もえもえ図鑑

2008/08/20

銀の泉と紫の蛇・巻の2

続編ぽいので、これを読むには前知識が必要です。
銀の泉と紫の蛇・巻の1と、おっさんだらけの大宴会を読まねばならないのだから、案外たいへんです。こんなアホ話のために……。

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 それでは後は任せる、俺は部屋に戻って寝るからと、派閥の舎弟(ジョット)どもに言い置いて、イェズラムが扉を開いた瞬間だった。
 王宮の一角にある、こぢんまりした住まいの戸口をくぐる頭上から、なぜか、氷水と黒板消しと、最後には金ダライまでが落ちてきて、その全部をまともに食らい、イェズラムは呆然とした。
 思わず振り返り、数人ついてきていた、中堅クラスの竜の涙の連中を見ると、彼等は気絶しそうに青ざめ、硬直した真顔で直立不動だった。
 むしろ、居合わせたこの連中が気の毒だ。そんな気がした矢先、居室の中から声がした。
「見事に引っ掛かったな、イェズラム。いい様だ」
「偉くなったつもりで隙だらけですから、簡単なものでしたわね、リューズ様」
 なぜか自分の部屋に居て、心底気味がいいらしく、超ご満悦に高笑いしている族長リューズと、長老会のエル・エレンディラを、イェズラムは交互に眺めた。
 言うべきことが多すぎて、とっさに何も出てこなかった。
 まずは風呂かと、イェズラムは考えた。
「あまりの悔しさに、ぐうの音も出ないようですわね、エル・イェズラム」
「いや、そういう訳では。お前は本当に粘着なやつだな、エレンディラ。あまりに情けなくて、腹も立たない」
 そう言うと、エレンディラは、おっほっほと鈴を転がすような声で笑った。
 一見、可愛い女なのだが、人を一見しただけで判断してはまずいという教訓が、服を着て歩いているような女だ。
「リューズ」
 顔面蒼白の連中には済まなかったが、配慮する気も起きず、イェズラムはにこにこしている族長を呼び捨てにした。さあ説教するぞという時に、長ったらしい敬語では、どうも調子が出ないのだった。
「どういう訳かだいたい分かるが、一応聞くか、お前の言い分を。エレンディラに何をそそのかされたのだ」
 イェズラムは尋ね、リューズはふんぞり返った。
「エルエルは見物人だ。全て俺が計画したことだぞイェズラム。お前の反逆ポーズがあまりにもむかつくので、古来より部族に伝わる伝統的な制裁を加えることにしたのだ。参ったか」
 そう言い放つリューズは本当に嬉しそうだった。最近ここまで上機嫌のこいつを見るのは珍しい。
「お前がそこまで追い詰められてるとは、俺は夢にも思わなかったよ」
 反逆反逆といちいち青筋たてて、うるさいとは思っていたが、そこまで嫌われていたとは。
「俺が憎いのなら追放にでもしたらどうだ」
「それは名案だ、兄弟」
 うなずくリューズに、皆がぎょっとする。エレンディラまで、ぎょっとした。
 本当のところ、イェズラムもぎょっとしたのだが、そういう顔をするのは、長年の経験から思いとどまった。敵の思うつぼだからだ。
 やはり、リューズの話には続きがあった。
「しかしお前がいないと、あいつらが困るだろうし、俺も仕事にならない」
 戸口でますます呆然としている舎弟(ジョット)どもを視線で示し、リューズはしたり顔だった。
「だから許そう。ただし、俺に服従のポーズを見せろ」
「いったい何の義理でだ」
 王都追放もかなり不名誉だが、その手でリューズに負けるのもいやだったので、イェズラムは訊ねてみた。
「それはお前が俺の家臣だからだ。俺より下だろ、イェズラム」
「そうだが、それがどうした」
 真顔で言ってやると、リューズは瞬間、いますぐキレそうな顔をした。しかし、やつも長年の経験からか、すぐ踏みとどまった。いちいちキレていては族長なんか勤まらないからだ。
「俺は寿司を食いたいから、買ってこい。あいつらじゃなく、お前がだ。これは族長としての命令だ」
 イェズラムの顔を指さして、リューズは厳命した。あいつらって舎弟(ジョット)のことか。
 こいつ、俺に挑戦しやがってとイェズラムは思った。竜の涙の長老会を率いる立場として、たとえ族長命令であろうと、それが道理にかなっていなければ、拒否する権利がイェズラムにはあった。しかしそれをやると大事だ。
「わかった。いいだろう。風呂に入ってから、行ってきてやる。正装して晩餐にも出てやるから、せいぜい腹をすかして待っていろ」
 腕組みしてそう答えると、リューズはまた、にっこりした。エレンディラもにっこりした。
「よかったですわね、リューズ様。逆臣がとうとう悔い改めましたわ」
 自分の顔を見て、ねっとりとそういう女に、イェズラムは笑い返してやった。
 お前。いつものことだが。このまま済むと思うなよ。


「ギリス」
 長老会の床に転がっていたエル・ギリスを見つけて、イェズラムは声をかけた。
 ギリスはまた本を読んでいるようだった。いつ見ても同じ本を読んでるが、大丈夫なのかこいつは。
「どこか行くのか、イェズラム」
「寿司でも食いに行くか」
 飯時にはちょっと早いが、と誘ってやると、ギリスはぽいと本を放り出して立ち上がった。
「行く」
 ギリスは満面の笑みだった。こいつも、たまには構ってやらないと。
 そもそも、なんでタンジールに寿司屋があるのかという話だ。実際には、そんなものはない。寿司どころか、この部族の者は火を通して調理していないものは、果物ぐらいしか口にしない。だから生の魚なんぞ、本来ならもってのほかだ。
 しかしリューズは昔、湾岸まで旅をして、そこで生モノの味を覚えてきた。当初は吐きそうだとか言って、野蛮な異民族の食い物は到底食べる気がしないとかまで口走っていたくせに、慣れると結局のところ食い意地の張ったやつで、治世のストレスがピークに達すると、旅に出るからとか言い出して、湾岸まで蟹食いツアーに行ってしまう。その突然の留守を預かるのはイェズラムの仕事だった。
 迷惑極まりない話だが、それでリフレッシュして、やつの治世が無事に立ちゆくなら、まあいいんじゃないかとイェズラムは諦めていた。
 でもそれは、滅茶苦茶わがままなことなんだぞ。長老会を統率しているのが、もしも俺じゃなかったら、やつもそこまで気軽に、ふらふら出歩いていいわけはないんだぞ。
 むしろ族長より優秀みたいな俺様がいてこそ、実現できるお気楽さなのだ。
 他に誰も聞いていないのをいいことに、イェズラムが有り体に愚痴ると、ギリスは、へえ、そうなんだと、いかにも聞いていないような相づちを打った。
 とにかくなんでも聞き流せるのが、こいつの見所だ。
 ギリスは寿司を食っていた。猛烈な勢いで。
 どうして夕方からそこまで腹が減っているのかと謎めいているが、見事な食いっぷりだった。
 まだ、さほど食欲もないので、イェズラムは隣で酒を飲みながら、ギリスの胃袋に消えるトロやらウニやらを眺めていた。
 こいつはちゃんと味わって食べているのか。食えりゃいいかみたいな食い方だが。
 そういえば、ちゃんと躾けた覚えがないが、まさか玉座の間(ダロワージ)の晩餐でも、こんなガツガツした食い方なのか。
 それは情けない。もうちょっと、宮廷人らしくできんのか。
 そう思ったが、ギリスにいちいち小言を言う気がしなかった。
 ほんとにもう、くどくど言わされるのはリューズひとりで腹一杯だ。
「あのさあ」
 茶碗蒸しが出てきたところで、小休止なのか、ギリスが急に口をきいた。
「イェズはどうして、族長が嫌いなの」
「嫌いではない」
 突飛なことをギリスが言うので、イェズラムは虚を突かれた。
「じゃあ、なんで意地悪ばっかすんの」
「意地悪なんぞしていない」
「根っから根性悪で気付いてないだけじゃないのか」
 なんの悪気もないらしい顔で、ギリスが本当と思えることを言った。
 率直で、誰にも物怖じしないのが、こいつの見所だ。
 ということは、俺は本当に意地悪ってことなのか。あんまり自覚していなかったので、イェズラムはしばし愕然とした。
「イェズラム、族長をいじめんの、やめたら。そしたら平和になるのにさ」
 木の匙で、ギリスは茶碗蒸しを食っていた。出されたばかりの茶碗蒸しからは、物凄い湯気があがっており、熱くないのかと、イェズラムは気になった。
「どうして、いじめんの?」
 どうしてかなあと、イェズラムは考えた。
「面白いからだろ」
 とっさに口から出た返事は、いかにも本音のようだった。
「お前は面白くないのか、リューズが地団駄ふんで悔しがる時の顔なんか見てて」
 ギリスは匙をくわえたまま、真剣に思い出しているような顔をした。
 ぶちきれたリューズがイェズラムの居室に怒鳴り込んでくるのを、ギリスは何度か見たことがあるはずだった。
 なにか思い出したのか、ギリスは急に、にやっと笑った。
「面白いな、確かに」
「そうだろ」
「でも皆、びびってるよ。族長がキレると。結局は反逆なんじゃないの。イェズラムがやってることは。そうやって、自分のほうが上だって、確かめてんだろ」
 ギリスの言うことが面白くなって、イェズラムは笑った。いったん笑うと、なぜかそう簡単に止まなかった。
「そうだな」
 まあでも、結局は族長位のほうが上だからな。最後の一手を打てるのは向こうの権利で、それをやったらお終いだからな。リューズとしては、売り言葉に買い言葉でケンカをしようにも、最後のところは思いとどまるしかないわけだ。そうでないと、追放だ、断首だ、あの逆臣を処刑しろってことになるからな。
 それをせずに、地団駄ふんでるあいつが、見たいだけなのかもしれないな。
 そういう観点で己を見ると、案外かわいいやつだなと思えて、笑いが止まらない。
「なにがそんなに可笑しいんだよ、イェズラム」
「お前の食い方が可笑しいんだよ。よくそんなに腹が減るな。まさか帰ってまた晩餐を食うつもりじゃないだろうな」
「食うよ。だって腹が減るもん」
 当然だろうと言いたげに答え、ギリスは茶碗蒸しを飲み干した。飲むな、飲み物じゃないから。
 からっぽになった椀を見上げ、ギリスは赤い舌を出していた。
「あのさあ、イェズラム。俺の舌って、どうかなってるか。途中から舌が痺れたみたいで、全然、味がしなくなったんだけど、毒でも入っていたのかな」
 そう言うギリスにイェズラムはぎょっとしたが、すぐに気付いた。
 ギリスには痛覚がないので、こいつは気付かなかったのだ。
「お前は舌を火傷したんだ。とりあえず冷やせ」
 笑ってそう教えると、ギリスはうへえという顔で、湯飲みのなかの茶を魔法で凍らせて、真っ赤になった舌に乗せていた。
「しょうがない、約束だから、リューズに寿司を買っていってやるか」
 そろそろ戻らないと晩餐に出られなくなる時刻だったので、イェズラムは土産の寿司を注文した。


 イェズラムが正装して晩餐に現れると、皆が飛び上がるほどびっくりしたという顔をした。
 したり顔で待っていたのはエレンディラくらいのもので、彼女の席は、なんとイェズラムの隣だった。
 晩餐のときの席には一応、序列に従った定席が決められており、そこで食うのが原則だったが、竜の涙のなかには王族の席に侍る者もいて、必ずしもそこにいるとは限らない。
 イェズラムの席は常に空席だったし、エレンディラは気に入りの王族のところで一緒に食事をすることが多いらしかった。時には玉座のリューズのところに居座ったりもするらしい。
 しかしわざわざ今夜、自分の席で待っていたのは、そこがイェズラムの隣で、敗北した男のツラをとっくり拝もうという魂胆だったろう。
「エレンディラ」
 土産の寿司をさしだして、イェズラムはエル・エレンディラに声をかけた。
「お前にも買ってきてやったから、勝利の味をよく味わうがいい。それにしてもお前は、相変わらず美しいな。俺は特にお前の目が美しいと思うよ。魔法戦士なんかより、女優か踊り子でもやったほうが、部族のために尽くせるぞ」
 にっこり微笑んで、イェズラムは美貌を絶賛してやった。
 それはこの部族では非常に無礼なことだったので、エレンディラは顔を真っ赤にして怒った。
「無礼です」
「そりゃそうだろう。でも本当の話だからな」
 ざまあみろと思って、イェズラムは答えた。
 なにか反撃してくるかと思ったが、女はいつになく、しゅんとしていた。女郎蜘蛛みたいなお前が、これっぽっちの口喧嘩で敗退かと、拍子抜けがした。
「そんなこと、今さら言わないでほしいものです。族長が、さっきからガン見してお待ちですよ。さっさと高座に侍ったらいかが」
 言われなくてもそうするさと、イェズラムは答えた。
 玉座では、言い渡したとおり、リューズが腹を空かして待っていた。
「寿司を買ってきてやったぞ、リューズ」
 食卓に、折り詰めをぽいっと放り出してやると、リューズはむっという顔をした。
「ずいぶん尊大な服従ポーズがあったもんだな、イェズラム。追放するぞ」
「どこまでだ。玉座の間(ダロワージ)の外までか」
「まあ精々が、王宮の外までくらいだな」
 心底いやだという顔で、リューズがうんざりと答えた。
「お前の保身は徹底していて、なにかひとつ物事を動かそうにも、ちょっと行ったら誰も彼も、エル・イェズラムがいないと無理だ無理だと、そればっかりだから」
「そんなの一時のことさ。俺が死ねば万事解決するから」
「そりゃあほんとに、待ち遠しい話だよ」
 とほほと笑って、リューズは悪態をついた。
「お前、さっき、エルエルと仲良さそうだったな」
「そうだろうか。お前は案外、ここからいろんなものを見てるらしいな」
「ここからだと、案外よく見えるんだよ」
 ため息をついて、リューズはイェズラムが買ってきた寿司折りを自分で開けた。
 そして、うぐっという声をあげた。
 イェズラムは侍従が持ってきた酒杯から、にやにやしながら酒を飲んだ。
「見事なまでのイクラ尽くし」
 ほとんど叫ぶように、リューズが寿司折りの感想を述べた。
「お前、イクラが嫌いだろ。だから、わざわざ頼んで全部イクラにしておいたから」
「不自然すぎる見た目だ。全部イクラっていうのは。それにお前はなぜ俺がイクラが嫌いか、知ってるはずだろ。食べるとお腹が痛くなっちゃうんだぞ」
「三十路にもなって、好き嫌いするな、リューズ。民にも示しがつかないから。漁師さんが苦労して獲ってくれたイクラと、農家の人が精魂こめて作った米を使って、お寿司屋さんが命がけで握った寿司だから。全部食え。それが王者の甲斐性だもんなあ」
 ゆっくりそう諭すと、リューズはがくりと項垂れた。
「お前が折れたと思った俺が馬鹿だった」
「何年俺と戦っているんだ」
 にっこり微笑んで、イェズラムは久々に上がる高座から、玉座の間(ダロワージ)を見渡した。そこからは廷臣たちが一望できた。皆おしなべて活気があり、リューズはよく治めているようだった。
 長老会の席では、エレンディラがまだどこかしょんぼりとして、買ってきてやった寿司折りを開けていた。女が白い指で、鯛の握りをつまむのを、イェズラムはほくそ笑みながら見守った。
 エレンディラは赤い唇を開いて、ぱくりと寿司を食った。
 そして、一口二口噛みしめてから、突然顔色を変えた。
 爆笑しそうになって、イェズラムは口元を覆い、こらえた。
 死ぬほど山葵(わさび)を入れさせておいたから。
 エレンディラは飛び上がりそうな顔をしたが、それは一瞬のことで、引っかけられたのを隠すため、膳に突っ伏して微かに悶えるだけで耐えていた。
 彼女の派閥の娘たちが、何事かと心配して、女長老を取り囲んだ。
 ざまあみろエレンディラ。いい気味だ。俺に構って欲しければ、もっと可愛げのある顔をしろ。
 満足して酒を飲みながら、イェズラムはリューズが食いきれないでいるイクラを横から摘んで助けてやった。いにかも嫌そうなくせに、リューズは律儀に寿司を食った。
 そうやって一緒に飯を食っている族長と長老を、広間(ダロワージ)の面々は、なんとなく満足げにちらりと見ては、安心そうに食事を続けた。
 かつてこの座から見下ろす広間は、もっと殺伐と荒れていた。それをここまで気楽なものに変えたのは、他ならぬリューズの手腕だっだろう。
 しかしそれを褒めそやすのは、自分の仕事ではないと、イェズラムは逃げていた。
 詩人もいれば、忠実な廷臣もいる。甘いことを言ってやるのは、そいつらに任せて、俺はずっと、ぶつぶつ小言を言っていよう。それでいいんじゃないか。どうせ意地悪で、根っからの根性悪なんだから。
 そう思って、晩餐の広間(ダロワージ)にギリスを探すと、彼は自分の席で、ぺろりと舌を出してみていた。どうやらまだ、何を食っても味がしないらしかった。

《おしまい》
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