もえもえ図鑑

2008/09/11

新星の武器庫(42)

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 ひとりでやっているせいか、アミールの出した幻影はたよりなく透けており、蜃気楼のような揺らめく姿だったが、確かにギリスの見知っているエル・サフナールだった。
 ただ、以前ギリスがタンジールで最後に見たときよりも、サフナールの石は格段に成長しているようだった。髪飾りというには、それはあまりにも大仰に過ぎ、華奢な彼女の首もとまでを這い降りて、今にも首を噛む青い蛇のように見えた。
 ギリスは微笑んでそれを眺めた。
「サフナは紫煙蝶(ダッカ・モルフェス)を吸っているか」
 寝台に寝ころんで、ギリスは仰向けに幻影を見上げた。すると幻のサフナールは、慎み深く長衣(ジュラバ)の裾をおさえて、じろりとギリスを睨んできた。アミールのその悪戯に、ギリスはさらに微笑した。
「いや、見たことないですけど」
「吸ってるはずだ。族長が嫌うから、隠れて吸ってるんだろ。王都に戻って、サフナを見たら、髪の匂いを嗅いでみろ。それから、お前らは治癒者だから、施療院に入れるだろ。サフナの麻薬(アスラ)の使用量を調べて、俺に教えてよ」
 ギリスが頼むと、三つ子は不思議そうな顔をした。それはどことなく、不安げな顔だった。
「そんなこと知って、どうするんですか」
 訊いてきたルサールの顔を、ギリスは見つめた。
 そんなこと、どうしてお前らに話さなくちゃならないの。
 以前なら、そう言うところだったが、今はもう、こいつらは仲間だ。
「サフナは他の治癒者に族長を診させないだろ」
「そうらしいけど、どうして知ってるんですか。兄貴(デン)は王都にいないのに」
「それはサフナの性格だよ。あいつは族長に惚れてんの。他の治癒者と分けはしないさ。だからサフナがひとりで診るだろ。あいつの石の育ちぐあいを見れば、族長の病状がわかる」
 ギリスは難しい話をしたつもりはなかったが、三つ子はそれを聞き、しばらく返事をしなかった。アミールが出したサフナールの幻が、ふっと吹き消されるように、かき消えた。どことなく青い顔をして溜飲し、やがてアミールは、やっと飲み込めたというように、口を開いた。
「族長は病気なんですか」
「そうだよ。秘密だけど、長老会は知っている。それで治癒者を呼び集めて、族長を治させてる。今、治癒者は全部で何人いるんだ。全員使ったとして、族長はあと何年生きてるんだろう。まさか永遠にじゃないだろう。いずれは力尽きる。それがいつか、俺は知りたい。お前らが調べてくれよ」
 三つ子は求められて、ぱくぱくと喘ぐように口を閉じたり開いたりした。
 それが面白くて、ギリスは笑った。
「調べます」
 頷いて、結局アミールが答えた。
 いい返事だった。
 余計なことを訊ねないし、こいつは察しがいいのだろうと、ギリスは弟(ジョット)の頭の回りの良さに満足した。
「兄貴(デン)は……レイラス殿下の戴冠をするんですよね」
 末弟だからか、カラールは我慢ならずというふうに、余計なことを訊いた。それもご愛敬かと、ギリスは煙を吐きながら思った。
「したいね、是非」
「そのとき、俺らは殿下のなんだろう」
 それまで黙っていたルサールが小声で訊ねてきた。
 力が欲しいのはお前だったのかと、ギリスは納得した。
「さあ、それはお前らの働きしだいだし、あいつの好みにもよるけど。将来、長老会に三つ子の重鎮(デン)がいても、おかしくないんじゃないか?」
 ギリスの答えを聞き、ルサールは、意志を問うようにアミールの目を見つめた。三つ子たちは見えない何かで繋がり合っているように、お互いに目を見交わすだけで、相談しているようだった。
 ギリスは三つ子の結論を待ってやったが、答えはどうせ分かっていた。
 昔から、こいつらは、俺が差し出した菓子の箱から、甘いものをつかみ取るのが癖になっている。今回だって拒みはしないさ。
「兄貴(デン)は、怖くはないの」
 カラールがぽつりと訊いてきた。ギリスは養父(デン)の形見の煙管を見つめた。
「俺には、怖いっていうのがどういう感じか、全然わからないんだよ」
 ギリスが答えると、三つ子は、ああそうか、愚問だったという顔をした。彼らは大体において、ギリスの仕様をよく理解して、時には不足を補うような気働きさえしてくれた。それは彼らなりの恩返しだろうとギリスは認識していた。
「レイラス殿下は、族長の件はご存じなんですか」
 アミールはもう寝台に起きあがって胡座し、深刻そのものの顔つきでいる。
 いい質問だった。やはりこいつが一番、頭が切れるらしい。
「いいや。知っているのは長老会だけだ。族長自身も知らないことになっている。スィグルには、いずれ俺から知らせるけど、今は無理。そんなこと知ったら、きっと潰れちゃうよ。もうちょっと根性が据わるまで、待ってやってくれ」
「それは、いつなんだろう、兄貴(デン)。ずっと先じゃ困るだろ」
 ルサールがどこか焦れたように訊ねてくる。ギリスは、こいつは何のことを訊いているのだろうかと思った。話の筋道からしたら、スィグルの覚悟が決まる時はいつかという問いのはずだが、ルサールが訊いているのは、別のことのように思えた。
 古い星がいつ死んで、新星がいつ昇り、それを自分は生きて眺められるのかと、ルサールは考えている。たぶん、そう。こいつはたぶん、そういうやつ。母親の腹で、三つに分かれる時に、ひとつしかなかった野心を、ぶんどって生まれた。
「さあ、いつかなあ。族長と俺と、どっちが先にくたばるか、そういう勝負だよ、ルサール」
 舞い降りた死の天使が、先に玉座のほうへ行くよう、聖堂で祈りを捧げないと。天使は民の祈りなど聞いていないと、新星は言うが、この声は是非とも、聞いてもらわねばならない。そうでないなら、俺も、自分でなんとかする羽目になる。広間(ダロワージ)にある族長の時計が、グラナダのより早く進むように。
 そういう話をすると、三つ子は黙って、腕を枕に寝ころんでいるギリスの膝元に寄り集まって座り、深刻そうな陰気な顔をした。
 ギリスには、彼らが何を考えているのやら、さっぱり見当がつかなくなった。それで仕方なく、ただうっすら微笑んで、ギリスは三つ子がなにか喋るのを待った。
 ややあって、口火を切ったのはカラールだった。
「長生きしてよ、兄貴(デン)。俺ら、兄貴(デン)が死んだら、新星の面倒はみられないから。始めたからには、せいぜい長生きして、ちゃんと責任とってもらわないと」
 その、どこか子供っぽい脅迫に、ギリスの笑みは苦笑になった。
 そりゃそうだろうなとギリスは思った。こいつらには、そんな根性はない。いつだって、子供部屋の憎まれ役だった悪党(ヴァン)ギリスの手下どもでしかなく、それ以上のものではなかった。
「朝になっちゃったなあ、おい。お前らに付き合わされて、寝てる間もなかったよ」
 明かり取りの窓から見える早暁の空は、雨期を示す曇天だった。今日こそひと雨来るだろう。
 グラナダに来て、四度目の雨期だった。時は刻々と過ぎている。
 ギリスはこのまま、グラナダの年々の雨期を数えて生きるつもりはなかった。この都市に慣れ、愛しいものとして感じられはするが、突き詰めれば自分は結局、玉座の間(ダロワージ)の栄光の中でしか酔えない男だ。
 イェズラムも、昼寝が趣味みたいに、ふとした合間にうとうとする事が多かったが、夜には目覚めていることが多かった。耳を憚る話をする者は、なぜか夜に訪れる。それに付き合わされることが多く、養父(デン)は寝る暇もなかった。
 俺もいつかきっと、そういう暮らしになるんだろうなと、ギリスは予感した。
 それでもまあ、仕方がない。養父(デン)のように、昼寝をする男になればいいのだし。ゆっくり眠るのは、いつでもできる。石と骨になって、王宮の墓所で、栄光に満ちた治世の壁画に抱かれ、英雄の夢を見ながら。役目を終えた弟(ジョット)たちと、闇夜を駆け抜けたあとの、輝く星を待って。
 それはなかなか、気の利いた一生だけど、とにかく眠いことは確かだ。
 ギリスは欠伸をした。
 だけど今から眠るよりも、沐浴でもして眠気を振り払い、新しい一日に乗りだそう。
 夜が明けたら、新星はくだんの盗賊を詮議するつもりだ。いったいどうやって、あの二連射の男をかき口説く気か。
 今日も宮殿に耳目の集まる、賑やかな一日になりそうだった。

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