もえもえ図鑑

2008/08/31

新星の武器庫(24)

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 ケシュクは何が悲しいのか、矢を握りしめておいおい泣いていた。
 滅多に泣くような子供ではないので、ギリスは可哀想になって、椅子でしゃくりあげているケシュクに葡萄をやった。濃い紫色の皮をむいたのを、一粒口に入れてやると、子供は泣きながら、ひどく驚いたようにそれを食った。
「牛の目のファサルから、レイラス殿下に書状です」
 ラダックが気を取り直したように用件を伝えた。
 そんな大事な話を持っていながら、泉の氷のことを先に気にするとは、どこまで金勘定が好きなやつだと、ギリスは感銘を受けた。
「盗賊から書状だと?」
 ぶち切れた後、力が抜けたらしく、食卓に突っ伏していたスィグルが、ものすごい形相で顔を上げた。
 スィグルは母方の血筋で可愛いげのある顔立ちをしていたが、怒るとなぜか、とげとげしい凄みがあった。やつの目つきが、いかにもアンフィバロウの血筋らしい、高貴な残忍さを連想させるからかもしれなかった。
「どうやって僕に書状を送れるんだ、卑しい盗賊ふぜいが」
「市場の者たちが見つけて、騒ぎになっているようです。ケシュクが奪い取ってきてしまったようですが」
 ラダックは食卓のうえに、必死で握りしめているふうなケシュクの手から、何とかとりあげた二本の矢を置いた。
 ひとつは王族用の矢で、職人イマームがグラナダ宮殿からの依頼を受けて上納した、赤い矢だった。
 もう一矢は、ごく普通の木製の軸に、黒い矢羽根をつけた矢で、ギリスはそれに見覚えがあった。
 盗賊たちが射かけてきた矢だ。
 それが自分の腕を射抜くのを見た。そして、受け損ねた矢が、新星をめがけて飛ぶのを。
 あれは悪夢だった。
 この世に恐ろしいものは何もないと思っていたが、あの瞬間、これまで生きてきた何もかもが、一瞬にして掻き消えるような思いがした。
 結果として、スィグルは念動を使って助かったが、もしもあの矢が致命傷となったとしても、何もおかしくなかったのだ。もしも現実にそうなっていたら、今頃自分がどうしていたか、ギリスには全く想像がつかなかった。
「噴水広場の壁画ですが、シャムシールの筆による、例のあれです。そこに描かれたレイラス殿下の姿絵に、この矢が突き刺さっていたそうです。書状はそれに結んであったようです。市場の者がすでに内容を読んでいます」
「僕の描いた絵にですか」
 シャムシールが衝撃を受けた顔で訊ねた。ラダックは頷いた。
「両目を射抜いてあったそうです。悪戯ではないと思います。二本の矢は、ほぼ同時に、白昼堂々いずこからともなく飛来したとのことでした」
 くしゃくしゃになっている紙切れを、ラダックはスィグルに差し出した。
 スィグルは爛々とした黄金の目で、それを撫でるように一度だけ読み、食卓に放り出した。いつもながら、読んだかどうか怪しいような速読だった。
「討伐の支度をしているのを、知っているらしいな」
 案外静かに言うスィグルの声は、それでも重かった。
「俺のせいだよ。宮殿からの注文が、牛の目のファサルをやっつけるための新兵器だって、みんなに話しちゃった」
 めそめそ泣いていたケシュクが、あたかも何もかもが自分の責任だと、思い詰めたふうな叫び方をした。
 確かに街の者は噂をしている。
 領主レイラスが、武器職人組合に作らせた何かによって、牛の目のファサルを討伐すると。好景気に酔う賭博場では、不謹慎なことに、領主と盗賊のどちらが勝つか、早くも賭が始まっているらしい。
 どちらが優勢かと思って、ギリスは興味本位でのぞきにいったが、なんと牛の目のファサルが僅かに勝っていたので、そんなわけあるかと思って、スィグルに大枚はたいて賭けておいた。
 自分たちの守備隊が、盗賊より弱いと信じている市民というのは、いったいどういう根性だ。まあ確かに、それが目の前の現実なのだったのだが。少なくとも、これまでは。
 スィグルが考えている真顔でじっとケシュクを見ていたので、まずいのではないかとギリスは思った。
 さっきまで怒っていたようだったし、今も嘘でも機嫌がいいという顔はしてない。癇癪にまかせてケシュクを罰するのではないかと、ギリスにはいやな予感がした。王族の連中は、ときどきそういう事をする。スィグルはそういう質ではないようだが、たまたま今まで無かっただけで、今日が最初かもしれないじゃないか。
「よくやった、ケシュク」
 皮肉とは思えない声で、スィグルが唐突に子供を誉めた。
 それにケシュクが泣きべそ顔で、問いかける目をした。その目と向き合って、スィグルは突然、にやっと笑った。鮮やかな笑みだった。
「読んでみろよ、ギリス」
 食卓の上にある書状を顎で差して、スィグルはそう言った。
 ギリスは紙を取り上げてみた。
 それは王族が鷹通信(タヒル)に用いるような、典雅な趣味の薄紙だった。その上に記されているのは部族の文字だとギリスは信じていたが、読もうとすると、なぜか大陸公用語だった。まるで宮廷からやってきた公式の鷹通信(タヒル)のようだ。
「グラナダ領主、スィグル・レイラス・アンフィバロウ殿下。先だっては高貴なる御身を、卑しき盗賊めの討伐のためお運びくださり、小生感涙を禁じ得ません。拝領いたしました一矢はいったんお返し申し上げます。再戦のご意志ありとのこと、巷間の噂によりて聞き及び、恐悦の至り……次回、金曜の輸送馬車襲撃を決戦の場と思し召し、例の場所にてご拝謁賜れますよう。小生、殿下の麗しき両眼を頂戴し、晩餐の肉とする所存にて、ご来臨お待ち申しております。殿下の忠実なる盗賊、ファサル」
 皆も気になるだろうと思って、ギリスは音読してやった。内容がわからないケシュクだけが、めそめそしていて、宮廷からやってきて、公用語が理解できるシャムシールと三つ子は、あぜんとしていた。
「すげえ」
「挑戦状だ、挑戦状だ」
「すげえのが来ましたよ兄貴(デン)、これは夢?」
 夢かどうか確かめるといって、三つ子は真ん中の一人の顔を、残る二人でばしばし平手打ちした。殴られたやつは、痛いと驚いていた。だったら夢ではない。
 目をやると、スィグルは燃え尽きた煙管を指にはさんだまま、どことも知れない宙を睨み、卓上にあった杯から、がふがぶ水を飲んでいた。
 飲み干した杯を、叩きつけるように卓に戻し、スィグルは煙管を背後に放り投げた。そこで控えていた侍従が、曲芸かと思えるような鮮やかさで、領主愛用の煙管を盆に受け取っていたが、スィグルはそれを見もしなかった。
「奇襲だ、ギリス。接近戦に持ち込むぞ」
 高揚した顔で、スィグルが言うので、それがおかしくなって、ギリスは微笑した。
 こいつは平素は平和主義者で、虫一匹殺せないというツラをしてみせるが、本当のところは、親父の戦好きの血を、しっかり受け継いでいるのではないか。そうじゃなきゃ、こういう機会に、ここまで気持ちよさそうな顔をするものだろうか。
「いいね。ファサルの家を探す手間が省けたぜ」
 ギリスがほっとしてそう言うと、スィグルは笑った。なぜ笑うのかは、よく分からなかったが、とにかく領主は、悪い猫みたいに、くつくつと喉を鳴らして金色の目を細め、しばらく静かに笑い続けた。
 やがて、スィグルは笑いながら、侍従に命じた。
「イマームに支度をさせろ」
 戦場に響くにふさわしい、張りのある美声だと、ギリスは思った。
 居並ぶ侍従のうちの一人が、深々と恭しくお辞儀をして去った。盆を捧げ持った別のやつが、スィグルに二服めの煙管を差し出した。

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