もえもえ図鑑

2008/10/13

名君双六(5)-5

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「断る。俺には拒否権がある」
「なんだと。逆臣め」
 むかっと来たらしい顔で、リューズが罵ってきた。
「逆臣ではない。考えてもみろ。俺にはもう無理だ。今さら引き返せない」
 常用するほどではないが、イェズラムにとって、戦闘後の苦痛を癒すには、煙管がなくては話にならなかった。
 兵は皆、守護生物(トゥラシェ)殺しの火炎の大魔法を期待していたし、それによってリューズの戦闘を支えるのが自分の義務と、イェズラムは心得ていたからだ。残りの命数を打算して、毎回やるわけではないが、陣を歩く時に受ける、そろそろどうかという視線を、裏切るわけにもいかない。
 リューズもそれは熟知しているはずだ。そうでなければ、あんな代替策を練ってはこないだろう。
「そうか。ではお前など、もう知らん。お前たちはどうだ」
 あっさりと臍を曲げ、リューズは矛先を近侍の三名のほうへ向けた。シャロームはいかにも可笑しいように苦笑して首を横に振り、ほかの二人も、取り合う気がないように、にやにやして黙るばかりだった。
 彼らはイェズラム以上に、もう手遅れだった。もうもうと煙の中にいる姿を日々目にしていて、なぜそんなことを訊ねるのか、イェズラムはリューズの常識を疑った。
「どいつもこいつも、救いようもない狂人ばかりだ。残る希望は、お前だけだな、エル・ジェレフ」
 目も当てられぬというふうに、リューズは脇息に肘を置いた手で、伏せた目を覆ったままジェレフに訊ねた。
 声をかけられて、ジェレフはまた座したまま僅かに飛び上がったように見えた。
「お前には、痛みと戦う勇気があるか」
 顔から手をどけ、リューズはジェレフと向き合った。
 王家の金の目で真面目に凝視され、ジェレフは青い顔で、ぽかんとしていた。
「俺がですか」
「そうだ。お前はまだこいつらのように、煙を吸ってはいない。行ったら戻れない道だ。これから歩き始める者でないと、救いようがない。そうだろう」
 そうだと言えというふうに訊かれ、ジェレフは操られるように浅く頷いていた。
「初陣の者に、いきなり強い麻薬(アスラ)を与えるのは、志気を高めるためだろう。もともと狂わせるつもりで、吸わせているんだ。ひどいものだよ、十二の餓鬼に、脳天に来る薬をやって、戦場に叩き込むとは、まるで戦の奴隷ではないか。父祖の名を穢す恥だ。自らの意志で戦うからこそ、お前たちは英雄になれるのだ。俺はお気の毒なまでに弱かった父上が、残してゆかれた過ちを、自分の代で正したい。お前が力になってくれ」
 リューズの口調は静かだったが、秘められた熱っぽさがあり、それには人の耳を傾けさせる力があった。かすかに酔うような心持ちがするが、それはシャロームが漂わせる強い煙の残り香だけの仕業とは思えない。
「お前は治癒者だ。真面目に学んでいれば、薬学にも精通してるのだろう。石の与える苦痛というのは、当初からそんな、強い薬でなければ治まらぬような激痛なのか」
 訊けば相手は真理を答えると、リューズはそう信じる態度で話していた。そうやって訊かれる時の気分を、イェズラムはよく知っていた。
 それは、ごまかしが利かないという、なにやら追いつめられるような気分だ。
 ジェレフはあんぐりとして、即答しなかった。
 しばらく考えてから、少年は、性格の慎重さが匂う語り口で答えた。
「わかりません、経験がないので。修練のために、治癒術を施すことはありますが、今までその後に、苦痛を覚えたことがありません」
「痛まない者もいるのか」
 驚いたように、リューズはイェズラムのほうに訊いてきた。
「いや、痛まない者はいない。ただ、持っている魔力の素養や、力の使い方によって、苦痛には個人差があるようだ。治癒者の連中が、抜群に優れていると感じる程度の魔法を使っても、痛んだことがないというなら、こいつは確かに、ずば抜けて優秀なのだろう」
 イェズラムは事実に基づいた推測を述べただけのつもりで、褒めたわけではなかったが、ジェレフは照れたふうに嬉しげに恐縮して、席で小さくなっていた。
「そうか、エル・ジェレフ。お前は当代を彩る英雄になりそうだ」
 にっこりとして、リューズはジェレフに頷いてやっていた。
「治癒者が英雄か! やつらは後衛だぞ、リューズ」
 は、と皮肉に笑って、シャロームが混ぜ返してきた。リューズはそれにも、にこにこしていた。
「そうとも限らんだろうよ、シャローム。戦う気があれば、誰でも戦える。俺には一片の魔法もないし、そうそう腕の立つほうという気もしないが、それでも最前線にいるぞ」
「それはお前が族長だからだ。敵を間近で見たいんだろ。そのほうが指揮が冴えるというから、俺が連れてってやってんだろうが」
 シャロームは不機嫌そうに、リューズの顔を覗き込み、語気も荒くそう言った。仲間のふたりは、それに面白そうに肩をすくめ、ジェレフがぎょっとして、怒りの顔になった。
 しかしリューズは微笑んでおり、そういうシャロームが、憎くはないようだった。
「そうだ、お前のお陰だ、我が英雄シャロームよ。我が軍の勝利は、お前に負うところが大きい。感謝しているぞ」
 リューズが頷いて小さく頭を下げてみせると、シャロームは鋭く舌打ちをした。からかわれたと思ったのだろうし、実際からかわれたのだ。
 シャロームはそれに気づいたのかどうか、苦い顔で首を横に振り、リューズから目を背けた。見るのもいやだという素振りだった。
 リューズと親しくしていると、時々ふと、そういう気分になることがある。顔を見るのもいやなような、うとましく思える時が。たぶん、手玉にとられたような、いやな気分がするからだろう。
 リューズはそんなシャロームには目もくれず、にこやかにジェレフに向き直り、上機嫌に話していた。
「時の許すうちに、必死で学んでおけ、エル・ジェレフ。そしてお前も先輩(デン)たちのように、石の苦痛に苛まれる時が来たら、お前自身の体を使って、どの程度まで麻薬(アスラ)を減らしてもよいか調べろ。お前の石を暴れさせるための英雄譚(ダージ)は、俺が考えておいてやる。それが決まれば、お前の初陣だ」
 ジェレフは愕然としていた。それがどういう命令か、考え込む様子だった。
 施療院は様々な薬を用意していたが、魔法戦士は強い酩酊を好むものだった。それが志気を高めると信じられていたせいであるし、それに隠れて、戦闘や石による死への恐怖を紛らわすためにも、麻薬(アスラ)は重宝だったのだ。
 それに加えて、おそらくは、強い薬を使う年長者たちへの憧れも、幼い者にはあるだろう。早くその域に辿り着きたいと焦り、容易に真似できるところから、粋がって手を出す者がいるのは、想像に難くない。
 それを止める者は、これまで誰もいなかった。
「そんな、死にそうな顔をするな。なにも、薬無しで痛みに耐えろと言っているわけではない。苦悶せずに生きていくことも、お前たちの英雄性を保つためには重要だ。過不足のないところに、麻薬(アスラ)の使用を制限したいのだ。そうすればお前たちは、狂わずに生きていけるかもしれないぞ」
「頭がいかれたら死ねというのか、リューズ」
 強い煙に酔いながら、シャロームが目もくれずに訊いてきた。
「そういうことになるな」
 かすかな哀切はありつつも、リューズは冷徹に答えた。理想に関して、ひどく厳しいところが、リューズにはあった。
 それはかつて自分も、王家の血を守る理想のために死ぬ運命だった身で考えた、潔い一生の形だったのかもしれない。名誉のために死ぬことが、リューズにとっては第一義なのだろう。
 しかしそれを他人にも押しつけようというのは、あまりにも身勝手だ。
「それじゃあ俺はもう死ななきゃならねえな。こいつら二人も、それから長(デン)もだ」
 シャロームはやけっぱちのように、荒っぽい口調で教えた。
「イェズラムはまだ狂ってはいない」
「そんなのどうか分からんぜ。何を根拠にお前は、狂気と正気を区別してるんだ。俺は生まれつきこういう性格なんだよ。麻薬(アスラ)のせいじゃねえ。それにお前みてえなやつを即位させた長(デン)は、ほんとに正気なのかね。ほんとはずっと前から、頭がいかれてんじゃねえか」
 ぺらぺらと話すシャロームの軽口を、いつもは笑って聞いていたリューズが、今は明らかな渋面だった。
「それは侮辱か、シャローム。お前でも許さんぞ。俺がもし頭に来たら、悪面(レベト)を呼んで、お前の首を刎ねさせねばならない。俺にそんなことを、させたいのか」
「似たようなもんよ、リューズ。お前のせいで死ぬことにかけては」
 シャロームは笑って、それを教えた。リューズはさらに、険しい顔をした。しかしそれは、怒りの顔ではなかった。ひどく不愉快なものに行き会ったという、そんな顔だった。
「同じではない。どうせ死なねばならないなら、お前たちには英雄として死んでほしいのだ、シャローム。そのためには英雄譚(ダージ)が必要だ。英雄的に生き、そして英雄的に死んだお前たちを、民は永遠に愛するだろう。そうやって人々の記憶の中に、永遠に生きていてほしいのだ。哀れな狂人として、誰にも顧みられず、死ぬのではなく」
 横目に見て話すリューズと、シャロームは暗い顔で見つめ合っていた。
「俺はな、かつて即位する兄に道を譲って死ぬつもりだった頃、ひとつだけ辛いことがあった。それはな、自分が意味なく生まれ、価値無き者として死ぬことだ。王宮から一歩も出ずに争って、二十歳の声も聞かずに縊り殺されていたら、俺はさぞかし無念だったろうな。王室の系譜に名は残るが、俺が生きた証は、たったそれだけだ。実際そうして、俺の兄弟たちは皆、死んでいったよ。習わしに従い、先代が指名した俺を、唯一絶対の継承者として、即位させるためにな。英雄譚(ダージ)もなく死ぬ者の気持ちが、お前には分からんだろう」
 頬杖をついたまま、リューズは淡々と話していたが、その声には苦渋の気配があった。シャロームは珍しく苦いその声に、顔をしかめて聞いていた。
「俺の命令ひとつで、戦わされる兵たちもそうだ。なんの英雄譚(ダージ)もない、その他大勢ばかりだよ。お前たちはその中にあって、英雄として名を残す戦いをするのだろう。だったらお前は、英雄らしく死ね。俺も王族らしく死ぬ。そうでなければ、名も無きその他大勢が、あまりにも哀れだろう。本当にこの部族を守っている英雄は、そいつらなのにな」
 リューズの話に、シャロームは渋面のまま、かすかに頷いていた。
「無様は許さんぞ、我が英雄シャロームよ。お前は我が部族の象徴なのだ。民に仕えて、英雄らしく生きろ」
 皮肉めかせてにやりとし、リューズは話を結んで、ため息をついた。
 シャロームは頷き、なにか考え込むふうだった。
 長台詞に疲れたのだろう、リューズが脇息に戻って目を伏せて、やれやれという顔をするのがおかしく、イェズラムは淡い笑みになった。
「その部族の象徴たる英雄に、お前は夜光虫を食わせたらしいな」
 イェズラムが訊ねると、リューズは、うぐっと言うような妙な音を喉から立てて、こちらを見るわけでなく、目を見開いた。
「それは英雄的か、リューズ。侍従長の頭を棒で殴るのが、英雄的な行いだと、お前は思っているのか。民が知ったら、どう思うだろうな。さぞかしお前に、落胆するだろう」
 イェズラムは説教するつもりはなく、ただ指摘したつもりだったが、リューズは叱られた者の顔をしていた。
「それは余興だよ、イェズラム。王都での無聊を慰めるためのな、ただの遊びだ……」
 頬杖のまま脇息に縋り、またきつく目を閉じて、リューズは言い訳をした。その話は返って、イェズラムをむっとさせた。
「遊びで済むか、この馬鹿者が。偉そうなことは、偉くなってから言え。シャロームは歴戦の勇者だぞ。お前が偉そうに説教できる相手か。こいつらがお前に甘い顔をするのはな、お前が偉いからではない、族長冠をかぶっているから、仕方なくだ。本来ならお前の兄(デン)で、お前のほうが跪いて、教えを請うべき相手だぞ」
 こちらの不機嫌をかぎつけて、リューズはそわそわしていた。取り入ろうというような作り笑いをして、リューズはあたかも素直そうに答えた。
「ああ、そうだった。そうだったな、イェズラム。なんだっけ……そうだ。玉座に座す者は、謙虚であらねばだ。さすれば王気、自(おの)ずから発し、臣、自(おの)ずから従う。そうだろ?」
「口先だけで、わかったような事を言うな。行動で示せ」
 以前教えた古典から引用してみせ、逃げ腰の誤魔化す口調だったリューズに、思わずイェズラムは叱りつける口調になった。するとリューズは恐ろしそうに首をすくめて目を閉じ、うんうんと頷いてみせた。それも誤魔化しめいて見え、イェズラムはむっとした。
「長(デン)、眉間に不穏な皺が見えます」
 目の上に手をかざし、ビスカリスが遠望するような仕草で教えてきた。
 イェズラムは笑っている隠れ治癒者を見返した。目が合うと、ビスカリスはにやにやした。

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