もえもえ図鑑

2008/09/20

新星の武器庫(54)

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 官僚たちが飯を食う大広間は、昼時を迎え、慌ただしい空気に賑わっていた。
「殿下用の品目が増えて、厨房はえらいことです」
 むすっと飯を食いながら、ラダックが文句を言っている。
 なんて美味くなさそうに飯を食うやつだとギリスは感心した。
 似たような顔で食っているスィグルと向き合っていると、その表情はまるで鏡に映したようだった。ラダックはスィグルと違って、ものの味を感じないわけではないだろうに、食事を楽しむ気がないようだった。
 誕生日に宴会場だった大広間は、今は普段の姿をしていた。ずらりと膳が並び、それに簡単な円座が添えられ、官僚たちが入れ替わり立ち替わり早飯を食らい、出たり入ったりしている。
 そこに場違いなような貴人用の贅沢な席が唐突に設けられ、スィグルは王族用の錦の敷き布に、どことなく間借りしている者のような謙虚さで、ちんまりと座っていた。
 そうやって、膳に乗った粗食をぼそぼそ食っている領主を、あたかもこの場の支配者のごとく座り、頭ごなしに叱りつけているラダックを見ると、どっちが主人か分からなかった。
 確かにこの大食堂は、ラダックの縄張りだ。官僚のための部屋で、普通なら領主が来るような席ではなかった。
 事の起こりは、誕生祝いの宴席の後に始まった。
 楽しい宴席だったのは確かだが、ギリスは痛飲したせいで、最後のほうの記憶がなく、翌日には二日酔いで吐く羽目になった。三つ子もどれだけ飲んだのか、頭が痛いといってまた呻いていた。酒に弱い者の多い部族のことで、宮殿の者たちも翌日には、まともに仕事にならなかったようだ。
 そんな祝宴の後遺症も抜けた数日後、スィグルがやはり、皆で晩餐をしたいと言うので、ギリスはもう一度ラダックに相談してはどうかと勧めた。着任当時には、そんな慣習はないと一蹴したラダックも、身ぐるみ剥がれて宮殿の一室に拉致されてきた今では、違う答えを返すかと思って。
 しかしラダックはまた、無理だと言った。領主が大人数と晩餐をとれるような部屋が、グラナダ宮殿にはない。もしそんなものを新造するというなら、私を殺してからやってくださいと、ラダックは凄んだ。
 その脅しに気圧されて、スィグルは明らかに撤退の構えだったが、ギリスは思いついて口を挟んだ。
 別にあの大広間でいいんじゃないの、と。
 だって一度はすでに、あの席で皆と飯を食ったのだから。一度も二度も、毎日でも、似たようなもんだろうと。
 晩餐は駄目だ、定時で帰りたい者もいるし、残業させると予算がかさむと、ラダックは抵抗した。
 じゃあ昼飯でいいんじゃないですかと、すっかり居慣れた三つ子が口出しし、ラダックに鬼のよう目で睨まれた。
 昼食にしたとして、領主と同じものを皆に食べさせるというわけにはいきません。そんな贅沢は無駄ですし、だいたい殿下の偏食に付き合わされるのは迷惑です。にべもないラダックに、スィグルは玉座で咳払いをして、別に皆と同じものを食べるからいいよと言った。
 どうせ元々、食事に興味のない領主だ。味も全然分からないのだし、そんな舌で贅を尽くした料理を食べていることのほうが、よっぽど無駄じゃないのかと、訥々(とつとつ)と説得してくるスィグルに、ラダックは一時、難しい顔で苦戦していた。
 やがて金庫番は口を開いた。
 では服装の問題はどうですか。礼装した殿下と同席するには、官僚も礼装しなくてはなりません。全員に、わざわざ礼装に着替えて飯を食い、また平服に着替えて働けというのですか。そんなのは時間の無駄ですと、ラダックは断言した。
 スィグルはその攻撃にあわあわしていたが、シャムシールがにこやかに援軍を出してきた。
 殿下が平服を着ればいいんじゃないですか、と。
 それなら、着替える者は一人で済むし、全員が着替えるより楽ですよと。
 それで問題は全て解決したような気がした。
 もともと全員が飯を食っているところに、スィグルが混ざって、他の者と同じ飯を食い、服装にも面倒がないんだったら、別にそれで解決ではないか。
 そう思って、ギリスは納得し、じゃ、それでと、いつものように議題の落着を告げたら、ラダックがちょっと待ってくださいと、粟を食って止めた。
 そんなこと、許されるもんでしょうか。世の中には序列というものが。それに王族の権威というものも。いくら味がわからなくても、殿下に地方官僚と同じものを食べさせていいもんなんですかと。
 ラダックは、いつも偉そうに権威に楯突く割に、案外、幻想のあるやつらしかった。
 いいんじゃない、と、ギリスは教えた。だって族長も、戦場では一兵卒の食う兵糧を平気で食っていた。あの美食家のリューズ・スィノニムが兵の飯を食えるんだったら、味のわかんないスィグルが官僚の飯を食うぐらい、なんでもないよ。
 その話はどうも、ラダックの知らない情報らしかった。
 教えたとき、スィグルも知らなかったようだったから、もしかすると、戦場で実際に目にしたことがある者しか、知らないのかもしれなかった。
 三つ子もシャムシールも、他の官僚たちも、ぽかんと驚いた顔をしていた。誰よりラダックが、猛烈な衝撃を隠す顔をしていた。
 みんな、族長はどんな人だと思ってたの。
 まさか、族長が戦地で色々はじけてたことは、秘密だったの、イェズラム。それって、まずかったの、当代の玉座の印象として。イェズは気にくわなかったの。実はそれで、箝口令をしいてたの。もしくはそういう空気があって、誰もあえて言わなかったとか。
 ギリスはふとそう思ったが、もう暴露した後だった。
 まあいいかとギリスは気を取り直した。その話が、ラダックには留めになったらしかったせいだ。
 それで、スィグルが昼飯を皆と一緒に大広間でとることが決定事項となった。
 ラダックは部下に命じて、なんとか上座とおぼしき一番眺めのいい席に、錦の円座をしつらえさせ、膳も領主にふさわしいものを運び込ませた。そして領主の料理番を大広間の厨房に入らせ、肉を好まないスィグルのために、特別な一膳を考えさせた。
 その脂っ気の薄い献立は、臣と同じものを食いたいからというスィグルの我が儘を実現するため、他の官僚たちにも数量限定で振る舞われた。
 それはどうも他より食材の等級が高いらしく、あっという間に誰かがせしめていった。
「同じ序列の者の間に、こんなところで予定外の格差が出るのはまずいのです。昼飯食いたさで早々に仕事を切り上げる部署があるようでは」
 そういうラダックは、死んでも領主用献立を食う気はないらしかった。通常の献立の膳を、ラダックはもう平らげそうな勢いだった。
「でも、いいんじゃないの。それで仕事の効率が上がってるらしいから」
「情けないのです、その理由では!」
 びしっと打ち返してくるような鋭い反論で、ラダックは本音らしきことを言った。
「大体ですね、どうして私のわずかな休息時間にも、あなたと顔を合わせていなくちゃならんのですか、エル・ギリス。ちっとも休まりません」
 じゃあ遠くの席で食えばいいじゃんと、ギリスは言ったが、ラダックは、わがまま領主とその手下の阿呆が遠くの席にいるのが目に入りながら、何を話しているのか聞こえないほうが、心労になるのだと言った。また何か良からぬ浪費の相談をしているのかという被害妄想が湧くらしい。
「午後イチですからね、エル・ギリス。殿下も、来るならさっさとしてくださいよ」
 てきぱきと食い終えて、ラダックはまだ半分しか食べ終えていないスィグルの膳を、じろりと睨んだ。
 目論見どおりか、スィグルのところには、ちらほらと領主に上申のある官僚が、顔を出すようになってきていた。朝儀にかけるほどではないがという話を、何となく怖ず怖ずと持ってくる者がいて、スィグルがそれに取り合うのを眺め、だんだん人が増えてきた。
 それで食うのが遅いのだが、ラダックは不機嫌だった。
 休む時には休むべきで、昼飯時にまで仕事を持ち込みたくないのだそうだ。ラダックは、宮殿に住むようになっても、まだまだ甘っちょろい、定時で帰る男のままだ。
 昼食後、最初の予定は、完成した武器庫の視察だった。金庫番の機嫌が悪いのも無理はない。金庫を建てるはずだった予定地に、連弩を納める武器庫が建つのは、ラダックにとっては屈辱だろう。
 さっさと済ませてしまいたいという顔で急かすラダックに、ギリスはにやにやしてやった。
 そこへ、紙切れを持った官僚服の者が、また領主のところにやってきた。
 ラダックはそいつを、じろりと見た。官僚は鬼の金庫番に睨まれて、見ているこっちまでつらいような顔をした。
「畏れながら殿下、王宮より鷹通信(タヒル)です……」
 ラダックにびびりながら、官僚は持っていた薄紙を差し出した。
「宛名がなく、差出人もわからないのですが、王宮からきた鷹でしたので、念のため殿下にご覧に入れろと、上司が」
 使いっ走りらしいそいつから、ラダックは誰がお前の上司だという厳しい目で薄紙をとり、文面に目を走らせた。
「知らない筆跡です。確かに宛名も差出人の名もありません」
 ラダックはそれを、手を出したスィグルを無視して、ギリスに差し出してきた。
 先に毒見をしろということらしかった。
 まさかまた果たし状でもないだろうと思いつつ、ギリスは紙を受け取り、文面を読んだ。そして思わず微笑んだ。
 ある意味、それは、果たし状だったからだ。
「なんだ。なぜ笑ってるんだ」
 焦れた様子で、スィグルが紙を寄越せと手をひらひらさせた。
 短気な新星がまたぶち切れないように、ギリスは手紙を渡してやった。
 苛立った指でそれを引ったくり、好奇心に勝てないらしい気ぜわしさで、スィグルは文面に目を落とした。そして呆然という顔をした。
 手紙は族長からだった。呆然としたところを見ると、さすがのスィグルも親父の筆跡ぐらいは知っているらしい。
 ギリスも族長の筆跡には馴染みがあった。なぜならその達筆は、養父(デン)の筆跡とそっくり同じだからだ。まるで、薄紙に透かした手本をなぞったように、ほとんど同一人物の筆跡であるその文字の由来を、ギリスはイェズラムに尋ねたことがある。イェズラムが族長の命令書を勝手にねつ造するために、筆跡を盗んだという悪い噂が、宮廷に流れていたせいだ。
 聞いてみれば話は単純で、幼少の頃に、まだ族長でなかったリューズ・スィノニムに文字を教えたのが、乳兄弟である養父(デン)だったかららしい。
 イェズラムはもう死んで、鷹通信(タヒル)を送れるわけがない。だから、この薄紙にある文字を書けるのは、族長のほうだった。しかしギリスにはそれは、養父(デン)から来た手紙のようにも見えた。
 ほとんど癖のない鮮やかな筆跡で、文字はこう語っていた。
 我が軍、奮闘すれども道なお遠し。
 友軍の成長を祈りつつ、王都にて援護を待つ。
 ギリスは、まだ呆然としているスィグルを見て、にやにやした。
 スィグルは、戦にあぶれた竜の涙の処遇の件で、族長に約束どおり鷹通信(タヒル)を打ったと言っていた。翌朝にではなかった。しばらく悶々と悩み、書いたり捨てたりを何度も繰り返してから、確か昨日あたりに、やっと鷹を放ったのだ。その返信がもう来た。やはり族長は返信の早い人だ。
 しかし宛名も、自分の名も、鷹には預けなかった。
 ああ見えてお堅いんだなあと、ギリスは思った。誰にでも大盤振る舞いでにこにこする割に、いざって時になると身持ちが堅いんだ。いかにも自分が継承者だという筆致のスィグルの問いかけに、無視はしなかったものの、族長の印璽(いんじ)は捺したくなかった。それが継承指名に続く、最初の言質になるからだ。
 まあ、この調子で押すしかないよ。返事が来たってことは、脈があるわけだから。
 そう言おうと思って、ギリスはスィグルを見たが、たった二行の返信を見ているスィグルは、いまだに読み終わらないようだった。
 これっぽっちで脳みそ逝っちゃってるようで、大丈夫なのか。
 ギリスは眉間に皺を寄せ、それでも薄笑いして、スィグルを見つめた。
「何なんですか。殿下が完全に停止していますが、何かの謎々ですか、あれは」
 ラダックが納得いかないように、ギリスに訊ねてきた。
 すでに膳が空になり、腹がいっぱいになったので、ギリスは煙管を吸いたくなった。
「恋文の返事みたいなもんだよ。ほっといて行こうよ。今はこいつを連れてっても、どうせぼけっとしてて何も見てないから、俺たちだけで武器庫の視察をしよう。どうせ後に仕事が詰まってるんだろ、ラダック」
 ラダックは渋々頷いた。後から別口で領主を案内してやるのが、面倒くさいと思っているのだろう。だったら別の者にやらせりゃいいのに、自分がやらねば気が済まないのが、ラダックの癖だった。
 それが養父(デン)に似ており、ギリスはラダックが気に入っていた。いつもむすっとしていて、何事も人任せにできず、頂点に立たずには気が済まず、早飯なところまで、そっくりだった。きっと、死ぬまで玉座に挺身して働くところも、養父(デン)と同じだろうと、ギリスは期待していた。
「じゃあ俺とラダックは先に行くからな、スィグル。聞こえてんの?」
 肩を叩いて呼びかけたが、スィグルは曖昧に頷いただけで、まだじっと手紙に魅入られていた。幸せなやつだなあお前はと、ギリスは思った。手紙が来たくらいで、そこまで気持ちよくなれて。
「あの鷹通信(タヒル)は、一体誰からだったんです?」
 完成した武器庫のある棟に向かって歩く道すがら、ラダックは訊ねてきた。
 煙管を吸いながら、ラダックと並んで歩き、ギリスはとぼけた。
「さあ誰からかなあ。定時で帰るやつには教えてやらないよ」
「またそんな、しょうもないことを。定時で帰って何が悪いんですか。給料分働けば十分です」
 ぶつぶつ答えて、ラダックは手で煙を払っていた。ラダックは吸わない質らしく、煙を嫌って、仕事場や大広間では官僚たちに禁煙させていた。それに倣って、ギリスもその場では吸わなかったのだ。
 しかし、魔法戦士たちがもうもうと麻薬(アスラ)の煙をあげる玉座の間(ダロワージ)に乗り込もうというのだから、こいつにも煙の味を覚えさせておかなきゃなとギリスは思った。商売敵が吐きかける紫煙蝶(ダッカ・モルフェス)の煙を浴びただけで、脳天に来てぶっ倒れるようでは、仕事にならないだろう。
 しかしこんな奴に、どうやって戦い方を教えればいいのか。紙の上では無敵でも、新星の敵は紙の外にもいるんだが。
 仕上がった武器庫の前に立ち、ギリスは満足した中にも、一抹の不安を覚えて苦笑した。
 結局、戦う時には一人かもしれないと思って。
「根本的には金庫と同じ仕様です。外観もそっくりですから、ちょっと見る分には、武器を備蓄しているとは、分からないでしょう」
 蝋板を抱え、それに書き付けるための鉄筆を右手で弄びながら、ラダックは教えた。
 領主の命で、武器庫は作られたが、実務にあたったのはラダックだった。だからこの武器庫の外観を、金庫とそろえたのは、この金庫番だった。
 どうして同じにしたのかと、ギリスは横目に、武器庫を眺めて立っている官僚を見つめた。自分が司る神殿と、並んで建っていても、一番不愉快のない見た目にして耐えたのか。
 それとも金貨の山の中に、俺の連弩を埋めたのか。浮かれた蓄財と見せかけて、殺意を隠蔽するために。
「中も見ましょう」
 視察のために待たせておいた部下に、ラダックは重たい扉を開けさせた。

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