新星の武器庫(49)
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「お褒めにあずかり光栄なんですが、どうせだったら殿下、それは、こっちを見てからにしてください。正直言って、自信がありませんので」
シャムシールは姿絵を巻き戻し、それからもう一つ別に持っていた、小綺麗な画帳のようなものをギリスに手渡してきた。
「こっちが僕からの誕生祝いです。姿絵は仕事で描いたものだし、それに、タンジールで保管されて、英雄の手元に残りませんからね」
渡された画帳の中を開いてみると、それは黒い簡単な線に、薄墨と朱墨で大まかに彩色しただけの、素朴な絵だった。明らかにシャムシールが描いたものとわかる、牧歌的な要素の強い画風で、鮮やかに彩色されていた肖像画と比べると、ずいぶんくだけた雰囲気がした。
画帳の真ん中には、白い蛇がぽつんと描かれているだけだ。
その下に、シャムシールの筆跡で、文章が書かれてあった。
高貴なる太祖のお血筋をひく名君の御代に、と、それは書き出されており、どうも物語のようだ。本日二本目かと、スィグルは思わず苦笑になった。
今度はどんなひどい話が、ギリスのために語られるのかと思って。
絵の下に書かれた文字は、こう語っていた。
名君の御代に、氷の蛇がいました。強大な魔力を持った、恐ろしい蛇でした。
しかし絵の蛇は恐ろしいのとは程遠かった。シャムシールはつくづく、恐ろしいものが描けないらしいと、スィグルは微笑んだ。
そしてギリスが次の絵をめくると、そこには戦闘で三つ子が出したのと同じ、羽虫のような巨大な守護生物が描かれていた。その足下に、先ほどの蛇が、ちっぽけに描かれていたので、羽虫の巨大さがわかる。
そこにも文字は書かれていた。スィグルはそれを読んだ。
氷の蛇は、怪物と出会いました。良い怪物でした。
端的な文章に、スィグルはしばらく見入った。ギリスが顔をあげて、シャムシールに訊ねた。
「良い怪物?」
ギリスは理解できないという口調だった。シャムシールが頷いている気配がした。
「良い怪物です」
笑いを含んだ絵師のいつもの声が、そう答えてやっていた。
文章にはまだ、続きがあった。
良い怪物が、氷の蛇に語りかけていた。
盗賊が出て、みんなが困っています。いっしょに戦いましょう。
そして氷の蛇と良い怪物は、連れだって出かけていき、宮殿を襲っている盗賊たちと戦う。
盗賊は片方ずつ違う色の目をしており、左の目は青で、右の目は金色だった。可愛らしい人形のような姿だったが、それは紛れもなく牛の目のファサルで、横から覗き込んでいた当人が笑い、参ったなというような事を呟いていた。
やっつけよう、俺には強い魔力があるからと、氷の蛇は怪物を誘った。
しかし怪物はそれを諌める。
盗賊だって人の子ですよ。なにか訳があって悪さをしているのです。あなたが行って、訳をきいてやってください。
氷の蛇はしばらく考えるが、良い怪物が言うのだからと、盗賊と話すことにする。
なぜお前は宮殿を襲うのかと、蛇は盗賊にたずねる。すると盗賊は答えた。
俺の家には飢えた女の子が百人、飢えた男の子が百人、飢えた赤ん坊が百人もいる。それなのに宮殿には食べ物がいっぱいだ。だからそれを、ぶんどりにきた。宮殿なんか、壊してしまうぞと。
蛇は宮殿に名君がいることを知っていたので、それは困ると思い、盗賊をやっつけようとした。蛇の魔力をもってすれば、盗賊などひとひねりだった。
だが、そのとき、街から女の子が百人、男の子が百人、赤ん坊が百人やってきて、涙を流し、お父さんを殺さないでと蛇に頼んだ。
蛇は子供が好きだったので、どうしようかと困り果てた。
そして悩んでいるうち、盗賊が蛇に、神業の二連射を放った。
蛇は難なくそれをよけたが、矢は二本とも、良い怪物に当たった。
怪物が死に、蛇はそれを嘆き、どうすればいいかと天使に祈った。すると天使が雲間から蛇に囁く。
お前が持っている魔力を全て投げ打つなら、それを使って良い怪物を助けてやれると。
蛇は迷わず、天使に魔力を返し、それを使って、良い怪物を助けてもらった。
蛇に礼をのべた怪物は、宮殿の名君に変身する。
名君は語る。蛇よ、盗賊よ、子供らよ、そなたたちは皆、我が臣民。宮殿でともに、食べたいだけ食べてよい。
そして、名君と蛇と、盗賊と子供らは、みんなで一緒にごはんを食べた。
肉をがつがつ食らっている蛇の絵で、絵は尽きていた。
「これで終わり?」
ギリスが不思議そうに、シャムシールに訊ねた。絵師はちょっと困ったように、頷いてきた。
「ケシュク君には、案外好評だったですけど。矢が当たったところで、もっと血が出たほうがいいって言われたぐらいで」
ギリスはシャムシールの答えに、ああ、と煮え切らない返事をした。
「赤ん坊が、どうやって歩いてきたの」
ギリスがどうでもいいことを訊くのを、スィグルは苦笑して眺めた。シャムシールは真剣なふうに考え、そして答えた。
「這ってですかね」
その答えに、ギリスは頷き、納得したようだった。なぜ怪物が名君に変身するのかと、ギリスが訊ねるかと思ったが、それは彼にはなぜか、不思議ではないようだった。それとも、あまりにも理解の範疇を超えていて、意識にのぼらないか。
「変な話だなあ、これ。お前が考えたのか」
「そうです。これは、版画用の下絵なんです。エル・ギリスにはお祝いに原画を」
そしてシャムシールは、両手を拡げたほどの大きさの帳面のようなものを、スィグルに手渡してきた。
「こっちが印刷したほうです。職人さんの話では、一日に百冊くらい刷れるらしいですよ」
「刷ってどうするんだ。売るのか……」
まさかと思って、スィグルは訊ねた。シャムシールは笑って首を振った。
「配るんですよ、ただで」
シャムシールの言葉に、ラダックがごほんとわざとらしい咳払いをした。
「ラダックは反対だそうですが。でも、お金をとったら子供が読めないですよね」
「これを子供の読ませるのか?」
スィグルはシャムシールの意図が見えず、訊ねながら顔をしかめた。
「そうです。子供は頭がやわらかいですからね。絵を見て、これはどういう意味かなんて、訊ねたりしません。良い怪物は、良い怪物なんです」
急にシャムシールの意図が読めて、スィグルは驚いた。
こいつはこれで、子供に思いこませるつもりなんだ。守護生物(トゥラシェ)は、良い怪物なのだと。
これまで部族の者たちは、従軍して実際に守護生物(トゥラシェ)を目の当たりにするずっと以前の、小さな子供のころから、あれは悪鬼の怪物だと信じてきた。それは大人たちが、そういう話をするからだった。父親が従軍したきり死んで戻らなかった者もいただろう。それが悪鬼の怪物のせいだと、今も信じているだろうし、まぎれもない事実だった。
でもそれはいずれ、過去の不幸になる。同盟による停戦のお陰で。スィグルはそう信じたかった。
今や森の悪鬼は友軍で、守護生物(トゥラシェ)は良い怪物だ。
そんな馬鹿げたことを、自分は確かに皆に語りかけねばならない。シェル・マイオスが、族長となる自分にとって友だというなら、自分が治める部族民にとっても、そうでなければ、あまりに矛盾した話だった。
しかし、それは一生をかけた仕事になるだろう。今日始める必要はない。
だが、それならいつ始めるのだ。
シェル・マイオスの守護生物(トゥラシェ)を、悪鬼と憎む最後の世代は、いつ現れるのだ。それが実は良い怪物なのだと、理解してくれる最初の世代は、ただぼけっと待っていれば、いつか現れるのか。
そんなはずはない。もし何もしなければ、憎悪は親から子へ連綿と語り継がれるだろう。
そしてあいつと、友よと皆の前で当たり前に手をとりあえる日は、お互いが生きているうちには、やってこない。
「あのですね、殿下。お許しをいただけましたら、これをグラナダの人たちに配ろうと思います。英雄の二十歳の誕生日を記念して。それで好評だったら、タンジールでも同じことをやろうかと。それには族長の許可が必要でしょうか。もしそうなら、殿下から、お願いしていただけないでしょうか」
「ち、父上に、これを見せようというのか、お前は」
動揺して訊ねたスィグルに、絵師はちょっと恥ずかしそうに笑い、頷いた。
「良い怪物の話だぞ」
念押しをしたスィグルに、シャムシールはまた深々と頷いてみせた。
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「お褒めにあずかり光栄なんですが、どうせだったら殿下、それは、こっちを見てからにしてください。正直言って、自信がありませんので」
シャムシールは姿絵を巻き戻し、それからもう一つ別に持っていた、小綺麗な画帳のようなものをギリスに手渡してきた。
「こっちが僕からの誕生祝いです。姿絵は仕事で描いたものだし、それに、タンジールで保管されて、英雄の手元に残りませんからね」
渡された画帳の中を開いてみると、それは黒い簡単な線に、薄墨と朱墨で大まかに彩色しただけの、素朴な絵だった。明らかにシャムシールが描いたものとわかる、牧歌的な要素の強い画風で、鮮やかに彩色されていた肖像画と比べると、ずいぶんくだけた雰囲気がした。
画帳の真ん中には、白い蛇がぽつんと描かれているだけだ。
その下に、シャムシールの筆跡で、文章が書かれてあった。
高貴なる太祖のお血筋をひく名君の御代に、と、それは書き出されており、どうも物語のようだ。本日二本目かと、スィグルは思わず苦笑になった。
今度はどんなひどい話が、ギリスのために語られるのかと思って。
絵の下に書かれた文字は、こう語っていた。
名君の御代に、氷の蛇がいました。強大な魔力を持った、恐ろしい蛇でした。
しかし絵の蛇は恐ろしいのとは程遠かった。シャムシールはつくづく、恐ろしいものが描けないらしいと、スィグルは微笑んだ。
そしてギリスが次の絵をめくると、そこには戦闘で三つ子が出したのと同じ、羽虫のような巨大な守護生物が描かれていた。その足下に、先ほどの蛇が、ちっぽけに描かれていたので、羽虫の巨大さがわかる。
そこにも文字は書かれていた。スィグルはそれを読んだ。
氷の蛇は、怪物と出会いました。良い怪物でした。
端的な文章に、スィグルはしばらく見入った。ギリスが顔をあげて、シャムシールに訊ねた。
「良い怪物?」
ギリスは理解できないという口調だった。シャムシールが頷いている気配がした。
「良い怪物です」
笑いを含んだ絵師のいつもの声が、そう答えてやっていた。
文章にはまだ、続きがあった。
良い怪物が、氷の蛇に語りかけていた。
盗賊が出て、みんなが困っています。いっしょに戦いましょう。
そして氷の蛇と良い怪物は、連れだって出かけていき、宮殿を襲っている盗賊たちと戦う。
盗賊は片方ずつ違う色の目をしており、左の目は青で、右の目は金色だった。可愛らしい人形のような姿だったが、それは紛れもなく牛の目のファサルで、横から覗き込んでいた当人が笑い、参ったなというような事を呟いていた。
やっつけよう、俺には強い魔力があるからと、氷の蛇は怪物を誘った。
しかし怪物はそれを諌める。
盗賊だって人の子ですよ。なにか訳があって悪さをしているのです。あなたが行って、訳をきいてやってください。
氷の蛇はしばらく考えるが、良い怪物が言うのだからと、盗賊と話すことにする。
なぜお前は宮殿を襲うのかと、蛇は盗賊にたずねる。すると盗賊は答えた。
俺の家には飢えた女の子が百人、飢えた男の子が百人、飢えた赤ん坊が百人もいる。それなのに宮殿には食べ物がいっぱいだ。だからそれを、ぶんどりにきた。宮殿なんか、壊してしまうぞと。
蛇は宮殿に名君がいることを知っていたので、それは困ると思い、盗賊をやっつけようとした。蛇の魔力をもってすれば、盗賊などひとひねりだった。
だが、そのとき、街から女の子が百人、男の子が百人、赤ん坊が百人やってきて、涙を流し、お父さんを殺さないでと蛇に頼んだ。
蛇は子供が好きだったので、どうしようかと困り果てた。
そして悩んでいるうち、盗賊が蛇に、神業の二連射を放った。
蛇は難なくそれをよけたが、矢は二本とも、良い怪物に当たった。
怪物が死に、蛇はそれを嘆き、どうすればいいかと天使に祈った。すると天使が雲間から蛇に囁く。
お前が持っている魔力を全て投げ打つなら、それを使って良い怪物を助けてやれると。
蛇は迷わず、天使に魔力を返し、それを使って、良い怪物を助けてもらった。
蛇に礼をのべた怪物は、宮殿の名君に変身する。
名君は語る。蛇よ、盗賊よ、子供らよ、そなたたちは皆、我が臣民。宮殿でともに、食べたいだけ食べてよい。
そして、名君と蛇と、盗賊と子供らは、みんなで一緒にごはんを食べた。
肉をがつがつ食らっている蛇の絵で、絵は尽きていた。
「これで終わり?」
ギリスが不思議そうに、シャムシールに訊ねた。絵師はちょっと困ったように、頷いてきた。
「ケシュク君には、案外好評だったですけど。矢が当たったところで、もっと血が出たほうがいいって言われたぐらいで」
ギリスはシャムシールの答えに、ああ、と煮え切らない返事をした。
「赤ん坊が、どうやって歩いてきたの」
ギリスがどうでもいいことを訊くのを、スィグルは苦笑して眺めた。シャムシールは真剣なふうに考え、そして答えた。
「這ってですかね」
その答えに、ギリスは頷き、納得したようだった。なぜ怪物が名君に変身するのかと、ギリスが訊ねるかと思ったが、それは彼にはなぜか、不思議ではないようだった。それとも、あまりにも理解の範疇を超えていて、意識にのぼらないか。
「変な話だなあ、これ。お前が考えたのか」
「そうです。これは、版画用の下絵なんです。エル・ギリスにはお祝いに原画を」
そしてシャムシールは、両手を拡げたほどの大きさの帳面のようなものを、スィグルに手渡してきた。
「こっちが印刷したほうです。職人さんの話では、一日に百冊くらい刷れるらしいですよ」
「刷ってどうするんだ。売るのか……」
まさかと思って、スィグルは訊ねた。シャムシールは笑って首を振った。
「配るんですよ、ただで」
シャムシールの言葉に、ラダックがごほんとわざとらしい咳払いをした。
「ラダックは反対だそうですが。でも、お金をとったら子供が読めないですよね」
「これを子供の読ませるのか?」
スィグルはシャムシールの意図が見えず、訊ねながら顔をしかめた。
「そうです。子供は頭がやわらかいですからね。絵を見て、これはどういう意味かなんて、訊ねたりしません。良い怪物は、良い怪物なんです」
急にシャムシールの意図が読めて、スィグルは驚いた。
こいつはこれで、子供に思いこませるつもりなんだ。守護生物(トゥラシェ)は、良い怪物なのだと。
これまで部族の者たちは、従軍して実際に守護生物(トゥラシェ)を目の当たりにするずっと以前の、小さな子供のころから、あれは悪鬼の怪物だと信じてきた。それは大人たちが、そういう話をするからだった。父親が従軍したきり死んで戻らなかった者もいただろう。それが悪鬼の怪物のせいだと、今も信じているだろうし、まぎれもない事実だった。
でもそれはいずれ、過去の不幸になる。同盟による停戦のお陰で。スィグルはそう信じたかった。
今や森の悪鬼は友軍で、守護生物(トゥラシェ)は良い怪物だ。
そんな馬鹿げたことを、自分は確かに皆に語りかけねばならない。シェル・マイオスが、族長となる自分にとって友だというなら、自分が治める部族民にとっても、そうでなければ、あまりに矛盾した話だった。
しかし、それは一生をかけた仕事になるだろう。今日始める必要はない。
だが、それならいつ始めるのだ。
シェル・マイオスの守護生物(トゥラシェ)を、悪鬼と憎む最後の世代は、いつ現れるのだ。それが実は良い怪物なのだと、理解してくれる最初の世代は、ただぼけっと待っていれば、いつか現れるのか。
そんなはずはない。もし何もしなければ、憎悪は親から子へ連綿と語り継がれるだろう。
そしてあいつと、友よと皆の前で当たり前に手をとりあえる日は、お互いが生きているうちには、やってこない。
「あのですね、殿下。お許しをいただけましたら、これをグラナダの人たちに配ろうと思います。英雄の二十歳の誕生日を記念して。それで好評だったら、タンジールでも同じことをやろうかと。それには族長の許可が必要でしょうか。もしそうなら、殿下から、お願いしていただけないでしょうか」
「ち、父上に、これを見せようというのか、お前は」
動揺して訊ねたスィグルに、絵師はちょっと恥ずかしそうに笑い、頷いた。
「良い怪物の話だぞ」
念押しをしたスィグルに、シャムシールはまた深々と頷いてみせた。
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