もえもえ図鑑

2008/08/01

新星の金庫番(2)

「殿下、鷹通信(タヒル)が入りました」
 金庫番が、腕に一羽の鷹をとまらせて、謁見の間までやってきた。
「侍従がいるのに、どうしてお前がそんな用事までやっているんだい」
 スィグルが呆れたふうに訊ねたが、金庫番は動じない。
「グラナダ宮廷は人手不足ですから、ついでにやれる仕事はなんでもやるのが原則なのです」
 こいつがけちって人を増やさないから、いつまでたっても人手不足なのだった。ギリスはそう思ったが、余計な口出しはしないでおいた。それでもスィグルが気に入って使っているのだから、ほっとけばいい。
「そういえばお前の名前がさっそく決まったらしい。ラダックだ」
「はあ、それはどこから出てきた名前なのですか」
 慣れない名前がしっくりこないらしく、金庫番はとぼけたような顔をした。そりゃあ、今まで長年こいつがギリスで、その名をいきなり他人にぶんどられたのだから、妙な顔ぐらいするだろう。
「知らないけど、ラダックでいいやと作者は思ったらしいぞ。僕も異論はないから、お前のことはこれからラダックと呼ぼう。いいな、ラダック」
「ご随意にどうぞ」
 簡単な一礼とともに、金庫番ラダックは、腕の鷹を玉座のスィグルに指しだした。よく慣らされた鷹は、いやがりもせず、足につけられた銀の管の封を開けるスィグルの手に逆らわない。
「父上からだ」
 嬉しそうに、スィグルはタンジールから飛んできたらしい鷹の体を撫でてやっている。
「えーと……なんだ。ああ、誉めてるな。ラダック、お前のことも父上は誉めておられる。財政は治世における要所なので、ラダックのごとき良き廷臣に恵まれ、幸いである云々」
「それは身に余る光栄です。債券のことをご報告申し上げたからでしょう」
 ラダックの言葉にスィグルが玉座から落ちそうな勢いで立ち上がった。
「知らせた?」
「はい。離宮着工記念レイラス殿下ネコミミ債が発行されましたので」
「誰が許可した!!」
 最近、やけに板に付いてきた怒鳴り声で、スィグルが謁見の間をふるわす大音声をたてるのを、ギリスは高段からぼけっと聞いていた。タンジールにいた頃は、怒鳴るまでは行かなかったんだけどなあ。
「レイラス殿下がです」
 真顔でしれっとラダックは答えた。
「許した憶えはない。ていうか許すわけないだろ!」
「ああ、それでは私の思いこみで、独断で発行してしまったのかもしれません。あまりにも儲かりそうだったので」
 その正直な回答には、謎めいた説得力があり、ギリスは別にもういいんじゃないかという気がした。その債券はどこで買えるのか。
「そんなもの発行しなくても、離宮を建設するのに必要な予算は、この宮殿の金庫にすでにあるだろう」
 スィグルがあまりにも怒鳴るので、ギリスは血管切れるんじゃないかと心配になった。
「あります。でも、ネコミミ債により、廷臣たちの俸禄をアップすることができます」
 盗み聞きしていたらしい他の連中が、謁見の間のそこかしこで、おお、と感嘆した。
「公債は借金ですので、いずれは返金しなければなりませんが、それまでの間に、集めた資金を運用して、増資したぶんはこちらの取り分にできますよ、殿下。それに、返金にあたっては債券を回収させますので、どうしてもネコミミ債券を手元に残したい者は、返金を求めない可能性があります。だからこそ債券が重要になってくるのです!!」
 たぶん真面目な話だった。
 力説するラダックの話を、ギリスは珍しく真剣に聞いた。人に話を聞かせる力のある男らしかった。
 スィグルも勿論聞こえただろうが、わなわなするばかりで感心した様子はなかった。
「僕はね、お前と違って、名誉より金のほうが好きなわけじゃないんだよ」
「これだから金に苦労したことのない連中は困るのです」
 ほとんど叱責するような調子で、ラダックががつんと答えた。そう言われると、王宮育ちは弱かった。贅沢三昧が生活の基本で、スィグルの遊興には際限がなかったし、ギリスもそれをどこで止めれば適当なのか、さっぱり見当もつかなかった。
「ときに殿下、その人はレンタルですか」
 ギリスを指さして、ラダックが訊ねた。超絶失礼な態度だった。
「レンタル?」
 スィグルがうろたえた顔をした。
「彼の俸給は、グラナダ宮殿の予算から捻出されるのですか? もしそうなら、竜の涙なんか飼えないので王宮に返してきてください」
 俺は道で拾った動物か。ギリスはぽかんとした。
「エル・ギリスは父上の宮廷に仕える者だ。一時的に遣わされて駐屯しているだけだ。だからギリスの俸給はタンジールの予算に計上されているはずだ」
「殿下の家臣じゃないんですね。この先ずっとそうですね。御名にかけて約束できますね?」
 三段構えで言質をとられ、スィグルは忌々しげに玉座にひっこんだ。
「約束しなくても、竜の涙は王宮の管轄だって」
「でも借りてるんですよね。タダで使っていいんですよね?」
 嫌な予感がギリスはしてきた。
「氷菓(シャーベット)を売りましょう」
「お前どこまで本気なんだ。部族の英雄である竜の涙を、そんなしょうもない用途で損耗させたらまずいとは思わないのか」
 今度こそブチキレたらしい怒声でスィグルが叫んだ。
 そ、そうか。怒ってくれてよかった。好きにしろって言われたら泣くところだった。
「いえ。なにも氷結魔法でシャーベットを作ろうなんて言ってないですよ。商標に使うんです。トレードマークです殿下」
「商標?」
「そうです。ギリスちゃん印の冷え冷えシャーベットです」
 スィグルは怒った顔のまま言葉もなく驚いていた。珍しい表情なので、ギリスはじっと見ておいた。
「……え?」
 しばらくの沈黙のあとで、どこか遠くから戻ってきたみたいに、スィグルは聞き返した。
「とりあえず、メロン味とレモン味を試験的に売り出してみました」
 もう売ってるんだ。
 金庫番ラダックが手を叩いて合図をすると、謁見の間の外で待っていたらしい、厨房の者が、氷を満たした銀の盆を捧げ持って、足早に玉座に近づいてきた。そこには油紙で包まれた棒状の氷菓が載っていた。包み紙には氷の蛇が印刷されていた。それはギリスのもうひとつの異名だった。
「召し上がってみてください。どっちの味にしますか、エル・ギリス」
「じゃあ俺メロン味」
「じゃ私はレモン味で」
 もらって食べると、冷たくて甘かった。グラナダは暑いから、これなら皆も喜びそうだ。
「スィグル、お前どっちの味がいい?」
 氷菓を舐めながら聞いてやると、スィグルはなんだか青い顔をしていた。まるで、あまりにも怒っていて、紅潮するのを通り越し、青ざめてるみたいだった。
「……どっちでもいいんだよ僕は。どうせわかんないんだから」
 あっ、そうだった。でも匂いはわかるだろ。玉座でぐんにゃりしているスィグルに、そう訊ねたけど、無視された。
「エル・ギリスは英雄ですから。彼の英雄譚(ダージ)は誰でも知っていますよ。そのネームバリューを無駄にせず、がっぽり稼いでいきましょう。莫大な維持費がかかるグラナダ宮殿の氷室を、遊ばせておくのは無駄ですからね」
「知らなかった、俺は有名人だったのか」
 メロン味の氷を噛み砕きながらギリスが呟くと、金庫番ラダックは大きく頷いて答えた。
「有名ですよ、無痛のエル・ギリス。エル・イェズラムのトゥラシェ殺しを受け継ぐ魔法戦士として」
 その話が嬉しかったので、ギリスはラダックににっこりした。
「そういえばお前はもともと俺だったわけだけど、昔はお前が無痛のギリスだったんだよな? お前も痛覚がないの?」
「いいえ。ちゃんとありますよ」
 レモン味もうまそうだなあとギリスはラダックをじっと見つめた。
「私が以前の設定で、無痛のギリスと渾名されていたのはですね」
 ラダックは玉座を見上げ、そこでまだぐったりしているスィグルを盗み見た。
「あの人が怒鳴ろうが喚こうが殴ろうが、私がまったく平気だったからです」
「うわー。あいつシャーベット許すの?」
「そんなもん関係ありません。殿下にはマトモな金銭感覚がないから、家臣が支えないと、あっというまに貧乏になってしまいますよ。あの人の贅沢三昧は、歳があがるにつれ悪化していく予定ですから」
 頷きながら、ラダックは内緒の話のようにギリスに教えた。
「がんばってください……」
 ギリスは任せた。そんな能力、俺にない。
「メロン味のほうに、ギリスちゃんのお気に入りって印刷してもいいですか」
 ラダックが真面目に聞いているみたいだったので、ギリスは頷いて、それを許した。
「ギリス……」
 玉座から、とつぜん怨霊みたいな声がした。
「お前には……誇りはないのか」
 脱力のあまり魂が抜けたらしいスィグルが、そう訊ねてきた。
「いや、あるけど。俺はお前のためなら何でもするから」
 そう答えると、スィグルが玉座にとりついて、言語にならない怒声をあげた。スィグルはそうしてしばらく喚いていたが、ギリスが聞き取れたのは、グラナダには馬鹿しかいないのかという話だけだった。
 あいつ、グラナダではハジケてる。
 それはそれで、良かったんじゃないかと、ギリスは思った。

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