もえもえ図鑑

2008/10/13

名君双六(5)-4

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「長かった名君双六も、これでとうとうお終いか」
 それがたまらなく嫌だというように、リューズは顔をしかめて嘆息した。
「つまらん。何か他の、新しい遊びを考えよう。誰かいい案はないか……イェズラムが激怒しない範囲で」
 とってつけたような条件を最後に加えて訊ね、リューズはこちらの顔色を伺いながら、シャロームのほうに指で差し招いて、煙管を貸せと求めた。たぶん、他人が横でふかす煙が、羨ましくなったのだろう。
 シャロームはそれを躊躇ったが、結局リューズに煙管をとられ、脇息にもたれた族長が、自分の煙管を一息ふかすのを、ただじっと見つめていた。
 リューズはぼんやり煙を吸ったが、一瞬伏し目になっていた目を瞑り、眉間に皺を寄せて、強い酩酊の顔をした。そして胸一杯と思われる長い息とともに、白い煙をシャロームのほうに、ふうっと吐きかけた。濃密な白煙が細くたなびき、シャロームの肩口にとりついて霧散した。
「久しぶりのせいか、シャローム、お前のはあまりにも強い」
 そう評して、リューズはシャロームに煙管を返した。そして、くらりと来たのか、縋るように脇息に戻り、麻薬(アスラ)の匂う息で、イェズラムのほうに顔を寄せてきた。
「なあ、イェズよ。お前らはいつも、強烈なのをやりすぎではないのか。本当にここまでの、脳天に来るようなのが、石を宥(なだ)めるのには必要なのか」
 内密の話のように、そう訊ねてくるリューズの視線は、微かに浮ついた上目遣いだった。よっぽど脳天に来たらしい。酔ったような顔だ。
「それは人による。早い時期から強いのを吸い付けた者や、頻繁に使った者は、だんだん効かなくなってくるので、晩年には相当に強いのが必要になる」
「頭がおかしくなるのではないか。こんなものを、毎日ずっと吸っていたら。シャロームを見ろ、とても正気とは思えん」
 軽口と思われることを、リューズはぼんやりした口調で、気怠げに言った。
「俺は正気だ、こん畜生が」
 シャロームは苦笑して毒づき、返された煙管を憮然と銜えた。
 その言葉が真実かどうか、怪しかった。仮にも族長冠をかぶった者に、その悪態はないであろうし、それに、そんな悪態を許す族長に付き合って、末期の瞬間まで戦場を駆け抜け大笑しようというのも、正気の沙汰と思えない。
「仕方がないよ、族長。素面(しらふ)であんたに付き合ったら、それこそ気が狂いそうになる。長(デン)を見ろ、毎日頭が痛くて、うんうん言ってる。せめて一発きめなきゃ、やってられないんだって。葉っぱで狂えば、素っ裸で玉座の間(ダロワージ)を走る勇気が湧いてくるってもんさ」
 けらけら笑い、ヤーナーンが言った。それを聞く三人の魔法戦士たちは、こらえきれないように、腹を振るわせて笑った。リューズはぽかんとし、イェズラムは渋面になり、ジェレフはどこか呆然として座していた。
「そうなのか、イェズラム」
 教えてくれという顔で、リューズはかすかに眉を寄せ、こちらを見た。
「なんの話だ。頭痛のことか。それとも気が狂う話か」
「いや、なんというか……お前ら魔法戦士は、実は狂人の群れなのか」
 驚いたというふうに、リューズは訊ねていた。その点について、これまで考えたことがないらしかった。
「穿(うが)った見方として、一理はあるな」
 苦笑して、イェズラムはそう答えた。皮肉のつもりだったが、リューズは真に受けた。
「まずいぞ、それは。お前たちは英雄でないと。民が崇める、部族の英雄なのだぞ」
 詩人たちの奏でる英雄譚(ダージ)は、リューズにとっては、幼い頃からの見果てぬ夢だった。その心躍る物語に甘く酔い痴れ、こいつは自分も英雄になりたかったのだ。それが無理なら、英雄譚(ダージ)を編む宮廷詩人か、あるいは英雄たちを演じることができる、仮面劇の俳優になりたいと、子供のころには本気で話していた。
 結局その夢は全て叶わず、族長になってしまったが、リューズは今でも、英雄たちを深い憧れに似た感情をもって愛している。
 その英雄たちが、麻薬(アスラ)に狂った病人にすぎないなどという考え方は、到底受け入れがたいのだろう。
 リューズは苦い顔をしていた。
「エル・ジェレフ。お前は何歳だ」
「十五です、閣下」
 急に話を向けられて、ジェレフは座ったまま飛び上がりそうになり、上ずった声で答えた。リューズはそれを、深刻な顔で見返した。
「お前も、もう頭がおかしいのか」
「いいえ、俺はまともです、閣下」
 青い顔をして、ジェレフは追い被さるように、慌てて答えている。
 その様子がおかしく、イェズラムは苦笑した。この席でいちばん、挙動がおかしいのはジェレフだったからだ。
 いったん笑うと、なにかの発作のように可笑しさが湧いてきて、イェズラムは眉間を揉んで、堪えた低い笑い声をたてた。
「なぜ笑っておられるんですか、長(デン)」
 悲鳴のような裏返った声で、ジェレフが聞いていた。
 それはもう、駄目押しのようだった。
 笑うのを済まなく思って、お前に非はないと、イェズラムは首を横に振ってみせたが、ジェレフはそれをどう受け取ったのか、ますます悲壮な顔になり、イェズラムを追いつめた。
「どうしたんだ、イェズ。お前まで発狂したのか」
 リューズが面白そうに、頬杖をついたまま、こちらを覗き込んで聞いてきた。
「いや、ジェレフはまともだ、リューズ。魔法戦士に煙管を吸わせるのは、古来から初陣の祝いで、こいつはまだだ」
 イェズラムが教えると、リューズは頷いて感心していた。その習わしについて、まだ知らなかったのだろうか。
「だけど変ではないのか、イェズラム。俺の憶えている限り、お前はこいつよりも若い時に、もう煙管を吸っていた」
「俺の初陣は十二の歳だったからだ」
 答えると、リューズは微かに眉をひそめた。
「なんでそんな、ちびっこいうちから、戦に行ったんだ」
 イェズラムが初陣のころ、リューズはまだ乳母に抱かれた舌足らずな子供だった。やがてその乳母が死に、行き場がなくなると、リューズはイェズラムのところに入り浸るようになった。
 戦に疲れ果ててタンジールに戻ると、押し黙ったリューズが、出陣したときの姿より幾分育って待ち受けており、生きて戻った兄(デン)に安堵するふうだったので、イェズラムは石から受ける苦痛を、表に出すことができなかった。
 それでも無口な渋面になるのはやむを得ず、黙って麻薬(アスラ)を使うこちらを、リューズはいつもじっと眺めて育ってきた。
 その目で見られると、イェズラムはいつも、幼い弟(ジョット)に非難されている気がした。なぜ自分を置いて戦に行くのかと。なぜもっと早く、戻ってこなかったのかと。
 リューズには生母もなく、乳母も死に、宮廷で寄る辺がなかった。後見人の兄アズレルは、助けになるよりむしろ、リューズを陰湿に虐めてばかりいたし、幼いながらに、イェズラムのほかに頼れる相手はいないと思っているらしかった。
 しかし、そう頼られても、イェズラムはいつも困った。従軍するのは義務であったし、その間の長い不在は如何ともしがたかった。
 そして疲弊して王都に戻されている間は、他の者がそうするように、部屋にひとりで籠もり、苦痛に身悶える時には心おきなく悶え、煙に巻かれて酔い痴れ、ひたすら眠っていたかった。
 しかしリューズがいると、そうもいかず、遊んでくれイェズラムとうるさく袖を引かれて、苦悶の寝床から幼髪の顔を恨めしく睨んだことも度々ある。
 それでも王都で待つ者がいてくれたお陰で、自分は他の者よりましに生きてこられたと、今では思う。
 自棄(やけ)のように英雄譚(ダージ)を求め、自ら魔法を濫用するようなことは、一度もしなかった。うまく立ち回って、生きて戻ってやらないと、誰も戻らない部屋で、リューズがいつまで待っているかと、哀れに思えて、気が咎めたのだ。
「俺たちの頃は、元服したら従軍するのが普通だったですよ。俺たちの先輩(デン)は、がんがん戦って、がんがん吸って、がんがん死んでたんです。なんせ麻薬(アスラ)で酔わされて、相当な前後不覚で、殺すなら殺せみたいな、無茶な気分にさせられてたからね。生きて戻るは恥みたいな、そんな奴までいましたよ」
 ヤーナーンが言うのに、魔法戦士たちは笑っていた。それを眺め、リューズはまだ、ぽかんとしていた。それからゆっくり、眉間に皺を寄せて、悩む顔をした。
 ヤーナーンの話は乱暴だったが、嘘ではなかった。敗色の濃かった当時、魔法戦士は成長を待たずに次々と戦線に投入され、乱費されていた。慣例では初陣は十五歳となっていたが、そんなことは無視され、元服したら大人だという理論がまかり通った。
 長老会はそれを渋ったが、魔法戦士が足りないと玉座からせがまれては、未完成の在庫を放出する以外に手がなかったのだろう。軍に魔法戦士を供給するのが、長老会の責務だからだ。
 しかし軍団に割り当てられた英雄が、まだ生っ白い顔のちびだと知って、兵の士気が上がるわけはなく、むしろ窮状に察しがついて、返って不安になるだけだ。中には魔法の制御がとれず、悲惨な落ちを見せる者もいた。時には自軍を巻き込んでの、派手な最期だった。
 同族殺しは部族の者にとって最悪の罪だ。その罪の恥辱にまみれて英雄が死ぬとは、これ以上堕ちようもない悲惨な穴の底だった。
 もはや玉座に従うことはできぬと、長老会が決断するのには、十分な理由だっただろう。
 シェラジムも長老会の一員としての決断を求められた。すでに、御意のままにと答えてよい時期は過ぎたと。
 先代は生来の虚弱のうえ、煙に中毒して死にかかっており、シェラジムはそんな傀儡を生き延びさせて操るよりは、早逝するにまかせ、自分も殉死という形で、引責して自決するほうを選んだ。
 そしてイェズラムに介錯を求め、自ら命を絶つ前に、シェラジムは話した。
 これは誰にも秘密の話だが、私は今でも、我が君は名君になれるのではないかと、期待している。確かに気の弱いお方だが、頭脳は明晰であられた。だから誠心誠意お支えすれば、いつかきっと、まぶしく輝く星におなりだと、そういう考えに縋り付いてきたのだが、そんな私の、人を見る目のない愚かさが、悪だったのだろうな。
 だが何が違ったというのだ。ほかの王子たちと比べて、ご幼少の頃より聡明だった我が君の、どこがそんなに、劣っていたのか。
 無念だと、そう話したシェラジムに、イェズラムはなにも答えられはしなかった。先代が暗愚な族長であることは、誰の目にも明らかだったのに、シェラジムにはそれが、見えていなかったのだ。
 可哀想だから助けるというなら、貴方は私となにも変わらないと、シェラジムは嘲るでなく、どこか哀れむ口調で、イェズラムに言った。
 だけど貴方は、名君の射手になるといいよ。秘訣はおそらく、御意のままにと答えぬことだ。たとえ傀儡であっても、暗君になるよりは、名君であるほうが、お心安らかだ。戦いを避けて、一日でも長くお仕えし、名君の御代をお支えするがよかろう。
 それはシェラジムからの、一生を費やした金言であっただろうが、彼はリューズをよく知らなかった。本人を見れば、また別の言葉を残したかもしれない。
 先代にはなく、当代にあるものが、幾つかあるはずだ。それが旨い方へ賽子(さいころ)を転がしてくれれば、リューズは名君になれる。魔法戦士のいかさまが必要か、それは思案のしどころではあるが。
 俺は信じたいのだ。がらくたではない、本物の星を得て、それを闇に放ったのだと。
 だから、リューズに必要なのは、不戦の人形遣いではなく、大魔法を振るう英雄だ。たとえそのために俺と道半ばで別れることになっても、リューズは困りはしない。なぜならこいつは、人形ではないからだ。一人でも立派に、歩いていける。高貴な血の匂う、名君の顔をして。
「禁煙しろ、イェズラム」
 唐突に横から言われて、イェズラムは真顔になり、隣に座しているリューズのほうを見た。
「なんだって?」
「お前が発狂すると困るので、禁煙しろ」
 リューズは本気で言っているようだった。それが命令じる口調だったので、その場にいた他の者が皆、押し黙った。

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