もえもえ図鑑

2008/08/27

新星の武器庫(11)

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 結局ギリスは、本当に私財を投じた。
 ラダックが手配してやり、タンジールの金庫から、蛇の紋章を刻印した銀貨が、ぎっしりと箱に詰まって運ばれてきた。
 よくぞ盗賊に遭わずに届いたと、ラダックが感想を述べ、部下に銀貨を数えさせた。それには随分古い時代の貨幣も混ざっているようだった。磨かねば曇る銀貨ゆえのことで、ずっと金庫に眠っていて、燻(いぶ)したような色になっているものを、ラダックは部下に命じてぴかぴかに磨かせた。
 スィグルが一枚手にとってみると、子供のころに遡って暗記した、古い先祖の名前が、蛇に抱かれて刻印されていた。
 族長になるということは、ここに名前を刻まれるということでもあった。
 そうして自分が死んだ後も、ずっとこうして、銀貨の中に名を残す。
 その権利を得るときまではと思い、スィグルはグラナダ貨を鋳造するときに、そこに自分の名は記させなかった。ただ自分の蜂の紋章だけ使わせ、金貨のもう片面には、麦の意匠をあしらい、どこで発行されたものかを証すため、グラナダ市の都市名を刻ませてある。
 玉座に座る王族は、それまで使用していた紋章を捨て、族長の紋である永遠の蛇を自分のものとする。それは、始まりも終わりもなく、お互いの尾を咥え、複雑にからまりあった二匹の蛇の意匠だ。
 それは、通常は太祖と呼ばれる、初代の族長アンフィバロウと、その双子の兄で竜の涙であった、ディノトリスを象徴するものと言われている。
 ディノトリスは千里眼という能力を持った魔導師で、はるか遠くにあるものを、居ながらにして見たり聞いたりすることができたという。その力を使って、彼はかつて奴隷であった部族を率いて、森からの逃避行をする弟アンフィバロウに、タンジールの基(もとい)となった都市遺跡の場所を教えた。
 そして部族の者たちは、今や魂の故郷と言える、麗しのタンジールにたどり着いたわけだが、その時にはもうディノトリスは末期的に石に冒されており、王都到達とほぼ同時に没した。
 族長アンフィバロウは、亡き双子の兄を偲んで、紋章に二匹の蛇の意匠を選んだという。
 いまやそれは歴史というより伝説の域に達した古い物語だ。
 とにかくそれが永遠の蛇の紋章の由来で、エル・ディノトリスは部族史に登場する最初の英雄だった。
 アンフィバロウとは新星という意味の名で、ディノトリスとは、射手を意味していた。
 長老会の者たちは今も、族長位の継承者のことを、新星という用語で呼ぶらしいが、それはこの伝説を引用したものだろう。
 ギリスは何かといえば、お前は新星だからと口にする。
 それではお前は差し詰め射手(ディノトリス)かと、以前ギリスに尋ねたら、彼はそうだと言っていた。新星の射手だと。
 では彼の真の名は、エル・ギリス・ディノトリスだ。
 王宮では準王族として遇される彼らだが、姓を持つことは許されてないため、公にそう名乗りはしないが、王侯以上に気位のある連中だ。代々の射手たちは、内心ではそういうつもりでいたのだろう。
 そしてその隠された名と、それとともに受け継がれてきた銀貨を、次代へ次代へと送り続けてきた。
 竜の涙とは、つくづく、おとぎ話のような連中だと、スィグルは思ったものだった。
 アンフィバロウと、ディノトリスか。
 初代英雄は、命を賭しての偉業を成し遂げた。
 しかし真に偉大だったのは、自分の祖であるアンフィバロウのほうだと、スィグルは思っていた。
 だが長老会はそう思わないものかもしれない。射手(ディノトリス)がいなければ、新星は夜空にのぼれなかったのだと、彼らは言いたいのだろう。今でも伝統として、族長を戴冠させるのは竜の涙の中から選ばれた一人だ。
 父に族長冠をかぶせたのはエル・イェズラムだった。
 たぶん自分のときはギリスなのだろう。
 彼が自分を、新しい星として闇夜に放つ時、蜂の紋章を帯びていたスィグル・レイラスは消滅し、永遠の蛇を負った、アンフィバロウが蘇る。自分も、おとぎ話の中の一人になるわけだ。
 そのとき、僕は愛すべきこの都市の金貨を、どうすればいいのやら。
 スィグルはぼんやりと、そんなことを考えた。
 永遠の蛇もいいが、使い慣れた蜂の紋章のほうに、捨てがたい愛着を感じる。いっそ族長になったら、永遠の蛇を捨ててやろうか。たぶん皆、度肝を抜かれるだろう。そう考えると、思わずにやりとした。
 新たに到着した銀貨はうずたかく、工房の平机に盛り上げられていた。
 ギリスは武器職人の親子に、宮殿内にある工房と居室を与えた。
 最初の試作品は、早くもすでに完成しており、たった今ギリスが手にしていた。
 イマームは勤勉な職人で、この仕事に心血を注いでいた。
 彼が息子の手伝いをしているという立場なのは、なんとも気の毒な話だが、ギリスは大まじめで、子供のほうのケシュクが、この技巧の生みの親だと思っているらしい。
 矢を装填していないまま弓弦を引いてある弩(おおゆみ)をスィグルに向けて、ギリスはそれを構えてみせた。それを作った職人は、その息子とともに、離れた工房の隅に控えていた。
「弩(おおゆみ)の精度は、まだ改良中。百発百中ってわけにはいかないが、盗賊退治ぐらいなら、実戦投入に足る性能に至っていると思うよ。試射をして、射程を見るか?」
 呼ばれてやってきてものの、スィグルは苦笑してギリスを見つめた。
「まさか本当に守備隊にこれを装備させるつもりか」
「本当にって、どういう意味で」
「弩(おおゆみ)は子供の玩具だよ。こんなもの兵に使わせたと知れたら、僕は笑われる」
 構えた弩(おおゆみ)の照準器ごしにこちらを見つめ、ギリスはしかめた顔をした。
「なんだとう」
 本当にむっとしているらしい声で、ギリスが怒った。
 どうして弩(おおゆみ)など開発させるのかと、これまで何度か訊こうかとスィグルは思ったが、いつもの趣味だろうと決めつけて、訊かずに流していた。だがそれにしては、ギリスが王都から送らせる銀の蛇の数があまりにも莫大で、まるで軍費のようだったので、まさかという気が途中からはしてきたのだ。
「部族の正規兵が用いるべき武器は、弩(おおゆみ)じゃなく、伝統的な弓だ。お前が遊んでいた間に、僕は練兵している。射程も、命中精度も、格段にのびた。高台から輸送馬車を、護衛させている。何度か盗賊を撃退もした」
 ギリスは、全くその話を知らなかったらしい。驚いた顔をした。
 よほどこの工房に入り浸っていたのだろう。一事に夢中になると、没頭しすぎるのがギリスの悪癖だ。
 しばらく驚きつづけてから、ギリスはやっと口を開いた。
「でも、お前の守備隊が牛の目のファサルを討ち取ったという話は聞かないけど?」
「それにはまだ勝てない。また盗まれた」
 顔を擦って、スィグルは素直に白状した。的確に痛いところを突いてくるものだ。
 前回はうやむやのうちに金塊を残して去った盗賊たちは、またどこからか戻ってきた。そして鮮やかな百発百中の矢で、守備兵を射抜き、今度こそお宝を奪っていった。
 金塊も惜しいが、スィグルは真剣に悩み始めていた。兵が死ぬのが耐え難いのだ。
 やわな領主様だが、憎いというより、盗賊が出るのが恐ろしかった。また王宮に、目を射られた死体が戻ってくる。他の傷なら隠しようもあるが、そんな遺体を戻された家族の嘆きが、どれほどのものかと思うと、常に胃が痛かった。
 まして彼らはまだ、予備役の市民兵だ。安く雇われて、命を取られるとは。それは、いかにもまずい。帳尻が合わない。
 実際ラダックも帳尻が合わないと言っている。領主が遺族への見舞金を惜しまないからだ。
 自分も部下といっしょに黙々と銀貨を磨いている、ラダックの仏頂面を、スィグルはちらりと盗み見た。
「ギリス、盗賊を根絶やしにしないとまずい」
「俺に任せろ」
 連弩(れんど)の再装填をするものらしい、取っ手の機構を確認しながら、ギリスは断言した。
「そんなこと請け合うなら、とりあえず玩具の弓を捨ててくれ。ここの守備兵では無理だ。父上の兵を借りることにする」
 それは間抜けだから避けたいと、心の底でずっと渋っていたが、二度目の襲撃で死んだものの顔を見ると、そんなことも言っていられなかった。
「なにいってんだよ、スィグル。お前の力をタンジールに示す絶好の機会だろ。相手はたかが盗賊なんだぞ。守護生物(トゥラシェ)の群れじゃない。たった一矢で倒せる相手だ。向こうより早く、正確に射ればいいんだ。そのための武器開発なんだぞ。お前のへなちょこな兵の腕と、人員不足を解決するのに、なにか他に手があるのか」
 そう言うギリスの顔は、やる気満々だった。戦意がみなぎっていた。
 たぶんギリスは楽しいのだろうと、スィグルは思った。
 彼は戦士なのに、停戦により長らく戦いの場を与えられていない。だから戦いたいのだ。他人任せでなく、自分で。
 スィグルはしばし考え、ため息をついた。
「意地を張っても兵が浪費されるだけだ。父上の精鋭を借りれば一瞬で片が付く」
「ばか! 根性出せよ。それでもお前は新星か。即位したら、泣きつく相手はいないんだぞ。今のうちから慣れろ。人まで食って生き延びてきた根性汚いお前だ、本気でやれば何でもできる」
 そう叱咤するギリスの言葉に、スィグルは唖然とした。そんな話をみんなの聞いている前でするな。即位するとか人を食ったとか。小さい子供だっているんだぞ。
 案の定、部屋のすみで訊いていたケシュクが、ぎょっとして怖いものを見る目をこちらに向けている。
 どんな化け物領主だと思われるか、わかったもんじゃないよ。スィグルは内心ぼやいた。
「弩(おおゆみ)じゃ不名誉だっていうなら、俺に魔法戦闘の許可を出せ。氷結術で、盗賊なんか一瞬で蹴散らしてやるから。それならいかにも王侯の戦いだろ」
 ギリスは熱くかき口説くような口調だった。

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