もえもえ図鑑

2008/09/09

新星の武器庫(35)

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「遅い。なにやってんだ、牛の目のファサルは。まさか俺たちをからかってんじゃないだろうな」
 ギリスが思わず苛々して言うと、ぐったりとした三つ子の魔法戦士が、三人そろって、はあ、と深いため息をついた。
「待つしかないでしょ、兄貴(デン)」
「苛々したって始まらないですよ」
「退屈なんだったら、しりとりでもします?」
 どんよりした声で、三つ子は宥めてきた。
「うるさいよ、お前ら。もっと、しゃきっとしろ」
 情けなくなって、ギリスは彼らを叱った。
 何が悲しいのか、三つ子は覇気がなく、初陣だというのにくよくよしてばかりいた。
 せっかく詩人も連れてきたのにと、ギリスは恨めしく、兵を満載した馬車の中を睨んだ。
 そこに詩人はいなかった。何と言うことだとギリスは思った。詩人は戦いを恐れて、信じがたいことに、崖上から戦いの模様を見守るという。細かいところは、てきとうに想像して書きますからと、無責任にもそんなことを言っていた。
 三流詩人だ。ギリスはそう断定した。
 どんな凄い詩を書くやら知らないが、自分の目で戦いを見ないやつは滓(かす)だ。
 英雄譚(ダージ)を書く一流の従軍詩人というものは、どんな激戦地であろうと、馬を駆ってついてきた。そして、目前で兵が死のうが、英雄が血反吐を吐こうが、平気な顔で手記を取り、守護生物(トゥラシェ)に踏まれて、うっかり自分も死ぬようなやつもいた。それが本物ってもんじゃないのか。
 遠目に眺めて、英雄たちのなにが分かる。
 目の前で見るべきだろ。そうだろシャムシール。
 誰かに同意してほしくて、ギリスは目の前に座っている武装した絵師を見つめた。訳が分かっているのかどうだか、暇つぶしに小さな画帳に何か書いている絵師は、こちらに気付いて、にっこりとした。
 絵師はこちらの暇を慰めようというのか、描いていたものを引っ繰り返して見せてくれた。それは、今目の前にある輸送馬車の光景で、ぐったりとした三つ子の魔法戦士が描かれてある。その絵にある彼らの額には、ちゃんと名前が書いてあった。アミール、カラール、ルサールと。
「なんでお前はスィグルの言うことを聞かなかったの。詩人は崖上に行ったぜ」
 装填済みの連弩を抱いて、ギリスは足を投げ出して座していた。今度はそれを描こうというのか、シャムシールはギリスの姿を、ゆっくりと一瞥してから筆をとった。
「僕もちょっと、怖い目にあってみようかと思いまして」
「盗賊討伐が怖いのか」
 ギリスは驚いて訊ねた。自分は全く怖くなかったからだ。
 問われたシャムシールは絵を描きながら、かすかに微笑んで、のんびりと頷いた。
「怖いです。今までの一生で、今いちばん怖いような気がします。エル・ギリスは怖くないんですか。やっぱり、英雄だから?」
「いや、違うよ。俺は頭に石があるせいで、怖いって気持ちがよく分からないんだ」
 シャムシールが知らないのかと思って、ギリスは説明した。
 確かに詩人たちは英雄譚(ダージ)に、エル・ギリスが無痛の男であることは盛んに詠んだが、怖れを知らないことが勇気でなく、石のせいだということは伏せていた。たぶんそれでは、格好がつかないのだろう。
「英雄たちは、みんなそうなんですか」
 感心したように、シャムシールが訊ねてくる。さあどうだろうとギリスが考えていると、三つ子たちが噛みつくように答えた。
「そんなわけない。英雄(エル)だって怖いもんは怖い」
「鈍いのは兄貴(デン)だけ。俺らは正直怖いんだから」
「待てば待つほど怖いって。すでに盗賊が出たらチビりそうだもん」
 言い募る三つ子の必死の形相と向き合って、シャムシールは押し殺した声をあげて笑っている。
「情けないよ、お前ら……それでもエル・ジェレフの直弟子(ジョット)か。あいつはどんな乱戦でも、平気で突っ込んできたぞ。お前らも、へなちょことはいえ一応、治癒者なんだろ」
 ギリスは固まって座っている三つ子の尻を蹴っ飛ばしてやった。
 蹴ったのは一人だけだというのに、三つ子はそろって、ひどいひどいと嘆いた。
「俺ら治癒者やめます、後衛として安全圏から頑張りたいです」
「当代の奇蹟みたいな幻視術士になりますから、兄貴(デン)、それで勘弁して……」
「無理です、ほんともう無理。撤退したい気持ちでいっぱいです」
 びびっている三つ子に呆れ、ギリスはどうしていいやら分からなかった。
 まだ何も襲ってきていないのに、仮にも英雄(エル)の名で呼ばれる者が、兵を前にしてこの始末とは。
「しっかりしろ。新星の戦歴の緒戦に、名を残したくないのか」
「レイラス殿下は、俺らの幻視術は戦術的には必要ないって……」
 とんでもない逃げ口上だとギリスは思った。それを使うほうも使うほうだが、そんな言い訳をくれてやるほうも、どうかしている。
 崖上の新星に向かって、ギリスは畜生と心で叫んだ。
 逃げ場を与えられたら、そこに逃げたくなっちゃうもんだろ。
 追いつめなきゃだめなんだよ。英雄は。
「そんなこと考えるな、馬鹿。お前らの幻視術が必要だ。あいつは場数を踏んでないから、わからないだけなんだ」
 凄んでみせると、三つ子はひいひい言った。
「お前らまた、元のところに戻る気か。お前らにまともな魔法が顕れて、俺がどれだけ嬉しかったか、わかんないのか。一緒に戦いに来たんだろ、違うのかよ」
 編んである髪を引っつかんで、ギリスは三つ子を一人ずつたぐり寄せた。
「あんまりだ、兄貴(デン)」
「こんな時に偶然、心温まる事を言うなんて」
「ほだされたら駄目だ、一生おでこに名前を書かれる」
 束髪をまとめて掴むと、三人いっぺんにとっつかまえておけて便利だということに、ギリスは初めて気づいた。じたばたと往生際の悪い三つ子は、髪の長さまで、ぴったり同じだったからだ。
「何が怖いんだ。相手はたかが盗賊で、こっちには盾も連弩(れんど)もある。援護射撃まであるんだぞ。それにお前らは腐っても治癒者だろ。ほんとならお前らが兵を励ます立場なんだぞ。先陣切ってびびってどうする」
 魔力によって傷を癒してくれる治癒者の存在は、戦場では兵の希望だった。実際には、一兵卒の立場から見て、治癒者が救ってくれる数はたかが知れていたが、それでも心強い存在感だったのだ。
 三つ子の後見人(デン)だったエル・ジェレフは、稀代の治癒術の使い手で、その気になれば、ほとんど死んだような者でも、立ち上がってまた戦えるまでに回復させることができた。そんなジェレフは、ただその場にいるだけで、兵を安堵させる英雄だった。
 そんなすごい奴に育てられて、お前らはいったい何を学んできたんだ。たとえ魔力が弱くても、英雄らしく振る舞うことぐらいはできるだろう。
「でも怖いんだ、兄貴(デン)、どうしよう……」
 三つ子は青い顔で汗をかいていた。目ばかり大きく光って見えた。
「だから何が怖いんだよ」
 腹が立って、ギリスは怖いと言った一人の耳元に、ほとんど怒鳴るように尋ねていた。
「たぶん……痛いのが」
 頭を抱えた別のひとりが、絞り出すような小声で、密かに答えた。
 びっくりして、ギリスは掴んでいた三つ子の髪を手放した。
 そうだった。
 ギリスは、そのことに思い当たらなかった自分に驚いた。
 こいつらはジェレフの弟分(ジョット)で、ジェレフはつい最近死んだばかりだった。その場を見ていないから、あの治癒者が死んだというのが、自分にはぴんとこないが、三つ子にとっては、ジェレフは子供のころから頼ってきた兄(デン)だ。
 最晩年、大抵の竜の涙は、それまで世話をしてきた弟分(デン)を放逐する。一人前になっていれば独り立ちさせ、そうでない者は誰か別の者に託す。石から受ける最後の苦痛と、それに続く死の悲惨を見せないためだ。
 こいつらはもう普通なら一人前の年頃で、たぶんジェレフに放り出された。ジェレフは面倒見のいい兄貴分(デン)だったが、それでもどうにもならない時がやってきたはずだ。だってあいつは死んだのだから。
 その、どうにもならない苦痛というのを、こいつらは見ただろう。
 気がつかなかった。今の今まで。ギリスは後悔のあまり、ぼんやりとした。自分には痛みがないので、思いつきもしなかった。スィグルの言うとおり、俺は馬鹿で、こいつらの痛みに無頓着だった。
「頑張れ、仕方ないんだ、それは……」
 ギリスは、自分でも当てにならないと思うような激励の言葉を、力なく口にした。三つ子はいつもの癖か、団子のようになって身を寄せ合っていた。シャムシールが描いた、彼らの姿だという三つ巴の兎の絵のように。
「今まで、痛いっていうほど痛んだことはないんです」
「たぶん、そこまでの魔力を使ったことがないんです」
「でも今日の幻視術はどうだろう、兄貴(デン)……やっぱり痛いかな」
 さあどうだろうかと、ギリスは伏し目になって考えた。でも考えても分かる訳がなかった。ギリスはかつて、ヤンファールの激戦で、総身の魔力を使い尽くして失神するまで戦っても、その後、石から苦痛を受けたという記憶がなかった。ひどい目眩に襲われはしたが、それも、ふらふら酔っぱらっているみたいなもので、つらいとは思わなかったのだ。
「わからない。俺には。ごめんな……」
 どうしていいやら分からず、ギリスは頭を抱えた。そこには三つ子と同じ石が詰まっているはずだが、無痛のエル・ギリスには関わりのないことだ。
「お前らの面倒は、俺がみてやる。ジェレフは死んだけど、何も心配するな。ちゃんと英雄にしてやるし、つらいときには、イェズラムの形見の煙管を貸してやるから」
 養父(デン)は堪え性のある男だったようで、人並み外れた苦痛に耐えた。並の者ならとっくに自決するような末期的な病状だと、長老会の者たちは話していたし、それについては隠し立てもされず、竜の涙なら誰でも知っていた。
 激痛に襲われても、イェズラムは自分を放逐しなかった。養父(デン)はふらりと王都を去ってしまい、それがそうだと言われれば、確かに捨てていかれたかもしれないが、苦痛を隠すためではなかった。
 ギリスが実際には感じることのできない苦痛を、イェズラムは余さず見せた。そして鎮痛の麻薬(アスラ)を吸うための銀の長煙管を、形見として残してくれたが、それはギリスには必要なものではなく、結局、養父(デン)が感じていた痛みがどんなものか、その欠片も分からないままだった。
 ギリスが与えられた形見を、魔法戦士たちは皆、なんとはなしの羨望の目で見ていた。それは桁外れの苦痛に耐えた男の形見で、その長煙管から吸えば、どんな苦痛も涼しい顔で堪えられる。そんなような気がすると、皆思うらしかった。
 たかが道具に、そんな力があるわけない。イェズラムはただ我慢強かっただけだ。
 しかし今はそんな、おとぎ話のような効力が、形見の品に宿っていればいいのにとギリスは願った。そうであれば弟分(ジョット)どもも、少しは勇気が湧くだろうに。
「ほんとに貸してくれます? 後から、やっぱり駄目って言わない?」
 様子をうかがう目で、三つ子はじいっとこちらを見つめてきた。
 恨めしそうなその態度に、ギリスは黙って頷いてやった。
「俺ら、そんなもんにころっと騙されていいのか……」
「でももう、やるしかない。この兄貴(デン)にそこまで言われちゃ」
 独り言のような口調で囁き交わす三つ子は、しっかりと肩を抱き合って、耳を澄ませていた。
 銅鑼の音が聞こえてきていた。それは崖上から鳴らされる敵襲の合図だった。高地の良視界から遠眼鏡で見つけた盗賊の姿を、本隊がこちらに知らせているのだ。
「英雄になるしかないです。まさか俺らにもそんな時が来るなんて」
 泣きそうなような目がひとつ、寄せ合った三つ子の頭の合間から、こちらを見ていた。その目は迷ってはいなかった。
 ギリスはそれに、頷き返した。英雄たちの戦闘を、見せる時だった。

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