もえもえ図鑑

2008/08/25

新星の武器庫(2)

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 もんどり打って落馬する守備兵を見下ろし、弓を引き絞った崖の兵たちが、うめくような悲鳴をあげるのが分かった。
 スィグルも、たった今見せられた射手の腕前に、思わず息を呑んでいた。
 盗賊たちの弓術は、正確無比だった。
 砂丘を走る砂牛の、波打つような背から、無造作に放たれる矢は、ほとんど一矢の無駄もなく、吸い込まれるように輸送馬車の守備兵の急所を射抜いていった。
 彼らには迎撃する間もなかった。
 唖然と見る兵たちに、ギリスが手を挙げて、攻撃の間合いを知らせた。
 そうだったと、スィグルは我に返った。見物に来たのではない。輸送馬車を守るために来たのだ。
「引きつけろ。まだ射程に入っていない」
 戦いへの怖れと興奮のためか、さっさと放ちたがって気もそぞろな兵たちに、ギリスはのんびりと話した。
 先程のあれを見て、ギリスはなんとも思わなかったのか。
 目の前で、守備隊が全滅させられたのに。
 瞬きもせず目をこらして、じっと接近してくる盗賊を見ているギリスの顔は、真剣そのものの無表情だった。氷のような色合いのその蛇眼で、ギリスは敵の騎獣が、射程内に突入してくるのを見た。
「放て」
 号令するギリスの声に、応える射手の動きはちぐはぐだった。
 すぐ放つ者もいれば、遅れる者も、動揺したように手元を狂わせ、矢をつがえ直す者までいた。
 矢は乱れて、ばらばらと飛んでいった。
 そして、射程内と思われた距離に、はるかに届かずに街道の石を打った。
 ギリスが初めて、驚いた顔をした。
「矢をつがえろ」
 彼は命じたが、矢が届かなかった事実に動揺したらしい兵たちは、さらに攻撃準備にまごついた。
 目を細めて、スィグルは崖下の光景を見つめた。盗賊たちは、崖上にいるこちらに気付いた。
 そりゃあ馬鹿でも気付くだろう。ぱらぱらと矢が降ってきたのを見たら。
 うすのろな射手たちが第二矢をつがえたとき、盗賊の中から、最初の矢が飛んできた。
 それはまさに流星もかくやという勢いだった。
 崖はしに膝をついていた弓兵のひとりの顔面を、黒い羽根をつけた矢が貫いた。
 兵は悲鳴もあげずに背後に倒れ、なんの傷も負っていない者たちが、総出で悲鳴をあげた。
「矢除けを立てろ。楯(たて)を!」
 呆然として何もしない兵たちに、ギリスが怒声をあげた。
 兵たちには念のためといって、ギリスが矢を防ぐための防御楯を持たせていた。
 号令で我にかえれた者だけが、グラナダ宮殿の紋章が描かれたその板を、囲いのように立てて自軍を守ろうとした。
 それをやり遂げた者の楯には、その半瞬のちに、黒羽の矢が何本も音高く突き刺さり、そうでなかった者は、自らの身で矢を受けた。
「スィグル、さがれ」
 振り返って、ギリスが叫んだ。
 いつもぼけっと暢気なギリスが、激昂することがあるのだと、スィグルはどこかぼんやりと、それを聞いた。
 死んだ兵の弓を奪って、ギリスはそれに矢をつがえた。
 彼がそれを放つと、矢羽根が風をきる鋭い音がしたようだった。
 スィグルは矢除けの隙間から、その矢の行方を見つめた。
 グラナダ宮殿の守備兵には、黄色と黒の縞模様に染められた矢羽根の矢が支給されていた。スィグルの紋章が胡蜂(すずめばち)だったからで、それはまるで矢のはしに蜂を一匹とまらせているみたいに見える。
 ギリスが放った胡蜂(すずめばち)は、まっしぐらに飛び、輸送馬車に迫ろうとしていた盗賊のひとりを撃ち落とした。
 ギリスは休むこともなく、第二矢をつがえ、それを放つと、また次の矢を連射した。
 彼の狙いは正確で、次々と打ち漏らし無く敵を屠った。
「ぼけっとすんな、どんどん射ろ!」
 あぜんと眺めていた兵たちを、ギリスが激励した。
 その声に奮い立たたされ、先頭の兵たちが構える矢除けの合間から、守備兵たちは攻撃を再開した。
 敵は矢除けの合間を狙ってくるほどの手練れだった。
 こちらもまだ兵を失ったが、盗賊はじょじょに数を減らしているようだった。
 何となく呆然として、スィグルは戦いを続ける兵たちの背中を見つめた。
 なぜこういう事になったのかと思った。
 確か、狙撃をするために、ここに潜んだのだったろう。
 だけど矢が全然当たらなかったよな。
 それに対する敵は、たかが卑しい盗賊だというのに、あの正確さだ。
 そりゃあしょうがない、金塊を盗まれても。たぶん今まで、盗まれる時の守備隊と、盗賊との戦闘は、出会い頭のほぼ一瞬で終結していたんだろう。
 こちらの負けで。
 あとはのんびり、盗み放題だ。輸送馬車の金塊が、どうも丸ごと消えるわけだよ。
 そう理解したスィグルの耳元を、叫ぶ女のような音をたてて、流れ矢がすりぬけていった。
 ぎょっとしたようにギリスが振り向いた。
 その彼の背後から、矢が二本、ほぼ同時に放たれたかのように連れ立って、黒羽を唸らせ飛び込んでくるのが見えた。
「ギリス、よけろ」
 とっさにスィグルはそれだけ命じた。
 ギリスは従順に背をそらせて避けた。
 しかしそれによって、目前に迫る矢が、背後にあるものを攻撃することに、彼は気付いた。
 ギリスが腕をのばした。矢を掴むのかと、スィグルは一瞬思った。
 しかしいかなる英雄も、そんな神業を行えるわけはない。ギリスは自分の腕に、矢を当たらせたのだ。
 一矢はギリスの肘より少し上あたりを射抜いた。もう一矢は、骨にはじかれ、軌道を変えて、さらに飛翔を続けた。
 これは中(あた)ると、勘が囁き、スィグルは考えるより早く、念動の魔法を使っていた。矢は見えない何かに弾き返され、崖の砂地に突き刺さった。
 それを見下ろし、スィグルはどっと汗をかいた。忘れていた呼吸が、そのときやっと戻ってきた。
 ギリスが蒼白な顔で、こちらを見ていた。
 腕に受けた矢は半ばまで突き通っており、矢柄を伝って血が滴っていた。
 それでも彼は平然としている。たぶん痛みを感じないからだろう。
 しかしその流血を見て、スィグルは自分の呼吸が激しく乱れるのを感じた。
 たとえ本人が平気でも、そういうのは見てるこっちが痛いんだよ。
 戦いはまだまだこれからだと、唐突にそう思った。すっかり頭に血が上っていた。
 アイレントランから飛び降りて、兵を押しのけ、スィグルは自分が持っていた王族用の華麗な弓に、矢をつがえた。
 それは朱塗りの矢柄に金の象眼がされており、矢羽根は純白だった。
 華麗な一品だが、それでも実際に射れば、敵を殺傷できる武器だった。
 弓の腕には自信があった。少なくとも、狙う相手が輪っかを描いた的や、宙に投げられた土器(かわらけ)である限りは。
 生きて動いている人の形をしたものを、射るのは苦手だ。血を流すから。
 しかし今は、そういう気がしなかった。
 盗賊たちは待ち伏せに気を削がれたのか、金塊を諦めて去る気配をしていた。
 まだ自分の射程内に居残る彼らの、撤退していく背を、スィグルはひとつずつ狙って、赤い矢を放った。
 それは安定して良く飛んだ。
 矢が盗賊の首筋を射抜き、その体が騎獣から落ちるのを見つめながら、スィグルは矢をこしらえた職人を誉めてやらなければと思った。
 実用と美と、ふたつを兼ね備えてこそ、誇りある我が部族の用いる武器にふさわしい。
 射程内にいた最後のひとりが、逃げおおせていった。
 砂丘の向こう側に消える騎影を、スィグルはじっと睨んだ。何人か撃ち漏らしたなと思って。
 最後に射そびれた矢をつがえたままの弓を、スィグルはだらりと足元に提げた。
 ふと見ると、兵たちが自分を見上げていた。
 彼らはなんとも複雑な目をしていた。
 こちらを恐れているようでもあり、崇めているようでもあった。
「お前たち」
 スィグルの乾いた喉からは、いくぶん掠れた声が漏れた。
「弓が下手すぎる。それでも正規兵か。お前らに、誇りはないのか」
 いきなりの領主からの叱責に、兵たちはじょじょに首をすくめたようだった。
 どんなめに遭わされるだろうかという顔を、彼らはしていた。
 新しくやってきた本物のグラナダ領主が、王族のひとりで、しかもひどい癇癪持ちだということを、未だに知らないでいるグラナダ市民はもういないらしい。
 どんなめも、こんなめもない。一体どうしてくれようか。
 スィグルはそう思い巡らし、唸りたい気分だった。
「確かにここまで下手くそだと、俺も弁護してやる言葉もないな」
 突然、いつもの暢気な声で、ギリスが言った。
 はっとしてスィグルが振り返ると、彼は砂地に胡座をかいて、腕を貫いた矢を抜こうとしていた。
「ここまで真ん中だと、どっちに引き抜くか決められないなあ。鏃(やじり)を折って、そっちを抜くか、それとも矢羽根のほうか。お前はどっちがいいと思う?」
 血に染まった腕を挙げて、ギリスにそう訊ねられ、スィグルはやっと、卒倒しそうになった。
 とにかく血を見るのが、領主は苦手だったのだ。

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