もえもえ図鑑

2008/08/02

新星の金庫番(4)

 領主には超絶不評な、金庫番ラダックの怪しげな財政政策は、市民にはおしなべて好評だった。元は暢気な田舎町に、公営賭博なんぞけしからんという向きもあったが、人と金が流れ込んでくれば人々の財布も温かくなってくる。
 やがてグラナダは、徐々に高まっていく好景気に、男も女も歌って暮らす街になった。
 目標が果たせれば手段はなんでもいいじゃんか。
 一年か二年で王都に戻るという話は、どこかへ立ち消え、もはやここがスィグルの故郷だった。時々、都会の空気を吸いに戻る以外、タンジールに足を向ける機会も減った。
「刈り入れの季節です、レイラス殿下」
 なんとか昼飯前に朝儀を終えられるようになったスィグルのところへ、ラダックがやってきた。どこかへ出かけるようだった。
「参りましょう」
「って、どこへ?」
 一息ついて食事をとるつもりだったところに言われて、スィグルは意外そうにしている。
 ああ、この唐突に強引なところが、やっぱり、もと俺。ギリスはそう思いつつ、スィグルを宮殿の門へ引っ立てていくラダックについていった。
「食事は耕地で民といっしょにとりましょう。宮殿の厨房で、皆に振る舞うための弁当を作らせました。刈り入れは重労働ですから、領主やら英雄やらが現れて激励すれば、農民たちは喜びます」
 そう説明されて、スィグルはいかにも渋い顔をした。しかしそれでも大人しく馬に乗っている。
 ラダックに泣きついて、競馬場からなんとか一頭だけ返してもらった、お気に入りのアイレントランだ。ほかの騎手が自分の気に入りの馬に乗るのが、どうしても耐え難いらしい。
 まあ、嫉妬深いやつだから、とギリスは思った。
「最近おとなしいけど、新ネタないのか、ラダック」
 道々暇なので、ギリスは馬上から金庫番に訊ねた。ラダックはにこりともしない鉄面皮だ。
「新ネタですか。貨幣を発行してみようかと思っています。族長権限に触れるかもしれないので、微妙ですけど、グラナダの公営カジノでだけ流通する建前のものなら、まあいいかと。相場を変動させて、そこから差益を得るのです」
「差益」
 ぽかんとして、ギリスはラダックの話を聞いた。
「両替するときに出る利益のことです。部族の通貨は銀貨ですが、グラナダ貨は金貨にしましょう。族長は銀の泉(リューズ)だけど、うちの領主は金の麦(スィグル)ですから」
「鉱山から自前で金(きん)も出るし」
 ギリスが言うと、ラダックは大きく頷いてみせた。
「まあ夢ですけど、いずれはうちの金貨が、蛇の銀貨を圧倒するような時代がくると素敵ですね」
「そんなの反逆じゃないのか」
 ラダックが、かすかに声をあげて笑ったようだった。屈託のない笑みだった。
 一馬身後からやってくるスィグルは、この話を聞いているだろうが、まるで聞こえていないような素振りをしていた。
「金貨の意匠は、蜂にしましょう。殿下の紋章だから」
「だからあいつは毒の針があるんだな」
 ギリスの意見に、ラダックはなにも答えなかったが、賛成のようだった。
「殿下は滅茶苦茶ですけど、怒りながらでも廷臣を好き勝手にさせてくださるので、ああ見えてなかなか懐が深いようです」
「あいつは新星で、そのうち族長になるんだよ」
 教えてやると、ラダックはぎょっとした顔をした。驚けるんだ。
「それは想定していませんでした。継承争いから脱落して、ここへ来たもんだと」
 一見そういうふうに思えるだろう。案外、そっちが真実で、スィグルが新星だと信じているのは、実はもうギリスだけかもしれないが。
「でもまあ、いいかもしれませんね、ああいう族長も」
「将来は、族長即位記念のなんとか債をお前が発行すれば?」
「そうですねえ。その時は何にしましょうか」
 思わず二人そろってスィグルを振り返ると、新星は噛みつきそうな顔をした。やっぱり聞こえているらしい。
 行く先に目を戻すと、農民たちが刈り入れをしている、麦の耕地が見えた。
 タンジールから持ち込んだ新品種は、グラナダでは育たなかった。仕方がないので、タンジールから博士を招き、この土地に合う強化種をスィグルが開発させていた。今年はその最初の稔りだ。
 麦はみっしりと重く実っていた。
 刈り入れをする粗末な身なりの農民たちは、王宮からやってきた領主の一行に、あわてて平伏した。気にせず刈り入れを続けるよう、スィグルが命じさせた。
 馬を降りて、スィグルは刈り取られるのを待つ麦の穂の中に分け入っていった。
 麦は黄金のような色をしていた。
 波打つ金の麦。
 それを片手で撫でながら歩き、スィグルはなにかを思い出しているような後ろ姿をしていた。
「殿下はこの街を気に入っておられるんでしょうか。それとも田舎は相変わらずお嫌いで?」
 それが謎だと言うように、ラダックが訊ねてきた。鈍い男らしかった。
「田舎は嫌いだろうけど、この街のことは、タンジールにいる時からずっと愛していたはずだよ」
 意外に思って、ギリスはラダックに話した。金庫番は初めて聞いたという顔をした。
「ちょっと妄想入ってたけどさ」
「現実って厳しいですからね」
 農民達が刈り入れの歌をうたっていた。王宮からついてきた絵師が、離れた高台まで行き、画帳を開いて、その風景をのんびりと描いている。あいつがネコミミ債の犯人だ。
「そうでもないよ。たぶん、かなりあいつの妄想に近づいてるよ」
 ギリスはそう言いながら、どこか切なかった。もう王都に戻る必要なんかないのじゃないか。
 スィグルが麦の海の中から、ゆっくりとこちらを振り向いた。
 まるで絵のようだとギリスは思った。彼の治世を描くとしたら、ここが始まりだ。もしもその絵が、タンジールの墓所の玄室を飾ることがあるとしたら。
 いつか自分が石と骨になったときには、その絵に包まれて眠りたかったが、そうなるのかどうか、今では自信がない。
 もしかすると、ここで道は別れ、想像もつかないほど遠く異なる道筋を生きていくことになるのかもしれない。スィグルはグラナダ領主として。そして自分は、タンジールで別の星を崇めて生きるのかも。そのとき、他の継承者の血筋を断つため、悪面(レベト)をかぶってここに立つ自分のことが、ギリスには想像できた。
 そんなひどい話があるのか。
 そう思って見つめると、スィグルが不意に言った。
「ギリス、腹が減った」
 頷いて、廷臣たちは領主が食事をとるための支度を始めた。
 高台に絨毯を敷き、そこに円座をしつらえる。食事は、とことん美味のわからないスィグルには興味の薄いもので、たいてい粗食だった。
 麦を粉にして焼いた薄いパンを千切って、スィグルは刈り入れを眺めながら、黙々とそれを食べていた。その傍で、ギリスも同じ物を腹に収めていた。
「ギリス」
 ぽつり呼ばれたので、顔を見ると、スィグルは自分が途中まで食べた、素朴な部族の伝統料理を、じっと見つめていた。なにか不都合でもあったのかと、ギリスは領主の言葉を待った。
「甘い味がする」
 たいして驚きもしていないような顔で、スィグルが言った。ギリスは腰が抜けそうに驚いた。
 ため息をついて、スィグルはもう一口、薄いパンを食いちぎった。
「グラナダの、麦はうまいな」
 そう言って、熱心に食事を続ける彼を見守って、ギリスは小さく頷くのが精々だった。
 タンジールはもう、遠く縁のない、過去の都のように思えた。帰らずに、ここで生きていったほうが、スィグルはきっと幸せだろう。
「収穫量はかなりのようです。余剰生産ぶんは交易に回せます。うまうまですね、殿下」
 真面目な顔をして言いながら、刈り入れを見て回っていたラダックが戻ってきた。
「ちゃんと備蓄しろ。なにがあるか分からないんだから。万が一、籠城戦にでもなってみろ、麦は食えるけど金は食えないんだぞ」
 きいきいとスィグルが命じている。ラダックが聞いているかどうかは怪しい。
 ギリスは微笑んだが、寂しかった。竜の涙は王宮に仕えるもので、ギリスはここでも、誰の仲間でもなかったからだ。竜の涙さえなければ、グラナダ宮殿の廷臣として生きていく道もあったが、この石を取り出せるのは、自分が死んだ時だけだ。
 脳裏に玉座の間(ダロワージ)がよぎった。帰るべきかと、ギリスは考えた。

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