もえもえ図鑑

2008/09/22

若造もいる小宴会(2)

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「まずかったかなあ、こいつのいる前で」
 鼻をくすんと鳴らし、リューズが茫洋と言った。
「今さらだろ」
 素知らぬ風に目をそむけ、イェズラムは伏し目に水を飲んだ。
「あのな、ジェレフ。お前はもう死んでいるから平気で言うが、お前が宮廷で見た俺は、実は本当の姿じゃないんだ。お前もさすがにもう、薄々察しはついているだろうが、お前は俺にだまされていたんだ」
「だます……」
 目眩でもするのか、ジェレフは胡座した床に両手を拳にしてつき、体を支えた。
「だますっていうと語弊があるが。とにかく本当の姿じゃないんだ。即位する前の俺を普通に憶えている者は、みんなグルだったんだ。お前は当時まだチビだったし、ぼけっとした善良そうな奴だったから、訳が分かっちゃいなかったろうが、世紀の大博打が打たれて、それが成功し、気まずい嘘が平気でまかり通ったんだ。つまり俺が即位して、名君になったってことなんだけどな」
 聞いているのか、いないのか、判然としない若者を見下ろし、リューズは言葉を切って、顎に手をやり自分の唇に触れた。
「俺がどんなやつだったか、王宮では皆知っていたが、俺は即位するまで、王宮の門から一歩も出たことがなかった。だからそれまでの俺のことを知っている者は、部族領には実はほとんどいない」
 頷きながら教えるリューズの言葉に、ジェレフはどこかぼんやりと頷いて答えた。
「だから体の良い嘘をつくには、都合が良かったんだよ」
 頷いて微笑み、そう教えるリューズは、誰の目にも魅力的に見えた。
 ジェレフはそれを、崇める目で見上げた。
「一歩もって、一歩も出ていないんですか。即位されたとき、族長は十八歳だったと……」
「出ていない」
「元服なんかは、どう……」
 部族では十二歳で元服だ。王族の王子は、母親の実家まで行き、そして戻るという儀式を経て、大人の仲間入りを果たし、正式に玉座の間(ダロワージ)の一員となる。
「俺はね、元服してないんだよ。だからまだ、コドモなの」
 食卓に肘をつき、身を乗り出して、リューズはジェレフに歯を見せて笑いかけた。それをイェズラムはじっと伏し目に見守っていた。
「本編では詳しく書いてないけど、タンジールで生まれた者は、元服するときにいったん外に出ないといけないんだよな。それは太陽の光を浴びるためなんだよ」
 リューズの説明は常識で、ジェレフもいくらか心やすく頷いた。
「陽光を浴びることで作られる色素が、皮膚にあるらしいんだよな。たぶんイメージ的には、地下から這い出てきた幼虫が、ほっとくと乾いて大人の色になってるみたいな事だと思うが。子供のとき、黒エルフ族の子の皮膚は真っ白い幼型をしていて、そのままだと大人の姿になれないので、元服のときに外に出るんだ」
 笑ってそう話すリューズの皮膚は、異様な白さだった。
「内分泌的な作用だろう。陽光が刺激になって、作り始められるホルモンがあるんだ。それが十代はじめ頃の成長の過程で必要なんだろう。それで十二歳で元服するんだ」
 説明を加えるイェズラムに、リューズはジェレフを見たまま頷いている。
「一度でいいらしい。ほんの一時でも陽光を浴びれば、肌の幼型は失われる。それで、生活の上では地下都市を出る必要はないが、成長するには必要なので、元服の儀式が生まれたわけだ」
 にこやかに話を継いで、リューズは部族の風習についての話を締めくくった。
「それをやってないわけだから……」
 皿に残っていたものを平らげるため、リューズはしばらく沈黙した。その沈黙の間、誰も口をきかなかった。話がまだ、途中だったからだ。
「俺はまだ子供なんだよ、理屈上はな」
「即位前の初陣のときに外に出たはずだ」
「十七になってからだよ」
 回想するイェズラムに、リューズは顔をしかめて答えた。
「十六だっけ? とにかく、すでに若干の手遅れ感があってなあ。こいつは俺が、子作りできるか、相当に気を揉んだようだよ。もしも無理なら、血筋が絶えるからな」
 にやりと、にっこりの中間の笑みをして、リューズはイェズラムを示した。
「まあ、実際には取り越し苦労で、めちゃめちゃ繁殖しちゃったんだけどな」
「別に多いほうではない。歴代の族長にはもっと沢山の子がいた。お前は少ないほうだ」
 玉座の間(ダロワージ)の王族の席はがらんとしている。かつては数多くの王子が犇めいたそこを、当代埋めているのは、わずか十七人だという顔を、イェズラムはした。
「頑張ったんだけどなあ」
 ふざけた笑みで、リューズはぼやいた。
「でも別に、これで足りているだろう。山ほど作っても、生き残るのは一人だけなんだ。犇めくように沢山いても、むなしいだけだろう」
「数をこなすことで、次代にふさわしい血を示す者が生まれてくる可能性が、より高まるのだ」
 仏頂面で話すイェズラムと、リューズはにやにや向き合った。
「一発目が当たるってこともあるだろ」
 リューズの問いかけに、長老会の長(デン)は答えなかった。
「それに数撃つと、とんでもない化け物みたいなのが生まれてくる可能性もあるし」
 頬杖をついて、リューズは相手を見上げた。
「生まれた十七人が比較的まともで、良かったんじゃないか。俺の血を引いてて、あんなもんですんだんだから。中には名君になりそうな賢いのもいるだろ。もっといいのが出てくるんじゃないかと欲張って、さらにもっとやれというお前は、おかしいんだよ。いったいどんな怪物が生まれてきたら、納得がいくんだ?」
 毒のある笑顔で訊かれても、イェズラムは真顔だった。
「名君アンフィバロウの血を引き出すのも、その血筋の末裔である者として、ひとつの義務だ」
 その答えに、リューズは満面に皮肉な笑みを拡げた。
「うーん。まあねえ。そりゃあそうだが、お前はアンフィバロウと会ったことはないだろ。お前はまるで創世神話のころから生きてるようなツラでいるけど、実際知ってる名君はひとりもいないだろ。俺の親父はぼんくらだったし。ただ紙に書かれているものを読んで、知ったような気になって、名君かくあるべしみたいな妄想を育てて、それを俺にやれと言っているだけなんだろう」
「妄想ではない。誰もが抱く理想だ。即位したものは、それを実現するのが義務だ」
 静かに断言して、イェズラムは反論を許さなかった。
 肩をすくめて、リューズは、まだ呆然として聞いているジェレフに向き直った。
「そんなわけでな、エル・ジェレフ、こいつは王宮の外にいる誰もが俺を知らないのをいいことに、自分たちの理想の名君が即位したかのように喧伝したんだ。俺は時代の闇に突如として現れた彗星で、猛烈に明るく輝き、これからの征くべき道を、大敗北にへこたれた民に示す偉大な指導者だとな」
 ジェレフは頷いた。それは事実だという顔で。
 それを微笑んで眺め、リューズはなおも話を継いだ。
「俺はアンフィバロウの再来だと、こいつは詠った。壁画の太祖は、廷臣の中にいて、ひとりだけ白いだろ。あれは絵の技法として、太祖が神聖で特殊だと示すだけの比喩的な意味合いなんだが、こいつは俺が十八にもなって餓鬼みたいに真っ白けなのを、それが太祖の血の濃いせいだと言ったんだよ。ものは言い様だよなあ。お前たちも無意識に、玉座で笑っている俺の顔が、壁画のアンフィバロウのように真っ白いのが、やたら有り難かったんだろ。だけど現実には、十二の頃に地上に這い出しそこねた、ただの大人の出来損ないなんだよ」
 そこまで言って、リューズはジェレフから顔をそらし、長台詞に疲れた喉に、グラスをあげて水を与えた。
 ぬるまった水でも、リューズは美味そうに飲んだ。全て飲み干してから、それを卓上に戻し、ふはあと満足げな息をつく。
「それをこいつは誰より一番良く知っているので、他の誰が俺を崇めても、いつまでも餓鬼を見るような目でいるというわけだ。自分が紡いだ巣に、自分でひっかかれる蜘蛛はいないからな。名君の夢に皆が酔おうが、こいつだけは常に哀れな素面(しらふ)だよ」
 なあ、と同意を求める目で微笑みかけて、リューズはイェズラムと向き合った。
「万が一にも血迷ったとして、俺とやってる暇はないよな。そんなやる気があるなら後宮で、太祖の血が現れるまで、腹の空いてる女を抱けって思うだろ。現実のお前は俺が好きなんじゃなくて、玉座が好きなんだもんなあ。そこに座っている太祖の血筋の者がさ」
 挑む目で笑いかけられて、イェズラムはやっと、薄く笑った。
「別にお前も憎くはないよ。行儀良く玉座に座っている限りは、太祖の顔をしているしな」
 そう答えられ、リューズは満足したふうに、さらに笑った。
「お前は俺の色白なところが、たまらんのだよな。お前の玩具の広間(ダロワージ)にある玉座に座らせたとき、あたかも太祖のように見える、大事な珍しいお人形さんだものなあ。ある意味、現実のお前のほうが、異次元で俺と恋愛しようというお前よりも、ずっと重いビョーキだよ」
「命を助けてやったのに、大恩ある俺を愚弄するとは、お前は恩知らずなやつだな」
 厳しい口調でたしなめるイェズラムの声は、怒ったふうだったが、その表情は淡い苦笑のままだった。
「感謝してるよ、兄貴(デン)。出来損ないの俺を、名君にしてくれて」
 笑って応じ、リューズは暑いように、手で顔を扇いだ。食卓からの熱気があり、リューズはうっすらと汗をかいていた。
 イェズラムは横目に、まだぼけっとしているジェレフを見やった。それでも相手が気づかないので、煙管の先で、肩をつついた。
「ジェレフ。部屋が暑いぞ」
 言われてはっとし、ジェレフは席を立って、すみにある扉から外に顔を出していた。店の者に空調を強めるよう言っているらしい。
「いいよ別に、多少汗をかくくらい」
 若造のいない隙に、白い鼻先に浮いた汗を、リューズは袖口で拭った。
「太祖の壁画は、汗をかかない」
 薄笑いした兄(デン)が、本気か冗談かわからない口調で教えるのを聞いて、リューズは声をあげて笑った。死んだら石は取り除けるが、死んでも治らない病気はある。
 機嫌よく笑っている族長を眺めながら、エル・ジェレフが戻ってきた。
「氷菓と飲み物が来ます。それとも、もっと召し上がりますか」
「いや、いいよ。もともと大して腹は減ってなかったんだ。お前も人の面倒みてないで、座って飲めばいいよ」
 リューズが許すと、エル・ジェレフは恐縮したような返事をした。
 もとの席に座った若造に、イェズラムは新しい酒を注いでやった。ジェレフは様子をうかがう上目遣いのまま、それを飲んだ。
 イェズラムは燃え尽きた煙管の灰をまた灰皿に打ち落とし、リューズはそれを頬杖をついて見ていた。
「あのう……、どうして元服のときに、お母上の実家に里帰りなさらなかったんですか」
 どうしても、それが気になるという口調で、ジェレフが怖ず怖ずと訊いてきた。煙管に葉を詰めていたイェズラムが、これから口を利くような顔をして、若造のほうを見た。
 しかし、それを挫いて、リューズが先に答えた。
「なくなっちゃったんだよ、母上の実家が」
 けろっとして笑い、リューズは頬杖のまま教えた。
「敗色が濃くてな、母上の実家は敵地に呑まれたんだよ。それで母方の親族は全滅してな、母上は王宮で孤軍となったが、俺の成績が振るわないもので、大変追いつめられておいでだった。まあ、そんなこんなで、帰ろうにも、帰るおうちがなかったんだよ。母上にしろ、俺にしろな」
「族長のお母上は、ご幼少のみぎりに、逝去されたのですよね」
 ジェレフは確かめた。それは誰でも知っている話だった。当代の族長の生い立ちなのだから。
「うん。そうだな。俺が四歳のころか。五歳だっけ。とにかく、それぐらいの頃にだ。以来、俺の身柄は異腹の兄の預かりで、現実に俺を後見して育てたのは、こいつだ」
 イェズラムを顎で示して、リューズは教えた。しかしそれも、誰もが知る話だった。族長とエル・イェズラムは、同じ乳母に世話された乳兄弟の兄と弟だった。
「兄上が俺を、玉座の間(ダロワージ)から閉め出していたので、実質として俺は長く、存在しない王族だったよな。晩餐にも列席しなかったし、公式の行事にも出なかった。王族の格好はしていたが、なんとなく、亡霊のような気でいたよ。暇にまかせて回廊を彷徨っていると、俺を見ないようにする者も多かったので、自分が実在しているか、時々聖堂の鏡に映して確かめに行ったものだった」
 そうだったよなと語りかける目で、リューズはイェズラムを見たが、魔法戦士は相づちを打たなかった。
「元服の時に外に出なかったのも、兄上がそのように命じておられたからだ。幼型のまま大人になったら、どうなるのか見てみたいと仰せでな。俺に試せと命じられた。兄上が許すまで、陽を浴びてはならんと」
 笑みの残滓のある無表情になって、リューズは回想する目をした。
「あれは、なんだったんだろうな、イェズラム」
「アズレル様は、それでお前が死ぬのではないかと、期待していたのだ」
 ため息をついて、イェズラムは返事をした。
「死ぬかな、そんなことで」
 リューズは疑わしげに顔をしかめて聞き返した。
「死ななかったが、実際、今も頑健ではないだろ。際どいところだったんだ。初陣がもう少し遅れて、外に出るのが、もう少し後だったら、案外死んだかもしれないぞ」
「その初陣をお命じになったのも兄上だったじゃないか。それだとお前の指摘する殺意と矛盾しないか」
 考えすぎだと笑う目で、リューズは話している。
「アズレル様はお前を初陣で、敵に単騎で突撃させると仰った。そうして古のごとく名乗りをあげるのが、王族としてあるべき姿だと」
「それはいかにも、兄上らしい、夢のような話だなあ」
 イェズラムの話に、リューズは楽しげにくすくす笑った。それにイェズラムは明らかな渋面になった。
「殺すつもりだったんだ。お前が戦死するのを見越してのことだ」
 それにリューズは、さらに笑った。馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに。
「どうして兄上が俺を殺す必要があるんだ。回りくどいことをせずとも、兄上が死ねと命じれば、いつでも死ぬような立場だったのに」
 イェズラムはしばらく、答えを返さなかった。その沈黙の後、男は古い時代の話を切り出した。
「お前は子供のころから、アズレル様の名代で将棋をさしていただろう」
「そうだよ。あれも派閥の争いごとだろう。餓鬼なりに俺もそれを察して、必死で兄上の無敗を守ったよ」
 リューズはどこか誇らしげに答えた。
「それがまずかったんだ。アズレル様は、お前が負けそうになったら、ご自分が代わって指すつもりでおいでだった。でも交代なさる必要がなかったんだ。お前が勝ち続けるもので。そして、おそらく、そのうち、アズレル様にも勝機の見えない戦闘を、お前が勝ち進むようになった。それにアズレル様は、危機感を覚えられたのだ。お前の方が、戦が上手いのではないかと」
 話すうち、イェズラムの言葉尻には亡き王族への敬語が現れていた。リューズはそれに目を眇めて聞いた。
「たかが盤上の遊技だよ、イェズラム」
「いいや。俺もお前には勝てなかった。あれは実際の戦闘を様式化したものだ。見る者が見れば、ただの遊びではない。お前にはアズレル様を凌ぐ戦争の才があったんだ」
 無表情なまま、イェズラムは過去を語った。
「それっぽっちのことで、俺を兄上の後釜にしたのか」
「勝てる族長が必要だった。どんな手でもいい、とにかく勝たねば、敵が王都に迫っていた。族長はタンジールを放棄して撤退する案まで真剣に考えていた。だが王都を捨てて撤退などありえない。勝つしかなかったんだ。長老会もお前の才を認めて、それに王都を賭けることにした」
「それはずいぶん、思い切った賭けだったなあ」
 笑って茶化すリューズに、イェズラムは不機嫌な息をついた。
「結果オーライだ。どうせ決死戦だった。死の前のひと足掻きだよ」
「勝ててよかったよなあ。お前も俺も、みんなもなあ。負けたら王都で総自決か。洒落にならないよ。もしそうなってたら、ジェレフ、お前もなんだか理解できないうちに、お前の兄貴分(デン)に毒でも食らわされるか、喉首かっ切られて、哀れ十(とお)やそこらで冥界送りだったわけだよ。そりゃあ、俺に叩頭するだけのことはあるよな」
 族長にからかって言われ、ジェレフは困った顔をした。その通りだが、面と向かって言われると、なんともつらいという顔だった。
「面白くてためになる昔話だったな」
 扉が開き、店の者が運んできた口直しの氷菓を、リューズはにこにこ見つめた。
 ほかの二人は、それを食う気がないようだった。それでもリューズは遠慮せず、銀の匙をとって、氷菓を口に入れた。
「これで分かっただろ、エル・ジェレフ」
「えっ、なにがですか」
 本気で虚を突かれた顔で、ジェレフは驚いていた。そう応じられ、リューズは、えっという顔になった。
「キャラクター性の不整合についてだよ。つまりだな、『熱砂の海流』の俺と、現実の俺は、厳密には別キャラなんだよ。歯に衣着せずに現実のほうの俺を解説してやったんだから、それくらい分かるだろ?」
 リューズに言われ、ジェレフはごくりと溜飲した。
「あのう、『熱砂』のほうを未読なので、わかりません……」
「なんだって、そうだった! なんて使えないやつだ、エル・ジェレフ。人がいいばっかりで、宮廷で生き延びられると思うのか」
 叱責するというより、リューズは情けなそうな口調だったが、ジェレフはどすんと胃に来たような顔色になった。
「生き延びられませんでした……」
「すまん、そうだった」
 リューズは失言を悔やむ気はあるらしい真顔で、片手で口元を覆った。

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