イェズラム様は頭が痛い・巻の2
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その3。携帯電話。
もう限界だと思って、イェズラムは仮眠することにした。
眠いなあと思わなくなって、何時間か経つ。そういう自覚もないぐらい、眠くなったということだ。重要な件で人に何かを命じてすぐに、今なんと言ったっけと、ふと思い、眠るべきだと気がついた。
玉座の間(ダロワージ)の時計が二度鳴るまでは、誰も起こしに来ないよう、皆に言い渡して居室に戻った。
いちいち着替える気もせず、寝室でとりあえず長衣(ジュラバ)だけ脱いで、肌着で布団に入ると、一瞬で眠れそうな気がした。
こういう時は俯せ寝。とにかく世界の全てを背にして、枕を抱いて眠るに限る。
しかし悲しい性というか、緊急連絡用にある、携帯電話の電源だけは、どうしても切れない。何が何でもの一大事には、昼でも夜でも連絡するよう、何人かにだけ番号を教えてあった。
鳴るなよと、拝み倒す気分でそれを枕元に置き、イェズラムは目を閉じた。
そしてその時、電話が鳴った。
『もしもし、リューズ・スィノニムです』
イェズラムが、慌てて答えた電話から、いちばん聞きたくなかった声が聞こえた。
「どうしてこの番号をお前が知ってるんだ」
暇人に、くだらん雑談で非常回線を埋められて、職務に触るとキレるので、イェズラムはこの番号を、リューズには秘密にしてあった。
『シャロームを、軽くシメたら吐きました。さて問題です』
けろりと笑った声で言い、リューズが謎をかけてきた。
『上は大水、下は大火事。それは何でしょう』
わかりやすすぎる謎々で、どう考えても嫌がらせだった。
ブチッと切れる一秒手前で、イェズラムは電話をブチッと切った。
そして眠りに逃れようとしたが、寸暇も与えず電話が鳴った。出ないわけにはいかなかった。たとえ誰だかバレバレの、発信情報秘匿の番号からでも、緊急回線への連絡を無視したら、それでは緊急回線の用を成さない。
このやろうと思いつつ、電話に出ると、やっぱりリューズだった。
『いきなり切るなよ、この不忠者。さっきの答えは何だか分かるか』
ちょっと不機嫌なような、それでも笑った声で、電話の向こうの族長が訊いた。
「風呂だろう」
アホでも知ってるそのネタを、なんで今さら訊いてくるかと、心底腹が煮えてきた。こっちはお前の治世のために、日も夜も眠らず挺身し、倒れる寸前で仮眠しようというのに、たった二時間しかない時を割き、なんでお前と謎々なのか。
『違います。答えは、タンジール第四層』
教えられて、何のことかすぐには分からず、イェズラムは布団の上で顔をしかめた。巨大な地下都市タンジールの、地下第四層は居住区だった。
『第三層で洪水、第五層で出火した。冗談みたいな大災害だ。族長権を行使して、魔法戦士の出動を、緊急に要請したい。どうか俺の民を救ってくれ、我が英雄よ』
一気に眠気が吹き飛んだ。
ほんとの話かと我が耳を疑い、イェズラムは電話を耳に当てたまま、慌てて寝台に身を起こした。つい今しがた脱ぎ捨てた長衣(ジュラバ)をとって、それを肩から羽織りながら、すぐ行くと、リューズに答えかけた矢先だった。
『なんちゃって。びっくりしたか、イェズラム。謎々の答えは風呂でした』
くすくす笑う声が言い、ブチッと電話が切られた。
つーつーと、通話切断の音を聞きながら、イェズラムは、自分の中で何かがブチッと切れる音を耳にした。
ここで選べる行動は二種類だった。
寝る。
あるいは。
走っていって族長を殴る。
しかし殴れば逆臣で、とにかく結局寝るしかなかった。
その4。携帯電話の十数年後。
もう限界だと思って、イェズラムは仮眠することにした。
頭痛は年々深刻になり、お世辞にも体調がいいとは言えなかった。それでも王宮の剣呑な雑務は益々勢いを増し、族長の腹心として権勢を増すに連れ、うずたかく積もる責務も天井知らずだった。
それでもこれが忠義と覚悟を決めて、玉座の間(ダロワージ)を守ってきたが、たとえどんな英雄であろうと、眠いもんは眠かった。
玉座の間(ダロワージ)の時計が二度鳴るまでは、誰も起こしに来ないよう、皆に言い渡して居室に戻った。
いちいち着替える気もせず、寝室でとりあえず長衣(ジュラバ)だけ脱いで、肌着で布団に入ると、一瞬で眠れそうな気がした。
こういう時は俯せ寝。とにかく世界の全てを背にして、枕を抱いて眠るに限る。
しかし悲しい性というか、緊急連絡用にある、携帯電話の電源だけは、どうしても切れない。何が何でもの一大事には、昼でも夜でも連絡するよう、何人かにだけ番号を教えてあった。
鳴るなよと、拝み倒す気分でそれを枕元に置き、イェズラムは目を閉じた。
そしてその時、電話が鳴った。
どこかでやったことがあるような、そんな既視感があった。
『もしもし、リューズ・スィノニムです』
昔より、ずいぶん落ち着きの増した、名君然として響く美声だった。
「どうしてこの番号をお前が知ってるんだ」
うんざりと枕に沈んだまま、イェズラムは一応訊ねた。
『エル・ジェレフを軽くシメたら吐いたのだ。それはともかく相談がある』
いかにも深刻そうなリューズの声に、騙されるものかと身構え、イェズラムは目を閉じた。
「この回線は治世の一大事限定だ。くだらん雑談はよそでやれ」
『まさに治世の一大事の件だ。継承者指名について、死ぬほど悩んでいるんだぞ』
悩んで死ぬというのなら、リューズはとっくに死んでいる男だった。陰ではけっこう、思い詰める性分だからだ。
「それで……とうとう決めたのか、指名する継承者を」
もしかして、案外これは、当代族長から長老会の長(デン)への、秘密の通達なのだろうかと、イェズラムはほんの少しだけ聞く耳を持った。
リューズは悶々と、長子を頭に第十七王子までの、性格や能力の長所と、その短所について、あれやこれやと想像を絶するほど話し続けた。十番目までの話を聞いたところで、どうにも耳が痛くなり、イェズラムは電話を持ち替えた。その時ちら見した通話時間は、すでに一時間を過ぎていた。
十五番目まで話が及んだ段階で、イェズラムは、リューズに息子が十七人しかいなくて、本当に良かったと、初めてそれを感謝した。
系譜をたどって遡ると、代々の族長には、もっと沢山の男子が生まれていた。その大勢の中から最も優れた者を選び抜き、次なる新星を選ぶのが、名君となる世継ぎを得るのに理想的であろうと、もっと作れとケツを叩いた頃もあったが、もしもこれが五十人百人の世界であれば、リューズも俺も、この話が終わる前に気が狂う。
さんざん話して、リューズの親馬鹿トークは第十七王子で完了だった。
それで結論は、と、イェズラムは言葉を待った。
リューズは鬱々と言った。
『それでだな、イェズよ。この中から誰を選ぶかが、問題なのだ』
そんなの今さら言うなだった。
「選んだから電話してきたんだろう。そうじゃないのか、リューズ」
『選べるわけがないだろう、俺に。選べないから相談しているのだろう』
逆ギレ口調で言われ、イェズラムは遠い目をした。
「それじゃあ俺が選んでやろう。(16) スィグル・レイラスで決定だ」
『なぜそう思うんだ』
「話せば長いが、短く言うと、ただの勘。お前を選んだ、俺を信じろ。うだうだ言わずにハンコを押して、その遺言書を俺のところに持って来い」
手短にそう告げて、再び答えを待つと、リューズはひどく長い間、沈黙していた。
電話が切れているのかと思った。
まさか地下だから圏外か。そんなわけあるか、もともとメタフィクションなのに。電話なんかない世界なのに、そこでわざわざ携帯電話ネタをやり、挙げ句まさかの圏外か。いくらなんでも、それはないだろ。
「聞こえてるのか、リューズ」
念のため、イェズラムは声をかけてみた。すると深いため息の音が答えた。
『エル・イェズラム……この、逆臣め』
なんのこっちゃと思い、イェズラムは脱力した渋面になった。
『俺が必死で悩んでいるのに、テキトーなこと言いやがって。しかも族長権を侵すような、遠慮のない越権発言を堂々と、恥ずかしげもなく俺に言いやがって。昔のお前はよかったよ。どうしてそんなんなっちゃったんだ。お前になんかもう相談しない。話した時間が無駄だったわっ』
がおっと吠える捨て台詞を吐いて、リューズはブチッと通話を切った。
ちょうど二時間だった。
どんどん、と控え目に、寝室の戸が打ち鳴らされた。
「イェズラム、二時間経ったけど。ジェレフが顔面蒼白で、謝りたいって戸口に来てるよ」
時間が来たら起こしに来いと、頼んであったギリスの声が、扉の向こうで教えてきた。
そうか、殊勝にも、土下座に来たか、エル・ジェレフ。
俺もこの十数年で、ずいぶん人格変わったぞ。お前が新入りだった頃、なにかと大目に見ていたが、お前もすでにいいかげん、中堅といっていい歳だ。ゴメンで済むと思うまい。
リューズに番号を教えるな。何度言ったら分かるんだ。お前はいったいどんな手で、リューズに電話をむしり取られた。
じっくり聞いてやりたいが、生憎そんな暇がない。
「ギリス」
頭を抱えて呼びかけると、エル・ギリスが薄く開いた扉から、ちらりと片目だけ出した。
「ジェレフに、おしおきその(36)をやってやれ。俺の代わりに、頼んだぞ」
「了解了解」
にやりと笑った悪童の口が、扉の隙間によぎって消えた。
さてと、あっちは使える養い子(ジョット)に任せ、俺は玉座の間(ダロワージ)に行くか。そこへ踏み込むわけではないが、晩餐に来るリューズを逃がさず捕まえて、廷臣一同の見守る前で、ぎったんぎったんにやっつけてやる。
もちろん長年仕えた名君の、当代随一の忠臣として、やってもかまわん範囲でだ。
他の誰もがやれないような、ギリギリの線を突いてやる。
その攻撃が痛ければ、リューズ、そろそろ憶えてくれないか。
俺の緊急回線に、緊急でない電話をするな。
これがすでに名君となったお前に対し、俺が兄として言っておきたい、最後の最後の本音の言葉だ。
イェズラムは着慣れた質素な普段着に、眠気の覚めない身を包み、住み慣れた居室を後にした。
まったく今日も、イェズラム様は頭が痛い。
だがそんな、十数年来、相も変わらぬ日常も、すでに身に染み付いた、愛しき激務だった。
いざ、栄光の玉座の間(ダロワージ)へ。
名君と大英雄の戦いは、なおも続く。
時に激しく、時にアホらしく、いつ果てるともなく、椎堂かおるのネタが尽き果てるまで。
《終わり》
その3。携帯電話。
もう限界だと思って、イェズラムは仮眠することにした。
眠いなあと思わなくなって、何時間か経つ。そういう自覚もないぐらい、眠くなったということだ。重要な件で人に何かを命じてすぐに、今なんと言ったっけと、ふと思い、眠るべきだと気がついた。
玉座の間(ダロワージ)の時計が二度鳴るまでは、誰も起こしに来ないよう、皆に言い渡して居室に戻った。
いちいち着替える気もせず、寝室でとりあえず長衣(ジュラバ)だけ脱いで、肌着で布団に入ると、一瞬で眠れそうな気がした。
こういう時は俯せ寝。とにかく世界の全てを背にして、枕を抱いて眠るに限る。
しかし悲しい性というか、緊急連絡用にある、携帯電話の電源だけは、どうしても切れない。何が何でもの一大事には、昼でも夜でも連絡するよう、何人かにだけ番号を教えてあった。
鳴るなよと、拝み倒す気分でそれを枕元に置き、イェズラムは目を閉じた。
そしてその時、電話が鳴った。
『もしもし、リューズ・スィノニムです』
イェズラムが、慌てて答えた電話から、いちばん聞きたくなかった声が聞こえた。
「どうしてこの番号をお前が知ってるんだ」
暇人に、くだらん雑談で非常回線を埋められて、職務に触るとキレるので、イェズラムはこの番号を、リューズには秘密にしてあった。
『シャロームを、軽くシメたら吐きました。さて問題です』
けろりと笑った声で言い、リューズが謎をかけてきた。
『上は大水、下は大火事。それは何でしょう』
わかりやすすぎる謎々で、どう考えても嫌がらせだった。
ブチッと切れる一秒手前で、イェズラムは電話をブチッと切った。
そして眠りに逃れようとしたが、寸暇も与えず電話が鳴った。出ないわけにはいかなかった。たとえ誰だかバレバレの、発信情報秘匿の番号からでも、緊急回線への連絡を無視したら、それでは緊急回線の用を成さない。
このやろうと思いつつ、電話に出ると、やっぱりリューズだった。
『いきなり切るなよ、この不忠者。さっきの答えは何だか分かるか』
ちょっと不機嫌なような、それでも笑った声で、電話の向こうの族長が訊いた。
「風呂だろう」
アホでも知ってるそのネタを、なんで今さら訊いてくるかと、心底腹が煮えてきた。こっちはお前の治世のために、日も夜も眠らず挺身し、倒れる寸前で仮眠しようというのに、たった二時間しかない時を割き、なんでお前と謎々なのか。
『違います。答えは、タンジール第四層』
教えられて、何のことかすぐには分からず、イェズラムは布団の上で顔をしかめた。巨大な地下都市タンジールの、地下第四層は居住区だった。
『第三層で洪水、第五層で出火した。冗談みたいな大災害だ。族長権を行使して、魔法戦士の出動を、緊急に要請したい。どうか俺の民を救ってくれ、我が英雄よ』
一気に眠気が吹き飛んだ。
ほんとの話かと我が耳を疑い、イェズラムは電話を耳に当てたまま、慌てて寝台に身を起こした。つい今しがた脱ぎ捨てた長衣(ジュラバ)をとって、それを肩から羽織りながら、すぐ行くと、リューズに答えかけた矢先だった。
『なんちゃって。びっくりしたか、イェズラム。謎々の答えは風呂でした』
くすくす笑う声が言い、ブチッと電話が切られた。
つーつーと、通話切断の音を聞きながら、イェズラムは、自分の中で何かがブチッと切れる音を耳にした。
ここで選べる行動は二種類だった。
寝る。
あるいは。
走っていって族長を殴る。
しかし殴れば逆臣で、とにかく結局寝るしかなかった。
その4。携帯電話の十数年後。
もう限界だと思って、イェズラムは仮眠することにした。
頭痛は年々深刻になり、お世辞にも体調がいいとは言えなかった。それでも王宮の剣呑な雑務は益々勢いを増し、族長の腹心として権勢を増すに連れ、うずたかく積もる責務も天井知らずだった。
それでもこれが忠義と覚悟を決めて、玉座の間(ダロワージ)を守ってきたが、たとえどんな英雄であろうと、眠いもんは眠かった。
玉座の間(ダロワージ)の時計が二度鳴るまでは、誰も起こしに来ないよう、皆に言い渡して居室に戻った。
いちいち着替える気もせず、寝室でとりあえず長衣(ジュラバ)だけ脱いで、肌着で布団に入ると、一瞬で眠れそうな気がした。
こういう時は俯せ寝。とにかく世界の全てを背にして、枕を抱いて眠るに限る。
しかし悲しい性というか、緊急連絡用にある、携帯電話の電源だけは、どうしても切れない。何が何でもの一大事には、昼でも夜でも連絡するよう、何人かにだけ番号を教えてあった。
鳴るなよと、拝み倒す気分でそれを枕元に置き、イェズラムは目を閉じた。
そしてその時、電話が鳴った。
どこかでやったことがあるような、そんな既視感があった。
『もしもし、リューズ・スィノニムです』
昔より、ずいぶん落ち着きの増した、名君然として響く美声だった。
「どうしてこの番号をお前が知ってるんだ」
うんざりと枕に沈んだまま、イェズラムは一応訊ねた。
『エル・ジェレフを軽くシメたら吐いたのだ。それはともかく相談がある』
いかにも深刻そうなリューズの声に、騙されるものかと身構え、イェズラムは目を閉じた。
「この回線は治世の一大事限定だ。くだらん雑談はよそでやれ」
『まさに治世の一大事の件だ。継承者指名について、死ぬほど悩んでいるんだぞ』
悩んで死ぬというのなら、リューズはとっくに死んでいる男だった。陰ではけっこう、思い詰める性分だからだ。
「それで……とうとう決めたのか、指名する継承者を」
もしかして、案外これは、当代族長から長老会の長(デン)への、秘密の通達なのだろうかと、イェズラムはほんの少しだけ聞く耳を持った。
リューズは悶々と、長子を頭に第十七王子までの、性格や能力の長所と、その短所について、あれやこれやと想像を絶するほど話し続けた。十番目までの話を聞いたところで、どうにも耳が痛くなり、イェズラムは電話を持ち替えた。その時ちら見した通話時間は、すでに一時間を過ぎていた。
十五番目まで話が及んだ段階で、イェズラムは、リューズに息子が十七人しかいなくて、本当に良かったと、初めてそれを感謝した。
系譜をたどって遡ると、代々の族長には、もっと沢山の男子が生まれていた。その大勢の中から最も優れた者を選び抜き、次なる新星を選ぶのが、名君となる世継ぎを得るのに理想的であろうと、もっと作れとケツを叩いた頃もあったが、もしもこれが五十人百人の世界であれば、リューズも俺も、この話が終わる前に気が狂う。
さんざん話して、リューズの親馬鹿トークは第十七王子で完了だった。
それで結論は、と、イェズラムは言葉を待った。
リューズは鬱々と言った。
『それでだな、イェズよ。この中から誰を選ぶかが、問題なのだ』
そんなの今さら言うなだった。
「選んだから電話してきたんだろう。そうじゃないのか、リューズ」
『選べるわけがないだろう、俺に。選べないから相談しているのだろう』
逆ギレ口調で言われ、イェズラムは遠い目をした。
「それじゃあ俺が選んでやろう。(16) スィグル・レイラスで決定だ」
『なぜそう思うんだ』
「話せば長いが、短く言うと、ただの勘。お前を選んだ、俺を信じろ。うだうだ言わずにハンコを押して、その遺言書を俺のところに持って来い」
手短にそう告げて、再び答えを待つと、リューズはひどく長い間、沈黙していた。
電話が切れているのかと思った。
まさか地下だから圏外か。そんなわけあるか、もともとメタフィクションなのに。電話なんかない世界なのに、そこでわざわざ携帯電話ネタをやり、挙げ句まさかの圏外か。いくらなんでも、それはないだろ。
「聞こえてるのか、リューズ」
念のため、イェズラムは声をかけてみた。すると深いため息の音が答えた。
『エル・イェズラム……この、逆臣め』
なんのこっちゃと思い、イェズラムは脱力した渋面になった。
『俺が必死で悩んでいるのに、テキトーなこと言いやがって。しかも族長権を侵すような、遠慮のない越権発言を堂々と、恥ずかしげもなく俺に言いやがって。昔のお前はよかったよ。どうしてそんなんなっちゃったんだ。お前になんかもう相談しない。話した時間が無駄だったわっ』
がおっと吠える捨て台詞を吐いて、リューズはブチッと通話を切った。
ちょうど二時間だった。
どんどん、と控え目に、寝室の戸が打ち鳴らされた。
「イェズラム、二時間経ったけど。ジェレフが顔面蒼白で、謝りたいって戸口に来てるよ」
時間が来たら起こしに来いと、頼んであったギリスの声が、扉の向こうで教えてきた。
そうか、殊勝にも、土下座に来たか、エル・ジェレフ。
俺もこの十数年で、ずいぶん人格変わったぞ。お前が新入りだった頃、なにかと大目に見ていたが、お前もすでにいいかげん、中堅といっていい歳だ。ゴメンで済むと思うまい。
リューズに番号を教えるな。何度言ったら分かるんだ。お前はいったいどんな手で、リューズに電話をむしり取られた。
じっくり聞いてやりたいが、生憎そんな暇がない。
「ギリス」
頭を抱えて呼びかけると、エル・ギリスが薄く開いた扉から、ちらりと片目だけ出した。
「ジェレフに、おしおきその(36)をやってやれ。俺の代わりに、頼んだぞ」
「了解了解」
にやりと笑った悪童の口が、扉の隙間によぎって消えた。
さてと、あっちは使える養い子(ジョット)に任せ、俺は玉座の間(ダロワージ)に行くか。そこへ踏み込むわけではないが、晩餐に来るリューズを逃がさず捕まえて、廷臣一同の見守る前で、ぎったんぎったんにやっつけてやる。
もちろん長年仕えた名君の、当代随一の忠臣として、やってもかまわん範囲でだ。
他の誰もがやれないような、ギリギリの線を突いてやる。
その攻撃が痛ければ、リューズ、そろそろ憶えてくれないか。
俺の緊急回線に、緊急でない電話をするな。
これがすでに名君となったお前に対し、俺が兄として言っておきたい、最後の最後の本音の言葉だ。
イェズラムは着慣れた質素な普段着に、眠気の覚めない身を包み、住み慣れた居室を後にした。
まったく今日も、イェズラム様は頭が痛い。
だがそんな、十数年来、相も変わらぬ日常も、すでに身に染み付いた、愛しき激務だった。
いざ、栄光の玉座の間(ダロワージ)へ。
名君と大英雄の戦いは、なおも続く。
時に激しく、時にアホらしく、いつ果てるともなく、椎堂かおるのネタが尽き果てるまで。
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