もえもえ図鑑

2008/10/13

名君双六(5)-6

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「臣の身で、高貴なる玉座に対し奉り、しかめっ面での命令口調は、禁物かと」
 指摘されて気づき、イェズラムは思わず天井を仰いだ。また悪い癖が。
「いいのだ、ビスカリス。イェズラムは俺の兄だ。それに、こいつが臣らしく謙(へりくだ)ったら、俺は緊張のあまり吐く。お前らも想像してみろ、こいつが自分に謙る様を」
 リューズに言われ、想像する顔になっていたヤーナーンが、突然身震いして言った。
「それは何か裏がありそうです、族長。俺なら不安で夜も眠れなくなりますね」
「そうだろう、ヤーナーン。説教されているほうが、いつも通りで、むしろ心安らかだ。聞き流せばよいのだからな」
 身を乗り出して同意しているリューズに、イェズラムはまたもやむっとした。
「俺の話を聞き流すな。お前のために、我が身を挺して言ってやっているんだぞ。玉座に座しているからには、叱ってくれる者がいるうちが花だと思え」
「わかった、わかったイェズラム、わかったから、そんなおっかない顔で怒鳴るな。エル・ジェレフが泣いたらどうするのだ」
 心では耳を塞いでいるような顔をして、何度も頷いてみせながら、リューズはぐったりとしていた。
 ジェレフが泣くわけなかった。少年は呆然としたような上の空で、なにか考えているようであり、恍惚としているようでもあり、話を聞いているのかどうか、とにかく、ぼんやりとしていた。
「どうしたのだ、エル・ジェレフは」
 訝しげに、リューズが虚脱している少年を見やった。
「大方、お前の素敵な長台詞に酔ったんだろうよ」
 こちらに丸めた背を向けているシャロームが、煙管を銜えたまま振り向いて、皮肉な笑みに戻っていた。そういう自分も、何かの呪縛からやっと逃れたような顔でいた。
「そんなに素敵なことを言っただろうかな、俺は」
「無意識だよ、無意識。いつもの天然の名君の、ご光臨だよ」
 きょとんとしているリューズを見て、可笑しそうにけらけら笑い、ヤーナーンが言った。
 たぶんリューズは夢中で喋っていたのだろう。自分が何を言ったか、実はあまり憶えていないぐらいではないか。
 昔から熱弁を振るう時は、大抵そうだった。夢みたいな理想を語って聞かせ、人を心酔させておいて、話し終えて満足すると、なんだっけという顔でけろりとして、腹が減ったなイェズラムなどと、こちらの気が抜けるようなことを口走る。
 その深い心酔と、その後の虚脱の落差の激しさが、リューズと付き合う時の難物だったが、それには疲労するものの、不快ではない。むしろ何やら、癖になる。
 そう思って苦笑し、イェズラムはぼけっとしているエル・ジェレフを眺めた。
 お前もこれで、癖になったか。
 それとも、実はまだ、王家の血の与える深い心酔の中か。まったく始末に負えん、お幸せな餓鬼め。
「リューズ様」
 老齢の侍従長が戸口に現れて呼びかけてきた。
 その老練の官の落ち着いて怜悧な姿を見て、イェズラムは自分が思わず、彼の頭に瘤(こぶ)がないか確かめているのに気づき、ごくりと溜飲した。
 本当にリューズは誰かに、この気品ある老人の頭を棒で殴らせたのか。俺なら殴れと命じられても、絶対に無理だが。
「なんだ、侍従長」
「お時間でございます。そろそろ後宮にいらっしゃいませんと、お約束の刻限を過ぎます」
 戸口で平伏して、侍従長は教えた。
 リューズはそれに、眉根を寄せて、不服そうな顔をした。
「そうか。せっかく楽しく話していたのにな。無粋なことよ、侍従長」
「刻限でございますれば」
 ごねるリューズを一顧だにせず、静かにそう念押しする老人は、まるで、玉座の間(ダロワージ)の時計の化身のようだった。刻々と過ぎる時を管理し、宮廷の典礼を取り仕切る役目の男だ。暗君の時代にも、誰にもおもねらず、何事にも頓着せず、ただ過ぎる時だけを見てきた。
 リューズが即位した時に、イェズラムはこの年取った男を別の官僚に入れ替えることを考慮したが、あくまでも自分が引き続いて勤めるのが当然という顔で、新族長の嗜好や性癖を問われ、イェズラムはおとなしくそれを答えてやるしかなかったのだ。
 宮廷にはいくらでも、上には上がいる。自分もまだまだ若造なのだと感じる、数少ない相手だった。
 時間に厳しいこの男が、リューズは煙たいようだが、それが煙たいお陰で、なにかといえば道草を食いたがるリューズも、立派に典礼に則った、時間割どおりの暮らしをさせてもらえている。
「皆様どうか、お引き取りくださいませ。族長はお召し替えのうえ、後宮にお渡りになります」
 さらに深く平伏して謙り、侍従長は皆に、さっさと帰れと言った。それは極めて謙虚な口調であったが、絶対の命令だった。
「こんな昼間っから、後宮の女と一発やろうってのか、リューズ。どんだけ好き者なんだ、てめえは」
 驚いたふうに、シャロームが問うた。その、あまりにも不敬な物言いに、イェズラムは困って、顔をしかめた。侍従長がひどく冷たい目をしたからだった。
「違うぞシャローム、人聞きの悪い。俺は妻に挨拶しにいくだけだ。孕んだのでな、それを褒めてやりにな」
 そんな誤解は不本意だというふうに、リューズは早口に説明した。
「ご懐妊ですか。おめでとうございます」
 ビスカリスが微笑んで言祝ぐのに、リューズは少々気まずげに微笑んで答えた。
「まだ秘密なのだぞ、ビスカリス。知っているのは一部の者だけだ。誰にも言うなよ」
「はあ、そういうことなら、それはもう、遠国の海底に横たわる、物言わぬ貝のごとくに、口を閉ざしておきましょう」
 両手で自分の口を覆って、守秘を約束するビスカリスの、どこかふざけたような様子に、リューズはいかにもその英雄詩人が、極めて好ましいというように笑った。
 詩作の才があり、風雅に通じた趣味人で、しかも数々の戦場に立った英雄であるビスカリスは、リューズにとっては英雄譚(ダージ)の中の一人だった。それを身近に侍らせて、遊びに付き合わせていることが、リューズにはいつも、至福のようだった。
「ここだけの話、いったいどの奥方が、懐妊なさったのですか。知りたがりのビスカリスめにだけ、どうかご内密に耳打ちを」
 指を添えた耳を向ける仕草をして、ビスカリスが訊ねた。それに向かって、リューズは囁くように答えた。
「全員だ、ビスカリス。だからな、お前たちとの賭けは、無効ではないかな」
「なんと」
 驚いた顔で呟き、ビスカリスはシャロームを見た。シャロームは腹を押さえて、笑いを堪えていた。たぶんもう、侍従長に睨まれたくなかったのだろう。
「賭とは何のことだ、お前たち……」
 聞きたくなかったが、聞かずにおれず、イェズラムは思わず尋ねていた。
「どのご側室が最初にご懐妊なさるか、皆で当てようとしていたんです、長(デン)。そのほうが族長の後宮通いにも、身が入るだろうということで」
 ヤーナーンがけろりとして答えた。
「それを全員いっぺんにとは……どこまで度胆を抜くやつだ。まったく賭けになりゃあしねえよ」
 悔やむように言うシャロームは、その賭け事の発案者ではないかと思われた。とにかく賭け事の好きな男だったからだ。
 リューズを相手に賭などするな。いつか身ぐるみ剥がれるぞと、イェズラムはこの場で口に出すわけにいかず、内心でだけ忠告した。リューズは賭けとなると、いつも強運があり、イェズラムの知る限りの過去においては、だいたい勝っていたからだ。
「俺も考えたのだがな、イェズよ。産褥は命がけのものだそうだ。それなら、俺の血を残すために命を張ってくれるという、十名の女英雄たちに、この戦いに臨み、俺から一言の挨拶もなしでは、あまりにも無礼かと思ってな」
「殊勝な心がけだ」
 こちらの顔色をうかがう風なリューズに、イェズラムは微笑して褒めた。するとリューズはにっこりと、満面の笑みになり、やっと背筋を伸ばした。
「そうであろう」
 つんと取り澄まして、リューズは名君然とした声色になった。しかしそれは、演技だった。
 リューズは子供のころから兄アズレルの催す宴席でよく見た仮面劇を、見よう見まねで憶えてしまい、どんな役でも巧みに演じ分けてみせた。劇には物乞いも、英雄も、名君も、男も女も、子供も老人も、あらゆる者が立ち現れ、仮面ひとつで、役者はその役になりきってみせる。
 リューズも兄王子の投げ与える仮面を受け取ると、どんな面であろうと、子供ながらにその役を、巧みに演じ分けてみせた。名君の面で顔を覆って舞うリューズは、あたかも、本物の名君のように見えたものだ。
 それを見て皆が興がる宴席で、アズレル王子だけが真顔になったのを、イェズラムは脇で見ていた。自分の名演が、兄王子を喜ばせると信じていたリューズは、急に不機嫌になったアズレルが自分を撲つのを、悲壮な顔で見ていた。
 リューズにとっては、玉座の継承者であるアズレル様は、誰にも優る輝く星で、宮廷随一の英雄だったからだ。その兄に気に入られることが、リューズには何よりの喜びだった。
 王族の血を受けた者が、卑しい芸人のような真似をするなと、その場では怒鳴りつけたくせに、アズレルはその後も度々リューズに仮面を与えた。それは道化の面ばかりだった。もう決して、名君の面を被らせはしなかった。それでもリューズは、何ら気にせず、喜んで踊っていた。単にこいつは、仮面劇が好きだったのだ。
 たぶんアズレル様は、恐ろしかったのだろう。リューズがあまりにも、名君の役を上手く演じたので。それが自分よりも、上手いのではないかと思えて。
 それも今となっては分からない。アズレル様は戦地で急死され、玉座には座らなかった。結局あとを引き継いで、その座についたのは、名君の仮面をつけた弟のほうだった。
 未だにその面の下には、甘ったれた悪童の顔があるままだが、それでもきっと、リューズはあの宴席で見せたのと同じように、名君のごとく詠い、名君のごとく舞うだろう。それを眺める者たちを、甘く酔わせながら。
 演技でもいい。それが本物の名君のように見えるなら。死ぬまでずっと、玉座に座っている限り、その仮面を脱がせなければいいだけだ。
 もしも仮面を剥ごうとする者が現れたら、それは、俺が片付ける。これまでも、この先も、リューズが仮面を脱いでも、その下にある顔が、名君の顔になっている日まで。
「刻限でございます。皆様」
 やんわりと急かす侍従長の声が、お前らには耳はないのかと言っていた。
 イェズラムはそれに従い、部屋を辞すため、席から立ち上がった。それを合図に、皆も立ったが、まだぼけっとしていたジェレフだけが、隣にいたヤーナーンに足で尻をつつかれて、やっと飛び上がった。
 慌てて立ち上がる赤面のジェレフを、リューズは可笑しそうに見ていた。
 好かぬわけではないが、ちょろい相手だというような顔をしていた。
 リューズは人心を操ることにかけて、天性のものがある。それで攻略する相手にはいつも、難解さを求めた。
 おそらく女を口説くのと同じで、簡単になびく者より、宥めてもすかしても、にこりともせぬような難しいのが、こいつの好みなのだろう。
 それにやはりジェレフも、英雄譚(ダージ)のひとつもないうちは、リューズから見て、英雄ではないのかもしれない。ただ石があるだけでは。
 こいつは石のある者が好きなのではなく、英雄が好きなのだ。
 ジェレフには、英雄になってから出直しさせるかと、イェズラムは結論した。今はまだ、近侍のひとりには、入れそうもない。
「イェズラム、暇ができたら、また来るがよい」
 立ち去るこちらに、リューズが声をかけてきた。それはただの別れの挨拶だったが、イェズラムは随分な皮肉に思い、苦笑して答えた。
「俺には暇などできない」
 叩頭するため、戸口に立っているイェズラムに、リューズはむっとした顔をした。
「では暇を作って来るがよい。お前には治世の件で、相談したいことが何かとあるのだ。それに応えるのも、俺の腹心として、当然の役目だろう。仕事と思って時間を作れ」
 仕事と思えとは、それはあたかも仕事ではないかのようだ。イェズラムは情けなくなって、顔をしかめて目を伏せた。政治や軍事のことで内々に意見を聞きたいのであれば、それは間違いなく仕事だろう。族長が、用件があるので来いと命じれば、誰であろうと来るわけだが、イェズラムも同様だ。イェズラムはそれについて、リューズがまだ気づいていないのであれば、永遠に気づかずにいてほしかった。
 くだらない雑談や遊びに付き合わせるために、用件にかこつけて呼び立てられていては、他の職務が滞る。
 族長権を振りかざさない子供の頃でさえ、こちらが部屋で書類を作ったりしていると、遠慮なく背中を蹴ってきて、付き合って遊べとごねたり、嘘泣きしてみせたりされ、さんざん職務の邪魔をされた。
 あの頃なら、うるさい、よそへ行けと怒鳴りつけて、それでも聞き分けない時には、拳骨を食らわせてもかまわなかったが、今はそうはいかない。だから、命じないで欲しかった。シャロームたちのように、ここで自分に付き合えとは。
「返事はどうしたのだ、エル・イェズラム」
 焦れたふうに、リューズが求めてきたので、イェズラムは跪き、隣に座していた侍従長と向き合った。
「申し訳ありませんが、よろしくお願いします、侍従長」
「心得ました、エル・イェズラム」
 小声で頼むと、老人もやはり、小声で答えた。頼りがいのある、沈着冷静の声だった。この人に任せておけば、あの我が儘な弟も、何とかやっていくだろう。
 老人に目礼してから、イェズラムは族長に三跪九拝することにした。
「なんとか言え、イェズラム」
 叩頭するこちらを見て、リューズが押し殺した声で喚いていた。
「族長らしくしろ、リューズ。叩頭しにくいから」
 叱責しながら平伏すると、並んで同じように額ずいていた近侍の三名が、くすくすと笑っていた。ジェレフは何も言われなくても、年齢順の序列を弁えたのか、一番若いヤーナーンのさらに左に、大人しく平伏していた。
 立っては平伏を繰り返す面々を、リューズは憮然とした顔で鎮座し、見守っていた。おそらく、自分だけがこの部屋に残されていくのが、面白くないのだろう。
 黙っていれば王族の顔をしていて、なんとか族長のように見えはするが、イェズラムの目には、リューズはまだまだ子供のようだった。今も昔も、部屋から出て行くのを、何かを堪える憮然とした顔で見つめ、なぜ自分を置いて出て行くのかと、無言で非難している。なぜ自分は、英雄たちとともに行けないのかと。
 それは仕方のないことだった。族長冠を戴き、そして名君の仮面を被った時から。
 ともに行けないほうが、いいではないか。リューズが長く生きて、名君の御代が末永く続くほうが、きっと誰しも、幸せになれるだろう。
 返事をしろという目で睨むリューズに答えないまま、イェズラムは族長の居室を後にした。
 足繁く来てよいかどうかは、今はまだ決められない。人が見てどう思うか、名君としての仕事ぶりはどうか、玉座と長老会の力関係はどうか、それについての動向を眺め、考えるしかなかった。
 話したいから来いという、その理屈に筋は通っているが、宮廷ではその単純なことが、必ずしも正しいとは限らないからだった。その結果がどう出るか、賽子(さいころ)任せでは心許ない。
 あがりは必ず、『名君の死』でないと。それも遠い先のことでなければと、イェズラムは思った。

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