もえもえ図鑑

2008/09/20

新星の武器庫(51)

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 装填用の取っ手を引こうとするギリスに、イマームが慌てて教えた。
「矢が入っていますから、気をつけてください」
 忠告が聞こえているのかどうだか、ギリスは遠慮無く装填した。弓弦を押し引いて、細身の矢が二本、同時に現れた。それにギリスが、愕然という顔をする。
「二本、二本出てきたけど。なんで二本出てくるの」
「二本ずつ同時に発射する仕様なんです。それで五連射で、全部で十本です」
 イマームが説明すると、ギリスは恍惚として顔をしかめた。ギリスは連弩に惚れ込んでおり、すでに仕様解説だけで身震いが出るらしかった。
「ファサルかける五か……」
「まあ、そういうことです」
 本当にそういうつもりだったらしく、イマームはどこか照れたような笑みを浮かべた。
「試射」
 そう宣言して、ギリスは装填済みの連弩を、ラダックと話していたファサルに向けた。
 さしもの盗賊あがりも、本物の矢を向けられて、ぎょっとした。
 まさかと思って眺めたが、ギリスは本当に引き金を引いた。ただしファサルの膝元の床を狙って。
 音高く矢が床を打ち、砕け散った木っ端が跳躍した。ファサルはもちろん、周囲にいた者たちも、悲鳴をあげて驚き、その場から飛び退(すさ)った。
「エル・ギリス」
 青ざめて、イマームが大声で止めた。ほぼ同時に、ラダックも怒鳴り返してきた。
「やめなさい、エル・ギリス。この部屋の敷石は大理石です。敷き直したら高く付きます!」
「いいじゃんラダック、お誕生日だから」
 甘えかかるような声色で答え、ギリスは二射目を再装填して、ファサルを狙った。その目が本気なような気がして、スィグルはギリスを止めようとした。
 しかし、ほんの僅かの間で、ケシュクのほうが先に、ギリスの白い袖を引いていた。
「危ないよ、エル・ギリス。誰か怪我したらどうすんの。それが英雄のやることか」
 もっともらしい説教をして、ケシュクは怒った顔をした。その目と見つめ合って、ギリスはしゅんとし、連弩を下ろした。
「そうだな、ごめんよ」
 それから、ちらりとギリスはスィグルを見た。お前も説教するのかという、どことなく卑屈な目だった。
 ギリスはケシュクの頭を撫でてやり、すぐにまた薄い笑みになった。
「明日、試射に付き合ってよ、ケシュク先生」
「いいよ」
 連弩をケシュクに預けて立ち上がり、ギリスは何となくよろめく足取りで、渋面のラダックの肩を叩いた。
「悪かったよ、ラダック」
「謝るなら、私でなく、あっちでしょう」
 ファサルのほうを示して、ラダックが諭した。それに頷きながら、ギリスは呆れ顔のファサルのほうへ行き、同じように肩を叩いた。
「悪かったよ、ファサル。許してくれ。本気だったけど」
「殺気を感じましたよ」
 そう答えるファサルに、ギリスは情けなそうに目を覆って、残る片手で無理矢理に握手をさせた。許してやるつもりか、ファサルは強すぎる握手に右手を握らせながら、寛大な苦笑を浮かべていた。
 嘘くさい和解のあと、ギリスは悄然と立ったまま、またケシュクと向き合った。
「俺の魔法を見せてやろうか、ケシュク」
 しょんぼりと誘うギリスに、ケシュクはぽかんとした。
 それから子供は、その小さな体に満ちてく歓喜の量が手に取るようにわかるほど、ゆっくりと徐々に満面の微笑みになった。
「いいの?」
 静かな熱狂を潜ませた顔で、子供は連弩を置いて立ち上がった。それを持っていたことも、一時忘れているようだった。
「いいよ。領主様の許しをもらってあるから」
 ギリスがそう教えると、ケシュクは熱にうかされた笑みのまま、スィグルのほうを見た。そして子供はなぜか、ぴょんぴょん跳んだ。
「ありがとう、領主様」
 大声で礼を言うケシュクに、スィグルは苦笑するしかなかった。
 ギリスは誕生祝いの贈り物として、この日一日、自由に魔法を使うことを許せと求めてきた。殺傷には用いないと誓うからと言って。
 スィグルは困惑し、悩みはしたが、結局許した。ギリスがあまりに真剣で、魔法は時々使わないと、消えることもあると言うからだった。長らく使っていなかった自分の治癒術が、目に見えて衰えていたことの衝撃を思い返すと、ギリスの願いを一蹴するのは無理だった。
 魔法は部族の者にとっては何よりの誇りだ。自分でさえ、身のうちから魔法が消えると思うと、灼かれるような焦りを感じる。
 ましてギリスにとって、氷結術は己の全てだ。氷の蛇がそう思うだろうことは、スィグルには容易に想像がついた。
 それで許したのだ。一日だけ。誰も傷つけないなら。お前自身も含めて、と。
 そんなことを命じる権利は、本来ならないのかも知れないが、ギリスはおとなしく、嬉しそうに頷いただけだった。
 こいつはケシュクに魔法を見せたかったのか。
 ケシュクはぴょんぴょん跳ねる兎のような足取りで、ギリスと手をつないでいた。ギリスはそれを、にこにこして見ている。
「お前も見に来いよ、スィグル。見たかったら、みんなも」
 手招きして、ギリスはスィグルを呼んだ。こちらが立ち上がるまでしつこく、ギリスはおいでおいでと手招きしていた。
 スィグルは諦めて、王族の席から立ち上がった。皆が見にいきたそうに、そわそわ見ており、自分が行かないと言えば、皆も行けないようだったからだ。
 ついてきたスィグルに満足したふうに、ギリスは列柱の向こうに見える、すでに暗い夜の庭園のほうへ行った。
 列柱にとりついて見上げると、夜空には月も、星もなかった。分厚い雲がたれ込め、雨を降りしきらせている。焚かれた篝火の灯りだけが、なんとか庭を照らしていたが、庭園の美を明らかにするほどではなかった。
 ケシュクの手を離させ、ギリスは柱に寄りかかって空を見上げた。
「上を見ろ、ケシュク」
 ギリスが指さして教えると、ケシュクは意気込んで両手に握り拳をつくり、闇夜を見上げた。
 それに倣って、スィグルも空を見上げた。たぶん、あとから付いてきた見物の者たちも、同じように空を見たろう。
 ギリスは特に何も、大仰な仕草はしなかった。ただ柱にもたれ、空を見上げていた。
 こつんと微かな音がして、何かが列柱の回廊の床を打った。それは次々に、こつこつと軽快に床を打ち始めた。
 自分の爪先に転がってきた小さな氷の粒を、スィグルは見下ろした。
 ケシュクがうわあと歓声をあげている。
 氷った雨が、小さな粒になって、庭に降り注いでいた。見る間に、篝火に光る玉(ぎょく)の鉱床のようになっていく庭に、ケシュクは氷に打たれるのもかまわず、歓声をあげながら走りでていった。子供の足音が、ざくざくと聞こえた。
 ギリスはそれを微笑んで見つめ、そして市街のあるほうへ視線をやった。
 ギリスはぼんやりして見えた。
 こいつは一体、なにをしているのだろうと、スィグルは黙って見つめた。どこまでこの氷の雨を、降らせようというのか。
 微かに湧き上がった歓声が、市街から聞こえたような気がした。それは空耳かもしれなかった。ギリスの射程は全市を覆えるようなものではない。
 しかしギリスが、宮殿の外にも、この氷の雨を降らせようとしているのは、確かに思えた。
 宮殿の門前では、英雄の誕生日を祝って、特別な晩餐が配給されていた。それは富裕な者の義務としての施しだが、ギリスは宴会の一部だと思っているらしかった。そこへ姿を現せなくても、英雄の存在を証し、余興を与えたいと、この男なら思うかもしれない。
 満足げな笑みを浮かべ、ギリスは庭のケシュクに目を戻してきた。
「なあケシュク、いつまでやりゃあいいの」
 ギリスは氷を踏んで駆け回っているケシュクの姿を、微笑んで見つめていた。
「もうちょっと!」
 罪なく笑って、そう強請る子供に、ギリスは笑った。
「俺がやめたら、びしょ濡れになるよ」
「もうちょっとだけ」
 そう答えて、戻ってこないケシュクに、ギリスは楽しげに、あーあと言った。
 眺める者たちは、皆、感嘆していて楽しげだった。仮面劇を見るように、皆、ギリスの魔法に楽しまされていた。
 もうやめろという言葉を喉もとに詰まらせたまま、スィグルは押し黙っていた。楽しげな眺めを、自分だけが楽しんでいない気がする。
「もう終わりだよケシュク。俺も再装填しないと撃てないよ」
 笑って言い、ギリスは魔法を振るうのをやめたらしかった。どっと元の雨が降ってきた。ケシュクは悲鳴をあげながら、庭に降り積もった氷を両手でひっつかみ、走って戻ってきた。
 見て、と騒いで、ケシュクは父親にその氷を見せていた。
 イマームはそれと話してやりながら、時折、恐縮したようにギリスのほうを見た。ギリスはそれにただ笑って応えるだけだった。

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