もえもえ図鑑

2008/08/02

新星の金庫番(6)

「もう、どこ行ってたんですか、エル・ギリス」
 泣きそうな顔で、藍色の官僚のお仕着せを着た者たちが、グラナダ宮殿の入り口で右往左往していた。馬を厩に預けて戻ったばかりで、ギリスは手を洗いたかった。
 そこで右往左往しているのは、大体いつも、スィグルの癇癪に困って右往左往する係の、名も無き気の毒な人々だった。
「殿下をブチキレさせてから出かけるのはやめてください。ちゃんとフォローしていってください」
 泣きつかれて、ギリスはごめんと謝った。
 そうなんだっけ。そんなことした覚えはないけど、とにかくそうなんだろう。今いるここでは。
「今もどこかで喚いてんの?」
「いいえ、いいえ、しょうがないのでオヤツを出して誤魔化しました」
 スィグルは甘味を感じられるようになってから、甘いものに目がなくなった。それでも普通より味覚が鈍いのか、脳が蕩けるような甘いものを、平気でうっとりと食っている。
 だから奴がイライラしたときは、甘いものを出すに限るのだった。
 広間に行くと、玉座にだらしなく座ったスィグルが、いかにも毛を逆立てたような面(つら)で、黙然と氷菓(シャーベット)を食らっていた。
 向こうは十七歳になっており、初めて見たころの可愛げのあるどこか儚げな少年キャラではなかった。どう見ても、とぐろを巻いた毒蛇だ。あと二、三度の脱皮で、本物になれそうな。
「ギリス、お前に休みを与えた覚えはないぞ。どこへ隠れていた」
 それは地獄の底から響いてくる声のようだった。
 ギリスは仕方ないので、領主の不機嫌をさけて誰もいない広間に入っていき、高座を見上げる石段に腰をおろした。
「市街に馬を見に行ってたんだよ、今度はお前もいっしょに行けば?」
「お前が僕からとりあげた名馬たちを、遠目にちらっと見せていただくためにかい。平民どもがご覧になるおこぼれを頂戴しに?」
「そういう観点だとなあ……どうなんだろ。グラナダはお前の家族だろ。族長にとってタンジール市民が我が子であるように。これがもし族長だったら、市民を喜ばすための馬を惜しんだりしないと思うよ」
 そう諭すと、スィグルは唸ったのか、悪態をついたのか、鼻で笑ったのか、何だか良く分からない音で答えた。
「父上と僕を、いちいち比べるな。父上がよけりゃ、さっさとタンジールに帰れ」
「いいから黙ってシャーベット食っててくれよ。お前は黙って座ってりゃ見た目はいいんだから」
 そう言うと、スィグルは素直に氷菓を口に入れ、しかし険しい表情のまま、もうちょっと近くに寄れというふうに指でギリスを差し招いた。
 機嫌がなおったのかと思って、ギリスはほっとし、石段をあがって、玉座の前まで行った。
 そしたら蹴られた。こっちが痛くないのをいいことに、玉座に座ったまま腹キックだ。痛くなくても死ぬときゃ死ぬのに。
「遠いんだよ」
「呼びつけて足蹴にするなんて、そんなことよく思いつくな」
「蜂の金貨が街から漏れ出てるらしい。王都から鷹通信(タヒル)が来て、父上にちくりと言われた」
 それが不機嫌の理由なのかとギリスは納得した。自分が競馬を見ている間に、新しい鷹が飛来したらしい。
「しょうがないよ。うちの金貨は良質で信用がおけるし。交易ルートに乗って、街の外でも流通しはじめている」
「部族の通貨は父上が発行している蛇の銀貨だ」
「お前が即位したら金貨に改めろ」
 シャーベットの最後の一かけを口に入れて、スィグルは黙っていた。なにか考えているようだった。
「僕は反逆したい訳じゃないんだよ、ギリス。この都市を上手に治めて、さすがレイラスは継承者にふさわしいと、父上に認めていただきたいだけなんだ」
「そんな必要ないだろ。長老会はお前が新星だということを知っている」
「お前のファンタジーにつきあえないよ。次代の族長を決められるのは父上だけなんだ。そのへん、しっかり弁えてくれ」
 玉座で足を組んで、スィグルは広間の入り口にある大きな時計を見つめた。
 その時計は、いつも少しだけ狂っていた。タンジールの玉座の間(ダロワージ)にあるものを精巧に写して作らせたはずが、どこかに微妙な勘どころがあるのか、時計は進んだり遅れたりしているようで、太陽の南中から割り出される正午と、時計の正午がずれている。それさえスィグルには癇癪の種らしい。
 苛ついたところで、スィグル・レイラスがリューズ・スィノニムになれるわけないだろうに。なんで同じものになろうとするんだろう。自分なりでいいのに。
 族長リューズは土台からして武人だが、スィグルはどう見てもそういう玉じゃない。平和な領地を治め、そこで民を富ませ、がっぽり稼いだ財宝にあぐらをかいているほうが、ずっと様になっている。
「スィグル、お前さ、無駄遣いするの、やめて」
「何の話だ」
 ぎくっとしたように、スィグルがこちらを見上げた。
「庭に孔雀がいっぱいいたろ。白いのが混ざってたよ」
「珍しいだろ。白孔雀。みどりのに見飽きたから」
 それが言い訳として成立するつもりなんだなあ、と、ギリスは思った。
「鳥好きだろ、ギリス」
 懐柔できるつもりらしい。
「そうだな。ぜんぶ焼き鳥にして街で売ろうか。孔雀ってうまいのかなあ」
 冗談のつもりで言ったのに、スィグルは本気に受け取ったみたいだった。頭をガツンとやられたみたいな顔をした。冗談て難しい。
「僕は王侯なんだよ。贅沢ぐらいしていいじゃん。自分の領地で稼いだ金なんだよ」
「将来の継承争いに使う諸経費と、もしも内戦になった場合の軍費として、蓄えるから」
「お前が愛してるのは帳簿だけなんだ、この守銭奴が。金貨に埋もれて死ぬがいいさ、それがお前のダージなんだろ」
 ぎゃあぎゃあ言うのが面白く、ギリスは玉座に胡座をかいているスィグルを、微笑みながら見下ろした。
「僕はしばらく、タンジールに帰るから」
 すねると家出するのも、いつもの手だった。ギリスは頷いた。
「母上の容態がよくないらしい。見舞いにいってくる」
 スィグルはいつも自分の母親の身を案じているらしかったが、見舞いのためにタンジールに帰ることはなかった。鷹が族長の小言の他に、よくない知らせを運んできたのかもしれなかった。
「ジェレフがタンジールにいるはずだよ」
 ギリスは教えてやった。長老会が、全土に派遣されている治癒者を、順に呼び戻しているのだった。
 先だってギリスを宛てて送られてきた鷹通信(タヒル)が、それを知らせていた。
 族長リューズがぶっ倒れたのだった。スィグルはその話をまだ知らない。極秘だからだった。
 鷹が運んできた文書も、厳重に暗号化されていた。長老会に通じた者しか読めないように。
 王家の血筋には時折、晩年に心臓を患う血が混ざっていた。リューズはまだ晩年というほどの年とは思えなかったが、長年の労苦が祟りでもしたのか、はたまた墓所から死霊が呼んでいるのか、とにかく発作を起こして倒れた。いずれはそれで死ぬはずだ。
 長老会は、そのことを族長本人にも隠したらしい。治癒者を乱費して、可能な限り延命させるつもりだとのことで、ギリスには自重を命じてきた。自重ってと、ギリスはおかしかった。焦って反乱でも起こすということか。
 広間の時計が時報を鳴らし始めた。りんりんと涼しげに鳴る鈴の音を、スィグルは黙って聞いている。
 運良く、あと二十年生きられたとして、十七万五千二百時間。族長はあと何時間生きているだろう。ギリスは自分が生きているうちに、スィグルが即位するのを見たかった。
 ジェレフたちは、まさに必死で働くだろうが、あいにくそれは英雄譚(ダージ)にならない仕事だ。お疲れ様なお話で。
 族長には、さっさと引導渡したほうが、気の毒な仲間のためになるのじゃないか。ギリスにはそんな気がしたが、新星が空に上るには、まだ少々早い気がした。
 母親の具合が悪いとか、父親に小言を言われたというだけで、平静でいられず怒鳴り散らす有様だから。
 あばよ当代の奇跡と、ギリスは懐かしい兄貴分(デン)に別れを告げた。
 石のない者たちにつきあって生きるには、自分たちの一生はあまりにも忙しない。
「ギリス、お前もいっしょに帰りたいか」
「いいや、俺はグラナダに仕事があるから」
「そうか、じゃあ精々、金庫で帳簿を抱いて寝ろ」
 はじめからギリスを連れて行くつもりはないように見えたが、断るとスィグルは不機嫌だった。
「気をつけて行くんだよ。兄弟げんかの煽りで、行きか帰りに誘拐されて、どっかの穴に捨てられないようにな。助けに行くのが、大変だから」
 忠告すると、スィグルは唖然と傷ついた顔をした。ギリスは冗談のつもりだった。
 かつて、元服のために、母親の里を目指して旅立ったスィグルは、領境からはるかに遠い場所で誘拐され、敵地で虜囚として時を過ごす羽目になった。族長は、事情を明らかにせず、誰も罰しはしなかったが、身内に売られたのは明白なことだった。
「よくも平気でそんなこと言えるもんだよ。お前に教えるだけ無駄だろうけど、世の中には言っていいことと、悪いことがあるんだ」
 この馬鹿が、とは今回は言わなかったが、それが省略されているだけなのは分かり切ったことだ。ギリスはただ微笑して、それを聞いた。わかんないもんは仕方ない。人心の機微というのが、どうがんばってもギリスには理解しきれなかった。
「戻りは、いつ?」
「さあな。決めてないよ。場合によっては長逗留かもしれない。戻ったら、天使を呼ぼうと思うんだけど、お前はどう思う」
 突飛な話に、ギリスはぽかんとした。そういえば昔、スィグルはそんなことを言っていた。
「グラナダはもう十分、繁栄しているだろう。天使に祝福させよう、ギリス」
「天使がこんな俗っぽい街にやってくるもんなのか」
「呼べば来るさ」
 それが、さも当然というふうに、スィグルはあっさり答えた。
 あまりの話にぼけっとしてしまうが、それが実現すれば、皆が目をむいて驚くような出来事だった。底抜けに景気のいい話だ。グラナダ市民は、領主レイラスの力を改めて心の底から思い知るだろう。もちろん、この街に住んでいない、遠く離れたところにいる者どもも。
「じゃあ、早く帰ってきてくれ」
「留守居は任せた」
 その端的な言葉は、領主の命令だったので、ギリスはその場で一礼した。
 どこへ行くのか、スィグルは玉座の前に立つギリスを押しのけるようにして出て行った。ギリスは高段からその背中を見送った。
 時計の時報は鳴り果てていた。
 それが正しい時を刻んでいるのかは、計りがたかった。
 チクタク、とギリスはひとり呟いた。
 時計の文字盤は、タンジールの広間(ダロワージ)にあるものと、そっくり同じ意匠に輝いていたが、それはまた、まったく別の新しい時代を刻むための機械仕掛けだった。
 自分の物語の終わりに、きっとこの時計が最後の時を打つ。それまで、どこか調子の狂った時のなかを、目隠しをした馬で走り抜ける。
 それが無痛のエル・ギリス。
 そういう役回りなんだろうと、ギリスはこの広間にいたはずの、鉄面皮のラダックに、静かに心の中で語りかけた。いつもスィグルをぶち切れさせ、絶叫させていた、面白いあいつ。
 しかしそれは、永遠に消えた男の、永遠に語られない物語だった。

《おしまい》

カルテット第二部につづく。なのか。
ラダック。当て馬なのに人気があった。ギリスより人気だったら下克上?
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