もえもえ図鑑

2008/08/28

新星の武器庫(16)

←前へ

 ケシュクは、動く的を射るのだと言った。
 スィグルは侍官に命じて、投じた土器(かわらけ)を射るための準備をさせた。
 公正を期すため、ケシュクに試射をさせて、彼の連弩(れんど)の射程を確かめ、その矢の届く距離に合わせてやることにした。
 子供用の小さな弩(おおゆみ)であるせいか、ケシュクの射程は短かった。たぶん、本気でやりあったら、彼の矢は自分の射たものの半分も飛ばないだろうとスィグルは思った。
 しかし、ここで見るべきは射程ではないだろう。
 小さな英雄は、至近距離からの奇襲を想定しているらしいから、射程が短いことは問題にならない。
 射程内にある動く的を、いかに正確に、そして素早く仕留めるかを、彼は競おうとしているのだ。
 そういうことを、スィグルは今まで試したことがなかった。
 宮廷で誇れる弓の腕とは、正確さも勿論だが、なにより射程だった。遠くにある標的を、鮮やかに射落とす腕前こそが、部族の男の誇りに適うものとして、重んじられた。
 成り行き、的はいつも遠くにあるものだ。
 おそらく、遠目にそれを見極める視力を誇ることも、射手の名誉の一部だろう。
 黒エルフは他の部族に比べて格段に目が良かった。
 スィグルはそれを異民族と暮らした学院での日々で、たびたび実感した。
 四部族の中でも特に目の悪い海エルフと、同室に押し込められていれば、我が身の視力の優越は、毎日のように感じた。
 夕方になると、イルスはすぐに居間に灯火を入れたがり、こちらが本を読んでいると、暗闇の中でよく字が見えるなと驚いていた。
 皆で狩猟に行けば、まだ誰も視界にとらえていない兎が、自分にだけは見えた。兎がいると言うと、ほかの連中は見えないと目を眇(すが)め、目を伏せているシェルだけが、確かにいると同意した。森エルフの彼には目で見る必要はなく、感応力を使って、兎の居場所を知ることができたからだ。
 しかし食べるぶんだけ、とシェルに念押しをされ、兎を食う気のない自分は弓を引く気にはなれず、いつも兎を追いかけるのは、まともに目が見えていないイルスと、それよりはましな目をしたシュレーだけだった。
 そういう日のことを、漠然と思い出し、スィグルは薄く微笑んだ。
 気付けば、ずいぶん昔の話だった。
 あの頃はまだ十三歳で、自分はすぐに死ぬと恐れていた。
 しかし案外に生き延びるもので、ここで盗賊と戦わねばならない。その前に控える前哨戦として、まずはこの子供との勝負をしなければならないようだ。
 ケシュクは念入りに連弩の整備を行っていた。
 この子はきっと、父親のように、立派な武器職人になるだろうと、スィグルは思った。
 うらやましい話だった。ただ熱心に手仕事をすれば、父親のあとを継げるのだから。
 自分もそういう身の上だったらよかった。
 いろいろ努力はするものの、族長である父の後を継ぐのは、まだまだとても難しい。やるべき事が多すぎて、毎日おろおろするほどだ。
 本当に、職人の子に生まれたかったよと、スィグルは自分にぼやいたが、それも随分、わがままな話だ。族長リューズ・スィノニムの息子でない別のなにかに身を落とすなら、いっそ死んだ方がいい。
 結局のところ、それがいつもの結論だ。
 スィグルは侍官が恭しく差しだした王族用の弓を受け取り、射程の目安として立てられた丸い的に向かって、弓弦を引き絞ってみた。思った以上に、的は近かった。
 ケシュクは整備を終えたらしかった。子供も同じように、連弩の取っ手を引いて弦を掛けがねに引っかけ、的を狙ってみていた。
 その姿を、いかにも面白そうに横に立って眺めているギリスは、すっかりケシュクの子分らしかった。
 石鹸屋の気前は良かったようで、彼はにこにこしながら、ラダックと連れだって現れた。官僚はもう帰る気だったらしく、藍色のお仕着せを脱ぎ、普通の市民が着るような、丈の短めの長衣(ジュラバ)を纏っていた。
 ラダックがそんな私服姿で宮殿にいるのが物珍しく、スィグルは思わずじろじろ見たが、ラダックにはそれが、珍しくも気まずかったらしい。官僚の制服を着ていないと、ラダックは弱るらしかった。
 いいことを知ったと、スィグルは思った。それだけでも今日の、大きな収穫だった。
「殿下、万が一にも負けないでしょうね」
 嫌な顔をして、ラダックが訊いてきた。
「僕はなんにも答えないから。お前になにか保証して、それが外れたときの不都合を思うと、とてもそんな気にならないからな」
 矢を検分しながら、スィグルは答えた。例の赤い矢は、どれも良い出来映えだった。職人の、真面目な仕事ぶりがうかがえる。
 そもそもこれも、ギリスが市街巡察の土産に持ち帰ってきた矢を射てみて、とても気に入ったので、市井の職人と知りつつ、王族用のものを作らせて納めさせたものだ。
 あのときは金庫番が怖くて、職人ごと召し抱えたいとは、とても言い出せなかったが、結果的にこういうことになったのだから、縁とは妙なものだった。
 職人イマームは、がめつい者ばかりのように思えるこの街で、自分が王族に命じられて特別に矢をこしらえていることを、誰にも喧伝しないような、控え目な男だった。
 そういうのが本来、人の美徳であるべきではないかと、スィグルは誰にともなく、力強く思った。しかしそれを言う相手がいない。お前に言っても無意味だと、スィグルは恨めしくラダックの顔を見た。
「なんですか、その、このやろうみたいな目は」
 気味悪そうに、ラダックがにらみ返してきた。
「もしも負けたら、何を約束させられるやら分かりませんよ、殿下。この果たし合いの裏には、ぜったいあの人がいるんですから」
 ラダックはそちらを見もせず、指差しもしなかったが、彼が言うあの人とは、たぶん間違いなくエル・ギリスのことだ。
「エル・ギリスは、石鹸屋組合の上納金の話で、帰るところだった私を引き留めて、その話をするような顔をしながら、ここまで連れてきたんですから。絶対になにか策略があるのです」
「そんなに心配なんだったら、勝負がつくのを見ていけよ。僕がとんでもないものを買わされたりしないように、お前が口を挟めばいいだろう」
 悪い予感がするらしい、ラダックの仏頂面を見て、スィグルはなんだか可笑しくなってきた。弓に赤い矢をつがえるスィグルを睨みながら、ラダックは腕組みをした。どうも帳簿を抱えていないので、手持ちぶさたらしい。
「そのつもりです。もう、こうなったら。時間外ですが見ていきます」
 ラダックはそれが、とんでもないことであるかのように宣言した。
 それは確かに、とんでもないことだった。ラダックは決して、残業しない男だったからだ。

→次へ
←Web拍手です。グッジョブだったら押してネ♪
コメント送信

 
本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース