新星の金庫番(3)
政(まつりごと)は朝やるものだった。
その点はグラナダでもタンジール宮廷と同じで、スィグルは朝っぱらから玉座に座り、小宮廷の廷臣たちの話を日々聞いていた。
ただ、親父と違って、にこにこ営業スマイルというわけにはいかない。真剣に聞いているからかもしれないが、眉間に皺だ。どうせ真似するなら、族長のにこにこ顔を真似すればいいのにと、ギリスは思う。
高座にあがる石段に腰掛けて、ギリスはいつも、小宮廷の朝儀を見物していた。
「殿下、四方の門にかけた通行税を廃止いたしましょう」
ラダックが叩頭もそこそこに、いきなり提案していた。スィグルの眉間の皺がさらに深くなった。
「馬鹿も休み休み言え」
「では休み休み言います」
罵倒がまったく堪えていないようだった。さすが無痛のラダックと、ギリスは内心で感嘆した。
「グラナダは地理的にタンジールに近く、潤沢な水源や物資が確保できるにも関わらず、間近にあるタンジールのほうに隊商が行ってしまい、オアシスルートから外れています。そのため、主な財源は発掘される鉱物資源です。交易ルートに加われれば、もっとがっぽり稼げるのに、嘆かわしいことです」
ラダックは長台詞を本当に休み休み話した。当てつけらしい。
「普通に話せ、ラダック」
イラチなスィグルはすぐに根負けした。ラダックは恭しく一礼してみせた。
「通行税を廃止して、関税を低く抑えることで、隊商を誘致できるかもしれません」
「誘致できても、税をとれないのでは、無駄に通過されるだけじゃないのか。お前はグラナダの地下資源だけでは不足なのか」
「不足ということはないですが、何と申しますか、がっぽり感の薄い商売ですよね」
断言するラダックに、スィグルはすでに絶句していた。
スィグルは自分を攻撃してくる相手には、いくらでも迎撃ができるが、意表を突く意味不明なことをされると、理解しようとして思考停止する質だ。その証拠に、いま隙だらけですという顔をしていた。
「がっぽり感?」
「公営カジノを運営しましょう。それから競馬も。殿下、馬好きでしょう」
ちょっと待てと言うように、スィグルは右手を挙げて、ラダックを黙らせたが、結局なにも返事をしなかった。
確かにスィグルは馬が好きらしい。
部族領での主立った移動用の騎獣は砂牛で、馬は貴人のための贅沢品か、速力が求められる戦闘での用途だけだった。敵地は大抵が砂漠でなく、砂牛では不適当だったからだ。
それに、タンジールならいざ知らず、その他の都市では、馬のための飼い葉を用意するのも面倒だったし、金満家や貴族たちが道楽や体裁のために飼うものらしい。
それでもスィグルは馬が好きだった。グラナダに王宮から血統の良い馬を連れてきていた。
「殿下の馬は無駄です」
「ちょっと待て。僕の馬を競馬に使おうと言うのか」
「そうです、殿下がたまに乗って遊ぶだけの無駄な馬を、競走馬として働かせようというご提案です」
「ぜったいダメ」
「本日午後イチより初出走です」
スィグルがタンジールから持ってきた玉座の間(ダロワージ)の時計のレプリカを見て、ラダックが言った。もう、ほぼ午後イチと言えた。スィグルのこめかみに青筋が浮いたような気がした。
「お前の基本は事後承諾か」
「いえ、今回は事前ですよ。まだ出走していないはずですから。馬券は買っておきました。これは殿下のぶんです。殿下のお気に入りのアイレントランです」
スィグルが最近よく乗っている馬だった。
「お前は、僕の馬を、平民たちの、見せ物に?」
スィグルがゆっくりと確かめた。怒っている。爆発まで秒読みに入った。もはや居並ぶ疎らな廷臣たちも、それを明確に察し、心で耳を塞いでいるようだった。
「あと公営カジノですが……」
「話はまだ終わっていない!!」
スィグルが玉座から叫んだ。ラダックはさすがに口をつぐんだ。
スィグルは貧血でも起こしそうなのか、玉座の肘掛けを掴んで、ぜえはあ言っている。
そんなにキレなくてもいいのに。癖みたいになっているのじゃないか。
「あと公営カジノですが、観光誘致も見込めます。観光客用の宿(サライ)も充実せさましょう。お土産もの屋さんなんかも」
待ってもスィグルが話をしないので、結局ラダックが話を継いだ。
「そうか……じゃあそこで僕の人形でも売れよ」
スィグルは凄んでそう言った。
「殿下、ナイスアイデア。どうせなら着せ替え可能なものを」
ラダックが真顔で誉めた。
ギリスは振り返って玉座を見上げた。ぶっ倒れるんじゃないか。
「ギリス。こいつが我慢ならないから、お前が始末しろ」
震える指でラダックを指して、スィグルが命じてきた。
「いやいや、これくらい我慢しろって。いちいち殺ってたら誰もいなくなっちゃうよ」
びっくりして、ギリスは答えた。ラダックはスィグルのために働いているのだ。忠臣を始末してどうする。
「この役立たず」
本気みたいな声で、スィグルがなじってきた。ひどい。
「では決まりということで」
ラダックが退出するつもりらしく、深々と跪拝叩頭した。
「待て、ラダック。お願いだから人形はやめて」
スィグルは泣きそうな顔でラダックに頼み込んだ。お前には王族としての誇りはないのか。
「では彫像ならいいですか、着せ替えは無しの方向で」
自分の皮肉が裏目に出たのが、よっぽどつらかったのか、スィグルは今日もまた玉座でわなわなしていた。どうせ、わなわなさせられるなら、着せ替え人形でいいじゃん。五十歩百歩だろ。
見上げたスィグルは口がきけなくなったように青い顔で押し黙っていた。
「それでは、決まりということで」
ラダックがもう一度叩頭し、立ち上がった。
すたすた歩いていくその後ろ姿を、スィグルは虚脱した顔で見送っている。
典礼を取り仕切る侍従が、次の者を呼んで良いか戸惑う目をこちらに向けた。ギリスは彼に頷いて答え、次を促した。
しかし昼時を促す時報を時計が鳴らし始めた。広間がため息をついた。
タンジールでは族長が午前中でぱっぱと切り上げている朝儀が、グラナダでは夕方までかかる。キャリアの差を噛みしめずにはいられない瞬間だった。
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その点はグラナダでもタンジール宮廷と同じで、スィグルは朝っぱらから玉座に座り、小宮廷の廷臣たちの話を日々聞いていた。
ただ、親父と違って、にこにこ営業スマイルというわけにはいかない。真剣に聞いているからかもしれないが、眉間に皺だ。どうせ真似するなら、族長のにこにこ顔を真似すればいいのにと、ギリスは思う。
高座にあがる石段に腰掛けて、ギリスはいつも、小宮廷の朝儀を見物していた。
「殿下、四方の門にかけた通行税を廃止いたしましょう」
ラダックが叩頭もそこそこに、いきなり提案していた。スィグルの眉間の皺がさらに深くなった。
「馬鹿も休み休み言え」
「では休み休み言います」
罵倒がまったく堪えていないようだった。さすが無痛のラダックと、ギリスは内心で感嘆した。
「グラナダは地理的にタンジールに近く、潤沢な水源や物資が確保できるにも関わらず、間近にあるタンジールのほうに隊商が行ってしまい、オアシスルートから外れています。そのため、主な財源は発掘される鉱物資源です。交易ルートに加われれば、もっとがっぽり稼げるのに、嘆かわしいことです」
ラダックは長台詞を本当に休み休み話した。当てつけらしい。
「普通に話せ、ラダック」
イラチなスィグルはすぐに根負けした。ラダックは恭しく一礼してみせた。
「通行税を廃止して、関税を低く抑えることで、隊商を誘致できるかもしれません」
「誘致できても、税をとれないのでは、無駄に通過されるだけじゃないのか。お前はグラナダの地下資源だけでは不足なのか」
「不足ということはないですが、何と申しますか、がっぽり感の薄い商売ですよね」
断言するラダックに、スィグルはすでに絶句していた。
スィグルは自分を攻撃してくる相手には、いくらでも迎撃ができるが、意表を突く意味不明なことをされると、理解しようとして思考停止する質だ。その証拠に、いま隙だらけですという顔をしていた。
「がっぽり感?」
「公営カジノを運営しましょう。それから競馬も。殿下、馬好きでしょう」
ちょっと待てと言うように、スィグルは右手を挙げて、ラダックを黙らせたが、結局なにも返事をしなかった。
確かにスィグルは馬が好きらしい。
部族領での主立った移動用の騎獣は砂牛で、馬は貴人のための贅沢品か、速力が求められる戦闘での用途だけだった。敵地は大抵が砂漠でなく、砂牛では不適当だったからだ。
それに、タンジールならいざ知らず、その他の都市では、馬のための飼い葉を用意するのも面倒だったし、金満家や貴族たちが道楽や体裁のために飼うものらしい。
それでもスィグルは馬が好きだった。グラナダに王宮から血統の良い馬を連れてきていた。
「殿下の馬は無駄です」
「ちょっと待て。僕の馬を競馬に使おうと言うのか」
「そうです、殿下がたまに乗って遊ぶだけの無駄な馬を、競走馬として働かせようというご提案です」
「ぜったいダメ」
「本日午後イチより初出走です」
スィグルがタンジールから持ってきた玉座の間(ダロワージ)の時計のレプリカを見て、ラダックが言った。もう、ほぼ午後イチと言えた。スィグルのこめかみに青筋が浮いたような気がした。
「お前の基本は事後承諾か」
「いえ、今回は事前ですよ。まだ出走していないはずですから。馬券は買っておきました。これは殿下のぶんです。殿下のお気に入りのアイレントランです」
スィグルが最近よく乗っている馬だった。
「お前は、僕の馬を、平民たちの、見せ物に?」
スィグルがゆっくりと確かめた。怒っている。爆発まで秒読みに入った。もはや居並ぶ疎らな廷臣たちも、それを明確に察し、心で耳を塞いでいるようだった。
「あと公営カジノですが……」
「話はまだ終わっていない!!」
スィグルが玉座から叫んだ。ラダックはさすがに口をつぐんだ。
スィグルは貧血でも起こしそうなのか、玉座の肘掛けを掴んで、ぜえはあ言っている。
そんなにキレなくてもいいのに。癖みたいになっているのじゃないか。
「あと公営カジノですが、観光誘致も見込めます。観光客用の宿(サライ)も充実せさましょう。お土産もの屋さんなんかも」
待ってもスィグルが話をしないので、結局ラダックが話を継いだ。
「そうか……じゃあそこで僕の人形でも売れよ」
スィグルは凄んでそう言った。
「殿下、ナイスアイデア。どうせなら着せ替え可能なものを」
ラダックが真顔で誉めた。
ギリスは振り返って玉座を見上げた。ぶっ倒れるんじゃないか。
「ギリス。こいつが我慢ならないから、お前が始末しろ」
震える指でラダックを指して、スィグルが命じてきた。
「いやいや、これくらい我慢しろって。いちいち殺ってたら誰もいなくなっちゃうよ」
びっくりして、ギリスは答えた。ラダックはスィグルのために働いているのだ。忠臣を始末してどうする。
「この役立たず」
本気みたいな声で、スィグルがなじってきた。ひどい。
「では決まりということで」
ラダックが退出するつもりらしく、深々と跪拝叩頭した。
「待て、ラダック。お願いだから人形はやめて」
スィグルは泣きそうな顔でラダックに頼み込んだ。お前には王族としての誇りはないのか。
「では彫像ならいいですか、着せ替えは無しの方向で」
自分の皮肉が裏目に出たのが、よっぽどつらかったのか、スィグルは今日もまた玉座でわなわなしていた。どうせ、わなわなさせられるなら、着せ替え人形でいいじゃん。五十歩百歩だろ。
見上げたスィグルは口がきけなくなったように青い顔で押し黙っていた。
「それでは、決まりということで」
ラダックがもう一度叩頭し、立ち上がった。
すたすた歩いていくその後ろ姿を、スィグルは虚脱した顔で見送っている。
典礼を取り仕切る侍従が、次の者を呼んで良いか戸惑う目をこちらに向けた。ギリスは彼に頷いて答え、次を促した。
しかし昼時を促す時報を時計が鳴らし始めた。広間がため息をついた。
タンジールでは族長が午前中でぱっぱと切り上げている朝儀が、グラナダでは夕方までかかる。キャリアの差を噛みしめずにはいられない瞬間だった。
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