もえもえ図鑑

2008/08/31

新星の武器庫(21)

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 珍しくのんびりと食う昼食が終わり、スィグルは食卓に肘をついて、ぼんやりと煙管(きせる)を吸っていた。
 グラナダ特産の葉っぱは、なにかの薬効があるとかいう触れ込みだったが、たぶん何の効果もない。吸うとシナモンのような香りと、肺が冷えるような清涼感がするが、それ以上特に酔うわけでもなし、ただ気分がすっきりするというだけの代物だろう。
 喫煙は部族では普通の習慣だった。
 かつては市井でも当たり前に麻薬(アスラ)を吸ったらしいが、父リューズが即位後にそれを禁止して以来は、様々な薬草がその代用品にあてられている。そういうものは、ただの無害な嗜好品だった。
 竜の涙たちが、石から受ける苦痛を鎮痛するため、紫煙蝶(ダッカ・モルフェス)の煙をくゆらせる故郷の王宮では、スィグルは自分も煙管を吸おうという気は全く起きなかったが、この都市の民が、仕事の終わりにのんびりと煙を吸っている姿を見ると、それはとても気分のよいものなのではないかと思えてきた。
 都市の特産品らしいといって、ギリスが街から面白がって持って帰ってきたので、試しに吸ってみたら、いい気分だった。それからというもの、傍仕えの侍従たちは、領主が癇癪を起こし、脇に控えているのがどうにも辛くなったら、甘い砂糖菓子か、煙管を差し出すようになった。
 今は別に、苛立っているわけではない。
 腹が満ちたので、せっかくの休憩時間に、くつろぎたかっただけだ。
 昼食の席は、庭園に幌を張らせ、広大な水盆のような、浅い泉の脇に用意させた。スィグルの好きな場所だった。
 日中の陽を遮りさえすれば、泉を渡ってくる風が涼しく、その向こう岸にある孔雀がうろつく庭園も、水面に映るグラナダ宮殿の姿も美しく、聞こえるものといえば、時折の鳥たちの声ぐらいのものだった。その静かな美は、領主の美意識を満たした。
 ため息とともに煙を吐き出して、スィグルは思った。
 いや、侍従長が煙管を差し出すぐらいだから、少々は気が立っているのかもしれないと。
 昼食の席は、なんとなく賑やかだった。
 庭園用の長い食卓の端の上座に、スィグルは腰掛けていたが、自分に次ぐ序列の右脇の席には、いつものようにギリスが座っていた。彼は泉を背景にして、付き合いのいいことに、自分も煙管を吸っている。
 その向かいに、領主をはさんで、三つ子の竜の涙が座っていた。彼らはなにごとか兄弟間で話しながら、まだ食後の果物を食っていた。よく食う連中だった。
 そしてギリスの隣には、絵師シャムシールがいて、女官たちが皿をどけたところに紙を拡げ、熱心になにか描いている。その横顔は幸福そのものだった。絵を描いているとき、シャムシールは天国にいるように見える。
 食卓には地図と、たくさんの白紙と、葡萄(ぶどう)を盛った椀と、飲み物の杯が、どことなく雑然ととっ散らかっている。
 食後の時間は、いつもならすぐ仕事に戻るが、今日はここで軍議をするために時間をとらせてあった。普段は同席しないシャムシールは、そのためにわざわざ呼んだのだが、せっかくだからと思って、一緒に昼食をとらせた。
 スィグルはそのことが何となく頭にひっかかっていた。
 父はいつも玉座の間(ダロワージ)で廷臣たちと共に食事をとる。序列によって、出される料理には等級があるようだったが、基本的に父は廷臣たちと同じものを飲み食いしていた。
 しかし自分はこのグラナダ宮殿で、臣とは分かれて飯を食っている。
 はじめは皆で食べるつもりだったが、ここにはそういう習慣がないと、ラダックが突っぱねたからだった。臣下に食事を出すための大食堂はあるが、グラナダ領主はいつも自分のための部屋で食事をとっていたらしい。
 無理強いするのも妙なものかと思い、スィグルは地元の考えを受け入れて、食事をするとき、家臣はほうっておくことにした。偏食が多いので、彼らに同じものを食べさせるのも悪いし、さっさと食って、さっさと休みたいのも本音だった。
 それでいつも気心の知れたギリスと、気の向いたところで、軽いものばかり食べていたが、本当にそれで良かったのか。
 シャムシールと飯を食ったのは、これが初めてではなかったか。
 自分の勝手で選ばれて、グラナダへの随行名簿に名前を載せられ、族長の命による形で、タンジールから連れ去られてきたこの男が、今はこの都市でどういう気でいるのか、そういえばさっぱり知らないではないか。
 王都を発つ前に、父の忠告により各自に意志を尋ねはしたが、王族である自分に、選んだからついてこいと言われ、いやだと言えるものだったろうか。なにしろ当時、各部署の余計者とおぼしき者ばかり選んだし、選ばれなかった他の者たちは、そいつが断って、お鉢が回ってくるのはご免だと、決して断らせないように立ち回り、役目を押しつけただろう。
 十五歳だったあの当時は、それはスィグルにはまだ思いもよらないことだったが、ここで二年統治した今になって振り返ると、宮廷とはそういう世界だった。
 シャムシールは、絵を描いていると幸せそうなので、それで満足なんだろうと決めつけていたが、本当にそうなのか。ここに来てからも、時折は、父が廷臣たちにするように、食事の席のような本音の出る場で、直に話をきいて、不満はないか確かめるべきではなかったか。
 彼だけでない、他の者たちも。
 だが、それをいちいち一人ずつ呼びつけて、今日はいっしょに飯を食おうと言うのか。いかにも不自然だ。
 父がなぜ、広間(ダロワージ)で廷臣たちと毎回食事していたのか、今更よく分かった。晩餐のとき、玉座にいる父の周りにはいつも、違う顔が侍っていて、入れ替わり立ち替わり、誰かが喋っていっていた。
 単に父が皆に愛されていて、話し好きだからだと思っていたが、そういう訳ではなかったのだ。
 はあ、と、スィグルはまた重いため息をついた。
 やることだらけだ。
 しかしまずは牛の目のファサルだった。
「それは何を吸っているんですか、兄貴(デン)。麻薬(アスラ)?」
 三つ子のひとりが、向かいの席にいるギリスに話しかけている。
「違うよ。この街の特産品だよ」
 ギリスは銀色の長煙管を使っていた。彼の養父であるエル・イェズラムの遺品だった。
 死んだ大英雄を思い出させるそれで、彼が酩酊するのが不吉に思えたので、スィグルはギリスに麻薬(アスラ)の喫煙を禁じてあった。
 そもそも父が竜の涙たちにだけ特例として、一部の麻薬(アスラ)の使用を容認したのは、彼らが痛みを感じるからで、痛覚がないというギリスにとっては、そんなものは必要ないはずだ。
 やめろと言われたらギリスはおとなしくやめたらしいが、それでも煙管は使いたかったらしく、スィグルに特産の葉っぱをすすめ、こちらが気に入って常用するのを見ると、これなら文句が言えないだろうと言わんばかりに、自分も同じものを吸う。
「うまいんですか」
 まるで食べ物みたいに、三つ子が尋ねている。
「まあまあ」
 答えるギリスは、世の中にはもっとうまいものがあるという口調だった。
「ちょっと試させてくださいよ」
 三つ子のうちの、エルなんとかが手をのばして、ギリスに煙管を貸すよう強請っている。
「だめ。お前らみたいなひよっ子が、この煙管を吸えるわけない」
 ギリスは、それが当然というように、ぼんやりとしたまま拒んだ。
「それはそうと、お前らいつもいないけど、日中どこへ行っているんだ」
 葡萄を食っている三つ子に、ギリスはどことなく兄貴面して問いかけている。それを横目に眺めると、スィグルは妙な気分だった。こいつも相手によっては、えらそうな口をきくのだと思って。
「暇なんで、市街の公営賭博へ。面白いですよ。すってんてんだけど」
「あれは絶妙にできてる。儲かりそうで、儲からないところが」
「俺らの石を見ても、手加減なしだから。がめつい街ですよ、兄貴(デン)」
 三つ子は楽しげに文句を言っていた。
「誰も気がつかなかったんじゃないか、お前らが英雄だって。あんまり石がちっさいんで」
「ひどいこと言うなぁ。一応、英雄(エル)とは呼ばれましたよ」
 煙を吐きながら、非情なことを言うギリスに、三つ子は熱心に答えている。
「でも、誰も俺らの名前までは知らなかったですね」
「まあ、しょうがないか。英雄譚(ダージ)もないんじゃ」
「兄貴(デン)とは格が違うってことでしょう」
 そう言う彼らは悔しそうだったが、でもその顔はにやにやしていた。たぶん、ギリスを持ち上げて、冷やかしているのだろう。
「名前を覚えてもらいたけりゃ、顔に書いとけ。お前ら紛らわしいから。俺も時々分からないから」
 ギリスはぼけっとそう答えたが、三つ子はその話にぎょっとしていた。
「それ、冗談じゃないんですよね!?」
「兄貴(デン)は冗談がわからない人なんですもんね」
「いまのを本気で言われてると思うと、身も心も凍りそうです」
 寒い寒いと嘆いている彼らを見て、スィグルはまた、深いため息をついた。
「お前たち……」
 声をかけられたのが自分たちだと分かったのか、三つ子はそっくり同じ顔で、領主のほうを向いた。
「英雄譚(ダージ)が欲しいのは分かるが、本当にやるのか。やる必要ないんだぞ、戦術的には」
 スィグルは三つ子がやっぱりやめますと言わないかと期待して尋ねた。
 彼らは盗賊の討伐戦に参加したいといってきた。
 暇だから。
 それに幻視術も試したいから。
 なにより戦闘に参加してみたいから。
 彼らは停戦後の英雄たちで、戦闘経験がないのだった。
 スィグルは彼らの参戦に乗り気ではなかった。それが必要ならともかく、竜の涙に魔法戦闘の許可を出すのは気が滅入る。
 それでもギリスは彼らに場数を踏ませると言って譲らなかった。戦ったことがないのでは、戦士として役に立たないからと。
 ギリスは彼らをグラナダで育てるつもりらしかった。
「殿下。必要ないなんて、そんな」
「嘘でも言ってくれなきゃ」
「この戦いにはお前たちが必要だ、我が英雄よ、って」
 おどけて求めてくる三つ子に、スィグルはあきれた目を向けた。それは誰の口癖だ、このお調子者どもが。
「ではまず、お前たちのやれる仕事から協議しよう、我が英雄よ」
 ご期待に応えてそう言ってやると、三つ子たちは、はい、はい、はい、と嬉しそうに口々に返事をした。
 スィグルは、その餓鬼くさくはしゃぐ様に、こいつらはアホかと思った。
 やつらの兄貴分(デン)も大概アホだが、その弟分(ジョット)もさらに輪をかけてだ。
 こいつらが我が英雄で、忠実なる廷臣どもは身勝手な金の亡者とその手下どもで、僕の小さな玉座の間(ダロワージ)は猛烈な有様だ。それも自分のような半人前の族長ごっこには、相応かもしれないが。
「描けたか、シャムシール」
「だいたい描けました」
 スィグルが訊ねると、絵師はまだ紙を見つめ手を動かしながら答えた。
 描き終えてから、シャムシールは紙を取り上げて皆に示した。
 そこには、巨大な蛇のような、断崖の下の砂丘にのたうつ竜の絵が描かれていた。

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