もえもえ図鑑

2008/09/28

悪党の取り分(3)

「それで」
 目を爛々とさせた真顔で、エル・ギリスが訊ねてきた。自室のくつろいだ居間で、ギリスはグラナダでの習い性らしい普段着を纏い、円座に片膝をたてて座って、銀の長煙管を吸っていた。
 ルサールは思わず言いよどんだ。するとギリスは代わって話を継いだ。
「それでお前ら、三人まとめてサフナに犯られたのか。さすがは英雄ジェレフの弟(ジョット)だよ」
 すごく感心したふうに言われて、ルサールはその言葉に脳天を割られ、すでに円座に倒れていた兄弟たちの死体に加わった。
「お前らに言っておくの忘れたよ。サフナールはな、ああ見えてえろえろなんだって。でも昔は、餓鬼は相手にしなかったはずだよ」
 頷きながら言って、ギリスは煙管をふかした。それはまだ、昼飯前で明るい兄貴(デン)の部屋に、涼しげなグラナダの香気を漂わせていた。
「変わったんだなあ、サフナも。それともあれかなあ、三つ子と乱戦ていうのがなあ、いいかもなんて思えたのかなあ。お前らサフナに、何か、しばらく立ち直れないようなことされた?」
「されました……」
 泣きそうというか、泣いている声で、カラールが答えていた。
 確かに、された。エル・サフナールに、というか、皆さん総掛かりで。ありがとうございます。玉座の間(ダロワージ)の恋は、一瞬の華というには、ちょっと激しすぎでした。たぶん一年分くらいでした。なんだかよく分かりません。
 ルサールは兄貴(デン)にそう言おうと思ったが、胸がいっぱいで言葉にならなかった。
「やるなあ。底なしサフナはまだまだ健在か」
 そういうギリスは、ちょっと嬉しそうだった。そして、ふうっと煙を吐いて、兄貴(デン)はにやにや訊いてきた。
「それで、紫煙蝶(ダッカ・モルフェス)は?」
 誰に訊いているのか分からず、ルサールは黙っていた。
 するとギリスは、一番手近にいたからだろう、ルサールの横っ腹を足でつっついてきた。
「なあ、紫煙蝶(ダッカ・モルフェス)は。ちゃんと、くんくんしてきたか」
「しました。髪に匂いがしてました……」
 蹴られて噎(む)せながら、ルサールは悲しく答えた。
「施療院の記録も盗み見てきました。ずいぶん使ってるようです。定期的ってほどじゃないですけど、時々、使用量がやけに多い時期がありました」
 アミールが亡霊みたいな声で、報告していた。ギリスはそれにも、深く頷いたようだった。
「詳しくは、あとで、紙にまとめますか。それとも口頭で?」
 アミールが訊くとギリスはまた頷いた。
「じゃあ口頭で……」
 アミールは、確認するように言って、その役目を請け負った。
 なんで頷かれただけで、アミールは兄貴(デン)の返事が分かるのかと、ルサールには一瞬、謎だった。しかし考えてみれば、理由は分かった。エル・ギリスは記録を残したくないのだろう。
 施療院で記録を見たとき、書こうとする自分に、紙に控えはとるなと、アミールは止めた。詳細はいらないんだ、兄貴(デン)の知りたいことだけ、分かればいいんだというアミールには、命じられてもいない要点が、分かっていたらしかった。
 実際、アミールを見るギリスの顔は、どことなく褒めるようで、満足げだった。目的は達したという表情で、兄貴(デン)は煙管から最後の一息を喫んだ。
 そして盆に灰を打ち落とした兄貴(デン)に、カラールがめそめそ訊いた。
「兄貴(デン)、あのね、俺は後で気づいたんですけど、施療院の記録さえ調べられれば、エル・サフナールの髪の匂いは、どうでもよかったんじゃないですか?」
 必死に問いかける、カラールの意見は、至極もっともだった。
 そう言われれば、そうだ。どうしてそれに、始めに気づかなかったんだろう。
 それに、サフナの髪の匂いなら、あんなことや、こんなことになる前に、とっとと嗅いであった。玉座の間(ダロワージ)で向き合っていた時に、すでに。
 あの後、脱兎のごとく走り去れば、本当はそれで良かった。
「どうでもいい?」
 分からないというふうに、ギリスは顔をしかめ、しばらく考えてから、びっくりしたような表情をした。
「そうだよな。どうでもよかったよ。薬の使用記録があれば」
 びっくりした声で言う兄貴(デン)に、作為があるようには見えなかった。心底本気で、彼は驚いたようだった。
「お前、頭いいな、カラール。アミールだけじゃなくて、お前ももしかして天才なんじゃないの」
 にっこりしてギリスは褒めたが、ルサールは泣きたかった。
 俺だって頑張ったんです。俺も褒めてよ。アミールとカラールだけなんて、そんなのあんまりだ。ひどいよ。兄貴(デン)がやれっていうから、真に受けて、頑張ったんじゃんか。
「さあー、飯行こうっと。報告聞いて安心したら、お腹すいちゃったなあ」
 にこやかにその決心を告げるギリスは、もうお話は終わりという雰囲気だった。もう一人褒めそうな気配は、ちっともしない。
 それにやっぱり兄貴(デン)は、何でか、いつの間にか、アミールとカラールは見分けがついているらしいよ。じゃあ俺は消去法か。アミールでもカラールでもないのが、俺ってことか。
「兄貴(デン)……」
 うっそりと、アミールが起きあがりながら呟いた。
 なんだという顔で、ギリスはそちらを見た。
「今回は、じゃんけんで負けたので、ルサールが頑張りました。サフナールに突撃したのは、こいつです」
 律儀なまでの苦虫をかみつぶした顔で、アミールがこちらを示しながら、報告していた。
 それを言ってって、俺はお前に頼んだっけ。頼んだような気もする。でももし頼んでなくても、アミールはそういうことは誤魔化さない。いつも手柄を横取りはしない。自分の手柄は三人のもので、弟たちの手柄は、それぞれのものだった。わざわざ言っても、大抵誰も聞いてないけど、ジェレフはちゃんと聞いていた。
 ギリスの兄貴(デン)も、それが無意味な話だと、思わなければいいが。
 にやにや笑っているふうな、どことなく酷薄なギリスの顔を、ルサールはじっとり見上げた。
「お前がサフナを口説いたの」
 そう訊く兄貴(デン)は、いかにも面白そうだった。
 その不思議な頭のなかで、彼が何を想像しているのか、気恥ずかしくなって、ルサールは目を閉じて、うんうんと頷いてみせた。
「そうか。なかなかやるなあ、お前も……」
 にやにやしたまま、ギリスはどこか、遠いところを見下ろす目をした。
 天才じゃないかって言うのかと、ルサールは期待して待った。
 しかし兄貴(デン)は、言いかけて黙っていたせいか、ふと、なにを言っていたのか忘れたという顔をした。
「なんだっけ。まあいいや。飯に行こうよ」
 けろっとして気持ちを切り替えている兄貴(デン)に、ひどいよとルサールは思った。それでも腹は減っていたので、付いていくしかしょうがなかった。
 しかし着いたばかりで、まだ朝儀に出てないし、いきなり飯に現れて、レイラス殿下は無礼だと怒らないだろうか。
 殿下は最近本当に、官僚たちと大広間で食事をとっているらしい。タンジールに戻る前に、そんな議論がなされたが、まさか本当にそうなるなんて。殿下は案外、安直な人なんだなあ。
 部屋を出るギリスにぞろぞろついていき、ルサールは昔からの癖で、無意識に彼の左側を歩いた。派閥には厳密な序列がある。アミールがいつも右をとるので、やむなく自分は左側。カラールはそれで平気というように、ふたりの兄の間を歩く。いつもそれで、調律が合っていた。右がいいなと、ルサールは時々思ったが、それでも力ずくでアミールを凌ぐ気はなれそうもない。
「あのさ、ルサール」
 歩きながら、心持ちこちらを振り向いてきて、ギリスが話した。なんですか兄貴(デン)と、ルサールは答えた。
「お前らさ、ここにいる間は、違う服を着ろ。見分けてほしいんだろ。同じ格好だと、紛らわしいんだよ。どうしても嫌なら、また顔に名前を書くけど」
 本気としか思えない目で、ギリスが言うので、ルサールはあわてて首を横に振った。
「名前はいいです。服は変えます、兄貴(デン)」
「それがいいな。それとお前、俺のお誕生日会での仮面劇だけどさ」
 今さらなにをと、ルサールは思った。あれは楽しい悪戯で、鈍い兄貴(デン)は気づかないはずだった。
 黙って聞き、様子をうかがっていると、ギリスは横目に冷たくルサールを見た。
「あれを考えたの、お前だろ」
 そう指摘され、ルサールはあんぐりとした。図星だったからだが、確率は三分の一だった。すっとぼければ分からないだろうと、ルサールは思った。
「なんで俺なんですか」
「そんなのお前しか考えられないだろ。俺も後からじっくり考えたんだよ。それで気がついたんだけど、昔から、俺の悪戯に喜んで付き合ってたのは、お前だったろ」
 そうだったろうか。ルサールはぽかんとした。三人でやったんだよ。
「お前はかしこいけど、まじめ」
 アミールを指さして、ギリスは教え、それから背後のカラールを、振り返りもせずに親指で指した。
「こいつは可愛いけど、弱虫」
 言われてカラールは、むっという顔をした。それでも何も言い返しはしなかった。
「それでお前は、俺とおんなじ、悪党ルサール」
 理解したというふうに、兄貴(デン)はにっこり微笑んだ。
 それから、はっと思いついたような顔をした。
「そうだ、名前がまずけりゃ、もっとわかりやすいように、『まじめ』『弱虫』『悪党』って書いておくのは?」
「無理です兄貴(デン)、勘弁してください」
 ぎゃあっとアミールが悲鳴をあげた。兄貴(デン)は冗談を言わないことを、熟知している顔だった。
「なんで、名案なのに。……なぁ?」
 同意を求められて、ルサールは堪えきれずに笑った。
 できれば書かれたくはなかったが、まじめと弱虫と悪党を引き連れたギリスの兄貴(デン)が、飯に現れたのを見て、あのレイラス殿下が、今度はどんな顔をするかと思うと、すごく見てみたい気もした。
 でもそれは、英雄としての誇りと、悪党としての矜恃の、板挟みだ。
 だけどそれで、いかにも素知らぬふうに飯を食っている自分たちを見て、必死で笑いをこらえる新星を見てみたい気持ちのほうが、ほんのちょっとだけ強い。
「いいですね、兄貴(デン)。最高です」
 頷いて同意し、案を褒めると、兄弟たちは、この馬鹿と泣きそうな顔をしたが、ギリスはどこか陶酔的に進む先を見て、にっこりとした。
「そうだろ、ルサール。お前は話のわかるやつだよ。今日は俺の右隣で飯を食え。玉座の間(ダロワージ)の土産話をしてくれよ」
 いつもその席にいるアミールが、がっくりと項垂れた。それを済まなく眺めて、それでもルサールは気分がよかった。ざまあみろと思って。
 いいじゃんお前は天才なんだし、今日ぐらい悪党に席を譲っても。
「話ですか、兄貴(デン)。それは、面白いのから、それとも、まじめなのから?」
 笑って訊ねると、元祖悪党(ヴァン)ギリスは悩み、そしてまじめに答えた。
「面白いのからだな」
 ルサールはそれに、笑って頷いた。
 そして、そう来なくちゃと思った。
 それでこそ俺の兄貴(デン)、氷の蛇も、新星の英雄もいいけど、だけどやっぱり、悪党ギリスが最高なんだ。
 できればその顔が、永遠に失われないように、俺が兄貴(デン)を支えなきゃと、ルサールは決意を新たにした。
 栄光の玉座の間(ダロワージ)からはまだ遠い、楽園の真昼のことだった。

《おしまい》
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