もえもえ図鑑

2008/09/22

若造もいる小宴会(4)・終

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「そろそろ、お開きにしよう、リューズ。俺とジェレフはもう帰らないと」
 帯から取りだした煙管入れに、愛用の長煙管を仕舞いながら、イェズラムは告げた。
 顔を覆っていた手をずらして、リューズは自分の指の合間から、それを盗み見た。
「そうか。だったら今日は、俺が先に行くよ。お前らは、ここで見送れ」
 命じるようにそう言って、リューズはにこやかに立ち上がった。そして、長衣(ジュラバ)の襟元と、わずかに帯の位置を直し、最後におどけたふうに、自分の顔に触れた。
「これで名君の顔か?」
 流し目で見られて、イェズラムは苦笑した。
「誰か迎えに寄越させたほうがいいぞ」
「いいよいいよ。俺ももう大人だから、ひとりで帰れるよ」
 手を振って拒み、リューズはエル・ジェレフに向き直った。
 その視線に気づき、ジェレフは軽い平伏の構えになった。
「それじゃ元気でな、エル・ジェレフ。もう死んでるやつに元気もくそもないが。とにかく好き勝手にやるといいよ。俺もそのうち、そっちに行くから。そしたらまたお前に、名君ごっこをしてやろう」
「はい。しかし、ずっと先です」
 叩頭して言うジェレフの言葉に、リューズは、そうかなと言うような毒のある顔をした。
「まあ、そこそこ先かな。ほどほどに先?」
「考えても無駄だ。それは、死の天使が決めてくれる」
 イェズラムがそう答え、リューズはああなるほどと微笑した。
「そうか。それじゃあ兄弟、死の天使によろしくな」
「無理はせず、体はいとえよ、リューズ。まだまだ治世の半ばだぞ」
 頷きながら部屋を出る扉を目指す背中を見送って、エル・イェズラムは立ち上がった。しかしその場に立つだけで、彼は立ち去る者の背を追いはしなかった。
 扉に手をかけ、リューズはふと思い出したように、振り返った。
「ところでな、どうして俺が先に帰るか、お前ら分かってるのか」
 分からないんだろ、どうせ、と、リューズはぼやき、きょとんと目を瞬いて立つエル・ジェレフと、乾いた無表情でいるイェズラムを見比べた。
「それはなあ、寂しいからだよ。お前らの去る姿はもう見たくないんだ。だからたまには、そっちが俺を見送ればいいよ」
 納得したように頷き、リューズはそう教えたが、それは独白だった。
 顔を見合わせたいのか、ジェレフは答える視線を求めてイェズラムのほうを見たが、派閥の長(デン)は、素知らぬような無表情で、扉のほうを向いていた。
「それでは死せる英雄どもよ、大儀であった。またな」
 ひらひらと手を振って、リューズは扉の向こうに消えた。
 それきりこの部屋も、消滅するようだった。この世界は生者のためにあるもので、すでに死んだものが、長居をできるところではないようだ。
「可愛いモードで帰りやがって……」
 イェズラムが独りごち、ジェレフは消化不良の顔をした。
「長(デン)」
 珍しく顔をしかめて、ジェレフが悩むように呼びかけてきた。
「なんだ、エル・ジェレフ」
「族長は、結局、どういう人なんですか」
 そう問う若造に目もくれず、イェズラムは、ああくたびれたという顔をした。
「どういう人?」
 一応考えてはいるらしい顔で、イェズラムは投げかけられた問いを反復して呟く。
「それが分かればもっと楽だったろ。あいつは子供のころから毎日別人だったんだよ。本音はどこかにあるんだろうが、もしかすると本人にも、よく分かっていなかったのかもな。その場のノリに付き合って、都合のいいほうへ転ぶよう、なんとか操縦しながら付き合ってきたんだよ、俺は」
「俺には族長はひたすら名君でした」
 そう言うジェレフは、知らない間に毒でも飲まされていたというような顔だった。
「だったらそうなんだろう。お前には、ひたすら名君で、それでつじつまが合っていれば、別に問題なかっただろう。お前がそういうのを期待するから、あいつはそれに答えたんだよ」
 その答えでは、納得がいかないという顔で、ジェレフは困ったようだった。
「それじゃあ、長(デン)には族長はどんな人だったんですか」
「どんな人だったっけなあ……」
 真剣に首をかしげて、渋面で目を伏せ、イェズラムは長い回想に入った。その沈黙は、ずいぶん続いた。思い返す過去が、たっぷりあるようだった。
 やがて渋面のまま目を開いて、イェズラムは自信がないというふうに、ぼそりと答えた。
「弟?」
 問いかける口調で言われても、ジェレフには返事のしようがなかった。それで一瞬まごついたが、大英雄は訊ねているのではなかった。おそらくそれは、自分自身への問いかけだ。
「そのへんかな、おそらく。あいつは俺にとって、可愛いけど憎ったらしい、世話の焼けるやつだったよ」
「ではそれが、族長の正体ですか?」
 意外そうに応じるジェレフの顔を、イェズラムは見下ろし、真顔になった。
 しばらく若造をじっと眺め、それから老練のイェズラムは、にやりと嗤った。
「そんなことだから、お前はだまされるんだよ。まだまだひよっ子だったな、エル・ジェレフ。リューズのほうが上手(うわて)だよ」
 ジェレフは情けなそうに、それを聞いていた。
「まあ、仕方ないだろう。あいつは本当に怖いやつなんだ。案外、実は名君の顔のほうが素顔で、弟を失った俺を哀れんで、世話の焼けるふりをしていたのかもしれんよ。そのほうが俺も、長生きできそうだということで。あいつは受けた恩義は返す性分だった。即位させて、命を助けた報償として、俺に兄貴面するのを許したのかもな」
 そこまで言ってから、その考えは耐え難いという顔を、イェズラムはした。
 それから扉に向き直り、イェズラムは苦笑のまま、リューズが去った扉の向こうを遠望する目をした。
「おのれ、リューズ、生意気な。誰のお陰で生きているつもりだ。……これで勝ったと思うなよ」
 その笑う口元のまま、亡者はふりかかる闇に消えた。
 始めに食卓が消え、そして部屋が消え、問いかける目のエル・ジェレフが消えた。そして濃密な虚無が我が身に襲いかかってきても、イェズラムはそれを笑って見ていた。やがてその笑う目が消えたとき、あたりは完全な闇だった。
 男の姿が消えても、その場に漂っていた煙の匂いはいつまでも残った。
 それは麻薬(アスラ)を燃やす匂いで、目眩を誘う強い酔いのある芳香だった。古い王朝の香りで、今はもう宮廷の誰にも許されぬ禁制の酔いだ。
 魔法戦士の最後の苦痛を鎮めるため、延命のために用いられたが、その強烈な薬効が使用者の心を毒すので、族長リューズ・スィノニムが宮廷に禁令を発した。背けば斬首の重罪だった。
 その罪の匂いを身に纏い、平気で宮廷を闊歩した逆臣が、権力を欲しいままにした時もあったが、それはもう過去の出来事だった。逆臣は逃げおおせた。後に残るのは煙と酔いの余韻だけで、さしもの名君も、残り香の罪を問うことはできなかったからだ。
 その微香も、いずれは絶えるだろう。
 だが今はまだ、闇に残る香気は微かでも、消え去る気配はなかった。

《おわり》
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