もえもえ図鑑

2008/11/04

銀貨三枚の矜持(4)

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「禁令を知らせる速報の鷹通信(タヒル)を、私が受け取ったんです。直筆じゃなかったですけど、私も着任したての小僧だったんで、それが族長の筆跡なんだと思ったんです。だって発令した人の名前のところに、リューズ・スィノニム・アンフィバロウって書いてあったので」
「あんたも案外、阿呆なんだなあ」
 ファサルに真顔で言われ、ラダックは反論できず、仕方なく頷いた。
「喫煙断ち難き者には、断頭を以て報いよと、書いてありました。それを読んで私は、なんだか、格好いいなと思えて、一瞬くらっと来まして、しばらく変だったんです」
 事実そのままの話だったが、要約して口に出すと、救いようもなく阿呆みたいだった。愕然の目でファサルに見られ、ラダックはそれがつらくなり、なんとか耐えようと咳払いして、気をとりなおして話を継いだ。
「本当に恐ろしいことでした。ご治世のうえで必要な措置だったとはいえ、私は殺される者を選ぶ仕事の一員だったんです。下っ端とはいえ、たった十五、六の小僧が、密告を受けたり、大の大人を処刑する指令書を書いたりしていました。判子を捺すのは領主でしたけど、私は今でも、後悔しているんです。あの時のことを。それで、公正でなければと、私情に走るべきではないと、いつも怖いんですけど」
「あんたはお堅すぎるくらい、お堅いんだから、怖がることなんかないだろうよ」
 ファサルは、なんでそんな事を言わされるのかという顔だった。それでも渋々と励ましてくるあたり、人の良い悪党だとラダックは思った。
「そうだといいのですが、やはり自信がないので、レイラス殿下にお仕えして、善人として生きていきたいのです。あなたも王家を恨んでいないのなら、このまま私と同じようにして、殿下の広間(ダロワージ)で、正義の味方として、生きていってくれませんか。確かに殿下は、族長と比べると、覇気がないというか、腑抜けているというか、格好良くもないですし、いかにも駄目みたいに見えますが、あれはあれで努力しておられますし、我慢できないほど駄目ということではないと思うんですけど」
 聞きながらファサルは段々、開いた口が塞がらなくなっていった。それが同意の表情か、それとも反発なのか、ラダックは見極めかねた。ただ呆れているだけに見えたからだ。
 ファサルは口に持って行きかけていた煙管を宙に浮かせたまま、眉をひそめて答えた。
「あんたも本当に言いたい放題言える人だね。仮にも王族の殿下に対し奉り、それでいいのかい。なんだかその話しっぷりが、最近ちょっと危ない快感になってきたよ」
「ええ。そんな、危ない快感もあるんで……レイラス殿下で我慢してくださいませんか」
 ラダックはとにかく勧誘した。うんと言ってもらわないと、ファサルの首を斬らないといけないのだから、こちらも必死だった。
「わかったわかった、そうしよう」
 しょうがないなと頷いて、ファサルは最後の一息を煙管から吸い、燃え残った灰を、真鍮の盆に、かつんと音高く打ち落とした。甘い薄煙をあげるその燃えさしを、ラダックは横目に見やった。これが煙屋の、燃え残りの最後の一片かと、そういう気がして。
「ただしもう魂は売らないよ。殿下が金を払ってくださる間しか、仕えないつもりだ。裏切りは王家の習いらしいからね。給料分を越えては働かない」
 ファサルは断言した。ラダックは頷いた。
「それでいいです。でも、エル・ギリスには気をつけてください。あの人はなにがなんでも、超過勤務させようとするんです」
「信じられんな、金も払わず働かせようとは、どういう了見だ」
「まったくです。信じられません」
 ラダックは悪態をついたファサルに心から同意して、なんだか満たされた気分になった。給料分を越えて働きたくないと言ったら、エル・ギリスは鬼畜生を見るような顔をして、お前には忠誠心がないのかと言っていたが、宮殿では誰しも皆そんなような、忠義に酔った顔をしていて、ラダックは怖かった。
 昔は自分もきっと、そんなような顔をしていただろうし、その時には悪党だったのだ。もっと冷静に、玉座からの障気に中らないようにして、事務的に仕えないと、また酷い目に遭うのではないかと、心配なのだ。誰かひとりくらいは素面(しらふ)の者がいないと、万が一のこともある。
 それでも結局、宮殿に連れ込まれてしまったが、誰か分かってくれる者がいて、それが少年の頃に憧れだった義賊だったので、ラダックは内心嬉しかった。
「私たちご同類みたいですね、ファサルさん」
「序列はあんたが上なんだから、呼び捨てでいいんだよ」
「そうなんですけど、どうもそれが無理なんです」
 白状すると、ファサルは目を泳がせ、妙な顔をした。
「そういえば、あんたはファサルの信奉者なんだっけね。化けの皮が剥がれた後でも、有り難みがあるもんかね」
「ありますね、正直に言って。たぶん、都合のいいところしか見えてないんですよね。エル・ギリスから話を聞いた時に、思わず殴りそうになりましたからね、嘘だと思って」
 殴ればよかったと、ラダックは後悔した。滅多にない好機だったのに、あまりの驚きで、すぐには手が出なかったのが敗因だ。
「義賊の正体は、どんな奴だったら良かったんだい」
「分かりませんけど、たぶん正体を知りたくなかったんです。謎のままでいて欲しかったといいますか、少なくとも、阿呆ではまずかったんです」
 上げた酒杯にむせたのか、ファサルは急に咳き込んだ。痛恨の表情だった。
「黙っておきますから。あなたが実は阿呆だということは、誰にも言いません。私も忘れます。格好悪いですからね」
 ファサルは項垂れたまま頷いていた。
「それはありがとうよ。私もあんたが阿呆だってことは、忘れさせてもらっていいかい。ここだけの秘密にしようや、なんだか耐え難いから。もう私は守備隊の隊長で、あんたはその上役なんだから、義賊のおはなしの読み本を見てる小僧みたいな目で、こっちを見られても参るんだよ」
 ファサルは気まずいのか、さらに麦酒を飲もうとし、その杯が空だったので、がっくりとした。
 ラダックは店の給仕を捕まえて、麦酒のお代わりを注文し、ついでに料理が飢え死にしそうなほど遅いが、料理人が突然死でもしたのか訊ねてくるように頼んだ。
 ファサルは走って戻る給仕の背を見送り、それが厨房に消えてから、こちらに半眼の目を戻してきた。
「あんたは変わった人だよね、ラダック」
 苦笑しながら、ファサルが指摘してきた。どの点を言われているのか、ラダックには分からなかった。
「そうでしょうか。あまり言われたことがないですが」
「怖くて言わないだけだろう」
 給仕があわてて運んできた新しい麦酒を、礼を言って受け取り、ファサルはそれを飲んだ。酒には別段、弱くはないようだった。そうでなければ、さっさと酔いたいというような飲みっぷりだった。
「お願いがあるんですが」
「無理だ」
 頼む前から、ファサルは即答で拒んできた。しかしラダックはそれを無視した。
「今日のあなたは、盗賊のように見えるので、私からのお礼を受け取ってくれませんか」
「礼金はいらないと言ったはずだよ」
 気にするなというように、ファサルはひらひらと手を振った。むしろ気にしないでくれというような口調が臭った。さすが義賊としか、思えなかった。金離れがいい。
「違います。武器庫の油とは別件です」
 ラダックは懐にある財布から、いつか機会があったらファサルに渡そうと思っていたものを取り出して、相手の膳の上にひとつずつ並べて置いた。
 それは蛇の紋章の入った銀貨だった。まず三枚並べ、それから、それに並行させて、もう三枚並べた。
 自分の膳に乗せられた六枚の銀貨を、ファサルは不可解そうに睨んでいた。
「なんだい、これは」
「銀貨です」
 見ればわかるという脱力した顔を、ファサルは見せた。ではこの人は知らないのか、それとも覚えていないかだと、ラダックは思った。
「昔、牛の目のファサルからもらったんです」
「銀貨を?」
 ラダックは頷いて、身の上話を語った。それは今まで誰にも話さずにおいた、秘密の話だ。
 ファサルは眉間に皺を寄せ、真面目なような、苦笑のような顔で、黙って話を聞いていた。
 それは、こんな話だった。
 昔、自分がまだ子供だった頃、両親は貧しくて、家は食うのがやっとの暮らしだったので、皆が修学する年になっても、ラダックは学校へ行けなかった。今では教育は義務化されていて、誰でも読み書きと基礎的な算術ぐらいは教えてもらえるが、当事は金を払わねばならず、市井にはまだまだ文盲の者も多い。
 学費が当事、銀貨三枚だった。貧しい者には大金だ。
 文字を習えるという学校に、どうしても通いたく思えて羨ましく、しかし両親にはとても強請れなくて、ラダックは夜中に家の裏でめそめそしていた。そこに不意に通りかかった男が、小僧、お前はなぜ泣いているのかと訊いてきた。
 事情を話すと、なんだそんなことかと男は言い、腰に提げた革袋に沢山持っていたらしい銀貨を、三枚とって、ラダックの手に握らせてくれた。
 そして、これは牛の目のファサル様からの施しだ、ファサル様に感謝して、無駄遣いするなよ、きっとそのうち良い世の中になるから、この金で真面目に学び、諦めるなと言い、月夜の闇に立ち去った。
 颯爽と、と、助けられた少年の目には、あくまでもそのように見えた。
 銀貨を握りしめて飛んで帰り、親に見せると、両親は顔を見合わせて、お前は賢いのだから、これで学校へお行きとラダックを励ました。
 その時は嬉しいばかりで疑問に思わなかったが、うちは貧しかったし、その銀貨は大いに暮らしの助けになったはずだった。それでも息子から銀貨を取り上げずに、学費に使わせてくれた両親は、勇気のある人々だった。なんせ泥棒からもらった金で、息子を就学させようというのだから。
 そうして入った学校で、ラダックは字と算術を習い、読み書き算術ができれば出自を問わず下級官吏に登用するという族長命により、試験に通って、グラナダ宮殿の下っ端の官吏として就職を果たした。
 そうする間にも、ファサルは何度か死んでいた。処刑は公開されたので、ラダックは恐ろしかったが、あの時の男ではないかと心配でたまらず、処刑されるファサルを刑場となった広場まで見に行った。
 もしも、あの時の男だったら、助けようという覚悟だったが、当人でも別人でも、助けられる訳がなかった。夜中に一時見ただけの相手の姿は、どんどん記憶から薄れていたし、きっと別人だと自分を誤魔化して、これは偽者のファサルなのだと言い聞かせた。
 実際、凄惨な処刑が行われた後にも、ファサルを名乗る盗賊は、何度でも復活してきた。その度に嬉しいような気がしたものだ。今度こそきっと、あの人なのだろうと。
 いつか立派に出世したら、あの時もらった銀貨に利子をつけて返そうと、子供ながらにそんな世知辛いことを夢想したものだったが、ここ何年も、ずっと失念していた。レイラス殿下が黄金を盗まれるのに発狂して、盗賊討伐をすると言い出した時までは。
 何とか、今度こそは止めなければと、牛の目のファサルを助けてしまった。それだけの事ができる出世を、もう果たしていたからだ。
 思えばそれまでも、自分はファサルを助けてきた。たとえば、ファサルを討伐するための兵にかかる金より、盗まれる金のほうが少ないから、討つと損をすると領主を煙に巻いてやったりして。しかし無駄に気位の高い殿下にはそれが通用せず、あのときは肝が冷えた。
 やがて、すったもんだの挙げ句、ふん縛られたファサルが宮殿に拉致されてきたが、その時もまだ気がつかなかった。やっと、背筋を打たれるような驚きを覚えたのは、謁見の間でレイラス殿下が尋問するため、目を開いたファサルが牽かれて来たときだ。
 あの時の、銀貨三枚の男だと、確信めいた閃きを覚えた。暗がりに月明かりで、良くは見えていなかったが、あの男はなんだか奇妙な目をしていた。右と左で、違う色をしているようだった。片方の目だけが、月明かりの下でも、煌々と星のようにきらめいていた。
 彼こそファサルと、その場では直感的にそう思えたのだ。
 その男が宮殿の広間で、我が儘な殿下に言いくるめられているのを見守りながら、運命の不思議を感じたものだ。どうやら自分は、昔の恩を返したらしいと思って。
「でも、あんた、あの時私の言い値を値切っただろう」
 ファサルは明らかに非難する口調だった。ラダックは眉をひそめた。
「それとこれとは話が別です。ふっかけすぎだったんです、二万というのは」
 そこは譲れないと思って、ラダックはきっぱりと答えた。
「金銭というのは、大事なものなんです。それで運命の変わる者もいるのです。だから、一銭たりとも無駄にはできません」
「それはそれは、ずいぶん立派な官吏になったようだね」
 苦笑とも、喜んでいるともつかない笑みで、ファサルは嫌みったらしく褒めた。
 ラダックはそれに、さらに眉間に皺を寄せた。
「私のことを、憶えているんですか。やはり、あなたがあの時の盗賊だったんですか」
「いいや、全然憶えがない。そんなの盗賊とは限らないじゃないか。財布の紐に締まりのない酔漢かもしれないし。だいたい、夜の夜中にちびっこい餓鬼が、哀れっぽく井戸端でめそめそ泣いていて、銀貨三枚で助かるというんだったら、それくらいくれてやる奴はごまんといるだろうさ」
「いませんでした。それに私は、井戸端で泣いていたとは言っていません」
 ラダックが早口に論破してみると、ファサルはがっくりと項垂れた。
「……調子が悪い。これっぽっちで酔ったんだろうか」
「銀貨を受け取ってください。三枚は利子です。倍は破格ですが、出世払いですから」
 ファサルはもう話す気がなくなったらしく、うんうんと頷いて、膳の上の六枚の銀貨を、大人しく懐に仕舞ってくれた。ラダックは微笑して、それを眺めた。
「返さなくてもいいんだよ。ファサル様はあの頃盛んに、銀貨をばらまいていた。民心を掴んで、反乱を起こすつもりだったんだ。だからまあ、言うなれば泡銭なんだ。必ず返すと言っていた者は多いけど、律儀に利子までつけて返金してきたやつは、あんただけだよ、ラダック」
「私は真っ当なんです。借りたものは返すのが常識です。私は物乞いではないですから、施しは受けません。あなたは私に投資して、利子を得たんです。そこからまた困っている誰かに、投資してやってください。その正体は守備隊の隊長でもいいですけど、またある時はグラナダの義賊として活躍することも、忘れちゃいけません。この街には牛の目のファサルが必要なんです」
「そんなの必要ない世の中を作るんじゃなかったのかい」
 心底びっくりした声で、ファサルが訊いてきた。まったくその通りで、ファサルの指摘は論理的に辻褄が合っていたが、そういうことが気にくわないのは、ラダックには珍しいことだった。
「それとこれとは、話が別です」
 また、きっぱりと教えてやると、ファサルはあんぐりとして、もう何も言わなかった。
 本当に何も言わず、給仕の者が恐縮しながら持ってきた料理を、黙々と平らげた。
 それと向き合って、自分も黙々と食べ、ラダックはファサルに食事代を奢って店を出た。
 絶対に奢られたくない、新たな借り貸しの生じないように、けちくさいが割り勘でいこうとファサルは言っていたが、ラダックはそれを無視した。こちらが呼びつけたのだし、接客する側が支払うのが道理というものだ。それに、小額とはいえ長年借りのあった相手に、小額とはいえ貸しを作れるのは、いい気分だった。
 ファサルは何があっても返金すると決意していたが、ラダックは受け取るつもりはなかった。そのための言い訳として、家屋敷を抵当に入れてもらうような、莫大な利子でも請求してみようかと決めた。

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