もえもえ図鑑

2008/10/05

名君双六(3)-1

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 背筋に嫌な汗をかきながら通り抜けた玉座の間(ダロワージ)は、いつもと変わらない様子だった。誰かが裸で走ったような気配は、微塵もなかった。
 それにほっと安堵しながら、どっぷりと疲れて、イェズラムは礼装をした自分の体を、族長の居室へと運んでいた。
 近侍の三人は、リューズの我が儘をきいて、いつも略装の宮廷着で居室に出入りしていたが、通常はそれではまずかった。正装ではない姿で、族長の部屋に出入りするのは、いわば特別扱いの寵臣で、誰も彼もがやっていいような事ではない。
 イェズラムは、リューズが即位して以来、その部屋を訪れる時には、必ず正装していった。リューズは水くさいと思うらしいが、それは族長冠をかぶる者に対する、当然の礼儀だった。
 自分とリューズが乳兄弟だということは、宮廷の誰もが知る事実だ。
 それに、アズレル王子の死後、唐突に現れて、竜の涙の長老会からの強い後押しを受け即位したリューズのことを、傀儡ではないかと揶揄する声も多々あった。その人形を操っているのが何者たちか、誰もが考えているだろう。
 そういう陰険な注視のある中で、リューズを戴冠させた本人で、竜の涙の長老会の子飼いである経歴のエル・イェズラムが、臣である分を超えて、普段着姿でふらふら居室にやってくるというのでは、いかにもまずい。
 見る者たちは連想するだろう。エル・イェズラムは放埒に、長老会の部屋(サロン)と、族長の私室を往復しているのだと。
 それでは噂を、自ら肯定しているようなものだ。
 イェズラムにとって、魔法戦士たちの利権を守り、自分が率いる派閥に利益をもたらすため、朝儀や晩餐の時に、玉座の右にいる必要はあった。
 しかしリューズが傀儡だというのでは不都合だった。それは事実ではないからだ。
 それが事実でないことを、皆が理解するまでには時間がかかる。
 リューズはまだやっと二十歳を過ぎたばかりで、見た目には歳より幼かった。そして即位前の、ふらふら遊び歩いていたころを、実際に目にしていた者たちも、玉座の間(ダロワージ)の席を埋めている。
 あからさまに馬鹿にしたようなのも、朝儀の席にやってきた。そういう相手に、さっさと族長に跪拝叩頭しろと、凄んでみせねばならない事も、イェズラムには時折あった。
 凄むだけでは、済まないことも。
 そういう機会を、僅かでも減らすためには、イェズラムは族長の居室から、可能な限り距離をとる必要があった。朝儀でも、その前後には皆と同様、高座を見上げる広間から、イェズラムも三跪九拝した。かつてのような日常のやりとりを、人前ですることもない。たとえ茶番と思われても、族長の高貴な血を敬う態度を、リューズを即位させた自分自身が示してみせるしかなかった。
 時と場合の都合しだいで、持ち上げたり、貶めたり、一人でじたばたやっているようなものだ。
 リューズはそんなイェズラムを眺め、時々玉座でぽかんとしていた。こちらが何をしたいのか、さっぱりわからんという顔で、ころころ態度の違う兄(デン)に、お前は一体どうしたのだと問いたげな目をした。あるいは自分は、どう振る舞えばいいのかという、混乱したような目を。
 何らかの宣下のあと、自信がないと、リューズは今でも時折、玉座の脇に侍るイェズラムに、これでよいかという目を向けることがあった。それと目が合わないように、ただ広間(ダロワージ)を睨んでいると、何かずいぶん薄情なような気がして、イェズラムは己の無責任さを痛感することがあった。
 リューズは即位するための教育は受けていない。幼少のころから、不明があればイェズラムに訊ねて済ませた。
 それをいきなり玉座に座らせて、何なりと御意のままにと放置するのでは、無責任ではないのか。そう思えて、時には支配者の王道めいたものを説教してみたりするものの、そうする己の口調が指図がましいのに怯んで、顔を見るのも執拗に避けたりの両極端を、ふらふら彷徨ってばかりいる。
 最近ちょうど、庶務山積にかまけて、まるっきりの他人任せだった。
 思い返すと、もうひと月ばかり、朝儀や軍議の公式の席でしか、リューズの顔を見ていない気がした。
 あいつは最近、なにを考えているのやら。そういえば、さっぱり知らなかった。腹立ちも、心配も、全ては他人の口から聞く話をもとにした、想像と憶測の中のことだ。
 これではいずれ、あいつが何者なのか、わからなくなる。ただの乱心した暗君か、それとも、かつて戴冠させるときに、そう信じ、それであれと願ったような、輝く星のごとき稀代の名君か。
 それでは責任が果たせない。射手(ディノトリス)は新星(アンフィバロウ)を闇夜に放ち、それが皆をまぶしく照らすよう、見守るのが務めだ。その射手の目に迷いがあっては、部族の命運が狂う。
 王家の血筋のもとにいる双子の片割れの、最初の竜の涙だったディノトリスは、千里眼によってタンジールを遠望し、アンフィバロウをこの都市へと導いた。そのディノトリスは兄(デン)で、後に族長となるアンフィバロウは弟(ジョット)だったのだ。
 太祖ですら兄を頼った。だからリューズが兄に支えられても、恥ではない。部族の伝統に習い、自分もそれと同じように、他の弟分(ジョット)たちを世話するように、陰でリューズを支え、世話してやればいい。まずい時にはまずいと、自分が言ってやらなくて、いったい他の誰が、族長に説教できるというのだ。
 イェズラムはそう腹を決めて、族長の居室の、華麗な両開きの戸の前に立った。
 そして戸を守っていた番兵に、謁見に来た旨を告げると、中にある控えの間から、側仕えの侍従が呼ばれて顔を出し、族長に取り次ぐと応じた。先触れは送ってあったし、こちらが来ることは、向こうも知っているはずだった。
 控えの間から漏れてきた空気に、甘い煙の匂いを嗅ぎ取って、イェズラムはむっと顔をしかめた。侍従ですら、どこか酔ったような朦朧の顔つきだった。
 いったいこれは、どういうことかと、イェズラムは思った。
 シャロームの話で聞いてはいたが、実際に目の当たりにすると、異様な気がした。
 敬遠して、直接ここに来なかったのは、やはり大きな間違いだったのではないか。
 扉が再び開き、族長が謁見をお許しになりましたと、侍従が告げた。イェズラムはそれに答礼して、控えの間を抜け、帯剣を侍従に預けて、族長の居室に入る戸をくぐった。
 作法に則り、そこで跪拝叩頭したが、その場ですでに猛烈に鼻についた煙の匂いに、床に額をつけたイェズラムの顔は、怒りの相になっていた。
 三跪九拝する間、イェズラムは徐々に怒りを募らせた。
 立ち上がった時に見えるリューズは、居間の真ん中に運び込ませた、山野を模した巨大な模型に、将兵の駒をたくさん並べたものの側にしゃがみ込み、ぼんやりと煙管をふかすばかりで、こちらを一顧だにしていなかったからだ。
 独裁権を与えられた族長だからといって、家臣を蔑ろにしていいわけではなかった。こちらが叩頭して挨拶するなら、向こうはしかるべき上座に鎮座して、それを受けるべきだった。
 まして俺はお前の兄(デン)で、お前を戴冠させた射手なのだぞと、イェズラムは内心ひどく腹立たしかった。
 先触れをやったのに、リューズはとんでもない格好をしていた。
 普段着なのはまだしも、髪も結わない乱れた垂れ髪で、しかも肩からなぜか、侍医の着る薄紫のお仕着せの長衣(ジュラバ)を羽織っていた。そしてその訳の分からない格好で、赤い煙管をくわえ、眉間に皺を寄せた難しい顔で、どことなくぼけっとして模型を見ている。
 叩頭礼が済んだので、イェズラムは怒りながら、向こうが声をかけてくるのを待った。それが慣例だった。向こうが名前を呼んでくるのが。
 しかしリューズはぼけっと黙ったままだった。
 こちらが来たのに気づかないはずはない。侍従には、中に招き入れるように返事をしたのだから。
 リューズがなぜ黙っているのか、イェズラムには直感できた。こちらが焦れて、典礼を破り、先に声をかけてくるのを、待っているのだ。
 そして、その非礼でも咎めようというのか、リューズ。
 くだらんことをと、イェズラムは苛立ち、さらに押し黙った。
 しばらく、目も合わさぬ睨み合いが続き、どれくらい経ったか、イェズラムがもう限界だと思う頃合いで、リューズは燃えるまま放っていた煙管から、一息ふかし、ぷかりと丸い煙を吐いた。
「いたのか、エル・イェズラム」
 いかにも本当に気づかなかったかのように、リューズは言った。そして、朦朧と酔ったような顔つきの白い顔をこちらに向け、そこだけ爛々と生気の漲った金色の王家の目で、イェズラムを見つめた。
「久しぶりだな、我が英雄よ。今日はなんの説教だ。ずいぶん色々溜まったか」
 とっさに何から言い出したものか、イェズラムは整理が付かず、ただじっと、リューズを睨み返した。
 そうして押し黙っていると、リューズが突然、侍従の名らしきものを大声で叫んだ。それは呼びつけたのではなく、隣の部屋に話しているのだった。
「人払いをしろ。聞こえたか。聞こえたら返事をしてくれ」
 はい、族長、かしこまりましたと答える大声が、隣室から聞こえた。イェズラムはそのやりとりに呆れた。まさか、侍従を呼ぶのが面倒くさいので、こうして大声で申しつけているというのか。
「おおい。もう誰もいないか。いないなら、いないと言え」
 リューズは真面目にそう呼びかけたが、今度は誰も答えなかった。それにくすくす笑い、リューズはまた、イェズラムを見た。
「今なら誰も聞いていないようだぞ、イェズ。言いたいことがあるなら、さっさと言え」
 戸口で話せということか。イェズラムは腹が立つのを通り越して、唖然とした。
 随分、馬鹿にされた話だった。イェズラムには宮廷序列の中で、族長と向き合って話すに足る身分があった。
 それを無視されると、情けなかった。
 寵臣のごとく扱えとは言わないが、序列に応じた待遇をしてもらいたいところだ。
「俺の友たちをどこへやったんだ、イェズラム。誰も帰ってこないんだ」
 こちらが話さないでいると、リューズは恨みがましい口調で、そう尋ねてきた。どうも、拗ねているらしかった。
 リューズが問うているのは、シャロームたち三名のことだろう。彼らが戻ってこないのが、イェズラムのせいだと思っているらしい。実際そうだが、リューズがそれへの仕返しとして、自分を戸口に留めているのだと分かって、イェズラムは益々情けなかった。
「英雄たちにも、それぞれの私用がございます、族長」
 腹が立つので、イェズラムはいかにも謙(へりくだ)った他人行儀で話してやった。
 するとリューズは露骨に嫌な顔をした。
「俺にも用がございます。双六の途中だったのに、あいつらどこへ行ったんだ。お前のところには、シャロームが行っただろう。あいつはちゃんと、お前の顔に墨を塗ったか」
 苛立ったような早口で、リューズが尋ねてきた。
「シャロームはちゃんとお前の命に従った」
 そう答えておかねば、リューズがどういう態度に出るか危うかった。まさかお気に入りのシャロームに、逆臣呼ばわりはないだろうと思いたいが、リューズは時折、些細なことで激怒した。
「それで怒って来たわけか、エル・イェズラム」
 満足げな薄笑いをして、リューズはこちらを見もしなかった。
「乱行が目に余る」
 いざ当人を目の前にすると、なぜか怒鳴る気もせず、イェズラムはただ静かにそれだけ教えた。それで悟って、大人しくしてくれればという願いもあった。
「もっと早く来るかと思ったよ。墨のついた顔で走ってくるかと思って、楽しみにしてたんだがなあ。まさか顔を洗って、着替えてくるとは。お前はつまらんやつだよ」
 はあ、とため息をついて、リューズは赤い絨毯に尻をつき、模型のそばに座り込んだ。
 リューズが見下ろすその地形には、イェズラムも見覚えがあった。考えておくよう言ってあった、苦戦している敵の防衛線だ。狭い谷間の出口に敵の守護生物(トゥラシェ)が陣取っており、攻め入っても撃破された。
 リューズはそれを、じっと険しい顔で眺めていた。
 居室の床には、シャロームが言っていたものだろう、手製の双六らしい大きな紙が、無造作に拡げられており、そこには軍議に用いるための兵を模した駒が乗っていた。
 おそらく、シャロームと、ヤーナーン、ビスカリスの名のついた魔法戦士の駒だろう。そして中には族長を表す、ひときわ立派な、錦と黄金の駒もあるのだろう。その駒は今、『イェズラムに怒られる』の上で止まっている。
「こっちへ来いよ、イェズラム。話が遠いだろ。俺は煙の吸い過ぎで、喉が痛いんだ。でかい声で話させないでくれ」
 さっきは自分で二度も叫んでいたくせに、リューズは咎めるように、そんなことを言った。
 しかし、そんな支離滅裂を、いちいち咎めていたら、リューズとは話にならない。幼髪をしていた頃から、いったんごねはじめると、大抵こんなもんだった。ころころ話を翻してきて、何が言いたいのか分からない。
 おそらく言いたいことなどなくて、こちらを翻弄するのが目的なのだろう。
 イェズラムを怒らせようとして、それをやっている時もあれば、どこまでやってもこちらが怒らないでいるか、試しているときもあった。
 イェズラムは呼ばれるまま立ち上がり、模型のそばに行った。
 そして遠からず近からず、適切と思われるところに座ったが、叩頭するのは止した。どうも、それをやると、リューズが怒りそうな予感がしたからだった。なぜそう思ったのか、自分でも良く分からなかったが、それは正解だったらしく、リューズはちらりと鋭く様子をうかがう目で、こちらを一瞬見ただけで、咎め立ても、皮肉を言いもしなかった。
「案外、死なないもんなんだな」
 難しい顔で模型を見たまま、リューズがぽつりと言ってきた。
 なんの話か、まったく脈絡が見えなかった。
「誰がだ」
「俺がだよ」
 仕方なく尋ねると、リューズは端的に答え、赤い煙管で、床の上にのたくっている双六の紙を指し示した。
 床の上には、女官の服やら、楽器やら、なんだか訳の分からないものが沢山散らばっていた。女官の服の中身が、服もないままどこへ行ったか、深く考えると、またひどく頭痛がしそうだったので、イェズラムは考えないことにした。
「この双六はな、死ぬように作ってあるんだよ、イェズラム。五枡に一度は『戦死する』なんだぞ。激戦区では三枡に一度だ。ビスカリスなんか、もう五十回くらい死んでるぞ。なのに俺はまだ一回も死ねないんだ」
「別にかまわんだろう。それだけ悪運が強いということではないのか」
 イェズラムはそう答えておいた。
 シャロームが賽子(さいころ)の出目を操作しているような口ぶりだった。双六遊びとはいえ、あいつには族長が死ぬのはまずいと思えたのかもしれない。それで『戦死』を避けるため、出目を操ったのかも。
「でも、あがりにも着かない。永遠にぐるぐる回ってるだけで」
 もう燃え尽きているらしい煙管を、リューズは執念深く銜えた。その顔を見て、イェズラムは目を細め、険しい顔になった。リューズがなんとなく、窶(やつ)れた顔だったからだ。
 それは悪い兆候だった。リューズは機嫌がよくて、意気が高ければ、まさに太祖の末裔としてふさわしい覇気があった。しかしいったん沈み始めると、どこまでも深く沈んだ。泥のような、暗い闇の中へ。
 リューズが見つめた、あがり、と書かれた枡目の中を、イェズラムも見た。そこには、『名君の死』と書いてあった。
 その意味を考えて、イェズラムはますます、渋面になった。
「リューズ、死ぬために戦っているのではない。勝つためだ」
「そうだ。勝つためだ。どうやって勝つかだ、イェズラム」
 立てた膝に、リューズは肘を乗せ、煙管を持ったままの手のひらで、族長冠をした額を支えて、目を伏せていた。そうやって座っていると、リューズは白磁でできた変な置物のようだった。苦悩しているようだったが、どことなく滑稽だった。
「考えているところに悪いが、どうしてそんな服を着ているんだ」
 イェズラムはぼんやりと気になって、それを尋ねた。リューズは典医の服を羽織っていた。

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