もえもえ図鑑

2008/10/13

名君双六(5)-3

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 ジェレフは与えられた席に、石像のようになって座っていた。
 それはそれで良かった。そこまで緊張していれば、目の前にある名君双六の枡目に書かれている、目を覆うような命令の数々も、ろくに読めていないのではないかと思えたからだ。
「シャローム以外は、みんなあがったのだ。こいつは本当に運のないやつだなあ、イェズラム。もう皆飽きて、いちいち命令を実行していると進まないので、とにかく『戦死する』に当たらなければ可ということにしてあるんだが、それでも中々あがってくれないんだ」
「だったら、もう、やめたらどうなんだ」
 あきれ果てて、イェズラムはリューズに提案した。一体何日ぐらい、この馬鹿げた双六で遊び続けているのだ、お前らは。
「やめちゃだめなんだそうですよ、長(デン)。みんなで『名君の死』まで行くんだ」
 煙管に火を入れながら、ヤーナーンが教えてきた。裸で走るはずだった男は、ふうっと長い息に乗せて、煙を人のいないほうへ吐き出し、それからその煙管を、賽子(さいころ)を握っているシャロームに差しだした。
「兄貴(デン)、景気づけに一服」
 頷いて勧めるヤーナーンに、シャロームは一瞬だけ苦笑を見せたが、拒まずにそれを口に入れさせた。
「煙を吸った程度で、俺の不運が尽きるものかね」
 合わせた両手の中で、賽子(さいころ)を転がしながら、シャロームがぼやいた。
「死ぬな、シャローム」
 脇息にもたれ、リューズが気怠げに、そう命じた。
 たぶんもう、内心では飽きているのだろう。リューズはそういう時の癖で、自分の耳飾りの房を弄っていた。
 後はもう、執念だけで、『名君の死』まで全員を連れて行こうという事なのだ。
 しかし、それは無理だ。リューズ。この場にいる誰一人、それに付き合える者はいない。いちばん年若いジェレフでさえ無理だ。お前がどんなに汚い手を使って、ごねてみせても、死の天使の翼に逆らえる者はいない。
 イェズラムはそう思いながら、賽子(さいころ)を振ったシャロームの、煙管を銜えて笑っている顔を眺めた。
 象牙で作られた大振りな賽子(さいころ)は、ころころとジェレフの膝元まで転がっていき、こつんと当たって止まった。
「ぐわっ、治癒者が俺の運命を変えやがった!」
 シャロームは逆上したふうに言ったが、ジェレフの横で見ていたビスカリスが、出目を確認して、盤上のシャロームを動かし始めていた。
「これなる新参者の膝蹴りが、吉と出ますか、凶と出ますか……」
 エル・シャロームの名を金で象眼された魔法戦士の駒は、『戦死する』を飛び越え、かの『玉座の間(ダロワージ)を裸で走る』をも乗り越えて、『侍従長の頭を棒で叩く』で止まった。それは『戦死する』の一歩手前だった。
「おおお、無難な枡目だ」
 驚いたように、シャロームが言った。それが無難なのかどうか、イェズラムは顔をしかめた。無難というなら、せめて棒でなく手で叩け。
 ジェレフはすでに、呆然としていた。
「治癒者だけに、死の一歩手前でシャロームを救ったか」
 リューズはどこかしら意地悪い口調で言い、次の賽子(さいころ)を振り回しているシャロームを見やった。
「俺様が腐れ治癒者に救われるとは、一生の不覚だよ」
「時代は変わったのだ、シャローム。お前も俺も、考えを改めるべき時かもしれんぞ。いつまでも暗い時代の怨念を、引きずって生きていく訳にもいかないものなあ」
 そう言うリューズの話を振り払うように、シャロームは煙管を銜えた歯の間から、ふふんと刺々しく笑った。そして振られた賽子(さいころ)は、今度はジェレフをよけて、どこまでもころころと転がっていった。
「数を見てこい、新参者」
 投げすぎた賽子(さいころ)を取りに行くよう、シャロームはジェレフに命じた。
 それにジェレフは、一瞬渋い顔をしかけたが、にこにこ見ているリューズに気づいて、それを隠した。さすがの反発した小僧も、族長の目前で、序列を無視してシャロームとやりあうつもりはないようだ。
 立ち上がって賽子(さいころ)を取りに行き、戻ってきたジェレフは、ビスカリスに問われて、見てきた数を答えていた。
「いかさまじゃねえだろうな、ジェレフ」
「そんなことはしません。やって何の得があるんですか、俺に」
 不正をしたかと言われたのが、よほど悔しかったのか、ジェレフは噛みつくように、シャロームに答えた。
「何の得もなくても、ずるして気にくわねえ奴をとっちめるのが、お前ら治癒者のやり口さ。同じ軍の戦友を見殺しにして、平気で王都にご帰還よ。力及ばずご免なさいで、誰も文句の言い様もねえ。戦で死ぬのは普通だからな」
 むっとして、ジェレフは胡座した膝の、長衣(ジュラバ)の布地を掴み、押し黙った。それを眺め、煙管をふかして、シャロームはさらに言った。
「お前らは賽子(さいころ)の出目をちょろまかすのが仕事だろ。数字を変えて、生きられるはずだったやつを見殺しに……」
 シャロームは煙管を指にとり、振り返って背後に煙を吐いた。それには強い酩酊の香りが籠もっていた。
「違います。死ぬはずだった者を助けるのが、治癒術です。それによって戦局が変わることもあるはずです。直接に戦うことはできませんが、治癒者もそうして、戦っているのです」
 ジェレフはシャロームにではなく、脇息にもたれ、くつろいでいるリューズに向かって話していた。俺の話を聞いてくれと、この少年は言いたいのだろう。
 本人も先程、治癒者を嫌いだと言い、同じく治癒者を毛嫌いしているシャロームの話を、日々こうして聞かされているらしい族長リューズが、治癒者は卑怯な役立たずだと思うのではないかと、ジェレフは耐え難く思い、そうではないと話したいのだ。
「シャロームは本当のことを言っているのだぞ、エル・ジェレフ。こいつは実際、そういう目に遭ったことがあるのだ。イェズラムが命の恩人で、その時の弱みのために今も、首根っこ掴まれて働かされているという、気の毒なやつなのだ」
「そうだ。時には、あのまま死んでたほうが、楽だったかと思うほどだぞ」
 本気なのか、それとも葉っぱに酔わされたのか、シャロームはけろりとそう言った。そこまで言うなら、こちらもわざわざ、石を肥やしてまで助けてやらねば良かったかと、イェズラムは悔やんだ。
「それに引き替え、お前の話は空想の段階だろう。初陣もまだなのだ。戦ったことがない者が、なぜ戦場における物事の理屈をこねられるのだ」
 頬杖をついて、訊ねているリューズの口調は、皮肉ではなかった。リューズは誰にでも、分からなければ訊ねるのが癖になっている。理屈に合わないから不思議に思って訊いただけなのだろう。
 それはそれで無体なことだった。なぜだと問われて、ジェレフは言葉を失っていた。
「それは……そう思うからです。自分の信条を話したまでです」
 恥じ入る気配で、ジェレフは膝を掴み、低く答えた。自分にはまだ、その話をするに必要な英雄譚(ダージ)がないことを、ジェレフは痛感しているのだろう。
 悔しそうな様子の少年を、リューズは何とはなしに苦笑したような顔で見つめて言った。
「これは俺の経験からの忠告だがな、エル・ジェレフ。経験というのは、なにものにも代え難い。経験のある者の話は、真摯に受け止めるほうがよい。その中からしか得られないものが、世の中にはあるようだから、俺はいつも、人の話はよく聞くようにしている」
「エル・イェズラムの説教以外は」
 にこにこと愛想よく、ビスカリスが合いの手を入れた。それにリューズは心持ち項垂れて頷いていた。
「くだらん指摘で俺を虐めていないで、さっさと駒を進めてくれ、ビスカリス」
 しっしっと追い払うように、リューズは手を振って、ビスカリスに双六の駒を進めさせた。
 先程ジェレフが読んできた数字のぶんだけ、ビスカリスはシャロームの駒を動かしたが、それは再び『戦死する』を乗り越えて進んだ。
 その事実に、ジェレフは、そら見ろというように暗くシャロームを睨んだが、そんな子供っぽい挑戦には乗らず、シャロームはただ苦笑していた。
「また俺が夜光虫を食っている」
 駒は『夜光虫を食う』に止まっていた。
「何匹目だシャローム。お前はよっぽど夜光虫が好きだな。病気になるぞ」
 リューズは変人を見るような目でシャロームをなじったが、よくもそんなことが言えるものだった。
「好きで止まってるんじゃないって。運命の仕業だよ」
 情けなそうに言って、シャロームはまた賽子(さいころ)を投げた。それをビスカリスが見て、また駒を動かしてやった。それは『イェズラムの顔に墨』を乗り越え、その隣の『戦死する』で止まった。
「また死んだ!」
「死にすぎだ兄貴(デン)」
「いいかげんにしてください、エル・シャローム」
 顔を覆って叫んだシャロームに、ヤーナーンとビスカリスが文句を言った。そうやって他人をなじっていられるのだから、残る二人は確かにもう名君の死を見たらしい。
「シャローム、面倒くさいから、今のはなかったことにして、もう一度やってみろ」
 やれやれと言うリューズに、シャロームは苦笑して、煙管をくゆらせ、やる気のない手で賽子(さいころ)を投げた。それは、ころころと転がってきて、イェズラムの前で止まった。
 同じ数字だった。
 指をのばしてきて、リューズが賽子(さいころ)を拾ってやり、もう一度シャロームに投げさせた。
 つややかな象牙の賽子(さいころ)は、刻まれた黒い目も鮮やかに転がり、盤の中程で止まった。
 それはまた、さっきと同じ数字だった。
 シャロームはそれを、目を瞬いて、じっと見下ろしていた。
「凄いな。なんというか、もの凄い強運というか、不運というか。同じ出目が三回連続で出る確率はどれくらいだ」
 計算していない顔で言って、シャロームは賽子(さいころ)を引き取った。
「もう止めようや、リューズ。俺には『戦死する』があがりだよ。『名君の死』まで付き合いたいが、どうも俺には運がなさ過ぎる」
 リューズは自分の左隣で、双六を止める許しを求めたシャロームを、じっと見つめて真顔で言った。
「この、不忠者めが」
 シャロームはそれと向き合い、苦笑いをした。
「誠に申し訳ございません」
 芝居がかって答えるシャロームの声は、ふざけた笑いを含み、軽快に響いた。リューズはそれを、かすかに不機嫌そうに聞いたが、それでも、まだ続けろと命じはしなかった。
「かくして、英雄シャロームは死せり」
 朗々と詠う、詩人のごとき声で、ビスカリスが茶化した。皮肉な笑みとともに、シャロームは、ビスカリスとヤーナーンに恭しく頭を下げた。それに二人が答礼するのを、リューズは退屈げな半眼で、うっすら不機嫌そうに見ていた。

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