もえもえ図鑑

2008/09/03

新星の武器庫(26)

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「生け捕って、どうすんの。街で処刑するつもりか」
 ぽかんとして、ギリスは訊ねた。
「いや……それもありだけど。投獄すればいいかと思って。要は、金塊の盗難が止めばいいわけだろ」
 どこか、説得するように話しているスィグルの考えが、やっと腑に落ちて、ギリスは衝撃を受けた。
「殺さないつもりか」
「殺す必要はないだろ」
 スィグルはこちらの質問に追い被せるようにして即答してきた。最初から、そう言われると分かっていたらしい。
「必要ないなんて。お前、わかってるのか。向こうはお前を殺す気合いで来てるんだぞ。絵とはいえ、これ見よがしに両眼射抜かれて、お前は侮辱されたと思わないのか。それに最初の時だって、十分危なかったぞ。念動で、うまく防げたから良かったようなものの……」
 言いながら、ギリスはだんだん、情けなくなってきた。
 ついさっきまで、二十連射の威力に酔っていた気分が、みるみる萎えていくのが分かった。
「どうしてだよ、スィグル」
「いちいち復讐してたら、きりがないよ。そのまた復讐を食らうだけだ。それじゃ果てしないだろ」
「そんなこと言って、殺しが怖いんだろ、お前は。臆病なのもいい加減にしろよ。そんなことしてると、なめられるんだぞ。どうしても厭だっていうんなら、お前は見なきゃいいよ。俺がやってくる」
 こいつは気が弱すぎる。それがギリスには不吉な気がした。
 そんなはずはないと混乱もした。
 つい先刻の、勝機を掴んだ時のスィグルは、本当に嬉しそうだった。戦いに酔っている顔をしていた。これなら名君リューズ・スィノニムに負けずとも劣らない、そんな族長になれると、心底そう思えたのに。
 俺が代わりに戦をしてやらなきゃならないのか。一緒に戦うんじゃなく。
 そういうふうに思うと、ギリスは情けないのを通り越して、胸苦しかった。
「戦いは、ちゃんとやるよ。お前に押しつけてもしょうがないだろ。なにしろ向こうは僕を名指して挑んできてるんだ。逃げるつもりはないんだよ、ギリス」
 スィグルはどことなく、諭すような口調だった。
「これが逃げてんじゃなくて何なんだ」
「お前にとって、勝つことっていうのは、相手を殺すことだけなのか」
「だけなのか、って……それが戦だろ。他にどうするの」
 困って訊ねると、スィグルはなぜか、にっこりと笑った。
「他にどうするの、か。難しいこと訊くなあ。だからそれを、これから試そうっていうんだよ。お前の気持ちも、僕には良くわかるけど、今回は僕に付き合ってくれよ」
 スィグルは頼む口調でいたが、断る道があるわけではないのが、漠然と感じ取れて、ギリスは答えを見失った。なんだか、ひどい話な気がした。もしもここで、厭だと答えたら、たぶんこいつは、俺を宮殿に置き去りにして、戦いにいくつもりだ。あくまで自分のわがままを、押し通す気でいるに違いない。
 そんなふうな意志を、相手から感じて、ギリスは呆然とした。
 なんだかんだで、もう長い付き合いだ。何を考えているのか、訊ねなくても、だいたい分かる。
 タンジールを出て、グラナダに行くからとスィグルに言われた時のことを、ギリスは思い出した。継承争いを放棄するのかと、心臓が口から飛び出そうなほど驚いて訊くと、スィグルはこれが、自分なりの争い方だと言った。そして、ついてこられないなら、お前をタンジールに捨てていくとも言った。
 あれは脅しではなかった。そして今、たぶん同じ事を、こいつはやっている。
 選べる答えは、今回も結局ひとつだけだった。うんと言えと、迫られている。しかしそれを言いたくなくて、ギリスは押し黙っていた。
 すると背後にいたラダックが、急に口をきいた。
「レイラス殿下、ご存じかどうか、私には分かりませんが……」
 迷うように言いよどんだラダックに、スィグルは意外そうな目を向けた。この男がなにを言おうとしているのか、全く予想がつかないという顔をしていた。
「牛の目のファサルの一党は、いわゆる義賊です。結局のところ盗人ですが、時として、領主から奪ったものを、民に分け与えていたことがありました。時代によっては、この街では領主は必ずしも、善玉ではありませんでしたので」
 地を見つめて、顔をしかめて話すラダックは、いかにも言いにくそうにしている。訝しげな目でそれを眺めながら、それでもスィグルは黙って金庫番の話を聞いていた。
「義賊に救われた者たちも、民の中にはおります。ですから今でも、彼らを慕う気分が、この街の民の中にはあると思います。もしも殿下が、盗賊を討伐なさったら、それはそれで勝利ですが、市民がそれを、手放しで喜ぶかどうか、私には微妙なところに思えます」
 そこまで話してから、ラダックは目をあげて、なぜかギリスのほうを見つめてきた。なんだよ、お前はなにが言いたいんだよと、ギリスはラダックと睨み合った。
「街で賭をしている者たちがいるのを、知っていますよね、エル・ギリス。領主と盗賊の、どちらが勝つか」
 なんだ、お前もやっぱり知ってたのと思いつつ、ギリスはラダックに頷いた。それに頷き返し、ラダックはかすかに笑った。
「ファサルに賭ける者たちも、少なくないです。あれは、うちの守備兵が弱いからではありません。牛の目のファサルは、あなたと同じで、一種の英雄なのです、この街において」
 そういうラダックの言い分に、ギリスはまだ拗ねているケシュクの後ろ姿を見やった。初めて口をきいたとき、あの子供は自分を見て、目を輝かせた。物語の英雄が、目の前に現れたのだというような顔をして。
「私が子供のころには、グラナダ宮殿と戦うことには、大儀がありました。民を搾取していたからです。今は殿下のお父上や、殿下ご自身のおかげで、この街もずいぶん良くなりました。牛の目のファサルも、今ではただの盗賊で、たぶんあれは二代目です。最初のファサルは、実は死にました。市民は皆、それを知っているのです。領主が広場に、死体を晒したので。それでも、ファサルはまた現れました。まるで、不死身のように」
 そこまで真顔で話を聞いていたスィグルが、きゅうにまた微笑した。ラダックはそれに気を取られたように、話すのをやめた。
「じゃあ今のファサルは何者なんだろうな、ラダック」
 スィグルが訊ねた。面白そうに、その顔はまだ微笑んでいた。
「さあ。私には分かりません。一代目の息子か、それとも子分だった者か、まったく関係ない者が、名を奪ったのか」
「しかし、あくまでも牛の目のファサルで、神業の二連射を使うわけか」
「そうですね」
「それが重要なことだからだな、お前たちグラナダ市民にとって。ただの盗賊が、英雄であるために」
 ラダックにそれを確かめるスィグルは、もう微笑しているのではなかった。なぜか、どことなく意地の悪いにやにや笑いだった。
「それで、ラダック。お前もそれに倣って、宮殿に神業の二連射を放とうと、官僚になった口なんだろうな」
 まるで金庫番に勝利したように、スィグルは気分よさげに頷いて訊ねている。ラダックはそれに、珍しく苦笑を見せた。
「そうですね。私は弓は下手くそでしたけど、計算は得意でしたので」
「いや、なにもそう、謙遜することはないよ。ファサルの矢は念動でよけたけど、お前の矢は毎日僕に、ぶすぶす突き刺さってるから。むしろお前からの攻撃のほうが、僕には激痛だからな」
「それは私も官僚になった甲斐がありました」
 逃げたそうな声で答えるラダックに、スィグルはよっぽど気分が良かったのか、ふっふっふと声を上げて笑った。
 その上機嫌の意味がわからず、ギリスはひたすら混乱して、ふたりの話を聞いた。
「しかし僕はファサルを討伐するよ。それには領主としての面子がかかっているから。お前もそれでいいだろうな、ラダック」
「それは勿論そうです。私は殿下の忠臣ですから」
「しかし心中複雑だ。そうだろ?」
 にやにや訊ねてくるスィグルの問いに、ラダックは答えなかった。
 ただ苦笑を押し殺そうとしている官僚の顔を、スィグルはなにか思案している様子で、じっとりと見ていた。
「お前の言いたいことは、よく分かった。グラナダ市民として、お前しか進言できない、貴重な意見だった。あとで褒美をやろう」
 スィグルは冗談みたいに、そう言い、ラダックはまるで、冗談でも聞かされたように、くすりと押し殺した、照れたような笑い方をした。領主レイラスが金庫番に褒美をくれるなど、前代未聞だった。
「そうなると、問題はふたつ。ひとつは、とっつかまえた盗賊をどうするべきか……」
 口元に手をやって、スィグルは考えこむ風に、独り言を言った。
 そぞろ歩いて思案しながら、スィグルはギリスのすぐ目の前までやってきた。
「それで、ふたつ目の問題は、我が英雄がまったく訳がわかってないことだ」
 そうだろう、という目で、スィグルはこちらの顔を覗き込んできた。その視線にたじろいで、ギリスは思わず、半歩後退した。
「なんのこっちゃと思ってるだろう。自分をほっといて、何を関係ない話をしてるんだろうって、お前は思ってるんだろ。盗賊殺しはどうなったんだって。俺を置いていくなって。そういう顔だけど、実際どうなんだ、エル・ギリス」
 まさにスィグルの言うとおり、そのまんまの気分だったので、ギリスは仕方なくなって、ただ頷いて答えた。
 するとスィグルは、やっぱりなという呆れ顔になり、それでも微笑していた。
「お前はときどき、可哀想なやつだよ、ギリス。人の心が本当にわかんないらしい」
 哀れまれているらしく、ギリスは困った。皆が当たり前に分かるのに、自分にだけ理解できないことが、世の中には多すぎる。頭の中に竜の涙があるせいで、感情が鈍いのだと、宮廷の侍医は分析していたが、そう言われても困った。人の心とは、それが分からないでは済まないことが、生きていく上ではほとんどだ。
「お前にも分かるように、僕が説明してやろう」
 癇癪持ちのくせに、スィグルはこういうことに関してだけ、いつも根気強かった。
「多少の語弊は恐れずに言うが、お前は黙って聞け。ラダックにとって、牛の目のファサルは、ギリス、お前にとってのエル・イェズラムだ」
 そんな馬鹿なとギリスは思ったが、黙って聞けと言われたもので、とにかく黙って聞いた。
「もしも僕がエル・イェズラムと戦って、命を奪ったら、お前はどう思う。僕が許せないか。エル・イェズラムが勝利して、僕を殺せば、そのほうが嬉しいか」
 呈示された仮定に、ギリスはなんだか愕然とした。
 イェズラムはもうとっくに死んでいるし、生きていても、スィグルと戦うわけはなかった。それにファサルと何の関係もない。
 ギリスにとって、養父はひたすら偉大だった。そのように生きたいと願う、純粋な憧れだった。自分にとっての重要さにおいて、何かと比べようもなかった。確かにそうだった。そのイェズラム自身に、命を賭して新星を守れと命じられる、その瞬間までは。
 どっちが勝って、どっちが死ねば嬉しいかって?
 その問いに、答えはあるのか。答えはない。少なくとも自分の中には見つからない。
「ちゃんと考えてるか、ギリス。お前、ぼけっとしてるように見えるが」
 疑わしげに訊いてくるスィグルに、ギリスはちょっと慌てた。そして頷いてみせたものの、どっちにするんだと急かすような視線を受けて、ギリスはますます焦ってきた。
「わからない、考えたけど。お前とイェズが喧嘩すると、俺は困るし、そういうのはやめて、仲良くしてくんない?」
 頭を抱えたい気分で、ギリスはそう頼んでみた。するとスィグルは、また、意地が悪そうな顔で、にやりとした。ラダックに、にやりと笑いかけた、その時と、まったく同じ顔だった。
「いいね、ギリス、お前は馬鹿だけど、ときどきすごく、穿(うが)ったことを言うよ。ものの試しに、お前の言うとおりに、してみようか」
 微笑んで、そう同意されると、ギリスはああ良かったと、苦悩から解放された気がした。そして何やら、その前いったい何の話だったか、すっかり忘れている自分に気付いた。
 それからスィグルは、ラダックに横目の視線をくれた。
「それでいいだろうな、ラダック。いちグラナダ市民としては」
 訊ねるスィグルに、ラダックは困った顔をした。
「それは、そうですね。もしそんな事が、実際に可能であれば」
「可能さ。お前が金庫から金さえ出せば」
 けろっとして言うスィグルに、ラダックは急に、愕然と驚いた顔を見せた。
「なんでそこへ話が行くんですか、殿下」
「俸禄がいるんだ。盗賊を召し抱えるのに。討伐して、そのあと僕の臣にするから」
 スィグルのその話を聞くラダックは、愕然としたまま、同時になにやら、ぽかんとしていた。
 まるで今まさに、蜂の紋章の連弩から、毒矢二百発を食らわされているような顔をして、金庫番は黙り込み、しばらくしてから、目眩でもするみたいに、片手で頭を抱えた。どうやら斉射が終わったらしかった。
「そうですか……では、また予算案を修正します」
「よろしく頼むよ、我が英雄よ」
 名君の言葉を借りて、スィグルは答えた。
 その口調は確かに血筋を示して甘いようだったが、名君のそれにはない毒が、たっぷりと効いていた。
「それで、ギリス。お前は僕と協力して、盗賊をとっつかまえるんだ。できるよな?」
 できるよと、ギリスは頷いた。
 頷きながら、少し悩んだ。どうして、こういうことになったのかな、と。
 しかし分からない。分からないが、たぶん、きっと、こいつが新星だからだ。
 その結論は、ひどく確信めいて、ギリスの心に響いた。

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