長い裾で拭うのを、レスリンだけが見ていた。それはなにか、ひどく酷薄な仕打ちだった。
女の手から、預けた鞘をとりあげ、ヘンリックは剣をそこに納めようとしていた。
本当ならセレスタが、ちゃんと目覚めて待っていて、彼に鞘を差し出すべきだった。そのためにヘンリックはセレスタに大切な鞘を預けていったのだから。
なんて情けない女なの。
レスリンは内心でそう、幼なじみを罵った。
私なら。ちゃんと彼に鞘を返すわ。そうして戦いを終えた男を労う。それが部族の女として、当然の務めじゃないの。
貴女は彼に、ふさわしくない女よ。
弱くて、わがままで、無邪気すぎるのよ。
私なら、と、レスリンは願った。
私なら彼の鞘を預かれる。彼を待つ女(ウエラ)として。
「私は我がひとり娘セレスタに、この最強の血を持った子を産む名誉を与えることにしたのだ。私の孫は、いずれ、狂乱の戦士の血を持って、皆の前に現れるだろう。そういう者こそ、部族の次代を担うにふさわしい。真の戦士なのだ」
そうだ、と客たちはバドネイルの熱狂を囃した。
みんな、自分たちが何を言っているか、分かっているのかしらと、レスリンは醒めた目で、広間の男たちを眺めた。
馬鹿みたい。なにが狂乱の戦士よ。薬を使わないと、アルマに酔えもしない、虚勢馬みたいな連中のくせに。
崇める目で、レスリンは広間を出て行こうとしている、血まみれのヘンリックを見つめた。すると彼も、じっと見送るように、レスリンを見つめ返していた。
小さく首を傾げるようにして、ヘンリックはレスリンを促した。外へ、と。
ああそうだったわと、レスリンは狂喜した。私は彼と、約束があったんだった。
果てしなく熱弁の続く広間を、レスリンは血に酔って気分を悪くしたふりをして、よろめきながら退出した。そんな演技をしなくても、レスリンの脚は本当によろめいた。血に染まった夜会服の裳裾は重く、べったりとレスリンの脚にからみついたからだ。
扉をくぐると、ヘンリックはそこで待っていた。
彼に跪きたい気持ちを抑え、レスリンはその傍に、控えめに向き合って立った。
「どうでしたか、俺は」
答えをもう知っている顔で、ヘンリックが尋ねてきた。
「素晴らしかったわ」
そう答える自分の息が熱いのに、レスリンは恥じらった。
「セレスタ様が眠ってしまったので」
血の滑る指で、ヘンリックはレスリンの手をとった。自分が夜会用の長手袋をしているのが、ひどい間違いだったとレスリンは後悔した。こんなものを着けていなければ、彼の指が私の肌に触れるのを、感じられたはずなのに。
「貴女が俺の相手をしてくれませんか。女の肌を感じて、血を鎮めたいので」
誘うヘンリックに、レスリンは考える間もおかず頷いていた。
「なぜ訊くの。私はあなたの女(ウエラ)なんでしょう」
「そうでしたね」
やっと笑った顔になって、ヘンリックは言った。レスリンはそれに、込み上げた嬉しさを隠せず、満面の笑みで応えた。
レスリンの手を引いて、女の身にはほとんど走るような早足で、ヘンリックは貴族の屋敷の廊下を行った。
夜会の間から、やや離れたところで角を曲がり、そこにあった花を飾るための壁の窪みに、ヘンリックはレスリンの体を押し込んだ。
彼が躊躇いもなく夜会服の裾をめくり、自分の脚を露わにするのを恥じて、レスリンは仰け反って目を閉じた。
こんなところでするの、とレスリンは尋ねた。誰かが来たら、どうするの。
夜会の間に響く、熱狂した男たちの声が、まだかすかに耳につくような近さなのに。
「もし誰か来たら、悲鳴をあげてください」
笑いながらそう言って、ヘンリックはレスリンを抱いた。
彼が自分の脚を抱え、腿を割ってくるのを、レスリンは内心の悲鳴とともに受け入れた。それは悲鳴ではなかったかもしれない。男に抱かれるのは初めてではないし、それに倦み始めてさえいたはずが、ヘンリックに押し開かれるレスリンの内奥は、かつてないほど熱く濡れていた。
まだ何もされてない、ただ戦いを見ただけなのに。
ああ、私、恥ずかしいわ。
そう訴えて、思わず首にすがると、剣闘士は笑っていた。さざめくように笑いながら、ヘンリックは気遣いのない激しさで、レスリンを貪った。
それでも、ただ突かれるだけで、レスリンには快感があった。
すぐに感極まってきて、レスリンは喘ぎ、声を押し殺した。
夜会の間から、誰かが出てくる気配がしたからだった。
やめないで、とレスリンはヘンリックの耳に囁いた。
やめないで、私、見られても平気だから。あなたが私のものだって、皆に教えてやりたいくらいよ。
通路をやってきた一団を、待ちかまえるように、レスリンは行為の熱にうかされた目で見つめた。
失神したセレスタを、部屋で介抱するため、運んでいく侍女たちの群れだった。
曲がり角の向こう側を、あわてふためいて通り過ぎていく女たちは、ほんのわずかも、こちらを見なかった。
見ればいいのにと、レスリンは思った。
ぐったりと運ばれていくセレスタの姿を見ると、レスリンはもう我慢ができなかった。
声を上げかけるレスリンの口を、ヘンリックが手で塞いだ。その指からは鼻をつく鉄くさい血の臭いがした。
そのままヘンリックはレスリンに留めを与え、さしたる間も置かずに彼も後を追ってきた。その瞬間だけ、ヘンリックは無防備に見えた。激しく自分にすがる男の、どこか苦悶したような顔を、レスリンは両腕で抱きしめた。
そうすると男は、自分のもののように思えた。
私たち、これ以上はないくらい、お似合いなんじゃない。
そう感じられて、レスリンは嬉しかった。
やがてため息をつき、ヘンリックはじっと、抱え上げたレスリンの顔を見つめてきた。その表情からは、先ほど広間で戦っていた、狂乱するアルマの男は消えていた。
「俺は風呂にいきますけど、貴女は戻ったほうがいいですよ」
男の言葉は、ひどくあっさりとしていた。
レスリンは目を瞬いて、まだ抱き合っている相手の顔を見た。
「私を置いていくの」
「夜会はまだ続いていますから。貴女は貴族で、旦那様の客でしょう。話を聞かなくて、無礼と思わないんですか」
彼の言うことは、至極もっともだったが、それだけに、受け入れがたい狡さがあった。
「そうね……」
上ずった声で、レスリンは応えた。
ヘンリックは執着のない引き際で、レスリンの中から出ていった。
彼は自分の着衣は直したが、乱したレスリンの裳裾のことには、少しも頓着しなかった。
やむなくそれを自分で整え、それからレスリンは息を整えようとした。長い夜会服に隠された内腿で、べったりと冷えた血が滑り、体の芯はまだ、熱いままだった。
「セレスタと、私と、どっちが良かったかしら」
顔を見ていられなくなって、レスリンはうつむき、男の爪先に問いかけた。
ヘンリックの足は、立ち去ろうとしていた。
「貴女です」
いかにもそれが当然というように、あっさり彼は答えた。
その言葉には希望があった。
顔を上げて、レスリンは自分に向けられているはずの、ヘンリックの視線を探した。
しかし男は曲がり角の向こうにある通路の、ガラス窓の外を見ていた。
バルハイの聖堂が打つ、鐘の音が聞こえてきていた。それは時報で、まだまだ夜は序の口だと人々に教えていた。
だがレスリンの耳には、それは別のことを言っている。
今夜の、私の時間はもう終わり。
「あなたはセレスタと、本当に結婚する気なの」
「旦那様はどうも本気のようです」
他人事のように、ヘンリックは答えた。
「それで平気なの。ほかに……ほかに女(ウエラ)がいるのに」
レスリンが問いかけると、ヘンリックは確かに、それは困ったことだという顔をして、血飛沫の乾き始めた顔を拭う仕草をした。
「俺に選ぶ権利があるでしょうか、レスリン様。旦那様は俺の主で、金を払った正当な所有者(パトローネ)です」
「あなたを種馬にしようというのよ」
そう教え、レスリンは自分の言葉に耐えきれず顔を覆った。
ヘンリックにも耐え難いだろうと思った。たとえそれが事実でも、彼にひどいことを言った。
しかし、それに答えるヘンリックの声は、淡々としていた。
「剣闘士よりましですよ。どうせ似たようなもんです。中に出していいか、いちいち訊かなくていいだけましでしょう」
極めて、あっさりと言うヘンリックの口調には、悪びれたところも、悔やむふうもなかった。彼にはそれは、日常茶飯事のようだった。
やっとレスリンに向き直り、ヘンリックは言った。
「お嬢様、俺はもう行きます、さようなら。どうか楽しい夜を、お過ごしください」
かすかに一礼してみせて、それきり振り返りもせずに、剣闘士は去った。
レスリンは、誰もいない廊下に、ゆっくりと座り込んだ。
→次へ
コメント送信
<< ホーム