もえもえ図鑑

2008/10/08

名君双六(4)-1

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 立っているだけでも汗が出るような、灼けた蒸し風呂(ハンマーム)の空気の中に、礼装をして突っ立っているのは、馬鹿のようだった。
 白い木綿の湯帷子を着て、陶片(タイル)で装飾された寝台に俯せに寝っ転がり、リューズは湯殿の女に脚を揉ませながら、上機嫌で話を聞いていた。
「そうか、工人たちはやれると言ったか。しかし三月でいいとはな。さすがは我が部族の技術者たちよ。一年ほども苦戦して、勝つときはたった三月とはな」
 リューズはすでに敵の首を取ったかのようだったが、勝つとは限らなかった。
 しかし族長リューズは戦の天才ゆえ、信じて戦えば必ず勝てると思い始めているものは、兵の中には多かった。そしてそれは宮廷においても、徐々に効き目を現し始めた幻想だった。
「楽しみだなあ、シャローム。敵もさぞかしびっくりするだろう。俺もお前たちと共に先陣を切るよ」
 にこにこ話すリューズに笑い返して、宮廷服のシャロームは汗だくだった。
 リューズは連日、暇さえあれば湯殿で蒸し風呂(ハンマーム)に籠もっているとかで、話すにはここに来なければならないらしかった。
 シャロームは、リューズと付き合うために、日々さんざん汗をかかされ、砂牛のように水を飲んだと言っていた。こっちも脱げば、いくらか涼しかろうが、族長の前では礼装するのが鉄則だから、そういう訳にもいかない。
「やっぱり行くのか、リューズ」
 訊ねつつも、止めても行くのだろうなと、イェズラムは思った。長らく歯ぎしりさせられた渓谷に、秘密の抜け穴を掘って、そこから奇襲するなどという、面白みのある作戦に、リューズが自分で行かないわけはなかった。
「行くに決まっているだろう、イェズよ。俺はこの作戦を考えた張本人だぞ。遂行を見届ける責任がある。それに族長が行くと知っていれば、工人たちも仕事の手を抜かず、穴掘り仕事を名誉に思うだろう。なんせ俺の勝利の花道を掘る仕事なのだからな」
 ついこの間、無様に震えていた者とは思えないような、自信たっぷりの尊大さで、リューズは上機嫌に言った。
「いてててて……そこは痛いぞ」
 足裏を揉んでいる女に、リューズは本気で痛かったらしく、焦った風に伝えていた。
 女は恐縮したふうに頭をさげ、手を変えたようだった。
 もっと痛いところをどんどん揉んでやれと、イェズラムは内心思った。
 そういう、いい気になったリューズの姿を、汗を垂らして眺めているシャロームの胸中を察すると、イェズラムはぼんやりと腹が立った。
 あと二、三戦で命が尽きるかと話しに来たときの、シャロームの顔は、いつもの乱暴者の面構えではなかった。自分の一生がもう終わるのが、嘘のようだという顔をしていた。
 それも当然で、シャロームはイェズラムより若く、まだ死ぬような歳ではなかった。身の不運で、石の育ちが早いようではあるが、近頃その進行が急激だったのは、リューズのせいだ。
 無分別に敵陣に突撃する族長を護衛するため、シャロームはおそらく無理をしている。それでも石が中に向かって育つので、そういうこともあるとは思いついていないリューズは、まださして大きくない灰緑色の石を見て、シャロームには支障がないと信じているのだろう。
 こいつは死にかかっているのだと、リューズに教えてやるべきだろうか。そうすればリューズも、魔法戦士たちと一緒に突撃するのは止めると言うかもしれない。シャロームがいつの間にか死んでもかまわないとは、リューズは思うまい。せめて、しかるべき英雄譚(ダージ)を思いつくまで、留め置こうとするはずだ。
 それとも、シャロームを待機させて、あとの二人だけを従えていくつもりだろうか。ヤーナーンは火炎術士で、ビスカリスは治癒者であり念話の使い手だった。敵からの攻撃を迎撃してやれるのは、風刃術を用いるシャロームだけだ。そのシャローム抜きで、イェズラムはリューズに突撃を許すつもりはなかった。
 今から他の、迎撃の役に立つものと、置き換えるか。
 イェズラムは、自分から離れて立っているシャロームを見やった。こちらを見返すシャロームは、長(デン)が何を思案しているか、分かっているぞという、苦みの強い苦笑を見せた。
「リューズ、司令塔のを倒すのか。俺にやらせてくれ」
 何を思ったのか、シャロームは急に、そんな頼み事をした。リューズは自分の腕を枕に顔を伏せていたが、不思議そうに顔を上げ、シャロームを見た。
「なぜだ、シャローム。あれはイェズラムの獲物だ。今回はイェズラムに英雄譚(ダージ)をやろうと思って、わざわざ考えたんだ」
「長(デン)にはもう、いくらでも英雄譚(ダージ)があるだろう。俺にもそろそろ派手なのが、回ってきてもいい頃合いだ」
 強請る口調のシャロームに、リューズは声もなく笑った。
「お前はまだ先でいいよ。イェズラムのほうが年長者だし、こいつの石を見ろよ。こいつのほうが先にくたばるんだ。道を譲ってやれよ、シャローム。それが派閥の長(デン)に対する、礼節だろう」
 リューズに言わずもがなのことを諭され、シャロームは苦笑したまま、無念そうに首を振った。
「年功序列か……それは仕方がない。それは道理だが、リューズ……この糞ったれが」
 唐突に悪態をついて、シャロームはくるりと背を向けた。蒸し風呂(ハンマーム)を出る扉に向かう、遊び仲間の魔法戦士を、リューズは唖然として見守っていた。
 シャロームが後ろ手に扉を閉めるのを、イェズラムは伏し目に見つめた。
 確かにここは、汗をかくためのの部屋で、ひどく暑かった。それにしても、シャロームは汗をかきすぎていた。顔色も良くはなかった。
 たぶん、堪えきれずに出て行ったのだ。暑いのがではなく、石が痛むのが。
 リューズはイェズラムに言い渡されたことを真に受けて、麻薬(アスラ)を抜くために蒸し風呂(ハンマーム)に籠もっているのだった。だからシャロームも、ここでは煙管を吸うわけにはいかない。そしてそのまま薬が切れたら、痛みが襲い、耐え難くなってくる。
 その話をシャロームは、リューズにしたくなかったのだろう。まさかひっきりなしに吸っていないと、耐えられないほど痛いとは、知られたくなくて。
 知られれば先陣での護衛から、自分が外されるのは目に見えていた。シャロームは与えられたその役目を、誇りに思っているらしかった。
 この次や、さらにその次の戦(いくさ)が、今回のような、派手なものである保証はない。もしやあいつは、いっそこの一戦で死のうかと、覚悟を決めて頼んだのではないのか。どうも盛大になるらしい、名君らしい勝ち戦を、自分の死に場所にしたいと考えて。
「あいつは口が悪いよなあ、イェズラム。本当にお前の弟(ジョット)か」
 リューズが上機嫌に水をさされたという口調で、文句を言ってきた。しかし怒っているのではなかった。シャロームの気安い悪態を、こいつは案外気に入っている。ただ今は、なぜ悪態をつかれたか分からず、その不可解さに不機嫌なだけだ。
「シャロームは意味無く悪態はつかない」
 イェズラムは教えてやりながら、懐から取りだした布で、顔の汗をふいた。
「あれのどこに、どんな意味が? 仕方ないだろ、順番だ。なるべく皆に見せ場をやりたいが、お前は誰かと武功を分かち合うような、寛大な英雄ではないだろ」
 脚を揉み終えて姿を消していた女が、杯によく冷えた水を入れて戻り、リューズに恭しく差し出した。結露が汗のように、銀杯を滴っていた。
 リューズはうつぶせのまま、美味そうに水を飲んだ。
「今回のは、シャロームに譲ってやってもいい。あいつが、どうしてもと言うなら」
 喉を鳴らして飲んでいるリューズに、イェズラムは答えた。
 その答えは、リューズには気にくわなかったようだった。飲み干した銀杯を、リューズは蒸し風呂(ハンマーム)の華麗な陶片装飾のある壁に投げつけた。
「今さら無理だ。お前のために考えてやったネタだろうが。俺の苦労も顧みず、いい気なものよ、エル・イェズラム」
 ふて腐れたふうに言うリューズに、イェズラムは沈黙で答えた。
 お前もな、と、嫌みを言ってやりたかったが、シャロームにも面子があろうから、それを保ってやらねばならなかった。本人が黙っているのに、自分がここで、お前もシャロームの苦労を顧みていないと言って、事情を暴露するのでは、あまりに心ない。
 だが、もし近々の、どこかの戦場において、シャロームが自分の見ている目の前で、突然死んだら、リューズはどう思うだろう。仕方なかったと思うだろうか。
 いいや、そうは思うまい。リューズはそういう性格ではない。恩義のある者には心を尽くす質だ。
 だからもし、そういうことになれば、リューズにはいい薬だ。魔法戦士はおとぎ話の英雄ではない。皆、生身の体で生きており、その死は英雄譚(ダージ)の詠うような、華麗なものではない。それでも彼らを使い潰して戦うしかない。それがつらければ、族長冠を戴く身で、魔法戦士を友人にすべきでない。リューズもそろそろそれを、悟ってもいい時期だ。彼らは家臣であって、友ではないのだと。
 しかしそれを、シャロームにやらせるか。もしもそれをやれるなら、この上ない忠義かもしれないが。あっちも案外、友のつもりで、付き合っているのではないか。この訳の分からん族長と。
「朗報がある」
 イェズラムは静かに告げた。
「なんだ、勝ち戦に優る朗報などあるものか」
 リューズはまだ不機嫌らしかった。腕に顎を乗せて、知らん顔していた。
「懐妊した」
「お前がか」
 ふん、と鼻で笑って言うリューズは、可愛げがなかった。イェズラムは渋面になった。

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