もえもえ図鑑

2008/09/05

新星の武器庫(30)

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 上ずる声で、スィグルはなんとか、ギリスに訊ねた。
「でも……でも、その時点では、エル・イェズラムは僕を新星と見込んではいなかったんだろ。お前の話によれば、そうだよな。父上が僕やスフィルを救いたいと思っておられたから、エル・イェズラムはそのために英雄たちの犠牲を惜しまなかったというのか」
「そうだよ」
「なぜそんなことをするんだ」
 長老会の長に、そこまで見込まれるような何が、自分にあったのかと、スィグルは悩みかけた。
 しかしギリスの種明かしは、あっけないものだった。
「そうすりゃ、子煩悩な族長に恩を売れるからだろ。実際、族長はしばらくイェズに頭が上がらなかったさ。ヤンファールに限らず、戦線での活躍を売りに、竜の涙は宮廷での権力を拡大したんだよ。激戦なのは都合がよかった。生き残った仲間はいい目をみたし、死んだやつらも、どうせなら英雄譚(ダージ)は派手なほうがいい」
 それでみんな幸せだったと、ギリスはそう思っているようだった。
 しかしスィグルには、到底そのようには思えなかった。
 父がもし、自分たちのために激戦に踏み切ったのだとしよう。将兵たちは、魔法戦士たちは、そのことを知っていたのか。たった二人、なんの役にも立たない王族の子を助けるために、いったい何人死んだのだ。
 スィグルは先頃タンジールで没した、エル・ジェレフの最期を思い出した。
 彼は治癒者で、ヤンファールの戦いにも従軍していた。助け出された双子に治癒術をほどこして、命を救ったのは彼だ。その後も彼は、冥界に引き寄せられる族長の妻子のために、魔力を使うことを惜しまなかった。
 そのせいでジェレフは死んだのだ。
 スィグルには、そのような気がしてならなかった。
 現実にはエル・ジェレフは戦場でも多くの仲間を癒やし、停戦後は無名の庶民たちに惜しみなく自らの力を使ってやっていた。だから自分たち親子は、奇蹟のような力を持った彼が癒したものたちの、ごく一つまみにすぎない。
 自分のせいで、英雄が死んだと考えるのは、むしろ、自惚れというものだった。
 それでも、エル・ジェレフの葬儀で彼の最期の英雄譚(ダージ)を聴くとき、とても立っていられないほどの重荷を感じた。また自分は、他人の命を食らって生きながらえた。
 でも、ギリスの話が真実ならば、自分が平らげてきた英雄は、ジェレフだけではなかったのだろう。王宮の墓所に眠る、いくつかの石と、そして目には見えない兵たちの血肉を、自分は何も知らないまま、貪欲に食らって生きていたのだ。
 そういう体で、ギリスに魔法を使うななどと、長生きしろと、平気で命じたりして、破廉恥もいいところだった。
「ギリス、お前は人命を軽々しく考えすぎじゃないか。自分の命も含めて」
 スィグルは、そう言う自分の声が、ずいぶん偉そうだと思った。
 本当は、自分はギリスに、平服して礼を言うべきではないのか。命がけで戦ってくれた者たちに。そうやって死んだ者たちに。
「じゃあ、敬愛する父上に見捨てられて、惨めにくたばりたかったのか、お前は。いいかっこせずに、素直に喜べばいいんだよ。敵にとっつかまったのがお前じゃなくても、イェズラムは助けた。別にお前の責任じゃないよ。誰でもおんなじだったんだ」
 ギリスの話はいつも身も蓋もない。悪意はない、彼のその話術が、今こそ耐え難かった。
 スィグルは癇癪を起こして叫びたいと思った。でも何を叫べばいいか、ちらりとも浮かばない。
 苦痛を取り紛れさせようと、手に取った杯の水面に、自分の目が映っていた。暗く、思い詰めたような目をしていた。たぶん、子供の頃なら今すぐ泣き叫べた。でも、もう、やりかたを忘れた。
「お前もつらいよな、スィグル。つれない親父でさ。でも、だから族長冠が欲しいんじゃないだろうな。指名されたいだけで、玉座はどうでも良かったりするのか。もしそうなら、お前も偉そうなこという割に、大したことないな。即位すれば、部族領全体の人命を、お前が守るんだよ。そのために俺や、あの弟分(ジョット)どもが死闘する必要があれば、お前はそれを命じなきゃならない立場なんだよ」
 それがいかにも大した話でないように、ギリスは食事をしながら、世間話のように話している。
 スィグルはそれを、恨めしく感じた。こちらはもう、まったく食欲がなかった。
 ギリスは平気で継承の話をするし、彼ら竜の涙にとっては、自分たちの死は誉れであり、まさに日常茶飯事なのだろう。
 しかし自分にとってはそうではない。
 なぜお前にはそれが、いつまでたっても理解できないのかと、ギリスの態度が、スィグルには苦しかった。
「僕にはそれは、無理だと思う。父上のように、死地に赴くお前たちに、笑いかけてやることはできない。這いつくばって詫びろと言われたほうが、まだ簡単だ」
 スィグルは血筋に見合った体面を保って答えたつもりだったが、どう聞いても、それは弱音だった。居室にはいつのまにか、自分とギリスしかいなかった。人の耳を憚る話題と、女官たちは察しをつけて、いつのまにか退出していた。
 タンジールから連れてきた女たちは、王族への計らいを心得ていて、決して領主を不自由させず、恥もかかせはしない。そんな周囲の気遣いによって、いつも気高く生きていられる。
「戦っても、戦わなくても、俺たちはどうせ、長くは生きないんだ。だったら英雄譚(ダージ)に送られて死にたいと思うのは、普通のことだろ」
 そう言うギリスは、いつもの朗らかな子供のような笑みだった。
 こいつは恐怖を理解できないから、自分の死も怖くないのだろうと、スィグルは思った。
 自分の死が怖くないから、仲間が耐えている恐怖のことも、理解できないのだ。苦痛を感じないから、死んでいった者たちの無念が分からないのだ。
 いつも子供みたいに、にこにこしていて、他人の痛みに無頓着なのだ。
「普通じゃないよ。死にたくなかっただろう、英雄譚(ダージ)の英雄たちだって。千里眼のディノトリスも。生きていたかっただろう。石が痛めば苦しかったろうし、その挙げ句に死ぬのでは、やりきれないのが普通だろ。もっともらしい物語を、いくつか貰えて、それで満足しろと言われて、納得できるわけないだろ。自分よりはるかに、能力のないような者でも、平気で生きていくのに、それを眺めて死ぬのは、きっと死ぬより辛い苦痛だったと思うよ。お前にはそれが、どうして分からないんだ!」
 やっと出口を見つけた癇癪にまかせて、スィグルはギリスに、投げつけるような言葉を吐いた。
 しだいに早口になるその言葉を、ギリスは黙って聞いていた。
 全て言い終えてしまってから、スィグルは石のように重く沈黙した。深い後悔が湧いて、体が倍も重くなったような気がした。
 ありきたりの、売り言葉に買い言葉で、ギリスが喧嘩をしてくれればいいと思った。自分は彼に、英雄に対するにあるまじき罵詈雑言を吐いたはずだ。ギリスにとっては、言われるまでもないような事だっただろう。まして自分たちを使役してきた王族の口から、聞きたい話じゃなかっただろう。
 それでもギリスの顔は、ただ虚脱したような、いつもの真顔で、少しも怒っているようではなかった。少し考え込むふうに、ぼうっとした様子で、ギリスは口を開いた。
「スィグル、お前はほんとうに、身勝手なやつだ」
 感心したように、ギリスはそう言った。
「ディノトリスが死んだのは、アンフィバロウのためじゃない。民を救うためだ。竜の涙はいつの時代も、族長冠にじゃなく、玉座に叩頭している。それがこの部族の民の、象徴だからだ。命を惜しんでも、俺たちはどうせすぐに死ぬ。だったら民のために戦って、英雄として、大勢の記憶に残りたいんだ。英雄譚(ダージ)の中でなら、俺たちは永遠に生きられるんだよ」
 言い置いて、ギリスは伏し目になり、気のないふうに首筋を掻いた。スィグルはどこか呆然として、彼の話を聞いていた。
「これは受け売りなんだけどさ。俺もそう思うよ。俺は正直言うと、お前が本当に即位するまで、自分が生きてるかどうか、怪しいような気がするときもあるよ。この手でお前に戴冠させてやりたいと思うけど、族長はまだ若いし、俺のほうが先に死ぬかも」
 スィグルが今まで、考えないようにしてきたことを、ギリスは話していた。ギリスは案外、肝心なことを思いつかない質らしいから、このことも誰かが彼に教えなければ、気付かないのではないかと、スィグルはその考えにしがみついてきた。
「でも新星の射手は、魔力を惜しんじゃいけないんだ。まあ今は停戦で、使う機会もないんだけどさ。とにかく俺はお前と双子のごとくで、民のために命を賭する。そうやって生きて、英雄らしく死んだ俺を眺めれば、偉そうなお前にも、部族に献身するというのがどういうことか、身にしみて分かるだろ。俺が無駄に死んだとは、思いたくないだろ。治世がつらくて、挫けそうになったら、俺のことを思い出すだろ。ここで負けたら、あいつは犬死にだったって、悔しくなって、また頑張れるだろ。俺が命がけで守った民を、お前も愛せるようになるだろ。そして英雄譚(ダージ)の語らない俺の苦痛を見たお前なら、魔法戦士たちを大切にするだろ。お前の親父が、英雄たちを大切にしてるみたいにさ。お前がそういう族長になれば、俺の射手としての役割は、果たされたことになるんだよ」
 納得しているように、小さく頷いて話すギリスは、やはりどこか、頭から覚え込まされたことを、反復しているだけのように見えた。ギリスが語っているのは、彼の意見であって、ただそれだけでなく、代々の射手たちが受け継いできた伝統のようだった。
 それを因習だといって、はねのけるには、語るギリスの顔は、あまりに幸せそうだった。
「俺に英雄譚(ダージ)をくれよ、スィグル。そして俺のことを、ずっと憶えていてよ。民に愛される族長になって、皆が俺を思い出すときに、あいつはスィグル・レイラスの英雄だったって、誇りに思うようにしてくれよ」
 笑って頼んでくるその話はもう、ギリス自身の言葉だった。
 彼に合わせる顔がなくなって、スィグルは目を閉じ、うつむいた。
 自分はずっと、こいつのことを、馬鹿だと思っていたが、本当に愚かだったのは、どっちのほうだっただろう。
「僕にそんなことができると思うか」
 己の恥が耐え難く、スィグルは呻くように、ギリスの意見を求めた。
 族長冠を得て、したいことなど、何もないような気がした。ただ父に気に入られたいだけだ。お前が一番だと名指されたいだけだ。部族のために身を賭する覚悟などない。そんな勇気もないのだ。追い込まれて、ここにいるだけで、本当は、どうしていいか分からない。
 ギリスが酒杯をとって、それを飲む気配がした。酒精で潤した喉で、ギリスはいつもと変わらない、くつろいだ調子で答えた。
「できるよ。それができないやつを、長老会は新星に選ばない。お前は見込みがあるよ。民に飯を食わせるし、俺の弟分(ジョット)どもが魔法を使うとキレる。それに臆病だし。なのに死にそうになると、人でも食って生き延びるだろ。ほんとにすごいよ。お前はきっと、アンフィバロウの生まれ変わりなんだ」
「それは父上だろう。太祖の再来なのは、族長リューズ・スィノニムなんだ」
 自分ではない。父には遠く及ばないのだから。
「その星が沈んだ後の闇を、お前が照らすんだよ。今は無理でも、頑張ればいいんだ、スィグル。お前の親父だって、生まれつき名君だったわけじゃない。子供のころだけを見たら、お前のほうがずっと賢かったって、イェズラムが言ってたよ。だから心配ないって」
 けろりと請け合って、ギリスはスィグルの膳を指さしてきた。
「肉を食って、頑張ればいいんだって。お前ぜんぜん食ってないじゃん。そんなんじゃ、立派な族長になれないんだぞ。明日は盗賊討伐だろ。気合いを入れろ」
 気合いのあるように聞こえない声で言い、ギリスはきょろきょろした。
 部屋に誰もいないことに、ギリスは今さら気付いたらしかった。
「肉を焼く人がいなくなっちゃったよ」
 その寂しげな口ぶりが、あまりに可笑しく、スィグルは笑いたくなかったが、堪えきれずに吹き出した。肉なんかどうでもいいだろうと、スィグルは内心でギリスに悪態をついた。そんな事を気にするような雰囲気じゃないだろう。大事な治世の話なんだろ。
「なんだかさあ、一杯喋ったら俺もまた腹が減ったよ。女官にじゃんじゃん焼かせて、ふたりで食おうぜ」
 にっこりと微笑み、ギリスはそう誘って、大声で女官を呼んだ。
 やや慌てたように戻ってきた、宮廷服の女は、愛想よくギリスの命令に答え、じゃんじゃん肉を焼いてくれた。
 自分の膳にも容赦なく盛られてくる肉を、スィグルは仕方なく、大人しく食べた。
 ギリスは美味い美味いと感激しているが、スィグルはそれに共感できなかった。どうにも悪臭がする。味だって分かりはしない。
 だけど英雄が喜んで食っているものを、自分も食ってやるのだと覚悟を決めて、スィグルは女官の持ってくるものを、頑張って平らげた。
 なにしろ明日は決戦の日であり、戦場では兵と同じものを食ったという父に、敗北するわけにはいかなかったからだ。
 父は確かに偉大だが、新星はいずれそれに並び立つ。名君リューズ・スィノニムに、この自分を指名させてみせる。
 もしそうでなければ、この男に申し訳が立たないではないか。
 自分を新星と信じて、命を賭するという、無痛のエル・ギリスに。
 あるいは、この命を救ってくれた、今は亡きエル・ジェレフに。
 そして、ヤンファールで斃れた英雄たちや、無数の名も無き者たちに。
 金曜日には肉を食えと、天使は命じていた。エルフは肉食の種で、君は肉を食わないと生きていけないんだ。生きている他の者を食らってしか、君は生きていけないんだ。生きるために食うことは、罪ではないんだ、レイラス。したり顔で語るシュレーの表情を、今でもまざまざと思い出せる。
 そう言う天使に、だったら、兎をとったら、食べてくださいと、シェル・マイオスが頼んだ。だから天使は、いつもそうした。手にかけた獲物は、全て自分で調理して、何日かかろうが自分の食卓で片付けた。時には無理矢理、片付けるのを手伝わさせられた。
 さすがは神聖なる天使と崇めるべきか。彼は自分に真理を教えようとしていたのだろう。
 レイラス、せめて礼拝のある金曜日には、私を思い出して、君も肉を食えと言って。
 スィグルは回想に微笑した。あれは、うるさいけど、いい友達だ。
 でもグラナダでは、その他の日にも、食卓に肉が要るかもしれなかった。
 嬉しそうに肉の焼けるのを待っている、ヤンファールの大英雄を眺めて、グラナダ領主スィグル・レイラスは、自らの食習慣の変更を決意した。

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