もえもえ図鑑

2008/09/20

新星の武器庫(53)

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 三つ子も兄貴分(デン)に倣ってか、嬉しげに食事にかかり、美味い美味いと言った。
 シャムシールの絵とそっくりに、官僚も盗賊も、同じ宮殿の広間で食欲を満たしにかかっていた。
 ギリスの好物ということで、祝いの食事には肉が焼かれ、そのほかにも様々な料理が次々に膳に供されるので、給仕の女官たちは忙しそうだった。ギリスはどれも美味そうに、ぺろりと平らげた。
 誕生日を祝って、彼のところには、様々な顔が入れ替わり立ち替わり、酒杯を満たしに来た。ギリスはそれをまさしく蟒蛇(うわばみ)のごとく平気で飲んだ。
 上機嫌に酔っぱらっているギリスに、祝いの贈り物が与えられた。
 ファサル様から服をもらい、ギリスはまた、ぎゃあぎゃあ吼えて噛みついて、盗賊を面白がらせ、ラダックに祝い物をねだって、そんなものありませんよと一蹴されていた。氷の蛇の彫刻を作るときに指揮したのは自分だし、官僚全員からの贈り物だから、そこに自分の分も含まれているというのが、ラダックの薄情な言い分だった。
 肉屋組合はふんだんに肉を上納してきていたし、石鹸屋組合からは、怪しい色合いの新製品が届けられていた。氷の蛇の名を借りた、冷え冷え石鹸とのことだった。なんでも薄荷(はっか)がたっぷり使われているとかで、その石鹸を使うと肌が冷えたようになるらしい。
 ギリスは女官に盥に入れた湯を持ってきてもらい、皆とその新製品を試して手を洗ってみて、寒い寒いと言った。付き合わされたラダックが言うには、本当に肌が氷るような感触がするらしかった。それで風呂に入ろうという者が実在するか、怪しいところだが、たぶんギリスは試すつもりだろう。
 三つ子が酔っぱらって、殿下の忠実なる盗賊に握手を求めた。三つ子の英雄(エル)とは珍しいと答えたファサルに、彼らは笑って、じつは十八つ子だといって、幻視術で十八人に増えた。酔っぱらっていてまともに魔法が機能せず、幻影は見るからに幻影だったが、とにかくそれで皆は笑っていた。
 それをにこにこ見ていた兄貴分(デン)の前で、ファサル様は格好いいですねとカラールが失言し、怒り狂ったギリスに蹴りを入れられそうになっていた。自分も酔っているせいか、どの口がそれを口走ったか分からなかったらしく、ギリスは十八人いるそっくりな弟分(ジョット)を、気まぐれに追いかけ回した。
 つい先ほどまで、いっしょに騒いでいたケシュク先生が、疲れ果てて眠り込み、イマームが退出の挨拶をしにきた。明日の十連発の試射を約束させて、ギリスは天才武器職人に退出を許した。
 そのころには誰も彼も酔っぱらい、思い思いの面子で固まっては、なんだかよく分からない話で広間は爆笑していた。相変わらずの顔で、むすっとしているのは、ラダックだけだった。
 しかしこの金庫番も、この男なりに宴席を楽しんでいるのだろう。ギリスと真面目腐って競馬の話をしていた。ラダックが延々と話す、馬の血筋の系譜を、ギリスは頷きながら飽きもせず聞いていたが、本当に聞こえているかは、酔っているふうな顔を見ると、かなり怪しかった。
「殿下は馬がお好きだとか」
 スィグルが大広間の酔い崩れた有様にぼけっとしていると、ファサルがやってきて世間話を向けてきた。
 もと盗賊の親玉は、大人しく、領主の左側の座に座った。
 胡座して酔ったふうもなく微笑して、金眼のほうの右面をこちらに向けていると、ファサルはやはり、父を彷彿とさせた。
「拝領した馬は、名馬でした。ありがとうございます」
「守備隊の隊長が、盗賊のごとく砂牛に乗るわけにはいかないからな」
 スィグルがそう言うと、ファサルは面白そうな顔をした。
「実は私も馬が趣味でして。あっちの連中とは違い、私は名馬に自分で乗るほうです」
 話し込んでいるラダックとギリスを、のぞきこむ仕草の視線で示し、ファサルは言った。在野の者らしからぬ、王侯めいた趣味だった。僕から盗んだ金塊で、贅沢していたようだなと、スィグルは堪えきれず苦笑した。
「古巣で飼っていた馬を、拝領した屋敷に先日移させました。いただいた馬と交配させようかと」
「血筋のよい馬か」
 悪い癖で興味が湧いて、スィグルは思わず熱心に訊ねた。ファサルは頷いた。
「馬は結局、血筋です。人もそうかも知れませんが」
 そう言うファサルに、値踏みされた気がして、スィグルはまた苦笑した。血統書という点では、自分はこの部族で折り紙付きだと思った。アンフィバロウの血筋に優る高貴な血統はない。
「血筋でやっていけるほど、世の中甘くはないだろう。実際のところ、何の力もないものだ」
「そんなことはないですよ。それも殿下の武器でしょう。太祖の血を示す黄金の眼に、誰もが結局は平伏(ひれふ)します。この卑しい盗賊めも」
 頭を下げて見せ、ファサルは冗談のように言った。
「お前も右半分は金でできているのだろう」
「そうですね。殿下にはファサルの秘密をお教えしますが、この眼は千里眼です」
 金のほうの右目を指さして、ファサルは教えた。
「千里眼? 魔法を使うのか、お前は」
 ファサルは頷き、それがさも秘密であるというような囁き声を作って、おどけて解説してみせた。
「遠い的でもよく見えます。ですから、崖上の殿下のご尊顔も、間近にあるように見えました。それが当代の牛の目のファサルの種明かしです」
「お前も千里眼の射手(ディノトリス)とはなあ」
 おかしくなって、スィグルは胡座した膝に肘をつき、自分の顔を覆って、爆笑をこらえた。ギリスが聞いたら、また激怒するだろう。自分のほかにディノトリスがいるのに、あいつは我慢ならないだろうから。ファサルとはどこまでも、対決しなければ済まないようにできているらしい。
「初めは本当に、殿下の両眼を拝領するつもりで射ていたのですが、ご尊顔にあまりに殺気がないもので。なんだか困りましてね。まあ、こういう結末になりまして、良かったような気がいたします。まさか宮殿に仕えることがあるとは、夢にも思いませんでしたが」
 ファサルは心中複雑そうな笑みだった。
「お前の面子は立てる。盗賊たちにも反乱しない程度の贅沢はさせてよい」
 ファサルが案じているだろうことを、スィグルは察して、新しい廷臣が安心するような言葉を与えてやった。ついさっき、ギリスに諌められたばかりだったせいだ。
「賢明なる殿下」
 頭を下げて言う、ファサルの一言は、世辞のように響いたが、領主と盗賊の契約の証でもあった。
 ファサルはグラナダ宮殿の酔いどれた臣たちを見やり、その中の一人となる自分を、ゆっくりと咀嚼しているようだった。
「手下どもに言わせれば、私の馬狂いは玉に瑕なのだそうです。なんでも殿下もそうだとか、あの金庫番が愚痴っておりました」
 ラダックを見やって、ファサルは言った。たれ込みやがってと、スィグルは内心青筋をたてたが、平気なふりをするしかなかった。
「忠誠の証に、愛しい我がひとり娘を殿下の妻にさしあげたいくらいですが、あいにく娘はまだ十歳でして。嫁にやるのも、想像するだに苦痛ですので、代わりに馬でいかがです。殿下の厩舎の馬と、ファサルめの自慢の名馬の交配を」
「足の速い馬か」
 スィグルが訊ねると、ファサルは、それはもうと請け合う顔で頷いた。
「速いだけでなく、気品があります。どこかの血走ったような暴走する駄馬とは違い」
 嫌みたっぷりに言うファサルに、スィグルは気にせず笑ったが、右隣にいたギリスが、とつぜん首を突っ込んできた。
「今こいつ、俺の悪口を言っていたろ!」
 酔漢そのものの口調で、ギリスがスィグルに訊ねてきた。スィグルは情けなくなって、首を横に振ってみせたが、ギリスは納得しなかった。
「誰が暴走する駄馬だ」
 ファサルに怒鳴るギリスの言葉を聞いて、彼が多少の比喩を理解できるようになっていることを、スィグルは恥に目を覆いながら確信した。昔はもっと鈍かったようだったが、ギリスもギリスなりに成長しているらしい。
「違うよ、ギリス。お前じゃなくて馬の話だよ。ファーグリーズの……」
「あいつは名馬だよ。乗り手を選ぶだけだ。俺が乗ってるかぎり、名馬なんだから、可愛いやつだよ」
「だったらそれでいいじゃないですか。まったく、あんたは、いちいちうるさい子だなあ。本当に大英雄の教えを受けたんですかね」
 苦笑するファサルは、また余計なことを言っていた。スィグルはまずいと思ったが、ファサルはわざと言っているようだった。それでは止めようもなかった。
「受けたよ。必要なことは全部教えたってイェズラムは保証した。俺の養父(デン)はお前なんぞよりずっと、賢かったし、気品もあったぞ。そのイェズラムが言うんだから、絶対大丈夫なの!!」
「炎の蛇も親馬鹿だったんですかなあ」
 思わず同意したくなるような事をファサルが言うので、スィグルは気まずくて噎(む)せそうだった。ギリスはあまりに腹が立ったのか、驚愕したような顔をしていた。
「親馬鹿ではない」
 聞き覚えのある声で背後から言われ、スィグルはぎょっとして振り向いた。
 そこに隻眼の魔法戦士が座していた。気だるげに煙管を吸いながら。
「イェズラム」
 ギリスがほとんど絶叫するように名を呼んだ。
 スィグルも悲鳴を上げかけたが、視界の端に、三人寄り集まって手を握っている三つ子が、悪賢そうに、にこにこしているのが見えた。
 幻視術だった。そうでなければ、これは大英雄の死霊だ。
「お前の二十歳の誕生日を、祝いに来た」
 静かにそう言う大英雄の姿は、ごく近くにいる者にだけ見えているらしかった。酒食を楽しむ大広間の者たちのほとんどは、気づかぬふうに笑いさざめいているままだった。
「スィグル、イェズラムだよ」
 混乱した目で、ギリスが教えてきた。あるいは、それが見えるかと、訊ねてきたのかもししれなかった。
「幻視術だよ、ギリス」
 スィグルが教えてやると、ギリスは頷いたが、その目は酔っていた。その目で幻影と見つめ合い、ギリスはなぜか、苦しげだった。
「ギリス、お前は英雄で、部族の誉れだ。誇りをもって戦え」
 幻影の養父(デン)が語りかけてくるのに、ギリスがとりつかれたような目で頷くのを、スィグルは見守った。その言葉はいかにも、長老会の統率者のものだったが、誰もが知っているような、ありきたりの姿で、生前の彼がそうだったように、一片の甘さもなかった。
 たぶんそれは、三つ子が知っているエル・イェズラムの典型的な姿の記憶なのだろう。
 それを眺めるギリスは、どことなく、もどかしげだった。
「イェズ、俺、がんばっているよ。教えを守っている」
 だから褒めろという口調で、ギリスは幻影に言った。幻のイェズラムは、ゆったりと煙を吐き、そして微笑した。
「お前はよくやっている。俺が選んだ唯一無二の射手だ。自信を持って胸を張れ。そして……」
 頷いて聞くギリスを、大英雄は伏目に見つめている。
「三つ子をもっと大事にしてやれ」
 その言葉に頷きかけてから、ギリスは、えっ、と言った。
 スィグルは可笑しくなって、離れた場所でにこにこしている三つ子の幻視術士を見やった。彼らはその作為が、ギリスにばれないと思っているらしかった。
 ギリスは悩むように首をかしげていた。
 するとエル・イェズラムはむっとしたふうに眉をひそめた。
「返事はどうした」
 鋭く叱責されて、ギリスは飛び上がった。
「はい」
 そう答えたギリスに、幻影はにっこりとした。それはもう、悪童たちの笑みとしか思えなかった。
 畏れを知らぬ不敬なやつらだと、スィグルはあきれた。自分たちの亡き長老(デン)を、だしにするとは。
「今夜は、ともに飲もう」
 薄く微笑んで誘う幻影に、うんうんと感激したふうに頷いて、酒盃を探すギリスに、スィグルは失笑しながら杯を渡してやった。
 幻の養父(デン)を相手に、ギリスは痛飲した。
 傍目に見るエル・イェズラムの幻影はじょじょに霞んで見えなくなったが、ギリスにはしばらく見えていたようだった。ギリスは時折、それを相手に、なにか喋った。スィグルはそれを聞かないようにしてやった。嬉しげに言葉少なく話すのが、なんとなく哀れで、聞くに堪えなかったからだ。
 三つ子が事情を知っていて、こんなところで幻視術を使うくらいだ。たぶんギリスのこういう姿は、竜の涙たちの住むあたりでは、日常茶飯事だったのだろうが、スィグルは目にしたことはなかった。
 ギリスと親しくなったとき、イェズラムはすでに死せる英雄だったからだ。
 こんなに長く幻視術を使い続けて、三つ子は平気なのかと、スィグルは心配になったが、彼らは結局、しばらくしてギリスが酔いつぶれるまで、相手をしてやっていた。
 たぶんこれが、彼らの誕生祝いの贈り物の、本体のほうなのだろう。スィグルにはそう感じられた。ただの同じ派閥の顔見知りかと思っていたが、三つ子はどうもギリスに恩があるらしい。
「あの英雄君は、子供みたいですな」
 自分も飲みながら、ファサルは面白そうに批評した。だがそれは悪口ではないようだった。
「それがあいつの、いいところなんだ」
 スィグルはそう答えたが、別にギリスを弁護するつもりはなかった。本心からそう思うのだ。
「世話が焼ける子ほど、可愛いといいますからね。大英雄にも、あの子は可愛かったんでしょうなあ」
「それが親というものか」
 鋭い金の目で微笑んでいる盗賊に、スィグルは小声で訊ねてみた。
 するとファサルは笑って答えた。
「そういうものですよ、殿下」
 頷くファサルに微笑んで、挨拶をし、スィグルは退出を告げた。
 そろそろ部屋に帰って、鷹に持たせる手紙を書かねばと思い立ったのだ。父にどうやって世話を焼いてもらうか、見当もつかなかったが、とにかく、思いつくまま筆をとろうかと決心した。
 普段は無理でも、グラナダ宮殿のこの大広間で、慕わしい阿呆どもと飲んだくれた後なら、酔った勢いに任せて、甘えられるかもしれなかった。
 酒精のためにふわりとした足取りで歩く宮殿の回廊は、普段よりいっそう美しく見えた。広間の馬鹿騒ぎが遠ざかるに連れ、心地よいざわめきとなって耳に残り、スィグルはそれに包まれて、夜の宮殿をゆっくりと歩いた。
 この街に、来てみてよかったと、不意にそう感じた。
 そして、そのことを手紙に書いて、父に伝えようと思った。
 鷹が運んでくれるだろう。近くて遠い王都まで。その力強い翼で、不出来な息子の我が儘を。
 部屋で手紙を書くうちに、いつのまにか夜が更け、スィグルはいつ宴席が果てたのかを、知らなかった。

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